離婚に苦しむ人へ

今、苦しんでいるあなたに寄り添って。

人生の比重(2)

2016-01-31 00:00:01 | 日記
さて、お待たせしてしまいましたが、

前回のつづきです。

たしかに、失ったものは

絶望するほどに大きなもので、

あなたの人生ではかけがえのないものです。

それはそうだと認めてしまいましょう。

そう、もうやってられないほどに苦しい。

孤独で、不安で、寂しいし、切ない。

過去の想い出も忘れられないし、

日々の生活もお金も体調も、何もかもしんどい。

まず、それは否定しないというところから入りましょう。

その上で、

あなたの10年後、20年後、死を前にしてい

人生を振り返ってみてください。

パートナーがいない

結婚していない

子供がいない

仕事がない

・・・

どれもこれも

残念だし、手に入れば良かったし、

もっといろいろな経験もできたし、楽しかったかもしれない。

でも、あなたの人生60年以上を振り返ったときに、

あなたの人生を考えて、

死んだときに、仮に、天国の神様に報告するときに、

その点だけを報告しますか?

離婚したから、私の人生は何もなかった。 と。

離婚したから、最悪だった。

パートナーができなかったから、
人生すべてはつまらなかったし、生きなければよかった。

・・・・

でも、神様は、客観的に冷静に、正確な報告を求めているとしましょう。

そこで、あらためて、考えてみます。


○○ができなかったから、絶望した。

人生で一番大きな出来事だった。

辛く、苦しく、悲しみを味わった。

それが10年も続いた。

でも、子供のときは、○○が楽しかった。

初めての恋人との思い出は〇○

新婚旅行は最高に幸せだった。

仕事はまあ人並みにできた。

お金はなかったけど、友人には恵まれたし、
自分なりに楽しめた。

パートナーと長くは続かなかったけれども、
趣味はたくさん、想う存分にして遊んだ、だれよりもやりきった。

小学生までは・・・
中学では、部活をがんばった。勉強はイマイチ。
10代はまあまあだったかな。
20代前半は最高、恋人もいた。
20代後半もまあまあ、結婚もできた。
30代は、離婚して、完全に絶望、厄だらけ、仕事もイマイチ。
40代は、ちょっと立ち直ってがんばった。
50代は、そこそこ振り切って、やりたいことした

60代は、お金がないけど、まあ気楽に過ごした。

・・・

つまり、

離婚という一点をとって、
パートナーを失ったという一点をとって、

自分の人生を、「最悪」と評価して、断定しますか?

神様にそのことだけを報告しましょうか?

神様からは、与えられた人生を、資源を、どうつかって何を学んで、
どう生きたのかを問われているのです。

まさに、ヴィクトール・フランクルがいうところの
どう生きるのかを問われている存在。

絶望も、悲しみも、不安も、孤独も、

すべては嘘ではなく、真実の感情です。

そして、なかったことにはならないし、

打ち消すこともない。

それらすべてを感じて、

今なお、悲しみ続けるなかで、不安を抱える中で、

これから、あなたはどう生きる方向へ向かいますか?

すぐには答えがでなくてもいいのです。

今日のお話が全てではありません。

神様がいるかいないかもどうでも良いのです。

人生を俯瞰して、事実を客観的に見つめる。

その視点の一助になればと思います。

答えは、あなたの中にしかありません。





・・・・



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人生の比重(1)

