旧:鳳凰堂のランダムウォーカー <伏見の光>

2019.4.22以降、新規の主要な記事は新サイト「fusiminohikaru.net」
で書いています。 

人にとって幸せとはどういうことなのか(2)

2012-04-02 23:13:32 | その他
 さて、この新郎新婦ですが、歳の差は20以上あります。
 まあ、そんなことは、当人同士がよければそれでいいわけですが。

 写真で新郎の頭が白っぽく写っていると思いますが、照明とか写真の写り方で白くなっているわけではなく、実際
に白髪のおっさんなのです。

 ここに至るまでにはいろんなことがあったみたいです。それはそうでしょう。

 でも、それもこれもわかって、考えて悩んで、こういう決断をしたのなら、それはそれでいいじゃないか、二人の旅立
ちを祝福したいと強く思います。

 ここで、本題についてです。「人にとって幸せとはどういうことなのか」。

 どういうことだと思いますか。基本的に幸せというのは主観的なものかなと思います。
 当人が幸せと感じていたら、それは客観的な状況がどうあろうと、当人にとっては幸せなのです。

 これは、ちょっとやっかいといえばやっかいな場合もあります。

 では、この幸せというのはまったく個々にばらばらで異なるものなのかな。いや、そこにはある共通した傾向なり本質と
いうのはあるのではないかな。

 私はその一つは「この人といたいと思う人と一緒にいられること」ではないかと思うのです。
 二人と9時間ほどつきあって、またそのことを感じました。

 別にこれは男女間の関係だけに限りません。親子でもそうかもしれないし、兄弟でもそうかもしれない、友人でもそうかも
しれない。

 とりあえず男女ということで考えても、一緒にいる、そのあり方っていうのは、社会的にいろんな形がある、段階があると
いってもいいかもしれない。

 結婚というのはもちろん一緒にいる一つの形です。同棲もそう。普通につきあっていて時々デートするような関係も。
あるいは、学校とか職場で出会う人に片思いしている場合もあてはまる。

 ただ、結婚してたら幸せで、片思いはそうではないかといえば、そんなことは言い切れない。
 幸福のあり方というか感じ方というのはそれぞれで、それは単純に比較して、こっちが上でこっちが下、とか言い切れない。

 ここには人と人との関係の個別特殊性というのがあると思いますが、これについてはまた言及します。

 人は今ある状態が日常化、常態化してしまうと、それが当たり前のこと、自明のこととしてとらえてしまい、その意味とか
価値とかをあらためて考えなくなってしまうようなところがありはしないか。別にこれは悪いこととも言い切れないですが。

 ですが、もしあなたが「この人といたいという人と一緒にいられる」状態であったとしたら、それはもうそれだけで、相当
に幸福な状態にあるのではないかな、とか思ったりしたのですね。

 うまく書けてない、まあいいか、このままアップしましょう。


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親父日記(1)

2012-04-02 22:49:53 | その他

今日は出発の日です。

 父親が一昨年の秋に自宅で脳内出血で倒れました。弟が台所で発見した時には床に倒れた状態でした。
一緒に救急車に乗り込みましたが、最悪の事態も覚悟しました。

 入院してとりあえず体調は安定。しかし、立つことや話すことはできず、重度の障害が残りました。
口からの食べ物摂取は、誤嚥性の肺炎になったりしたこともありやめて、栄養摂取はすべて胃ろうから
の流動食でとることになりました。

 3ヶ月は最初の病院に、次の3ヶ月は急性期のリハビリ病院でお世話になりました。

 リハビリ病院では連日PT,OT,STに取り組んでもらい、機能回復も相当程度すすみました。
しかし、ここの入院も3ヶ月。

 次に移ったのが療養型の病院。基本的な健康管理はしてくれるものの、ベッドから車椅子に移ることも家族
がいかないとできず、様々な刺激も少ない生活。徐々に活気も乏しくなり、体も硬くなりました。
それでも、一度、こうした病院に落ち着いてしまうと、なかなか自力で次の場所を探すのは難しく、この生活
を続ける期間が長くなりました。結局、1年近く、この病院でお世話になりました。

 さて、経過は割愛しますが、今日は親父が、この病院から有料の老人ホームへ移る日でした。

 細かいことはちょっとありましたが、無事、新しい老人ホームに入ることができました。

 ホームの職員さんらと一緒にどれだけ親父の新しい生活をつくっていけるのか、それがまず今の自分の
第一の課題です。このことのために、とりあえずは退職するという決断をしたわけですし。

 なにがどこまでどうできるのか、親父さんが安定した体調で過ごせるのか、この判断が本当に正しいことなのか
どうか、答えはすぐには出ません。

 とりあえず、出発の日、今日はいい日でした。明日もいい日であってほしい、いい日にしたいと思います。

 不定期になると思いますが、自分の記録の意味も含めて、脱脱臼骨折日記にかわって親父日記をつけておきたいと思います。

 写真はホームの部屋から見た西山に沈む夕日です。
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