蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

年賀状雑感

2005-12-25 00:50:53 | 日常雑感
 12月24日(土)

 今、ようやく146枚の年賀状を書き終えた。これで今年の締めくくりがついた思いだ。一仕事おえた良い気分だ。一杯呑みたくなる。

 現役の頃は、とても今頃書き終える余裕はなかった。大晦日ぎりぎりまで書き深夜、車を飛ばして東京駅前の中央郵便局に持ち込んだこともあった。

 年賀状については様々な議論を聞く。虚礼だと言う人も多い。

 私はそうは思わない。

 一年に一度、この世の中で生きていく中で様々な形で係わり合いを持つお互いの位置関係を確認し合えることは結構意味あることだと思う。

 三が日に受け取る賀状は文句なく嬉しく気持ちがいい。

 それに対して、5日以降に届くのはこちらからのを受けて慌ててお返しでくれたのかなとつい忖度してしまう。

 この場合、早々に賀状ありがとうございました云々とあると、そんな余計な揣摩臆測が不要となるだけさっぱりとした気分で受け取れる。

 一番、応えるのはお互いに信頼と好意をもっていると信じていた先方から、ある年から突然何の応答もなくなってしまうことである。
 
 まさか、どうして今年は賀状くれないのかと聞くわけにもいかない。新年、早々あれこれと思い悩むことになる。

 賀状のやりとりでこれが一番嫌なことだ。

 反面、小中学生時代から一度も絶えることなく続いている何枚かは、私の人生の宝物だと感じる。

 しかし、お互い人間の心情は変わり易いこともたしかである。この世に不変なものなどありはしないのである。「そうか、もうこちらとは付き合いたくなくなったんだな」と諦観するほかは無いのである。
 このごろ、漸くそのような心境になれるようになった。

 お互い生きていく中で人間関係は様々に変化する。それを過去のしがらみで形式的に引きずっていたのでは増えていくばかりでたまらないだろうと思う。

 そこで4日以降に頂いた相手には翌年は、こちらから出すことは控えることにした。こうすれば、お互いにさりげなく賀状のやりとりをやめることができる。

 頂く賀状を見ていると、結構そこにそれぞれの方の物の考え方が伺えるような気がする。

 頂いて嬉しいのはやはりそこに何か一工夫されているものである。

 私も年賀状の絵柄には凝るほうである。毎年10月に入るとそろそろ今年はどんなものにしようかと頭のすみにおき始める。

 そして褒められるととてもうれしい。新年早々良い気分である。

 さて、後、数日で受け取る賀状ではどんな気分を味わうこととなるだろうか、今から楽しみなことである。
 
 

 


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1 コメント

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Unknown (なお)
2005-12-25 12:44:16
初めまして

宝物いいですね

宝物があるって幸せですよね

大切にしてくださいね

さらにいい年を迎えてください

ぜひ遊びにきてくださいね
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