先日、公私共に長くお世話になっている先生の道場の演武会にお招きをいただき、わたしもほんの少しだけ演武をさせていただきました。以前から言っていますようにわたしの場合、もともと演武は得意ではないので見て喜んでいただけるようなものはご披露できませんが、下手は下手なりに日頃お世話いただいていることへの感謝の念をもって務めてまいりました。また、その道場の皆さんの演武から勉強させていただくこともたくさんあり有意義な時間をすごすごとができました。
そんなことがあったもので、参考のためにあるウェブサイトで紹介されている某団体の演武会の様子を観ましたが、以下はその感想です。
幾人もの高段者、なかには名の通った方も演武しておられるのですが、わたし自身の下手さと見取り能力を棚にあげて言えば、いささか理解に苦しむものが多く見受けられます。要するに、演武を通して何を表現したいのかということが伝わってこないのです。間合いも正確ではなく崩しも不十分で、取り受け双方とも呼吸を読んでいるふうでもなく、ただなんとなく動き回るだけ、極端に言えばそういうことです。わたしの感受性や理解力が乏しいのかもしれませんが、それが指導的立場にある方々の演武の実像です。
以前はそういうものを見ても、高段者の先生のされることだから何かまだ自分にはわからないことが秘められているのかもしれないと思うこともできました。しかし、なんだかんだ言いながらも40年以上修練を続けてきた身を基準にすれば、やはりそのような現状には厳しい評価を下さざるを得ません。
合気道をなさっている方は、ほとんどどなたも何らかの演武会に出たり見たりしたことはおありでしょう。そこでどのような感想をお持ちになっているか知りたいものです。合気道には試合がありませんから、道場の垣根を越えて多くの人が一堂に会する機会というのは講習会や演武会しかありません。その貴重な機会のひとつである演武会での演武をどういうものと心得ているか、このことは十分に吟味してみる必要があります。
わたしがまだ初段になるかならないかという頃、つまり昭和40年代後半ですが、その頃の全日本演武大会は日比谷公会堂で行われていました。いまの日本武道館とちがって器が小さいですから演武者の数にも限界がありました。ですから参加希望者はだれでも出られるというわけではなく、しかるべき先生方と一定数の道場の代表くらいなので、演武をするほうも真剣なら、見るほうもそこで何かをつかんで帰ろうという気持ちがあふれていました。もちろんいまだって皆さん真剣にやっておられると思いますが、いわゆるおさらい会のような雰囲気ではありませんでした。
誤解を招かぬように言っておきますが、おさらい会がいけないとは思いません。いい加減な高段者の演武よりは白帯の皆さんやお子さんたちの一所懸命な演武のほうがずっと気持ちが伝わってきます。
話を戻しますと、わたしは演武というのは自分の現在地を明らかにする作法であると考えています。何年、何十年の修練の成果を表すとともに、今後の方向性を指し示すものです。それをもって何を伝えたいかということまで含めて演武です。
要するに、『それが今のあなたの実力ですね』と言われても恥ずかしくないようなものを展示しないといけないということです。そうであれば演武なのに取りの棒立ちはあり得ないし、受けが勝手に飛ぶのもよしましょうよ、となるのではありませんか。
また、身の程をわきまえないことを書き連ねてしまいました。失礼があればお許しください。
最後にひとつ。以前にも書きましたが、黒岩洋志雄先生は演武がお好きではありませんでした。『だれが見ているかわからないでしょ』という理由です。他武道、武術の人が見ていたら、その前でみっともないことはやりたくないと建前上はおっしゃっていましたが、肝心なところは見せたくないというのが本音です。
※ 当方の特別講習会が迫ってまいりました(11月16日)。ご参加くださる皆様はどうぞ道中お気をつけておいでください。
そんなことがあったもので、参考のためにあるウェブサイトで紹介されている某団体の演武会の様子を観ましたが、以下はその感想です。
幾人もの高段者、なかには名の通った方も演武しておられるのですが、わたし自身の下手さと見取り能力を棚にあげて言えば、いささか理解に苦しむものが多く見受けられます。要するに、演武を通して何を表現したいのかということが伝わってこないのです。間合いも正確ではなく崩しも不十分で、取り受け双方とも呼吸を読んでいるふうでもなく、ただなんとなく動き回るだけ、極端に言えばそういうことです。わたしの感受性や理解力が乏しいのかもしれませんが、それが指導的立場にある方々の演武の実像です。
以前はそういうものを見ても、高段者の先生のされることだから何かまだ自分にはわからないことが秘められているのかもしれないと思うこともできました。しかし、なんだかんだ言いながらも40年以上修練を続けてきた身を基準にすれば、やはりそのような現状には厳しい評価を下さざるを得ません。
合気道をなさっている方は、ほとんどどなたも何らかの演武会に出たり見たりしたことはおありでしょう。そこでどのような感想をお持ちになっているか知りたいものです。合気道には試合がありませんから、道場の垣根を越えて多くの人が一堂に会する機会というのは講習会や演武会しかありません。その貴重な機会のひとつである演武会での演武をどういうものと心得ているか、このことは十分に吟味してみる必要があります。
わたしがまだ初段になるかならないかという頃、つまり昭和40年代後半ですが、その頃の全日本演武大会は日比谷公会堂で行われていました。いまの日本武道館とちがって器が小さいですから演武者の数にも限界がありました。ですから参加希望者はだれでも出られるというわけではなく、しかるべき先生方と一定数の道場の代表くらいなので、演武をするほうも真剣なら、見るほうもそこで何かをつかんで帰ろうという気持ちがあふれていました。もちろんいまだって皆さん真剣にやっておられると思いますが、いわゆるおさらい会のような雰囲気ではありませんでした。
誤解を招かぬように言っておきますが、おさらい会がいけないとは思いません。いい加減な高段者の演武よりは白帯の皆さんやお子さんたちの一所懸命な演武のほうがずっと気持ちが伝わってきます。
話を戻しますと、わたしは演武というのは自分の現在地を明らかにする作法であると考えています。何年、何十年の修練の成果を表すとともに、今後の方向性を指し示すものです。それをもって何を伝えたいかということまで含めて演武です。
要するに、『それが今のあなたの実力ですね』と言われても恥ずかしくないようなものを展示しないといけないということです。そうであれば演武なのに取りの棒立ちはあり得ないし、受けが勝手に飛ぶのもよしましょうよ、となるのではありませんか。
また、身の程をわきまえないことを書き連ねてしまいました。失礼があればお許しください。
最後にひとつ。以前にも書きましたが、黒岩洋志雄先生は演武がお好きではありませんでした。『だれが見ているかわからないでしょ』という理由です。他武道、武術の人が見ていたら、その前でみっともないことはやりたくないと建前上はおっしゃっていましたが、肝心なところは見せたくないというのが本音です。
※ 当方の特別講習会が迫ってまいりました(11月16日)。ご参加くださる皆様はどうぞ道中お気をつけておいでください。
人は年齢を重ねると、見て見ぬふりを
して無難にその場を取り繕うのが下手くそになるのでしょうか。 一言多いのは私の性分ですからしかたありません。
先週、私の住む町で開催された市の合気道連盟の演武会に誘われて参加しました。そのあとの直会でのことでした。
感想を求められたので正直に演武の内容についてお答えしました。 「柔術系の絞め技、逆関節技があまりにも多いのでなんだか大東流何とか派の演武会を見ているようでしたと。」
元々、市の合気道連盟は他県の合気道組織の友好道場として発足したので、所在地の県の合気道とは微妙に違います。当身や蹴りにも重点を置きます。
そして、指導する立場の有段者が指導員と言う名称で市内各地の中学校の武道場を借りて日替わりに教えています。
一度入会すると、三段までは県内外の他道場への出稽古は禁止されています。ただし師範(六段)の許可があれば可能です。
だから連盟稽古などは参加できます。
許可のない出稽古は破門の扱いになります。
人口30万人の町で合気会合気道組織はここしかありません。
大東流云々という言い回しが悪かったのか、中心者のご機嫌が悪くなり、「どこの組織の回し者か」とお怒りをいただきました。
中心者は大学卒業後は合気道で40年間生計を立てておられますので、侮辱したように聞こえたのかもしれません。
しかし、私にはそう見えたのです。不要な当身、痛い極め技、受けが「うっー」と大きな声で叫ぶほどに観客はどよめきます。
指導員演武は言うまでもありません。さらに受けの人が両腕を背中の後ろで紐で縛られ頭を畳に打ち付けられたまま極めのポーズで観客の拍手を待ちます。
私は違和感いっぱいで、何か釈然としないものを感じていました。
それが、直会での発言になってしまいました。
結果「破門だそうです。」
元々帰属意識の少ない私なので痛くも痒くもありませんが合気道の組織とういのは厄介なものだなぁと、
あらためて考えさせられました。
さて、これからどうするか・・・他県にでも行きますか。
やっぱり合気道好きですからね。
やってしまいましたね。
そのような独特の方針を持つ組織があることを初めて伺いました。部外者がとやかく言えることではないと思いますが、わたくしとしては異なる意見や批判を受容しないそういう組織のあり方にこそ違和感を持ちました。
もちろん、各地各道場でなんだかんだの軋轢があることは仄聞していますので、その延長線上にあるのかもしれませんが、でも本件は明らかに合気道の精神とは相容れないものであると、これは断言いたします。
yasuhiro様は、以前の投稿からわたくしとほぼ同年代の方と存じております(当方は還暦を過ぎましたが)。その歳にもなればどなたもそれぞれの立場で社会に貢献し、家族を護り、その上で自分自身の生活を充実させようと日々努力しておられるものと了解しております。
そのために様々な考えを持ち、それを社会に反映させようとすることは当然の願望です。そのような方々こそこの世の中に無くてはならない存在です。
一方、現代社会において、わたくしも含め、武道、武術の指導者という立場は、言ってみれば世間様の寛容によって存在を許されている、極論すれば世の中に無くても誰も困らないことを生業としているに過ぎません。
であれば、その立場にある者の振る舞いは自ずと律すべき定めがあることは明白です。
それはそれとして、今後どのようにしてyasuhiro様が合気道と関わっていくことができるか、それが心に掛かります。遠隔の片田舎に暮らすわたくしにできることは無いかもしれませんが、なにか変化がありましたらまたお知らせください。
合気道を生活の糧にしておられる指導者は、道場運営と合気道人口の拡大という狭間で会社経営者と同質の苦しみを抱えておられるのでしょう。
私の年代では、それが理解できます。
他武道の友人からは、合気道の精神性についてあまりにも宗教的要素が多くて、何か得体のしれない武道だと言われたことがあります。
いつも反論していますが、その論拠も希薄なため理解はしてもらえませんでした。
まあ、町道場主が何を言おうが、合気道は稽古が楽しいです。もう昇段審査も関係ありません。
ビジターでも受け入れていただける合気道団体を探して、ようやく1箇所気になるところがありました。
1週間のうち1日だけ家族に協力お願いして朝夕の稽古に行かせてもらえそうです。
平日は朝6時半から7時半、 夜は午後6時から8時まで土曜は朝9時半からお昼まで、夜は8時半までです。往復3時間の電車ですが苦になりません。
古流剣術の会に来ておられる若い合気道の方に紹介していただきました。
ずっとずっと稽古をしていきたいです。
どうしておられるか気になっておりましたが、良さそうなところが見つかったようで安心しました。
合気道はやればやるだけ新しい発見があります。そのためには長く続けることが最低条件ですので、ぜひ頑張ってください。
当地はだいぶ寒さが厳しくなってきましたが、全国あちこちで雪やら風やら大変な天気に見舞われているようです。風邪など召しませんよう一層ご自愛のうえ、元気に年の瀬を乗り切ってください。