てつがくカフェ@ふくしま

語り合いたい時がある 語り合える場所がある
対話と珈琲から始まる思考の場

第39回てつがくカフェ@ふくしまのご案内―「〈公共性〉とは何か?」

2016年09月18日 08時53分37秒 | 開催予定
   

【テーマ】 「〈公共性〉とは何か?」
【日 時】 2016年9月24日(土)16:00~18:00
【場 所】 イヴのもり
     (福島市栄町6-4 南條ビル2F・TEL 024-523-5055)
【参加費】 飲み物代300円
   ※ただし、カフェ終了後の懇親会に参加される場合は、懇親会費4,000円に含まれます。
     懇親会への参加の有無は、カフェ冒頭で確認させていただきます。

【事前申し込み】 不要 (直接会場にお越しください)
【問い合わせ先】 fukushimacafe@mail.goo.ne.jp


今回のテーマは、4月に行われた哲学カフェのテーマ「私にとって〈哲学〉とは何か?」で論点となった〈公共性〉について、再度取り上げます。
もちろん、その会に参加されなかった方でも対話には自由に参加できるようになっていますが、念のため上記のリンクにアクセスしてその会の記録と文脈をお読みいただければ幸いです。
それを踏まえて、ざっくりとテーマ設定の文脈を記しておきたいと思います。

そもそも「公共性」には多義的な意味合いがありますが、少なくとも①公共事業のように「国家」行為という意味、②「公共の福祉」のように市場原理では達成され得ない「社会全体」の幸福という意味、③公園などの公共空間のように不特定多数の者が排他性を持たずに自由に交通(交流)できる場という意味が確認されます。
前回の議論では、民主主義との関連で③についての議論に焦点が当てられていました。
すなわち、排他性のない〈公共性〉などありうるのか、という問いです。

一応、哲学カフェは誰にでも開かれた公共空間を目指しています。
自分とは意見が違うからといって他の参加者を排除することは論外だとしても、やはり障がい者など一定の人々にとっては参加が困難であるという面があることは否めなません。
その点でも「対等に話し合う」という哲カフェのルールが共有されていれば、〈公共性〉は実現されていると無邪気に肯定するわけにはいかないでしょう。
ルールによってしか〈公共性〉は実現され得ないというのはたしかですが、そのルールが排他的ではないという保証はありません。
たとえば、憲法14条は「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会 的身分又は門地により政治的、経済的又は社会的関係において差別されない」と定めていますが、それによってさえも「国民」でなければ平等に扱われないのかという問題が残されます。
むしろ、昨今はヘイトスピーチ問題のように過激な排外主義が社会にむき出しにされたり、あるいはゲーテッドコミュニティのように治安上の理由から富裕層に居住を制限する街が登場するなど、ある種の属性による社会的囲い込みと分断が進展している面があります。

果たして、こうした社会において排他性なき〈公共性〉などありうるのか?
そのことを皆さんで考え抜きましょう。


お茶を飲みながら聞いているだけでもけっこうです。
飲まずに聞いているだけでもけっこうです。
通りすがりに一言発して立ち去るのもけっこうです。
わかりきっているようで実はよくわからないことがたくさんあります。
ぜひみんなで額を寄せあい語りあってみましょう。

てつがくカフェって何?てつがくカフェ@ふくしまって何?⇒こちら

てつがくカフェの進め方については⇒こちら

世話人一同

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