てつがくカフェ@ふくしま

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対話と珈琲から始まる思考の場

〈3.11〉特別編4・参加者感想

2014年03月16日 13時25分02秒 | 参加者感想
昨日、〈3.11〉 特別編4がコラッセで開催されました。
48名の方々にご参加いただき、盛況のうちに終えることができました。
今回は第1部と第2部に分かれての開催となりましたが、報告の方は後ほどアップさせていただきます。
まずは、今回ご参加いただいた方々の感想を掲載させていただきます。


●「線」 による社会・個人の分断の中で、私たちがどう生きていくべきなのか。あの日の震災が 『3.11』 という記号によって分断・省略されてしまう中で、私たちはどう向き合えばいいのか。「持続可能性」 という、一つの課題を取り出して、社会的な思想的な変革を提起してみたものの、「個々人の経験・記憶の扱い方」 という課題の方が 「福島県民=当事者」 としては重要になってくると感じた。「当事者」 としての思考の縛りがあるのだろうか。

●謙虚で真摯な学者さんたちのシンポジウム、哲学カフェでのタブーに踏み込む皆さんの姿勢、本当に刺激的な時間でした。「まとめをしない」 というところがとても好きです。アテナイの学堂のようで面白くもあり、しかし面白がってはいけない差し迫った問題を考えることができました。まとめてはいけない、意味をはみ出し続けなければならない、そう感じました。2部構成、とても良いと思います。

●一つの物事でも捉え方、考え方は個々人まちまちであることに気付いた点と、全体として捉え方そのものの難しさに気付かされた。

●牧野先生の 「お住いのトラブル」 の事例を引き合いに、基盤 (拠って立つ大地) とエンジン (足がかり) そのものを見失ってしまった悩みに対して寄り添うようにおっしゃった言葉がしみました。「不信を和らげることなら可能」 という一言が特に印象に残りました。また、3.11によって学問そのものが「実際」とかけ離れたものになってしまったことを謙虚に問い直されている姿勢にも深く共感した。福島における分断と亀裂を具体的に堀り下げ、深められるような哲カフェのテーマを設定してほしい。

●今回は2部構成で非常に充実した時間でした。初めて参加させていただいたのですが、第2部では様々な年齢、職業の方の忌憚のない意見が飛び交い、勉強になりましたし、参加しやすい雰囲気でした。「忘れる力」について議論しましたが、そもそも 「忘れる」 「忘却」 とはなんなのか、時間がなかったのですが、皆さんの考える 「忘れる力」 についてお聞きしたかったと思っています。また記憶すること、またそれを語ることへの配慮についても考えさせられることが多かったです。

●初めて参加したので、発言はしませんでした。皆さんの考えを聞いて自分の考えも二転三転しました。私は出身が宮城県なのですが、記憶はだんだん薄れているような気がしていました。しかし、今日のような機会を設けて頂くことで、忘れることはないと感じます。

●「3.11」 や 「フクシマ」 という言葉は、聞き慣れていました。今回改めて考え直してみると、その事柄の本質が隠されてしまっていると思いました。「フクシマ」 の商品化や学問の植民地化という言葉は初めて聞いたのですが、さかのぼって考えたり、商品 (例えば本など) を思い浮かべたりするとまさにその通りだなと思いました。福島にいるからこそ感じれることや見れるものがあるので、今、私がここにいる意味は何だろうかと改めて考えました。福島で感じること、実家に帰って感じることは異なります。震災、原発事故は過去の出来事のように扱われ、触れることも少なくなっている気がします。


ご参加いただけました皆様には改めて御礼申し上げます。
また、アンケートにご記入いただけなかった方も、その後お考えになられたことやご感想を改めていただける場合には、こちらのメールアドレスまでお送りいただければ幸甚です。
fukushimacafe@mail.goo.ne.jp
〈3.11〉 の傷痕はまだまだ癒えることがありませんが、また皆様とお会いし語り合えることを楽しみにしております。