本ブログをご覧いただいているY様から下記のようなコメントを頂戴しました。それにつきわたしの理解の範囲でお答えできるものはお示ししたいと思います。
①『いつも疑問に思っておりました。
私は足の運びや体遣いの細かい説明をされる指導者にめぐりあったことがありません。
先日のことですが、開祖晩年の本部直弟子の師範の講習会に参加させていただきました。稽古後の質問会で当時開祖の稽古では短刀突きの場合、刃の向きは上向きか下向きか、規定はあったのでしょうかとの質問がありました。
先生曰く、開祖は刃の向きは「なんでもええんじゃ」と言われて細かい指示もなかったというのです。
私は、今まで短刀突きの刃は上向きで下腹部から上方向に跳ね上げるのが正しいと習ってきました。
同じく開祖からは正面打ちも横面打ちも刃筋については何の指示もされなかったとのことでした。
武道の基礎的教養のある稽古生は別として合気道が初めての武道人には、何の規範も無いのは迷いが生じます。
刃の向きなどに捉われない捌き、崩しが大事なのかなと自問自答しています。
今の稽古場は、いろんな道場の経験者が寄り集まって発足した比較的新しい道場です。
何十年も他道場で稽古を積んだ方達は、中心者のお手本の技を無視して違う技を遣っています。
不思議な道場です。茨城道場系の高段者と山口清吾師範系の高段者は絶対に一緒に稽古しません。
また、会の中心者の方の技は関西の小林裕和師範系なので、初心者は稽古時間内にいろんなスタイルの技を経験します。
下手すると汗をかくだけで、何が合気道の基本だかわからずにやがて審査を受けます。
この道場の昇級昇段審査は先の開祖直弟子の先生が遠方から来られて審査されます。
審査に求められる技と普段の稽古技が違いすぎて中途半端で未消化な動きが多く見受けられます。
最近は本ブログの更新が待ち遠しいです。しかし、読ませていただくと、今の稽古内容が・・・とても不安です。
②『やはり、汗かき体操と他武道の方から言われてしまうのを自分でも肯定してしまっていたように思えます。
黒岩先生は合気道稽古者に対して「惑わされてはいけないですよ」とおっしゃっているようで、「虚実」を探求しない毎日の稽古がとても無味乾燥に思えて来ました。
と言うか私のような地方では黒岩先生を存じ上げている方は皆無です。取得された段位だけでしか実力を評価できない人には説明するのが疲れます。
「タテとヨコの崩し」を話題にしただけで誰の教えか?などと聞き返されます。
本部道場の華々しい師範方には全国、海外にそのスタイルを慕う稽古生がたくさんいらっしゃいます。
また、多くの動画も残されています。
中にはそれらの師範の動画を観て、見よう見まねで指導している先生もおられます。
合気道の普及って何だろうって、私の定年後の楽しみだった合気道の稽古が、今は悩みに変わってしまいました。』
以上です。このようなコメントをいただくと、このブログがかえって真摯な稽古者を混乱させているのではないかという思いも湧きますが、せっかく縁があって合気道に入門されたのですから、私のような者の理解を紹介するのも少しは意味があるのではないかと思い直し、以下に要旨を記してまいります。
まず、具体的な疑問としてあげられている短刀の扱いについて、わたしの理解(くどいようですが、あくまでもわたしの理解です)は次のようなものです。
結論から言えば、大先生が「なんでもええんじゃ」とおっしゃったのであればそれが答えです。確かに大先生は指導の際、細々しいことには無頓着だったようです。松竹梅の剣もそのときによって竹松梅の順だったりしたようです。ただ、詳しい指導がなかったからどうでも良いということでは合理的であるべき武道を身につけようとする者の主体性が失われますし、実際の稽古としても不都合なので、たとえば刃の向きを限定したいというのもわかります。
わたしは順手(包丁と同じ握り方)の場合は刃を下に向けます。この持ち方は一つには斬りと突きの両方に適応すること、二つには突きのとき誤って握りの手を滑らせてしまっても指を傷つけるだけで済むことです。
稽古で真剣を使うことはあまりないでしょうが、実際の戦いではこれは重要です。突いたときに必ず相手に刺さるとは限りません。何かで突きを遮られることもあるでしょう。そんなとき鍔無しで刃を上向きに握って手が滑れば親指と人差し指の間の手のひらを切ってしまうことになります。これは以後の戦闘不能を意味します。逆手に持って、いわゆる横面打ちふうに突くときも同じ理由で刃は指側にくるように持ちます。
下から突き上げぎみに刺すとか、やくざは柄頭にもう一方の手のひらを当てるから滑る心配は無用だというのであれば、それはそれでやればよろしいかと思います。だいぶ以前にペルーで指導されている金井さんという方(黒岩門下)とお話をしましたが、あちらでは護身術に現実の需要があるということで、短刀取りならぬナイフ取りやピストル取りが行われるそうです。かれの手首まわりにはナイフの切り傷がいくつもありました。実際に合理的で使い物になるかどうか、いかに損傷を最小限にするかが大事だということでした。そのような観点からもわたしの理解は間違っていないように思われます。
手刀による正面打ちは、黒岩先生によると大先生はストレートパンチのように顔に真っすぐ打ち出しておられたということです。実戦的にはその通りだと思います。ただ稽古に際しては、取りに時間的猶予を与えるために一旦振りかぶって切り下げるということも正しい方法です。どちらを採用するかはその都度取りと受けで決めればよいことです。
横面打ちは、受けとしては狙いどころはコメカミか頸動脈付近で、打ち方は右半身の場合、正眼の構えから正面打ちと同じように振りかぶり、右足を斜め前に踏み出しつつ左足を回しこみ、真っすぐ立てた手刀を自分の中心線上を切り下げます。手刀は振り下ろしに合わせて手のひらの角度が斜めになります。結果として手刀は螺旋状に動きます。刀の袈裟斬りのように斜め上から斜め下に動くのではありません。つまり、体が回る以外は正面打ちとほぼ同じ軌道をたどります。おかしく思う人もいるでしょうが、攻防の実際(受けだからといって防御をを考えなくてよいわけではありません)を考えるとこうなります。
ついでに言うと、横面打ちの技法の際は逆半身に構えます。受けはそのまま振りかぶり斜め前に踏み出して横面を打っていきます。相半身に構えて後ろ手で打っていくやり方もありますが(多くの方はこれかもしれません)、これは短刀などを身の後ろに隠して打ち込む方法です。短刀取りの場合はよいですが、徒手でこれをやると至近距離で一瞬相手に正面をさらけ出すことになるのでお勧めしません。
次に、いろいろな先生の指導のもと、標準にすべき動きがわからないということ、これは稽古意欲を継続させる上で結構深刻な状況ですね。ただ、考えようによっては恵まれた環境であると言えないこともないと思います。
わたしがかつて門をたたいたО道場は3~5人の指導者がいました。本部からおいでになっている方かその系統の方が主でしたのであまり混乱はありませんでしたが、それでもやはりそれぞれ個性があって全て同一というわけではありませんでした。そこからさらに個性の強い西尾昭二先生や黒岩洋志雄先生の指導をうけましたので、トータルでいえばわたしの頭の中はゴッチャゴチャでした。しかし、このような環境の中にこそ、何が優れ何が自分の求めにふさわしいかを考える際の選択肢が示されていたことは間違いありません。豊富な選択肢を邪魔ととらえるか有り難いと考えるか、自ずと答えは明らかではないでしょうか。
もちろん稽古においては、先生が示す方法、動きをなぞるようにするのが礼儀です。そのようにしながら、複数の先生の各動きに共通する理合いを見つけ出すことは案外楽しいかもしれません。最終的には、信頼できる指導者に出会えるかどうかですが、こればっかりは武縁ですから、わたしの手を離れます。
タテ・ヨコの崩しといい、虚実といい、どちらも合気道稽古の真理であるとわたしは考えていますが、これは黒岩先生の理論であって、他の指導者の方がそのようなことに触れていないのはしかたありません。もったいないとは思いますが試合のない合気道(実際の優劣を決められない)ではこの辺が限界ということでしょう。
どのような指導者に出会っても合気道のすべてを教えていただけるわけではありません。技法でも理論でも未知のものに出会い、その価値を判断するとき重要なのは『合理性』だと思います。武術というのはもともと命のやりとりを前提にしています。そこでは相手の配慮などというものはまったく期待できません。そのようなとき有効な方法は合理性に裏付けられたもののみです。合理的な技法とは再現性がある技法です。たとえば、気という不分明なものに頼ったり、特別な能力がある人しかできないようでは合理性に反します。一定の手順を踏めばだれでもできる、それが稽古をする意味のある技法です。
