monologue
夜明けに向けて
 



<夏休み昔話料理講座第七回>
  献立「浦島太郎」その二

 では料理の下準備に原文を以下に仕込もう。

『万葉集』(萬葉集)巻九、高橋虫麻呂の水江(みづのえ)の浦の嶋子(しまこ)を詠む歌原文
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春の日の 霞める時に 墨吉(すみのえ)の 岸に出で居て 釣舟の とをらふ見れば 古(いにしへ)の ことそ思ほゆる 水江(みづのえ)の 浦の島子が 堅魚(かつを)釣り 鯛(たひ)釣りほこり 七日(なぬか)まで 家にも来ずて 海界(うなさか)を 過ぎて榜ぎゆくに わたつみの 神の娘子(をとめ)に たまさかに い榜ぎ向ひ 相かたらひ 言(こと)成りしかば かき結び 常世に至り わたつみの 神の宮の 内の重(へ)の 妙なる殿に たづさはり 二人入り居て 老いもせず 死にもせずして 永世(とこしへ)に ありけるものを 世の中の 愚か人の 我妹子(わぎもこ)に 告(の)りて語らく しましくは 家に帰りて 父母に 事も告(の)らひ 明日のごと 我は来なむと 言ひければ 妹が言へらく 常世辺(とこよへ)に また帰り来て 今のごと 逢はむとならば この篋(くしげ) 開くなゆめと そこらくに 堅めし言(こと)を 墨吉(すみのえ)に 帰り来たりて 家見れど 家も見かねて 里見れど 里も見かねて あやしみと そこに思はく 家ゆ出でて 三年(みとせ)の間に 垣もなく 家失せめやと この筥(はこ)を 開きて見てば もとのごと 家はあらむと 玉篋(たまくしげ) 少し開くに 白雲の 箱より出でて 常世辺に たなびきぬれば 立ち走(はし)り 叫び袖振り こいまろび 足ずりしつつ たちまちに 心消(け)失せぬ 若かりし 肌も皺みぬ 黒かりし 髪も白(しら)けぬ ゆなゆなは 息さへ絶えて のち遂に 命死にける 水江の 浦の島子が 家ところ見ゆ

反歌

常世辺に住むべきものを剣大刀(つるぎたち)汝(な)が心から鈍(おそ)やこの君


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 反歌で常世辺(あの世、隔り世、シャンバラ)に住んでいれば良かったのに自分の心からこんなことになってしまった、というようになるほどこの話しは常世辺での夢のような生活とこの世に帰って現実に目覚めることが主題になっている。

 舞台は日本書紀や丹後国風土記では丹後国(京都府北部の日本海に面したあたり)だが、この歌では摂津国住吉のあたりの入江ということになっている。「水江浦嶋子」は丹後国風土記逸文では「嶼子(しまこ)」。墨吉は今の大阪市住吉区あたり。その摂津国は長髓彦が九州からやってきた饒速日尊(ニギハヤヒ)に妹、三炊屋姫(みかしぎひめ)を娶(めあわ)せて統治させた土地である。かなり奥が深そうだ。
次回は御伽草子の原文も材料に入れて料理してみたい。
fumio


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私的カウントダウンアルバム「水面に書いた物語 収録曲の今週のアクセス聴取ランキング
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8月3日(金)~8月10日(金)
ヒット数: 693件中
    
順位( )内は前週の順位< >内は前々週の順位 

第1位(8)<3>ときめきFALL IN LOVE
第2位(7)<8>オーロラの町から
第3位(1)<1>ラスト・ランデヴー
第4位(9)<7>それってⅨじゃない
第5位(3)<6>女優(スター)
第6位(2)<9>マイ・スィート・ライフ
第7位(5)<13>恋すれば魔女
第8位(11)<15>Sentimentallady”M”
第9位(6)<11>Stay with me
第10位(10)<10>素顔のマスカレード
第11位(4)<4>はるかなるメロディ
第12位(2)<2>軽々しく愛を口にしないで
第13位(13)<14>しあわせになれる
第14位(14)<5>わかりあえる日まで
第15位(15)<16>水面に書いた物語
第16位(17)<17>あやかしのまち
第17位(18)<18>ごめんなさい
第18位(16)<12>NEVER GIVE UP!