2016-01-29 00:00:01 | 日記
人は誰でもそうですが、

何かを失うと、そればかりが頭から離れず、

そして人生のすべてがそれしかないように感じます。

特に、離婚をはじめとして、

死別、失恋、リストラなど、

生活のなかで大きなウエイトを占めるものを失えば、

あたりまえのことです。

だからそれを失うことで

絶望を感じ、未来は暗闇となり、

生きる希望を失い、

どうしてよいのかわからなくなる・・・・

もう自分の存在自体がどうでもよくなったり、

何もする気がしなくなってしまいます。

もしあなたがそうだとしても

みんなそう。

私もそう。

どんなに勉強しても、仕事ができても

お金があっても、とにかく大きなものを失うということは

それだけ大きなことなんです。

だから、そういう感情が間違いだとか、あってはいけないなどと

そんなことは言いません。

当然の想いだし、感情なんです。

それはそうとして認めてしまいましょう。

否定したり、抑圧するからおかしくなる。

そう感じるからそうなんです。

逆に、これもいつもお伝えしていますが、

そうでもないなら、

そうでもないこと。大したことないというだけ。

あなたのキャパシティーを超えてなくて

まあ、なんとか大丈夫なこと。

だから、絶望するのは仕方ない、

ただ、絶望することが悪いと決めつけることでもない。

良いとか悪いの価値観ではなく、

生きていると

そういう感情も味わうのだと気づく。

まだまだやりたいことがあるときに、

いきなり余命宣告うけたり、

もっと一緒に過ごしたいのに、

突然別れを切り出されたり、

とにかく、突然のことには準備できていないし、

想いが残るから、

そう感じてしまって当然。

さて、それを前提として、

次回、ちょっとまた一緒に考えてみましょう。

次回につづきます。


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他人をみて、プロセスを想う

2016-01-27 00:00:01 | 日記
先日、元の職場での人事のお話を風伝いに聞いて、
やはり人生のプロセスとはわからないものだと
いつもながら、あらためて思いました。

有名大学を出て、
そして元気いっぱいに入社して、
素敵な奥様とも結婚されて、
とにかく幸せそうでした。

でも、転勤を繰り返すうちに、
うつ病となり、休職、
結果的には、復職できずに退職してしまいました。

よくある話かもしれませんが、
入社したときの元気さを知っているから
余計になんだろうな。。。と。
もちろん、自殺しなかっただけで十分です。
だけど、結局その方の夢見た会社人生は変化しました。

また、60歳をこえた方ですが、
莫大な遺産を受け継ぎ、悠々自適かと思いきや、
その年齢で難病になり、しかも詐欺にあい、
さらにうつ病を併発して、一日中自宅に籠ってしまいました。

以前にも書いたと思いますが、

定年退職して、ようやくゆっくりしようと奥様と記念旅行に行かれた旅先で、
奥様は急病でなくなってしまった方もいました。

昨夜のテレビで車上生活をしている方のドキュメントがありましたが、
70歳くらいまでは、奥様と一緒に暮らしていて、
奥様が亡くなってから、おひとりで車上生活になり、
昔のお正月を想い出しながら、車内でお雑煮を作っていました。

別に、ひとつひとつが良い、悪い、幸せ、不幸と言いたいのではありません。

結局のところ、

人生は最後までわからないということです。

少なくとも、私たちの周囲には、目をひらいて、心をひらいて見れば、

無数の人生のプロセスがあることを確認できるはずなのに、

誰もが自分は別だと見て見ぬふりをして、

他人事としているだけなのです。

本質を見たら怖くて仕方ないからです。

だけど、本質を見ても見なくても、結果は同じですよね。

これは悲観的になる要素は全くありません。

というのも、悲観的になっても特に良いこともないからです。

本質の議論と同じで、悲観的になれば精神的に悪くはなるけれども

良くはけしてなりません。

だから結局のところ、自分の思うように、やりたいように生きる。

誰も責任はとれないし、そういうものでもないということ。

今日一日を最高に充実させる以外に

できることはないと思うのです。

明日のことはわかりませんから。

実はとてもシンプルなことなのです。

私自身も、別に偉そうに言えるわけではありません。

できているとも思いません。

日々、悩みも苦しみもそして楽しみも様々あります。

だけど、方向性はそう考えているということ。

あなたに押し付けるつもりも、絶対だと言うつもりもありません。

私もあなたの同じ、今現在を生きている人間なので、

正解はわかりません。

あなたが苦しみのなかで、どう生きていきたいのか、

どこに軸を定めるのか、自分なりの道を探してほしいと思います。

このブログでお伝えしていることは、

私の目指すプロセスであり、それを参考にして

自分の信じるプロセスを見つけてほしいと思います。
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自己コントロールを取り戻す

2016-01-24 00:00:01 | 日記
悲しみに深く沈んでいるとき、

まず乱れるのは睡眠、食事、などの基本的な生活。

仕事なんて当然できないし、

外出するだけでもしんどい。

お化粧も、洋服も、どうでもいい。

生きているのすら苦しいのですから

それどころではありません。

そうなると、

どうしても自己コントロール感が薄れてきます。

ようするに、ボロボロの状況です。

なにしろ、過去に経験したことのないような

苦しみなのですから、

自分のなかにどうすればいいという正解も手段もない。

だから手探りしていくしかない。

以前にも書きましたが、私自身は

1年近くボロボロの状況から、転居したのを機に

スポーツジムで、身体をしぼり、ダイエットをして

新しいことをいろいろはじめていきました。

ほんとうに苦しいときに、ダイエットなどできません。

そんな力はないでしょうし、無駄にストレスになるだけです。

だから食べれるようになったらということです。

人それぞれ、方法は違うでしょうが、

自分のなかにあるリソース(資源)を最大限活用して、

そして今まではもっていなかったような資源にも目を向けて、

自己コントロール感を取り戻せるようにしてみてください。

ひとつできると、続けて変化していくようになってくるかもしれません。

まずは、簡単なことからでいいのです。

部屋の掃除をするとか、

毎日、ゆっくりお風呂に入るとか

通勤の途中ではカフェに寄るとか

どうしたら、自分の気持ちが少しでも楽になり

心が穏やかになるか、探していきましょう

どうしたら、なんだか、自分をしっかりコントロールできているような気がするのか

日常生活のなかで、

ひとつひとつの行動や思考に、少しだけ注意して感じてみてほしいのです。

そうすることで、

自分に向いている方法がわかってきます。

そして、これはお願いですが、

もし自分なりのそんな良い方法があったら、
コメントでシェアしてほしいのです。

読んでいる人のヒントにもなるし、
勇気にもなりますから。

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SNSを使いすぎない

2016-01-22 00:00:01 | 日記
ブログを書いていて言うのも少し変かもしれませんが、、、、

みなさん、

フェイスブックやLINEなどのSNS系を使われているかもしれません。

苦しいときに、

孤独から少しだけ助けてもらえるツールとして

昔と違い、ほんとうに今はだいぶ助かるようになりました。

ただ、もうお気づきだと思いますが、

たとえばフェイスブックには、リア充的な

みんなの楽しそうな充実した写真が満載です。

これでは無意識のうちで

誰かと比較してしまいます。

そして、

充実していない自分、

恋人がいない自分、

パートナーがいない自分、

独りでの食事

独りでの自宅

あらゆるシーンで、比較してそして落ち込む要因にもなります。

ただ冷静に考えてみてください。

あなたが元気だったとして、

心配ごとや不安や、失敗や落ち込むことはないわけではないですよね。

それなりにあるはずです。生きていれば。

でも、それをSNSにアップすることはありません。

自分の楽しいときをアップするはずです。

だから、周囲もみんなそうだと気づいてほしいのです。

みんな外面に出すのは良いところだけ。

充実してみえることだけ。

自分の印象を無意識に、または意図的にコントロールするわけです。

起業や、マーケティングを学ぶと

自己ブランディングというのがあって、

素敵な自分を作り上げるような手法でもあるわけです。

要するに、CMみたいなもんです。

だから本来は比較する必要もないし、どこまで真実かもわからない。

遊びとして、関係性として有用に使えればそれでいいのですが、

あえて、自分を苦しめる道具にしないほうがいい。

気づかないでそうなってしまっている場合は要注意です。

で、とはいえ、

やっぱり気になるわけですから、しんどいときは、

SNSはほどほどにしておいた方がいいというわけです。

元気で充実しているときならまだしも、

落ち込んでいるときや、不安定なときは

あまり見過ぎないほうがいい。

四六時中、他人と比較できる環境でもあるわけですからね。

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周囲は付き合ってはくれない

2016-01-20 00:00:01 | 日記
悲しみが深いほど

そこから抜け出していくには時間がかかりますよね。

人間関係の悲しみで言えば、

死別、離婚、生別、失恋などいくらでもあるし、

多くの苦しみは人間関係とすら、言えるでしょう。

何度も書いていることですが、

あなたが苦しんでいるのを知れば、

きっと周囲は助けてくれるでしょう。

折りに触れて、気にかけてくれるかもしれません。

だけど、少しずつ時間がたち、

あなたも日常生活ができるようになり、

ある程度は自分の悲しみや苦しみにも

自分ひとりで太刀打ちできるようになるころから、

周囲もまた気にかけてくれなくなってくるのではないでしょうか。

そして、そのことが、あなたにとってみれば

より一層の孤独を感じさせるかもしれません。

東北の大震災でも、世界中のテロでも、

その瞬間は大勢の人が心配するし、悲しみますが、

いずれ関係者以外は、まるで何事もなかったかのように

喉元を過ぎるような印象がありますよね。

もちろん、個人単位ではそんなことはないのですが、

少なくとも全体的にはそうなっていますね。

ただ、当人、近しい人にとって、悲しみや苦しみが終わったわけでも

頃よい状況なんてものはないのですから、

ずっと辛い想いを抱えているはずです。

周囲が気にしてくれないと、

なんだか寂しい想いと同時に、周囲に対して助けての声も言い出しづらくなりませんか。

周囲はすでに楽しく、充実して生活しているのに、

自分だけは落ち込んで、ふさぎこんで、暗いと、

なんだかその雰囲気を伝えてしまうと、相手に悪いような気もしてきます。

もしかすると、「まだ落ち込んでいるの?・・・」

などと心ない言葉が返ってきて、傷つくのも嫌だし、恐い。

そのために、どうにも助け舟を求められないでいるかもしれません。

ただ、

その苦しみに付き合ってくれる人もいるかもしれません。

数は少ないでしょう。

でも、苦しんだ経験のある人ならきっとわかるはずです。

地獄のような絶望的な苦しみを感じたことのない人には

わかれと言う方が無理があります。

わからないでしょうし、だからといってその人が悪いのでもない。

逆にわかる人には、十二分に伝わってきます。

他人には、あなたの状況は細かにはわかりません、

だから、今もまだ苦しいのだと、毎日ではないけれど悲しみに襲われるのだと

伝えてもいいんです。

ただし、今度は以前よりも少し、相手を限定した方がよいかもしれません。

二重に傷つくことは避けたいものです。


周囲にいなければ、ここにコメントしてみてください。

何もかっこいいことや、がんばっているようなことを書く必要なんてありません。

「今、とてもつらい」 「言葉にならない・・・」

それだけでも充分。

心が悲しみから離れるまでに、長くかかるのです。

数か月や1年では厳しい場合も多々あり、いやふつうは厳しいでしょう。

4年くらいかかっても、ふつうです。

心配はいりません。

だからといって、4年間、まったくの変化がないわけでもないから

これもまた心配しなくていい。

ただ、少しずつでいいから

睡眠、食事、体調など基礎的な部分を整えたいものです。

いつになっても

助けを求めれば、助けてくれる人は必ずいます。

そこに心を開いていくことです。

周囲には助けたい人もいるんです。

でも、あなたがそうだとは気づいてくれない。

だから、自分で助けてと言うことで、求めてほしいと思います。




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ストレスは力になる

2016-01-19 00:00:01 | 日記
さて、久しぶりに本を紹介しようと思います。

「スタンフォードのストレスを力に変える教科書」
 ケリー・マクゴニガル 大和書房 1600円


実は、前作の
「スタンフォードの自分を変える教室」

という本がベストセラーで、なかなか面白かったのと、
今回の本はストレス学に関する最新の内容なので、読んでみました。

題名のとおり、著者は、スタンフォード大学の女性の心理学教授です。
日本でもテレビに出たこともあります。

今なら、本屋にも平済みしているかもしれません。
専門書ではありません。

ストレスというのは、普通は、できれば避けたいとか、弱めたいとか
思いますよね。

私は心理学を学んでいるので、ストレスがないというのも良くないし、
良い影響も与えるということは知っていますが、その程度。

最新の心理学のデータによれば
ストレスがかかったときに、その個人がどう感じるかで
その影響は大きく変化するどころか、逆に、力の原動力となるということ。

それらを具体的な心理学実験結果とともに、かなり詳しく書いています。
興味のない方には少し退屈かもしれませんが、
確実な実験データがあるという事実は、その結論を信じるに値するということに
つながり、それすらも、重要な意味を持ちます。(著者もその意図のようです)

そして、本の中でも度々例に挙げられていますが、
ストレスといっても、日常的なものというよりも、
それこそ、死別、離婚、障害、癌、戦争の帰還兵・・・など
極限に追い込まれた人々にこそ、この考え方が効果を発揮すると述べられています。

ストレスは避けるものでも、悪いものでもなく、
ストレスこそが、あなたに力を与える源であることが論理的に、医学的にも理解できます。
ストレスによるホルモンの動きが、実は、あなたに切り抜ける力を与えるための働きであるという
ことが理解できたとき、今の状況にも前向きな姿勢がとれるかもしれません。

単なるポジティブシンキングではなく、
苦しみや辛さを隠したり、抑圧するのでもなく、
それらをしっかり感じながらも、向き合いながら、
そして良い面を探していく。

自分でするエクササイズもかなり豊富に入っています。

今、毎日、圧倒的な苦しみのなかで、つらい想いをして、
人生の転機ともいうべき状況で、
抜け出せない人にこそ、読んでほしいと著者も語っています。

読んでみて、私もそう感じました。

もし宜しければ、少し値段が高いですが、
読んでみていただければと思います。


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人生は気のせい

2016-01-17 00:00:01 | 日記
あなたは、

最近の世界の事件をみていて

何を思うでしょうか?

