過ぐる6月1日、江戸川区合気道連盟様の主催で、黒岩洋志雄先生の講習会が開催され、わたしも参加させていただきました。先生は体調不十分にもかかわらず気丈に指導にあたられ、感服いたしました。
その際、たくさんのお話を頂戴しましたが、その中のいくつかをお伝えしようと思います。
まず一つめは、前回のブログで申し上げたことと関連しているようで、でも微妙に違う話です。それは、わたしは、≪合気的な技術は他の武道やスポーツにもある≫ということを述べましたが、先生はさらに具体的な体遣いにおいても共通しているとおっしゃっています。
例えば、相撲で上手投げや下手投げをうつ時、まわしを掴んだ腕(相撲ですから、カイナと読みたいですね)を返す動作は、そのまま四方投げの腕(これはウデです)遣いと同じであるということです。反対に、自分の上手の肘を締めて相手の腕を絞り上げるのは一教の腕遣いと同じ。さらには、卓球でフォア(右利きの人の場合は右側)にきた球を打ち返すときの腕の振りは四方投げ、バックから打ち返すときは一教と同じ動きになる、とこういうわけです。
そのほか野球やゴルフなども例に出され、そこでおっしゃるには、『合気道の動きは、いろんな武道やスポーツと共通しているから素晴らしいんです。合気道の動きが特別だなんて思っちゃいけません。人と違う特別なことをやっていると思うのは間違いですよ』と教えていただきました。
わたしも、どんな競技であれ同じ人間のやることですから、関節が逆に曲がる人は別ですが、体の遣い方は大筋のところで共通していると考えています。しかし先生のおっしゃるようなところまで具体的に考えたことはありませんでした。そして、特に≪共通しているから素晴らしい≫という言葉は、大いに腑に落ちました(腑に落ちるなんて日本語ありますか?)。『合気道だからって、ありがたがっちゃいけないんです』という教えの、表の意味と裏の意味がよくわかりました。
さてもう一つです。正面打ちに関する大先生の考え方については、これも以前に黒岩先生から教えていただいたことを紹介していますが、その件について今回あらためて伺ってみました。若かりし頃の先生たちが正面打ちの稽古をしているところに大先生がおいでになった時のことです。いまわたしたちが普通にしている正面打ちをしていると、『誰がそんなことを教えた!藤平(後の師範部長)か!?』と、えらい剣幕で叱られたそうですが、それは濡れ衣で、前にお話しした剣術のときと同じように、そのときも実は吉祥丸先生が指導しておられたのだそうです。大先生は、正面打ちは手刀を振りかぶるのではなく、そのまま相手の顔面にまっすぐ突き出すのだと、その時教えてくださったということでした。このことはバックナンバー16でも触れていますが、大先生は武術家として実戦性を損なうことを厳しく戒めておられたことがわかります。
そうだとすると、現在の合気道のカタは、大先生がその時否定されたものをやり続けているということになります。ただ、『正面打ちには振りかぶりに合わせて入れ』と教えておられたということを故斉藤守弘先生がご著書に記されておられますから(おそらく時期が違うのでしょう)、相手には正面打ちを出させても、自分ではそうしないのが良いのかもしれません。なにしろ黒岩先生流にいうと、合気道は嘘を教えているのですから。
合気道において正面打ちなんてものは基本中の基本なのですから、しかるべき権威筋が明確で統一的な考え方を示してもよさそうなものですが、逆に、そうでないところに合気道の魅力や可能性があるのかもしれません。この辺も、わたしが≪合気道は未完の武道である≫という考えを持つ理由のひとつです。また、ブログをご覧いただいている複数の方から以前にもこれに関するコメントを頂戴し、それぞれのお考えを伺っていますが、そういうことも参考になり、楽しみでもあります。
今回伺った話の残りはまたあらためてお伝えすることにしましょう。
武道を学ぶ者として、外に目を開くことは大いに参考になるものだと、あらためて感じた講習会でした。単なる目移りではいけませんが、芯がしっかりしていれば学ぶことは多いはずです。
また、少数派というのは時流に媚びない、確固たる信念が求められます。わが師の教えも少数派といえるのかもしれませんが、わたくしにとってはこれこそが真理であり、大切に引き継いでいきたいと思っています。
私は非実践的で好きではないです。
稽古ではみな素直に打ってきますが、もし相手が振りかぶった
時に踏み込んで行くと、相手がそれを察知して逆の手で
殴られたり、ひざ蹴りや回し蹴りをくらう可能性があると思います。
おっしゃることはもっともです。ただこれはカタ稽古の本質論に関わることですので、わたくしなりの考えを次回本文のほうで述べさせていただきます。
実のところ、とても重要な問題提起ですので、このコメント欄に考えを書き連ねていたら、思いのほか長文になってしまったのです。
そのようなわけで、いましばらくお待ちください。
運動の体系に共通した普遍的な身体遣いは、合気道の動きが特別な何かではなくごく自然な、突き詰めて言えば宇宙の理法にかなったものである事の証左ではないかと思います。
正面打ちについてですが、私の師事している先生は相手との間合いが近い場合に手刀を振り被ると顔面ががら空きになるので、振り被らずに顔目掛けて打つ様にと仰っています。
また、現行の正面打ちでの稽古の中から如何に理合を体得するかも極めて重要な命題であると感じます。