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上位だけではなく最下位のあたりも動き出した。時代の渦巻はあらゆる方面に及ぶのだろう。ご愛聴感謝。
fumio


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<夏休み昔話料理講座第六回>
  献立「浦島太郎」その一

 今回は『浦島太郎』を採り上げようと思う。
 まず、あらすじを提示しておくと

『万葉集』(萬葉集)巻九、高橋虫麻呂の水江(みづのえ)の浦の嶋子(しまこ)を詠む歌では、

 水の江の浦島の子が七日ほど鯛や鰹を釣り帰って来ると、海と陸の境で海神の娘、と出会い、常世にある海神の宮で暮らす。三年ほどして、父母に知らせたいと、娘に言うと「これを開くな」と化粧道具を入れる篋(くしげ)を渡され、水江に帰ると三年の間に家や里はなくなり、箱を開けると常世との間に白い雲がわき起こり、白髪の老人になって息絶える。

『御伽草子』のあらすじでは、

 浦島太郎は丹後の漁師で釣り糸にかかった亀を逃がしてやる。数日後、一人の女人が舟で姫の使いとして浦島太郎を迎えに来る。亀を逃がした礼に宮殿に迎えられ三年暮らした太郎は両親が心配になり帰りたいと申し出ると、姫は自分は助けられた亀であったことを明かし玉手箱を手渡す。太郎が帰ると村はもうすでになく近くにあった古い塚が太郎と両親の墓だと教えられる。太郎が玉手箱をあけると、三筋の煙が立ち昇り太郎は鶴になり飛び去る。
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 これは本当に名作で人々のイマジネーションを刺激するよくできたストーリーなのでタイムパラドックスや円盤、アブダクションなどSF的な様々な解釈が展開されているがそちらの方面に足を踏み入れると出られなくなるのでここではSF的な読み方は差し控えたい。
 この料理にはすこし時間がかかりそうだ。まともに仕上がるかどうか…。
fumio


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 今日は長崎の原爆記念日。
「米国はソ連が日本を占領しないよう原爆を落とした。あれで戦争が終わったという頭の整理で、今しょうがないなと思っている」という発言が人々の反感を買って久間章生前防衛相は辞任した。
 原爆は、ウランやプルトニウムなどの原子核が起こす核分裂反応を超臨界状態にすることで爆発させる核兵器で原子爆弾にはウラン235またはプルトニウム239が用いられる。

ウラン235は広島に投下された細い原子爆弾「リトル・ボーイ」に用いられたがプルトニウム239は長崎に投下された丸い原子爆弾「ファットマン」に用いられインプロージョン「爆縮」方式と呼ばれる起爆方式を用いるため高精度の動作が必要で、ニューメキシコ州アラモゴードのトリニティ実験で動作確認テストが行なわれた。

8月6日にはまず広島で戦闘員ではない市民を無差別にウラン型原爆で大量殺戮し、9日にはまだ使用していないプルトニウム型原爆を試した。どちらも戦争を口実にした新型爆弾の人体実験であったとしか思えない。
それでも米国は「広島・長崎への原爆の使用が戦争を終わらせ、連合国の何十万、日本の何百万もの命を救った」と原爆使用を正当化し続ける。広島・長崎での原爆で実際に死んだ人々はこの季節、なにを思うだろうか。
fumio
 




