合気道ひとりごと

合気道に関するあれこれを勝手に書き連ねています。
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257≫ お寒うございます

2015-01-09 14:54:15 | 日記
 毎日々々寒い日が続きますが、これからが冬本番ですから、まずは皆様どうぞ風邪など召しませんよう。

 わたしの会では5日に稽古始めをし、年末年始で鈍った体をやっこらさと動かしてまいりました。そこで年頭の挨拶をしましたが、今までにない抱負を述べました。それは、合気道の稽古を通じて心身の練磨は当然のこととして、もうひとつ、何かまだわたしたちが気づいていない効用が合気道にはあるのではないか、それを是非見つけ出してみたいと、そのようなことを言いました。

 そう言うと、オカルトや似非宗教みたいに荒唐無稽なことを目指すのかと受け止められかねませんが、決してそうではありません。合気道家としてはむしろ本来のあり方ではないかと思います。

 考えてみてください。大先生は何を感得して合気道を創始するに至ったか。《合気道》=昭和32年・㈱光和堂刊=には、次のような大先生の談話が載っています。

 『たしか大正十四年の春だったと思う。私が一人で庭を散歩していると、突然天地が動揺して、大地から黄金の気がふきあがり、私の身体をつつむと共に、私自身も黄金体と化したような感じがした。
 その瞬間、私は「武道の根源は、神の愛―万有愛護の精神―である」と悟り得て、法悦の涙がとめどなく頬を流れた』。

 この話は合気道関係者にはよく知られていますが、最初わたしがこれを読んだときは、『不思議なことで自分には理解不能だが、超人的能力の持ち主だからそのような経験をしたのだろうか。いずれ自分とは縁のない話だ』と感じました。

 しかし、熟読してみると大先生はこの出来事を実体のある事柄として受け止めているわけではく、『~ような感じがした』と、あくまでも主観的な感覚の問題であると認識しておられるのだとわかります。ですからそれはあくまでも大先生個人の意識上の変化でしかありません。これを神がかり的に解釈するのは贔屓の引き倒しで、健全な精神ではありません。

 とは言え、このことが従来の単なる格闘技法を後々愛と和合の武道とよばれる合気道に作り変え、性格づけたのですから、そういう意味でやはり奇跡的な出来事ととらえて良いのだと思います。

 わたしが新たに見つけ出したいもの、それはそのとき大先生の得られた感覚です。もちろんわたしが得ようとするものなど深さも奥行きも段違いであろうことは百も承知ですが、九牛の一毛でもゼロよりはましですし、せめて方向性だけは同一でありたいと願っているわけです。その感覚を共有しないと、大先生のおっしゃる地上天国の建設というのは掛け声倒れに終わるでしょうし、合気道の真の強さも得られないと考えています。

 しかもこの感覚は求めようと努力すれば誰でも得られるはずのものです。そうでなければ大先生を仰いで修練する意味がありませんから。科学的合理性を旗印にしているわたしが言うのですから間違いありません(でもないか)。

 もしその感覚を得られた暁には、できるだけわかりやくす皆様にお伝えしたいと思います。まあ、初夢みたいなものですから、あてにしないでお待ちください。