言い始めると終わらなくなりそうです。今回はここまでということにしますが、足りないものがありましたら、どなた様でもまたお尋ねください。
①『いつも疑問に思っておりました。
私は足の運びや体遣いの細かい説明をされる指導者にめぐりあったことがありません。
先日のことですが、開祖晩年の本部直弟子の師範の講習会に参加させていただきました。稽古後の質問会で当時開祖の稽古では短刀突きの場合、刃の向きは上向きか下向きか、規定はあったのでしょうかとの質問がありました。
先生曰く、開祖は刃の向きは「なんでもええんじゃ」と言われて細かい指示もなかったというのです。
私は、今まで短刀突きの刃は上向きで下腹部から上方向に跳ね上げるのが正しいと習ってきました。
同じく開祖からは正面打ちも横面打ちも刃筋については何の指示もされなかったとのことでした。
武道の基礎的教養のある稽古生は別として合気道が初めての武道人には、何の規範も無いのは迷いが生じます。
刃の向きなどに捉われない捌き、崩しが大事なのかなと自問自答しています。
今の稽古場は、いろんな道場の経験者が寄り集まって発足した比較的新しい道場です。
何十年も他道場で稽古を積んだ方達は、中心者のお手本の技を無視して違う技を遣っています。
不思議な道場です。茨城道場系の高段者と山口清吾師範系の高段者は絶対に一緒に稽古しません。
また、会の中心者の方の技は関西の小林裕和師範系なので、初心者は稽古時間内にいろんなスタイルの技を経験します。
下手すると汗をかくだけで、何が合気道の基本だかわからずにやがて審査を受けます。
この道場の昇級昇段審査は先の開祖直弟子の先生が遠方から来られて審査されます。
審査に求められる技と普段の稽古技が違いすぎて中途半端で未消化な動きが多く見受けられます。
最近は本ブログの更新が待ち遠しいです。しかし、読ませていただくと、今の稽古内容が・・・とても不安です。
②『やはり、汗かき体操と他武道の方から言われてしまうのを自分でも肯定してしまっていたように思えます。
黒岩先生は合気道稽古者に対して「惑わされてはいけないですよ」とおっしゃっているようで、「虚実」を探求しない毎日の稽古がとても無味乾燥に思えて来ました。
と言うか私のような地方では黒岩先生を存じ上げている方は皆無です。取得された段位だけでしか実力を評価できない人には説明するのが疲れます。
「タテとヨコの崩し」を話題にしただけで誰の教えか?などと聞き返されます。
本部道場の華々しい師範方には全国、海外にそのスタイルを慕う稽古生がたくさんいらっしゃいます。
また、多くの動画も残されています。
中にはそれらの師範の動画を観て、見よう見まねで指導している先生もおられます。
合気道の普及って何だろうって、私の定年後の楽しみだった合気道の稽古が、今は悩みに変わってしまいました。』
以上です。このようなコメントをいただくと、このブログがかえって真摯な稽古者を混乱させているのではないかという思いも湧きますが、せっかく縁があって合気道に入門されたのですから、私のような者の理解を紹介するのも少しは意味があるのではないかと思い直し、以下に要旨を記してまいります。
まず、具体的な疑問としてあげられている短刀の扱いについて、わたしの理解(くどいようですが、あくまでもわたしの理解です)は次のようなものです。
結論から言えば、大先生が「なんでもええんじゃ」とおっしゃったのであればそれが答えです。確かに大先生は指導の際、細々しいことには無頓着だったようです。松竹梅の剣もそのときによって竹松梅の順だったりしたようです。ただ、詳しい指導がなかったからどうでも良いということでは合理的であるべき武道を身につけようとする者の主体性が失われますし、実際の稽古としても不都合なので、たとえば刃の向きを限定したいというのもわかります。
わたしは順手(包丁と同じ握り方)の場合は刃を下に向けます。この持ち方は一つには斬りと突きの両方に適応すること、二つには突きのとき誤って握りの手を滑らせてしまっても指を傷つけるだけで済むことです。
稽古で真剣を使うことはあまりないでしょうが、実際の戦いではこれは重要です。突いたときに必ず相手に刺さるとは限りません。何かで突きを遮られることもあるでしょう。そんなとき鍔無しで刃を上向きに握って手が滑れば親指と人差し指の間の手のひらを切ってしまうことになります。これは以後の戦闘不能を意味します。逆手に持って、いわゆる横面打ちふうに突くときも同じ理由で刃は指側にくるように持ちます。
