monologue
夜明けに向けて
 



カリフォルニアサンシャインその30
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宮下フミオの自宅、カールトンウエイスタジオをわたしが初めて訪れたその日、ショーケン、ジュリーのダブルボーカルバンド「ピッグ」やミッキー・カーチスの世界ツアーバンド「サムライ」、ガロの「学生街の喫茶店」「太陽にほえろ」「ガンダーラ」などでドラムを叩いた原田裕臣(ユージン)が宮下家での居候生活を打ち切って日本に帰って行った。楽器用ジェラルミンケースを記念に中島茂男に譲ってくれたのでマイク、ドラムマシン、フェイズシフター、ファズ、オーバードライブ、テープエコーマシンなどエフェクター類を入れて運ぶのにずいぶん役立った。世界的にデイスコが流行った頃、わたしと中島のふたり一緒にエンターテイナーとして入っている白龍飯店(インペリアルドラゴン)でデイスコダンスパーテイを開催したいというオファーがあった。インペリアルドラゴンは台湾系の店でチャイナ美人ホステス全員わたしたちのファンだったので英語のポップソング主体でパフォーマンスできた。女性マネージャーはオーナーの娘で気が強くて中島が交渉してもこちらの話を半分も聞いてくれなかった。普段の仕事ではドラムマシンでリズムを刻むのだがデイスコダンスならドラムマシンというわけにはゆかない。本物のドラムスでなければかっこよく客とまともに踊れない。ところが頼むべきドラムスのユージンは日本に帰ったので困った。それでもペイが150ドルと良かったのでダンスパーテイを引き受けてドラムスは本職ではないけれど一応叩くことができる宮下フミオに白羽の矢を立ててドラムを頼んだのだった。わたしはベースを弾きながら「ホールドオン」「エボニーアイズ」「プラウドメリー」「カントリーロード」「ウーマンウーマン」「ホテルカリフォルニア」などなど踊れそうなアメリカンヒットナンバーをなんでもかんでも歌った。チークダンス用に思い出のグリーングラス」マイウエイなどを歌った。白龍飯店(インペリアルドラゴン)はデイスコパーテイのたびに大盛況だったので大騒ぎのうちに大家族で食事をしたあとぱっと消える、食い逃げなどの被害によく遭っていた。女性マネージャーがまたやられたと悔しがっていた。
fumio


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