monologue
夜明けに向けて
 




二七、 知恵者達よ 聞くが良い
    北には山在り 南には雲在り
    東には流れ在り 西には泉在る
    心は留まり 四方へ顔を持つ
    その根は海へと張り その枝は
    地を覆う
         「光の黙示録」より



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文章の基本は「だれがいつなぜどこでなにをどのようにした」という情報を記すことで英語では「5W1H」と呼ばれる。
その「WhoWhenWhyWhereWhatHow」らしきものを探してみるがよくわからない。詩の場合は説明的なことばは省略されることが多いから。
主語になるのはだれなのか、だれの心が留まり 四方へ顔を持つのか。そのように考えるとやっと霧の中に答えがうっすら浮かび上がってきた。
この詩句中で文の話題の中心となる事柄をとりたてて示す副助詞「は」を付けてあるのは「その根は」と「その枝は」だけだ。北には」などの「には」は場所を示して主体を示しているわけではない。
ごく自然なことば使いの「その根は」と「その枝は」にこの文章の主体である「Who」が隠されていたのだ。これは「祖の根は」と「祖の枝は」ということであった。わたした」ちの祖とはもちろん「イザナギ、イザナミ」、たしかに「その根は海へと張り その枝は地を覆う」のだろう。
「北には山在り 南には雲在り 東には流れ在り 西には泉在る」とこのようなところにかれらの心は留まり「山雲流れ泉」という顔を四方へ持つのである。
祖の枝(子孫)であるわたしたちは地を覆いつぎの時代を拓こうとしている。
fumio

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