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<19>

回せ 回せよ 回転燈籠
巡り 巡る 炎の輪
まことに移ろい易きは 人の心
この日をもって 心と別れよ
愛の炎だけを武器として戦え

戦うのは 全ての人々 全ての自己
最後に残るは 自己 己れ
自己と戦い 勝ったとき
カリマホロバ マホロバとなり
輪廻の鎖は解かれる

「光の黙示録」より

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 東京都北区に住むタイル工の少年(17)と無職少年(15)、高校1年の男子生徒3人の計5人が5月13日午後11時55分ごろ、北区赤羽南の区立赤羽公園で「ごみを掃除するぞ」などと言って普段はネットカフェで寝泊まりし、この日たまたま公園で寝ていた住所不定の清掃作業員の男性(52)の上にライターオイル入りのポリ袋を置き、ライターで火を付けて殺害しようとして逮捕された。
 タイル工の少年は「ホームレスはごみだ。人間として最低で、世の中の役に立っておらず、犬や猫と一緒。生きていようが死んでいようが気にしない」などと話しているという。この少年が将来この事件の前科のために職に就けなくなって、仕方なくベンチに横になったとき、自分にオイルをかけて火をつける正義漢ぶった少年の顔があの日の自分に生き写しであることに愕然とするかも…。。回転燈籠は回る。愛の炎だけを武器として戦え。
fumio





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<19>

回せ 回せよ 回転燈籠
巡り 巡る 炎の輪
まことに移ろい易きは 人の心
この日をもって 心と別れよ
愛の炎だけを武器として戦え

戦うのは 全ての人々 全ての自己
最後に残るは 自己 己れ
自己と戦い 勝ったとき
カリマホロバ マホロバとなり
輪廻の鎖は解かれる

「光の黙示録」より

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 「心と別れ愛の炎だけを武器として戦う」という表現はあまりに抽象的で具体的にはどうすればいいのだろう。「自己と戦い 勝つ」とはなにをもって勝ったと判定するのだろうか。結論となっている「輪廻の鎖」は解かれなければならないものなのだろうか。考えれば考えるほどわからなくなる。
それでもこの道をゆかねば…。
fumio

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<夏休み昔話料理講座第五回>
  献立「したきりすずめ」
*****

 これは『宇治拾遺物語』の「雀報恩の事」の二人の老婦人の話しで雀を助ける婦人のひょうたんからは米がたくさん出て怪我をさせる婦人のひょうたんからは蜂、むかで、とかげ、蛇などが出てきて刺され、死ぬという説話が元になったというのだがまず、以下にその「したきりすずめ」のあらすじを載せておく。
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 ある老夫婦の夫が山で、柴刈りをして弁当を食べようとすると雀がすでに食べて寝ていた。おじいさんは雀に「ちょん」と名づけてかわいがる。
 「おじいさんが家に「ちょん」をおいて山へでかけたとき、おばあさんは洗濯のりを「ちょん」に番させて洗濯に行く。帰るとのりが舐められてなくなっていたので、かの女は「ちょん」の舌を切り、追い出した。
おじいさんは「ちょん」を探しに出る。川で牛洗いにたずねると「牛の洗い水を七杯のまないと教えない。」と言われ飲む。そして馬洗いに「馬の洗い水を七杯のまないと教えない。」と言われ飲むと「竹やぶに行けば、雀の宿がある。」と教えられ竹やぶでついに「ちょん」に出会う。おみやげに大きなつづらか小さなつづらか、どちらかを「ちょん」に選ばせられ小さいほうを選んで帰宅してつづらを空けると宝が詰まっていた。
おばあさんはそれを聞いて大きいつづらを貰うために出かける。途中出会った牛洗いのいうことも馬洗いのいうこともせず竹やぶに入って「ちょん」に会う。おみやげには大きなつづらを選び帰りの道中でつづらをあけると、蛇や百足や化け物が出てくる。
*************

 まず老夫婦には特定の名前はなく「おじいさん、おばあさん」であるのに対して主人公の雀に名前がついているのが面白い。「花咲爺」の愛犬も不特定の犬ではなく「ボチ」という名前があった。もちろんそれは意味があるからに違いない。この雀の名前は「ちょん」である。なぜか「ボチ」と似ている。金銀財宝や化け物をコントロールする力を持つことなどをみてもこれは神の仮の姿としか思えない。その神の名前が「ちょん」だったのだ。老人は「ちょん」の神探しの旅に出る。それは艱難辛苦を乗り越えて進むわたしたち人類の姿のようだ。
雀が舐めた「のり」とはなにか。他のバージョンでは障子の「糊」の場合もあるようにそれは「のり」と読めなければならなかった。結論をいえばそれは「法」であった。おばあさんは法を「ちょん」に番させて洗濯に出かけた。すなわち「ちょん」は法の番人になって国を治めたのだ。しかしかの女はそれが気に入らず「ちょん」の舌を切り、追い出した。食べたことに腹を立てたのならくちばしを壊すはずだが舌を切ったのは政治への発言を封じたということ。
「雀」とはなにか。「素主目」であったり主皇(スメ)であり、解字すれば少名彦名のフルトリである。フルトリはニギハヤヒであるからやはり反対勢力がかれの影響を排除した裏の歴史が浮かび上がってきた。
fumio