下から突き上げぎみに刺すとか、やくざは柄頭にもう一方の手のひらを当てるから滑る心配は無用だというのであれば、それはそれでやればよろしいかと思います。だいぶ以前にペルーで指導されている金井さんという方(黒岩門下)とお話をしましたが、あちらでは護身術に現実の需要があるということで、短刀取りならぬナイフ取りやピストル取りが行われるそうです。かれの手首まわりにはナイフの切り傷がいくつもありました。実際に合理的で使い物になるかどうか、いかに損傷を最小限にするかが大事だということでした。そのような観点からもわたしの理解は間違っていないように思われます。
手刀による正面打ちは、黒岩先生によると大先生はストレートパンチのように顔に真っすぐ打ち出しておられたということです。実戦的にはその通りだと思います。ただ稽古に際しては、取りに時間的猶予を与えるために一旦振りかぶって切り下げるということも正しい方法です。どちらを採用するかはその都度取りと受けで決めればよいことです。
横面打ちは、受けとしては狙いどころはコメカミか頸動脈付近で、打ち方は右半身の場合、正眼の構えから正面打ちと同じように振りかぶり、右足を斜め前に踏み出しつつ左足を回しこみ、真っすぐ立てた手刀を自分の中心線上を切り下げます。手刀は振り下ろしに合わせて手のひらの角度が斜めになります。結果として手刀は螺旋状に動きます。刀の袈裟斬りのように斜め上から斜め下に動くのではありません。つまり、体が回る以外は正面打ちとほぼ同じ軌道をたどります。おかしく思う人もいるでしょうが、攻防の実際(受けだからといって防御をを考えなくてよいわけではありません)を考えるとこうなります。
ついでに言うと、横面打ちの技法の際は逆半身に構えます。受けはそのまま振りかぶり斜め前に踏み出して横面を打っていきます。相半身に構えて後ろ手で打っていくやり方もありますが(多くの方はこれかもしれません)、これは短刀などを身の後ろに隠して打ち込む方法です。短刀取りの場合はよいですが、徒手でこれをやると至近距離で一瞬相手に正面をさらけ出すことになるのでお勧めしません。
次に、いろいろな先生の指導のもと、標準にすべき動きがわからないということ、これは稽古意欲を継続させる上で結構深刻な状況ですね。ただ、考えようによっては恵まれた環境であると言えないこともないと思います。
わたしがかつて門をたたいたО道場は3~5人の指導者がいました。本部からおいでになっている方かその系統の方が主でしたのであまり混乱はありませんでしたが、それでもやはりそれぞれ個性があって全て同一というわけではありませんでした。そこからさらに個性の強い西尾昭二先生や黒岩洋志雄先生の指導をうけましたので、トータルでいえばわたしの頭の中はゴッチャゴチャでした。しかし、このような環境の中にこそ、何が優れ何が自分の求めにふさわしいかを考える際の選択肢が示されていたことは間違いありません。豊富な選択肢を邪魔ととらえるか有り難いと考えるか、自ずと答えは明らかではないでしょうか。
もちろん稽古においては、先生が示す方法、動きをなぞるようにするのが礼儀です。そのようにしながら、複数の先生の各動きに共通する理合いを見つけ出すことは案外楽しいかもしれません。最終的には、信頼できる指導者に出会えるかどうかですが、こればっかりは武縁ですから、わたしの手を離れます。
タテ・ヨコの崩しといい、虚実といい、どちらも合気道稽古の真理であるとわたしは考えていますが、これは黒岩先生の理論であって、他の指導者の方がそのようなことに触れていないのはしかたありません。もったいないとは思いますが試合のない合気道(実際の優劣を決められない)ではこの辺が限界ということでしょう。
どのような指導者に出会っても合気道のすべてを教えていただけるわけではありません。技法でも理論でも未知のものに出会い、その価値を判断するとき重要なのは『合理性』だと思います。武術というのはもともと命のやりとりを前提にしています。そこでは相手の配慮などというものはまったく期待できません。そのようなとき有効な方法は合理性に裏付けられたもののみです。合理的な技法とは再現性がある技法です。たとえば、気という不分明なものに頼ったり、特別な能力がある人しかできないようでは合理性に反します。一定の手順を踏めばだれでもできる、それが稽古をする意味のある技法です。
