monologue
夜明けに向けて
 



 「カリフォルニアサンシャイン」その2
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どのぐらい時間が経ったのか。なにか動きがあったらしい。航空会社同士で話しがついたようだった。あちらの飛行機に乗り込めと指示が出た。乗客をハワイに置き去りにするわけにはゆかないのでノース・ウエスト航空がロサンジェルスまでの航行の肩代わりすることになったのだ。あわてて乗り込む人々のあとについてこれまでと違う会社の飛行機に乗り換えた。無事ロサンジェルスに着くことを祈って…。
 前のスクリーンの映画に集中できるわけもなくこれからどうなるのかと思った。やがて飛行機はアメリカ本土上空にさしかかる。初めて見る希望の地が眼下にあったが飛行機が違うから予定している留学先の英語学校の迎えはきっと来ないだろうと感じて不安だった。連絡をとる方法も知らない。そうこうするうちに
ロサンジェルス空港(LAX)に到着してトランクを受け取り迎えを待ったがやはりだれも迎えに来ない。到着時間も大幅に変わりまだ夜中で空港のまわりは真っ暗。公衆電話を見つけて小銭を入れて学校に電話しょうとしたがオペレーターが出てきてことばが通じない。何度も何度も試した。空港の外に出るとバスが何台か停まっている。日本と同じ方式で乗れるのか、尋ねるにしても運転手はいない。どれに乗ればいいのだろうと行き先の表示を繰り返し見て迷いに迷って逡巡した。なんとかロサンジェルスに着いたもののやっぱり前途にはまだ闇が拡がっていた。

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わたしの自伝的小説カリフォルニアサンシャインを横書きでまた読みたいというリクエストが多いので小説が好きな方はどうぞ。
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「カリフォルニアサンシャイン」その1

わたしは幼い頃から音楽が好きでおどけものだった。小学校のクラスのお別れ会で三船浩の歌う連続テレビ映画「月光仮面」の挿入主題歌「月光仮面の歌」を英語版といって「ムーンのライトをバックに受けて」と踊りながら歌ったりした。長じてはリズムアンドブルースやイギリスのバンドに傾倒しアメリカで音楽をやると吹聴した。毎朝犬をひっぱって走り人気のない校庭や畑で大声を張り上げ声を鍛えロック歌手としての基本訓練をした。そして七年間働いて貯金が留学に必要とされる額にやっと達したのでついに計画を実行に移すに至った。
1976年11月、早起きして京都の家を出た。胸躍る新たなる門出。
空港でタイ エア・サイアム航空のロサンジェジェルス便に搭乗しいざ出発した。
途中ハワイで給油中、食堂で食事しているとまわりが慌ただしくなった。英語がわからないのでわかりそうな日本女性のそばで話しを聞いた、今まで乗ってきたこの飛行機はロサンジェルスには行かないという。会社がつぶれたらしい。1965年に発足した格安料金航空会社が格安の看板に負けてこの日突然終焉を迎えたのだ。ギャグではなかった。なにもわたしの門出の日を狙ってつぶれなくとも、もう一日でも長く持ちこたえてくれれば良かった。みんな必死で電話したり対策を立てている。どうしていいかわからない。英語もわからないし公衆電話のかけ方も知らないしただおろおろして人の行き来を見守り途方に暮れて前途に拡がる虚空を見つめた。
fumio


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