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ボブ・マーリーが好きだった。
その頃バンド仲間はみんなあのレゲェのギター・カッティングをコピーした。
アルバム「LIVE!」中の「ゲット・アップ・スタンド・アップ」を聴くと身体が熱くなった。
渡米して数年後ハリウッドから登る丘にあるユニバーサル・アンフィ・シアターでのコンサートに行って並んでいると突然中止が発表された。チケットは払い戻されたが残念だった。しばらくしてふたたびユニバーサル・アンフィ・シアターでのコンサートが予定されていち早くチケットを購入して会場で並んでいるとなんと又キャンセルになった。妻と肩を落として帰宅した。その頃、ボブはピストルで狙われたという噂が流れた。そしていつコンサートがあるのかと待っていると81年のある日「ボブ・マーリーがガンで死んだ」というニュースが流れた。呆然とした。結局、かれの勇姿を一度もみることはなかった。
昨夜。BSで79年のサンタ・バーバラでのボブ・マーリーのコンサートをやっていた。
79年といえば息子が生まれてすぐだ。サンタ・バーバラはバーベキューをしに行ったりした美しい町で近かったのに見逃していたらしい。数十年経たというのに今頃悔やまれた。「ゲット・アップ・スタンド・アップ」 は今も人々を奮い立たせる。
fumio

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私的カウントダウンアルバム「水面に書いた物語 収録曲の今週のアクセス聴取ランキング
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7月27日(金)~8月3日(金)
ヒット数: 989件中
    
順位( )内は前週の順位< >内は前々週の順位 

第1位(1)<2>ラスト・ランデヴー
第2位(2)<5>軽々しく愛を口にしないで
第3位(6)<3>女優(スター)
第4位(4)<8>はるかなるメロディ
第5位(13)<12>恋すれば魔女
第6位(11)<11>Stay with me
第7位(8)<4>オーロラの町から
第8位(3)<9>ときめきFALL IN LOVE
第9位(7)<7>それってⅨじゃない
第10位(10)<9>素顔のマスカレード
第11位(15)<10>Sentimentallady”M”
第12位(9)<6>マイ・スィート・ライフ
第13位(14)<13>しあわせになれる
第14位(5)<14>わかりあえる日まで
第15位(16)<16>水面に書いた物語
第16位(12)<15>NEVER GIVE UP!
第17位(17)<17>あやかしのまち
第18位(18)<18>ごめんなさい


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上位の曲はそれぞれ移動しているが第17位「あやかしのまち」と第18位「ごめんなさい」はずっと最下位のあたりに居座ったまま。時代の渦巻につられていつか浮上することがあるのだろうか。ご愛聴感謝。
fumio