言い始めると終わらなくなりそうです。今回はここまでということにしますが、足りないものがありましたら、どなた様でもまたお尋ねください。
刃の向きの件よくわかりました。
正面打ち・横面打ちについては5月に全日本合気道演武大会の観客席で大勢の受けの方を拝見させていただいておりましたが、まだ、疑問が多いです。
振りかぶった時に顔を後ろに引くクセのある方が多いのが気になりました。
これも一瞬正面をさらけ出していると言えますね。
ストレートパンチですか、成程と思います。
体重の移動と手の振りの一致は今後の稽古での課題です。
斬り込む身体の移動軸が右側にきちっと移っていた受けの方の場合は、手刀が相手の顔近くまで伸びていました。
当日の演武大会でも中心軸を合わせることなく勢いで捌いておられた高段者も見受けられたのが残念です。
合気道スタイルについては、まずはお一人の師範の稽古方法をある程度身に付けてから、
出稽古においても柔軟に対応できるによう鍛えていきます。
「剣の極意」とはなんて武術の書物にはよく書いてありますが、合気道の極意とはなんて、ひそかに
思いに耽るのも今後の楽しみのひとつです。
疑問に十分お答えできたかどうか自信がありませんが現在の認識をお伝えしました。
どのような考えで合気道の稽古に励むか、それは人それぞれで、ひとつにはまとまりませんし、まとめる必要もないでしょう。健康体操でもよいし、精神修養でもよいわけで、それが私の場合は武術性志向が高いということです。
合気道の演武は言うなれば予定調和で成り立っていますが、取り受け双方が真剣勝負ぎりぎりのところで合わせていく、これが武道本来の予定調和だと思います。そういう前提で進めればどう動くべきかは自ずと明らかです。
顧みれば、稽古に名を借りて無駄に馬齢を重ねてきた思いもありますが、最良の動きを長く探求してきたという自負はあります。その結果、身に着いた動き(一つと限ったことではありません)と異なる動きはどんなときでも出てきませんし、万が一にも出たらとたんに不快感があるでしょう。鍛錬というのはそういうものだと思います。
合理性に裏付けられた正しい稽古を長く続ければ誰でもできることです。どうぞ期待をもってご精進ください。
やってきました。
正面打ちと見せかけて、横面を打つものなのか
正面打ちを避けるようにして横面を打つものなのか
空手チョップでなく、刃物を横面に切りつけるものなのか
転身を学ぶためのモデルケースとしてのものなのか
確かに武道経験のない者に棒を持たすと、斜めに、
または横に振り回す者が多いですけど
横面打ちは、合気道界にあって、その打ち方は
正面の打ち方よりも無法地帯の様に感じます。
日本の体術は術者が剣術の素養を持っていることを前提にしています。ただ、実際問題として素手の体術で正面打ちや横面打ちで攻め込むことはあまりないでしょう。
ですから、合気道における横面打ち(その他も含みますが)は自分優位の間合い(距離、方向、角度、タイミング等すべて)を作りながら相手の正中線を奪うことが目的です。
そのような適切な間合いを獲得するための手段として用いるのが横面打ちの稽古ということになります。打ち方は小次郎様が示された例はどれもあり得ます。要するに相手の側面に回り込んで打つことが最も有利だからだと考えます。
みんなが好き勝手に打ち込めば無法地帯と呼ばれても仕方ありません。せめて指導者やある程度の有段者は、なぜそう打つのかを説明する責任があるでしょう。
わたしは合気道は科学的武道であるべきだと思っております。これまでも何遍か言及していますが、科学的というのは、再現性があること、つまり一定の方法によれば誰でも何度でも実行可能なものだということです。
ですから、技法の説明でテコの原理とか、間合いは最適な3次元空間と時間の組み合わせであるというような表現が可能なのだと思います。
なお、蛇足ながら、合気道におけるテコの原理は、いわゆる棒状のテコのようなイメージは剣杖の扱いの場合で、体術の場合は直径の異なる歯車の組み合わせのようなものをイメージしたほうが理解しやすいと思います。この場合、自分は小さい歯車で相手の大きい歯車を動かすわけで、要は手などが自分の体軸から近いほど楽に力が伝わるという意味です。
なにしろ原理の理は理屈の理、理由の理ですから、あらゆる現象をきちんと説明できないといけないと考えています。