てつがくカフェ@ふくしま

語り合いたい時がある 語り合える場所がある
対話と珈琲から始まる思考の場

第9回カフェ・参加者感想

2012年05月19日 10時52分13秒 | 参加者感想
今日は第10回カフェですが、今ごろになって忘れ物に気がつきました。
第9回カフェのときの参加者の皆さまの感想をアップするのを忘れておりました。
第1回本 de カフェのときは感想用紙を回収すること自体を忘れてしまいましたが、
それに次ぐ大失態です。
遅ればせながらアップさせていただきます。


●悪法ということで、参加前はとてもハードルが高く感じたが、身近なことなのだと思った。

●「法」 がテーマの主軸でしたが、自分ととらえ方や感じている距離感が皆さんちがって面白くきかせていただきました。

●みんなが平等で、楽しい会だと思います。

●議題に対する発見、気付きが多少あった気がします。

●今回の参加者のイロが左右東西南北 (?) だったのでいらだちながらも、むしろだからこそ考えが深まり、次への学びの活力になったと思いました。

●自分の生活 (人生、生き方、家族他) を守るためには、法に従うべき時と従わずにいるべき時があって、それを決めるのは個人なのだろうと…思った。

●やっぱりおもしろいです。遵守意識が薄れていいの??という話があって、すごく納得しました。なぜかわからないですが、守らなくて良いと言いきれなくて、もちゃもちゃしたまま今日は来てしまったのです。(守らなくて良い法もあるとは思っているのに、言いきれないと。)

●「普遍的価値」 なるものは存在するのかという難しい議論になってしまいましたが、それが時代的なものか普遍的なものか証明できないですよね? これを哲学的に論じた方を紹介してください。

●今まで自分が当たり前だと思っていたことが、実はそうではなかったということがとても感じられました。しかし、誰が何と言おうと、人間には普遍的な何かがあると思う。もし、そうでなければ、私たちは歴史的なものは何も考えられないと思う。「歴史的事実から学べ」 ということは間違っていることになってしまうと思う。

●悪法は私にとってはあると思い、それに従えないという思いで参加しました。その基準が何だろうと議論の間改めて考えていましたが、私にとっては、良心の問題だと思っています。自分の意志ということはもちろんだし、私が直接被らない害だとしても、誰かが犠牲 (思想・信条の自由や基本的人権などを) になるようなものが法律となったら、それは悪法だと感じます。あまり論理的ではないかもしれないけれど。だから罰則があるかどうかということでは、法に従うかどうかということを、私自身は判断できないと思います。今日は初めに立ち上げられた議論が抽象的すぎて、難しくて、どのように参加したらよいか悩みました。もう少し具体性のあるものから (拾って) とりかかってもよかったかなと思います。

●新聞などマスコミ等で 「てつがくカフェ」 があることは知っていましたが、小野原先生を見かけたので初めて参加してみました。多少の発言もしましたが、なれないので緊張しました。色々な意見を聴くことが出来たのは参考になり、たいへん勉強になりました。これからも見つけたら参加してみたいと思います。場所も良いです。


皆さま、どうもありがとうございました。
本日の第10回もよろしくお願いいたします。