monologue
夜明けに向けて
 



<夏休み昔話料理講座第八回>
  献立「浦島太郎」その三

「御伽草子」原文
****************************************************


昔丹後の國に浦島といふもの侍りしに、其の子に浦島太郎と申して、年のよはひ二十四五の男ありけり。あけくれ海のうろくづを取りて、父母(ちゝはゝ)を養ひけるが、ある日のつれづれに釣をせむとて出でにけり。浦々島々入江々々、至らぬ所もなく釣をし、貝をひろひ、みるめを刈りなどしける所に、ゑじまが磯といふ所にて、龜を一つ釣り上げける。浦島太郎此の龜にいふやう、「汝生(しゃう)あるものの中にも、鶴は千年龜は萬年とて、いのち久しきものなり、忽ちこゝにて命をたたむ事、いたはしければ助くるなり、常には此の恩を思ひいだすべし。」とて、此の龜をもとの海にかへしける。
かくて浦島太郎、其の日は暮れて歸りぬ。又つぐの日、浦のかたへ出でて釣をせむと思ひ見ければ、はるかの海上に小船(せうせん)一艘浮べり。怪しみやすらひ見れば、うつくしき女房只ひとり波にゆられて、次第に太郎が立ちたる所へ著きにけり。浦島太郎が申しけるは、「御身いかなる人にてましませば、斯かる恐ろしき海上に、只一人乘りて御入り候やらむ。」と申しければ、女房いひけるは、「さればさるかたへ便船申して候へば、をりふし浪風荒くして、人あまた海の中へはね入れられしを、心ある人ありて自らをば、此のはし舟に載せて放されけり、悲しく思ひ鬼の島へや行かむと、行きかた知らぬをりふし、只今人に逢ひ參らせ候、此の世ならぬ御縁にてこそ候へ、されば虎狼も人をえんとこそし候へ。」とて、さめざめと泣きにけり。浦島太郎もさすが岩木にあらざれば、あはれと思ひ綱をとりて引きよせにけり。
さて女房申しけるは、「あはれわれらを本國へ送らせ給ひてたび候へかし、これにて棄てられまゐらせば、わらはは何處(いづく)へ何となり候べき、すて給ひ候はば、海上にての物思ひも同じ事にてこそ候はめ。」とかきくどきさめざめと泣きければ、浦島太郎も哀れと思ひ、おなじ船に乘り、沖の方へ漕ぎ出す。かの女房のをしへに從ひて、はるか十日あまりの船路を送り、故里へぞ著きにける。さて船よりあがり、いかなる所やらむと思へば、白銀(しろがね)の築地をつきて、黄金の甍をならべ、門(もん)をたて、いかなる天上の住居(すまひ)も、これにはいかで勝るべき、此の女房のすみ所詞にも及ばれず、中々申すもおろかなり。さて女房の申しけるは、「一樹の陰に宿り、一河の流れを汲むことも、皆これ他生の縁ぞかし、ましてやはるかの波路を、遙々とおくらせ給ふ事、偏に他生の縁なれば、何かは苦しかるべき、わらはと夫婦の契りをもなしたまひて、おなじ所に明し暮し候はむや。」と、こまごまと語りける。浦島太郎申しけるは、「兎も角も仰せに從ふべし。」とぞ申しける。さて偕老同穴のかたらひもあさからず、天にあらば比翼の鳥、地にあらば連理の枝とならむと、互に鴛鴦のちぎり淺からずして、明し暮させ給ふ。さて女房申しけるは、「これは龍宮城と申すところなり、此所に四方に四季の草木(さうもく)をあらはせり。入らせ給へ、見せ申さむ。」とて、引具して出でにけり。まづ東の戸をあけて見ければ、春のけしきと覺えて、梅や櫻の咲き亂れ、柳の絲も春風に、なびく霞の中よりも、黄鳥(うぐひす)の音も軒近く、いづれの木末も花なれや。南面をみてあれば、夏の景色とうちみえて、春を隔つる垣穗(かきほ)には、卯の花やまづ咲きぬらむ、池のはちすは露かけて、汀(みぎは)涼しき漣(さゞなみ)に、水鳥あまた遊びけり。木々の梢も茂りつゝ、空に鳴きぬる蝉の聲、夕立過ぐる雲間より、聲たて通るほとゝぎす、鳴きて夏とは知らせけり。西は秋とうちみえて、四方の梢紅葉して、ませのうちなる白菊や、霧たちこもる野べのすゑ、まさきが露をわけわけて、聲ものすごき鹿のねに、秋とのみこそ知られけれ。さて又北をながむれば、冬の景色とうちみえて、四方の木末も冬がれて、枯葉における初霜や、山々や只白妙の雪にむもるゝ谷の戸に、心細くも炭竃の、煙にしるき賤がわざ、冬としらする景色かな。かくて面白き事どもに心を慰め、榮華に誇り、あかしくらし、年月をふるほどに、三年(みとせ)になるは程もなし。浦島太郎申しけるは、「我に三十日のいとまをたび候へかし、故里の父母をみすて、かりそめに出でて、三年を送り候へば、父母の御事を心もとなく候へば、あひ奉りて心安く參り候はむ。」と申しければ、女房仰せけるは、「三とせが程は鴛鴦(ゑんわう)の衾のしたに比翼の契りをなし、片時みえさせ給はぬさへ、兎やあらむ角やあらむと心をつくし申せしに、今別れなば又いつの世にか逢ひまゐらせ候はむや、二世の縁と申せば、たとひ此の世にてこそ夢幻(ゆめまぼろし)の契りにて候とも、必ず來世にては一つはちすの縁と生まれさせおはしませ。」とて、さめざめと泣き給ひけり。又女房申しけるは、「今は何をか包みさふらふべき、みづからはこの龍宮城の龜にて候が、ゑじまが磯にて御身に命を助けられまゐらせて候、其の御恩報じ申さむとて、かく夫婦とはなり參らせて候。又これはみづからがかたみに御覽じ候へ。」とて、ひだりの脇よりいつくしき筥を一つ取りいだし、「相構へてこの筥を明けさせ給ふな。」とて渡しけり。
會者定離(ゑしゃぢゃうり)のならひとて、逢ふ者は必ず別るゝとは知りながら、とゞめ難くてかくなむ、
日かずへてかさねし夜半の旅衣たち別れつゝいつかきて見む
浦島返歌、
別れゆくうはの空なるから衣ちぎり深くば又もきてみむ
さて浦島太郎は互に名殘惜しみつゝ、かくてあるべき事ならねば、かたみの筥を取りもちて、故郷(ふるさと)へこそかへりけれ。忘れもやらぬこしかた行末の事ども思ひつゞけて、はるかの波路をかへるとて、浦島太郎かくなむ、
かりそめに契りし人のおもかげを忘れもやらぬ身をいかゞせむ
さて浦島は故郷へ歸りみてあれば、人跡絶えはてて、虎ふす野邊となりにける。浦島これを見て、こはいかなる事やらむと思ひける。かたはらを見れば、柴の庵のありけるにたち、「物いはむ。」と言ひければ、内より八十許りの翁いであひ、「誰にてわたり候ぞ。」と申せば、浦島申しけるは、「此所に浦島のゆくへは候はぬか。」と言ひければ、翁申すやう、「いかなる人にて候へば、浦島の行方をば御尋ね候やらむ、不思議にこそ候へ、その浦島とやらむは、はや七百年以前の事と申し傳へ候。」と申しければ、太郎大きに驚き、「こはいかなる事ぞ。」とて、そのいはれをありのまゝに語りければ、翁も不思議の思ひをなし、涙を流し申しけるは、「あれに見えて候ふるき塚、ふるき塔こそ、その人の廟所と申し傳へてさふらへ。」とて、指をさして教へける。
太郎は泣く泣く、草ふかく露しげき野邊をわけ、ふるき塚にまゐり、涙をながし、かくなむ、
かりそめに出でにし跡を來てみれば虎ふす野邊となるぞかなしき
さて浦島太郎は一本ひともとの松の木陰にたちより、呆れはててぞゐたりける。太郎思ふやう、龜が與へしかたみの筥、あひ構へてあけさせ給ふなと言ひけれども、今は何かせむ、あけて見ばやと思ひ、見るこそ悔しかりけれ。此の筥をあけて見れば、中より紫の雲三筋のぼりけり。これをみれば二十四五のよはひも忽ち變りはてにける。
さて浦島は鶴になりて、虚空に飛びのぼりける折、此の浦島が年を龜が計らひとして、筥の中にたゝみ入れにけり、さてこそ七百年の齡を保ちけれ。明けて見るなとありしを明けにけるこそ由なけれ。
君にあふ夜は浦島が玉手筥あけて悔しきわが涙かな
と歌にもよまれてこそ候へ。生あるもの、いづれも情を知らぬといふことなし。いはんや人間の身として、恩をみて恩を知らぬは、木石にたとへたり。情ふかき夫婦は二世の契りと申すが、寔まことにあり難き事どもかな。浦島は鶴になり、蓬莱の山にあひをなす。龜は甲に三せきのいわゐをそなへ、萬代(よろづよ)を經しとなり。扠(さて)こそめでたきためしにも鶴龜をこそ申し候へ。只人には情あれ、情のある人は行末めでたき由申し傳へたり。其の後浦島太郎は丹後の國に浦島の明神と顯はれ、衆生濟度し給へり。龜も同じ所に神とあらはれ、夫婦の明神となり給ふ。めでたかりけるためしなり。

***********************

この「御伽草子」では舞台は丹後の國で主人公は「浦島太郎」という名前をもち、年は二十四五の男性となっている。この名は「浦々島々入江々々、至らぬ所もなく釣をし」というように海辺の不特定の地域の長男というだけで特別な情報を排除してあるようにみえる。それでもこの名前をつけた真意を探ると結局、「裏島太郎」ということである。つまり裏の世界に行った男という意味。龜を一つ釣り上げる「ゑじまが磯」は「會者定離(ゑしゃぢゃうり)」の「會島(ゑじま)」であるのだろう。つまり太郎と亀が会った島としてその名前をつけたのだ。龍宮城とは裏の世界、(隔り世、シャンバラ)。ここにはなぜかヒロインの名前は出ていないがわたしたちはかの女の名前が乙姫であることを知っている。乙姫とはもちろん「音秘め」ということ。龍宮城の主「音を秘めた亀」は○の存在で北の玄亀、われらが母、イザナミ。太郎は最後に鶴になって、虚空に飛びのぼるが鶴のイメージは一。夫婦の明神となれば一○の最高神となる。かれらには七百年を玉手筥の中にたゝみ入れることも容易であったと思える。
fumio




コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )