合気道ひとりごと

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98≫ 間合い その1

2009-04-09 13:30:59 | インポート

 このブログで《間合い》という言葉をどれくらい使っているか、バックナンバーから調べてみたら、97項中17項に出ていました。間合いは武道を学ぶ者にとって極めて大切な空間認識であろうと思います(間合いには時間認識や意識も含まれますが今回はそれには触れません)。間合い感覚のない武道は武道ではないと言っても過言ではありません。

 話は一転して、合気道には教えたがりが多いと、自嘲も含めてこれまで述べてきていますが、教えることで自らも成長するということはあると思います。それは、説明の必要上、それまで何気なくやっていた動きを一旦細かく分解してまた組み直すという作業を経るからでしょう。その時、思いがけず新たな、というか内在していたけれども見逃していた解釈を得ることがよくあるのです。

 幸いにしてわたしは、合気道の技法と理論のそれぞれの第一人者といってよいであろう西尾昭二先生と黒岩洋志雄先生の教えを受けられる環境にありましたので(西尾先生には日曜稽古と呼んでいた主に有段者対象の稽古を約2年ばかりという短い期間でしたが)、かなりの部分で技法本来の意味を知ることができました。おかげで合気道の意義を過大も過小もなく、ごく適正に評価する能力を身に付けることができたと、これは若干過大評価をしております(俗に自惚れと申します)。

 しかしながら、いくら優秀な先生の教えを受けたとしても、その全てを受け継げるわけではありません。だとすると、肝心なところを教えていただいたあとは、それを物差しにして物事の理非を自分で判断していくことになります。

 以前に、西尾先生の技を黒岩先生に解釈していただいたということを述べていると思います。そのやり方で今回はそれを《間合い》にあてはめ、技法がどのように展開していくかを考えてみようという魂胆です(具体的にそう教わったということではなく、あくまでも考え方、やり方です)。

 ここでは、肩取りと片手取り(一教等)を例にとって、その違いを考えてみます。これを、単に掴む箇所の違いとだけ考えるようでは、二千手だか三千手だかの技数を誇るだけの上っ面合気道家と同じになってしまいます。これはいつにかかって間合いの問題なのです(バックナンバー64でも若干触れています)。

 やってみれば誰でもわかることですが、肩を掴むか手首を掴むかで最初の間合いが決定されます。肩取りは少し踏み込めば、パンチならフックが届く至近距離です。同様に片手取りはストレートの間になります。当然足運びも違ってきます。

 これで思い出されるのは西尾先生の肩取りの捌き方での運足です(今回は主に足に注目します)。先生のやり方はこうです。仮にこちらの右半身とすると、肩を取られると同時に左足を右足に揃えて並べます。そこから、表技なら左足を軸にして右足を後方に回し受けを自分の前面に泳がせるようにします。裏技なら両足を並べた状態から右足を右斜め後方に踏み移し、すぐに左足を右足前に追随させます。

 ここで大事なのは、両足を並べるということです。右半身から左半身に踏み替えをする途中の段階で、一旦靴を揃えるように両足を並べるのです。そこから右足を後方に回したり引いたりするのですが、このとき、体重をのせた膝はやや曲げ、腰の高さや位置を変えません。この足遣いは、当時教えていただいた大森流居合初発刀の血振りから納刀に移るときの踏み替えとほぼ同様のものです(今は夢想神伝流初伝として扱われています。同じく大森流を包含する無双直伝英信流では、突っ立った形になり、これだと体術的ではありません)。

 西尾先生が稽古に積極的に居合を採り入れておられたのは、合気道の理合が剣の理合と共通だからということだけではなく、実際具体的に同様の体遣いがあるからだということがこれでわかります。そのほかにも合気道に活かせる体遣いがいろいろあります。

 これが片手取りになると、両足を並べるのではなく、左足は右足先を越してもう少し相手方に踏み込んでいきます。あとは同様です。ここまで特に触れないできましたが、左足が出るとき、同時に左手を下から振り出し、顔面当てを入れます(もちろんかたちだけで実際に入れるわけではありません)。これはほぼアッパーカットのように顎を狙いますが、その適切な間合いを作るために、最初から間の近い肩取りでは両足を並べ、それより若干遠い片手取りでは左足を大きく踏み出すわけです(そうしないと当てがそれこそ当て外れになりますから)。これこそが、同様の技法でわざわざ肩と手首を分けて稽古する目的です。

 間合いは武道の核心ですから、これをおろそかにした稽古は考えられません。それを体で覚える仕組みが合気道のカタにはちゃんと組み込まれています。そこをわからないとせっかくの技法を宝の持ち腐れにしてしまいます。

 さて、いまでも教えを頂いている黒岩先生の真骨頂は、他に類を見ないその独特な技法もさることながら、以上のような、技を分析してその本来の意味を探り当てる技法解釈法にあると思っています。百花繚乱というか百家争鳴というか、とにかくいろんな価値観が入り乱れる現在の合気道界にあって、正しい技法解釈法に基づく明確な判断基準こそは道を外さないための利器でありましょう。