合気道ひとりごと

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311≫ 年頭に武術の核心を考える

2017-01-01 00:49:35 | 日記
 
 明けましておめでとうございます。本年も皆様どうぞ健康第一でご精進ください。

 昨年最後のテーマは両手取り四方投げ表でした。基本の技についてはそれで半分くらいで、この後まだ続きますが、年の初めから重箱の隅を突っついたような技法論は勘弁と思われる方もいらっしゃるでしょうから、少し本質的な話から始めたいと思います。

 合気道稽古にあたって意識の上で一番大事だと思うのは、武術技法(技法論に関して言うときは武術と表現します)の目的を理解することです。言い換えれば、相手の打ってきた手をとって床に押しつけたり、手首を返して投げたり、そういうことが稽古の目的ではないだろうということです。そんなことなら普通の人の何倍かの筋力鍛錬やらで体をつくり、大きな力量差で相手を圧倒すれば済む話です。大人が赤子の手をひねるように。

 わたしたちの稽古がそのレベル、方向性を目指しているわけではないことは自明ではないでしょうか。わたしたちは武術技法の練習を通じて、その核心を学ぶべきなのです。それは、一にも二にも身を護ることです。身を護るとは負けないことです。あえて勝たなくてもよい、戦いを避けられるものなら避ける。しかし逃げられないとなればあらゆる手段を講じて勝つ、武術の稽古はここを想定しています。そこには近代の精神論や道徳の入り込む余地はありません。

 あらゆる手段といっても、なかには人に見られたら秘密がばれたり恥ずかしくなるようなものもあります。そういうものは密かに個人的にやればよろしいので、実際の稽古で取り上げることのできるものはそんなに多くありません。方法、方向性を間違えなければ普通の技法稽古で十分です。

 武術の核心(身を護ること)をかたちにする稽古とは簡単にいうと優れた足捌きによる体の移動を学ぶことです。これに投げ固め技や打突技を織り込むことで武術がかたちをなすのです。ここで体の移動とは自分有利の間合いをつくることです。これがない技法はただの力技です。ちなみに世界標準候補シリーズではすべてそれを意識して選択しています。

 合気道の稽古では往々にして手を使いすぎる傾向があります。手は大きくも小さくも遣えて便利なのですが、それに頼りすぎると体の移動がおろそかになりがちです。それこそが〈間〉違いで、それではこちらの急所や弱点をさらけ出すばかりで相手の思うつぼです。より大事なのは手ではなく足です。
 
 自分有利の間合いとはどういうものかを常に考えて動くような稽古をしましょう。合気道は相手が第一撃以外は攻撃してきませんからそのような工夫ができるのです。現実的でないからこそできる稽古法です。おおいに活用しましょう。

 こんな調子で今年も勝手なことを言ってまいります。どうぞよろしく。