monologue
夜明けに向けて
 



カリフォルニアサンシャインその6

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わたしは初めての授業が終わるとまずステレオを買いに行った。そして安物ギターをサンセット通りの古道具屋で買った。それだけはどうしても必要だった。
そして夜、眠りに就くと強烈な金縛りにあった。まったく動けない。日本で経験した金縛りと性質が違った。この部屋にはなにか憑いているのかと不安になった。新たな住人への挨拶かも知れない。昨夜は大丈夫だったのにと不思議だった、。やっぱり早めに引っ越そうと思いながら薄目を開けてまわりを見ているうちに眠りに落ちていった。

 授業はもちろん英語だけだったけれどその環境にいるとなぜか意味が通じた。わたしはまったくのハクチというわけではないようだった。アパートで、その頃のヒット曲を日本からトランクに入れてきたカセットテープレコーダーに録音してその歌詞を聴き取って歌う練習をした。わからない部分は学校で休み時間に先生に聞き取ってもらったりした。わたしのわからない部分は先生も聞き取れないことがあった。そんな時は音楽店で売っている新曲の楽譜を見てノートに書き写した。1曲2ドル50セントなのでおいそれとは買えなかったのだ。すると他のクラスの生徒が噂を聞きつけてやってくる。「このごろ、八戒、八戒、八戒、八戒、と繰り返す歌が流行っているけどあの歌、何の歌…」べつにそれは西遊記の八戒の歌ではなかった。それはシルバーズの最新ヒット「ホットライン」 だった。日本人にはそれが八戒と聞こえてしまうのだった。そしてやっと授業に慣れてきた頃、先輩のひとりが「アメリカで暮らすには運転免許がいるぞ、身分証明書としても酒を買うときに必要だし、明日みんなで取りに行こう」と言い出した。わたしは車に興味がなかったので日本で運転したこともなかった。「この国は広いのでどうしても車がいる。ロサンジェルスは地下鉄もないし、仕事もできないぞ、フミオも一緒に来いよ」と強く勧めるので見学するつもりでついてゆくことにした。



ダウンタウンの試験場は近いけれど人が多いのでハリウッドに行くことになった。車好きの先輩が手はずを教える。試験場で筆記テスト用紙をもらったらこの車まで来い。この問題集の答えを写せ、でも全問正解せずに二三問間違えておけ。最後に口頭でも試験があるから英語がよくわかるフリすること、すこしぐらい間違えても大丈夫。通すことが試験の目的だから。通ったら実地の運転試験は即日ではなく練習して別の日にすることにしろ、と指示されてみんな試験場に入る。おまえも行けと言われて迷う。なんだか置き去りになったようで決心してみんなのあとについてゆくとやはり全員筆記テストに通った。「これから試験用の車をレンタルしに行こう。試験は慣れている自分の車でも試験場の車でもOKなんだ、オートマチック車だったらゴーカートみたいなものだから借りに行こう…。」という。その頃はシフト車とオート車の違いも知らず なにがなんだかわからなかったけれど近くのレンタカー会社で筆記試験に受かった仲間同士でオートマチック車を借りた。

 昼間は危ないので夜になるのを待って稽古を始めた。人の少ないビバリーヒルズあたりの駐車場で教官然とした先輩の横で初めて自動車のハンドルを握った。生まれて初めてなのでまっすぐ走れない。慣れてくると右折(
ターンライト)左折(ターンレフト)と英語で言ってもらって指示通りに進む。とにかく安全確認、目だけではなく首を大きく動かして試験官に確認していることをアピールすること。教えられるとおりに必死で運転した。「最後のほうで試験場に帰ってくる頃、縦列駐車ができるかどうかみられるから練習しよう」という。たしかに初心者にはむづかしい。コツを教えてもらってもなかなか満足に停車できなかったが信号での左折が課題 として残っているので路上に出ることになった。アメリカは車は右側通行なので左折が問題なのだ。真夜中でまったく車影はない。安全だけど駐車場から出たのがこわかった。大きくまわって車の流れに入れといわれても一台も車はこないので流れに入るという感覚がつかめなかった。とはいえ明日はいよいよ路上運転試験、ハリウッドの町を横に試験官を乗せて走るのだ。
生まれて初めてハンドルを握った次の日に…。
fumio

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