monologue
夜明けに向けて
 



「カリフォルニアサンシャイン」その4

アメリカでの記念すべき第一夜はこうして想わぬ形で睡魔との戦いのうちに明けた。やがて従業員以外の人々の動きがでてくる。わたしは相変わらず従業員がこちらを見ると知った人の顔を探すフリして伸びしたり首を廻したりして視線を外す。すると黒人のグループが笑いながら二階から降りてきて「ヒア・ウイ・ゴー」と言ってホテルを出発していった。それがその国の人々が話す会話を初めて聞き取ったことばになった。そうなんだ、さあ、行こう、は「ヒア・ウイ・ゴー」と言うんだ、となんだか感動した・今でもそのことばの響きは耳の奥に残っている、きっと死ぬまで残るのだろう。三々五々ロビーに人が集まり会話が聞こえる。ホテルの朝が始まった。わたしもその中に交じって泊まり客であったかのようにふるまう。トランクを提げてトイレに行ったり身仕舞いをして学校の事務所に人が来そうな時間まで過ごした。公衆電話はたくさんあったけれどオペレーターが出てくるとこわいのでフロントで学校の電話番号を見せて電話してもらった。すると日本語が通じる人がいて近いのですぐに車で迎えにきた。
学校アソシエイテッドテクニカルカレッジは7thストリートにあって歩いても行ける距離だった。
その学校のスーパーバイザーは日本人女性で、昨日空港に迎えに行ったらだれも待っていなかったから仕方なく帰ってきたの、と無駄足を踏んだことの恨み言を口にして怒っていた。わたしはなにか申し訳ない気持で聞いていた。なにはともあれやっとこの双六の上がりである学校にたどり着くことができたのだ。行く手は擦った揉んだの末にやっと真っ暗闇ではなくなった。
fumio

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





「カリフォルニアサンシャイン」その3
真夜中の空港で重いトランクをさげてあちこちうろうろとしていると車が何台かやってきて人を乗降させてゆく。そのうちにタクシーらしき車が見えたのでそこで待つことにした。つぎにやってきたタクシーに乗り込むと黒人運転手が行き先を訊く。学校の名前を言っても当然ながら知らないらしい。タクシー運転手が知っていそうな目印の場所としてなんとか記憶をたぐって: 535 S Grand Ave, Los Angeles, CA 90071 アメリカ合衆国ヒルトンホテルの近
くということを思い出した、とにかくヒルトンホテルまで行けば探しながら歩いてでも行けるだろうと思った。
それで「ヒルトンホテル」と答えた。すると「ビバリー・オア・ダウンタウン」とまだ尋ねてくる。ヒルトンホテルがふたつあるとは知らない。どっちなのか。クイズの司会者でもない運転手が二者択一を迫る。間違うと知らない所に置き去りにされる。どうしても当てなければこのスゴロクは上がれない。運転手が困っているわたしを振り向いてふたたび「ビバリー・オア・ダウンタウン」と決心を迫る。
追いつめられたわたしは「ええい、」とばかりに「ダウンタウン」と答えた。
 タクシーはすべるように真夜中を走りだした。フリーウエイ、文字通りのフリーで只なので料金所も信号もなく何車線もあるだだっ広い道をまっしぐらに走る。初めて見るアメリカの町の夜景を横目に時計をみるとまだ朝の1時前、こんな時間にホテルに着いてから知らない町をトランクを提げて学校を探して歩くのは不可能のように思えた。どうしたらいいのだろう。あれこれ考えるうちにHarbor フリーウエイからスピードを落としてダウンタウンに入る。運転手にとっては来慣れた場所らしくGrand Ave.(グランドアヴェニュー)上で5th と6th st. の間に位置するホテルの前に停車した。それがヒルトンホテルだった。べつに泊まるわけではないからフロントに行っても仕方ない。スーツにネクタイ姿で良かった。ホームレスと思われたら追い出される。従業員たちの視線に身を固くして入り口付近の待ち合わせロビーに人待ち顔を装って座る。とにかくここで夜が明けるのを待とうと決めた。しかし、しばらくすると疲れが出てうとうとして姿勢が崩れる。そこで寝るな、部屋をとって眠れ,と言われるのがこわかった。何度も姿勢を戻して元気そうにあたりを見回して長い長い夜を過ごした。それがそれから十年暮らすことになるこの国でのホテルで泊まったといえる唯一の経験となった。その後ホテルには泊まったことがないのだから。あれでも泊まったといえるのなら…。
fumio

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )