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夜明けに向けて
 



<夏休み昔話料理講座第十一回>
  献立「桃太郎」その三


 わたしたちにいつとはなく刷り込まれている桃太郎のイメージは鉢巻きと陣羽織姿だが出雲族の象徴数は「八」なので桃太郎の鉢巻きは八を巻くということで羽織は八を折るという意味であった。
 ここでこのシリーズでこれまでみてきたように様々な昔話に潜む出雲と日向の諍いの元を辿ると日本建国の頃に始まる。
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 紀元の始まり頃、中央アジア、パミール高原に天降(あも)りした、天(あま)族は二手に分かれて東方の約束の地を目指した。その地で大同団結をしてマホロバとするために。イザナギ、イザナミを長とする一隊は陸づたいに日本に達して九州日向地方に居住して一人娘ヒミコを設けた。かれらは日向族と呼ばれて象徴となる数は三で、トーテムは八芒星であった。
 一方、別の一隊は海洋を旅して出雲地方に上陸した。こちらは八の数で表され、トーテムは三日月である。このようにどちらの隊も三と八の数を象徴に持ってお互いの数霊の力を分け合っていた。出雲の首長、布都(ふつ)は斐伊(簸)川の流域、鼻高山のふもとでスサノオを生み出雲近隣諸国の平定を終え、やがて大同団結のための九州遠征が始まった。

 日向族は九州の豪族としてあたりを統治していたが、そのころ実質的に日向を治めていたのはすでにイザナギイザナミではなく、ヒミコとかの女を傀儡として操るその義弟達であった。出雲族の、スサノオとヒミコの結婚に義弟達は猛烈に反対したが大同結婚が成立するとかれらは瀬戸内海を渡って四国に逃げ込んで時を待った。そしてスサノオの息子の饒速日尊(ニギハヤヒ)が大和建国のために九州を離れスサノオが亡くなると日向に帰った。かれらの象徴数は四であった。そして、呪術によって日本全国に様々な封印を貼った。『記紀』編纂もその一つである。
しかしそういういきさつを乗り越えて最後には出雲と日向は大同団結してこのカリマホロバを真のマホロバにしなければならない。それが天降(あも)りしてきた目的なのだから…。
fumio



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