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<夏休み昔話料理講座第四回>
  献立「かちかち山」

 今回は「かちかち山」をまな板に乗せよう。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によれば
「この話は、もとはウサギがタヌキを散々いじめる後半部だけの内容で、同じような動物説話は世界各地に見られる。江戸時代になって、前半部である、タヌキが悪事を働く部分が付け加えられ、ウサギの行為を正当化する、いわば仇討ちの物語になった。これが勧善懲悪や忠義を重んずる江戸時代の人々に受け入れられ、広まったと考えられる。」という。
 地域によって違うバージョンが多くて混乱するがだいたいのあらすじは以下のようなもの。
 「ある老夫婦の夫が畑を耕しているとタヌキがやってきてまいた種や芋をほじくり返して食べてしまうので、老人はタヌキを捕まえて、老婆に狸汁にするよう言う。タヌキは老婆をだまし、殴り殺して老婆に化けて老人に老婆の肉を煮た料理を食べさせる。老夫婦と親しかったウサギはタヌキを成敗するために柴刈りに誘い出す。ウサギはタヌキの背負う柴の束に火打ち石で火をつける。ウサギが背後で火打ち石を打つ音を聞いたタヌキが「かちかち言うのは何だ」と聞き、ウサギが「かちかち山のかちかち鳥だ」と答える。そしてやけどの薬と偽って芥子を渡す。最後にウサギは木の舟に乗りタヌキは泥舟に乗りたちまち沈み、ウサギはタヌキを櫓(かい)で沈める。」
とこのままではずいぶんおぞましいストーリーなので最後にタヌキが改心して仲良くなるバージョンもある。

 まず「タヌキ」とはなにか。それは「田」を抜いた存在。「狸」から逆卍と卍を重ねた「田」を抜くとケモノ偏と土が残る。ツチは生物を形成する元になるDNAなど。この話しのタヌキはそんな存在なのだ。
ウサギとはツキヨミとしてのニギハヤヒの使者。「火打ち石」は父スサノオが創ったとされている。「かちかち山のかちかち鳥」とは可血可霊山の可血可霊鳥。
最後にウサギが木の舟に乗ることでウサギの正体が明かされるが「木の舟」とは貴船のことでそれは京都市左京区鞍馬貴船町にある貴船神社の神で貴布禰明神、またの名はクラオカミなのである。
日本書紀を参照すると、妻、伊奘冉尊が軻遇突智(かぐつち)を生んで死んだ時にイザナギが軻遇突智を三段に切り分けた剣の頭から滴った血がクラオカミになったという。
そのクラオカミは「小学館、大辞泉」には「くら、は谷、おかみは、龍神の意。記紀神話で、高オカミとともに水を司る龍神。京都の貴船神社奥宮の祭神」とある。高オカミはスサノオのことだからこの話しにもまたスサノオ、ニギハヤヒ親子がかかわっていた。
fumio




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<7> こと これに覚えしサキツチのシズカネいわく

 日の本の島々 これ総ての流砂の磐(イワオ)に留どまるが如し
 この磐 揺るがせば形変へるべし
 かの人々来たる日には この島大いに繁栄すべし
 西の雲 茜に染まり日の暮れるを忘れる日に
 かの人々 この島に来たりて杖を振るい いにしえの力を隅々に行き渡らせり

 山々の裾野に集えり人々は ただ ただ 空を仰ぎ
 声なき声持て 叫ぶであろう
 こは如何にして この災いを避けるべきかは不二の高嶺を奉る
 亀石の翁のみ知る事ぞ
 しかして この災いを転じて福と為すは そちらの志しひとつぞ
 闇から闇へと葬るも良し 闇からサキツチの世に出すも良し

 滴(シズク)岩 勝ち得て喜ぶ者よ
 そなた達の玉緒に残れり その土をば
 不二に帰す事ぞ 世の東西を結ぶ磐 二にして一なり
 多くを持つ事は 必要無し
 真珠の光 浮かぶ日こそ世に茜さす日ぞ

   「光の黙示録」より

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昨日から電話回線のトラブルで電話が使用不能になった。インターネットも使えないしメールもダメ。現代生活は電話線が切れると維持できない。家にある固定電話でNTTに修理を頼むこともできない。だれにも連絡がとれない。日頃気づかないがずいぶん危なっかしい生活である。
ケータイでNTTに修理を頼んで先ほど復旧した。電柱の保安器に水が入っていたので取り替えたという。参議院選挙の日と翌日このあたりは激しい雷雨に襲われた。その時水が入ったらしい。あの雷雨にはなにかの意志を感じた。あの日倒れるはずの安倍政権は倒れず民意を無視してなぜか落語の「居残り佐平次」のように居座ってしまった。だれもが納得いかない…。

それでも「真珠の光 浮かぶ日」は近い。
それは「真の主」の光りが浮かぶ日、

fumio

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