最近のテレビの報道をみていて

どう思うでしょうか?

もちろん、自分の苦しみのなかで、

精一杯ですから、他人のことなどどうでもよいか、

そんなことに余裕などないと言う方もいるかもしれません。

自分もそれどころではないとも。

たとえば、毎日のニュースは

芸能人の結婚に離婚に、不倫に・・・

児童虐待、サスペンスドラマを越えるような猟奇的な殺人、

介護疲れからの殺人・・・

世界中のテロ事件・・・

そして、

昨年の御嶽山の噴火や、

つい最近のスキーバス事故、

もう切りがありません。

ひとつひとつはたしかに、直接の関係者ではないかもしれない。

でも、それぞれにそれぞれの人生があり、

やりたいことがあり、

家族も恋人もいて、生きていたことは確かなのです。

私がここで言うまでもありませんね。

誰も、明日の朝目が覚めないとは思わない。

家を出て、夜は帰宅できないなどとは思えない。

誰だって、自分の人生が今日で終わるなんて

想いもしない。

明日の人間ドックで、癌が見つかるなんて思いもしない。

予測もできないし、まして全てに覚悟しているなんてできない。

だから、人生は虚しいなんてことを言いたいのではありません。

そういう論調や、宗教はたくさんありますが、

元も子もありません。

先日も書いたように、配られたカードで考えるしかない。

都度、対処するより仕方ない。

今夜、ゆっくり屋根のある家で、あたたかく布団に入れることに感謝したいものです。

ダイエットするほどに食糧に困らない環境に感謝したいものです。

こうやってネットがつかえて、本が読めて

呼吸もできて、排せつもできて、歩けること、見えること

ひとつひとつが最高のもので、どれひとつ無くても

大きな障害となり、不自由です。

悲しみも、不安も苦しみも減りはしませんが、

今あるものに感謝するとはそういうことです。

他人の不幸を見て、自分じゃなくてよかったとか思うことでもありません。

ある意味で人生は平等に、自分にも在り得ることだと気づくべきです。

そうしたら、

今日、この瞬間に、あなたがすべきことが見えてきます。

離婚はたしかに、ものすごい大きな出来事です。

でも、命もあるし、あるものがたくさんあります。

以前も書いたのですが、

「死ぬこと以外は、すべてかすり傷」 

ある女性の経営者の言葉ですが、そのとおりだと感じて好きな言葉です。

100歳を超えた聖路加病院の日野原先生も

「死ぬこと以外の苦しみはすべて、死の予行練習みたいなものだ」と言っています。

苦しみ、悲しみ、寂しさ、・・・

それらを忘れるのでも、なかったことにするのでもなく、

それでも、人生を歩むということ。

どう自分が歩めるのか、それを問われているのだと感じます。

偉そうに言う私自身も、できているわけでもないし、

傍目から、傍観者のように、他人事として眺めてもいません。

あなたと同じで日々、苦悩し、悲しみも、苦しみも

いろいろな気持ちを抱えて、

それを噛みしめて生きています。



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ルールはある

2016-01-15 00:00:01 | 日記
以前、書いたかもしれない。

人生はカードゲームのように

配られた手元のカードで勝負するしかない。

泣いても、騒いでも、それしかない。

日本に生まれたくなくても、生まれてしまったし、

東京が良くても、違うところだし、

お金持ちが良くても、家は貧乏だし、

すべてはコントロールできない条件のなかで

我々は生まれてきた。

今、シリアで苦しんでいる方々が

それを望んでいたはずはない。

生きることだけでも精一杯な環境だ。

離婚はしない方が良かったかもしれないし、

逆にした方が良いこともあるだろう。

だが、そのこと自体をどうこうできない。

手元にないカードで

いくら、最高の戦略を立てても意味がない。

自分のもつカード、

つまりあなたの資質、人間性、そのすべてを使うことは

ルールにある。なんでも使える。

そして、どういう風にも使える。

ただどのように使うかはあなたしか決められない。

今、全力で考えてみよう。

あなたの人生をどう生きてみるかを。

こんな機会はそうない。

ここで考えなければ、考えるときなど永遠にないかもしれない。

苦しくても、辛くても、悲しくても

それはそれなりに生き方もあるのではないだろうか。

常識などもうすでに通用しない世界であることは、

目のあたりにしているはずです。

パリで普通に食事をしていたら、

普通に飛行機に乗っていたら、

日本の震災でも、

自分では何も悪いことをしていなくても

いきなり人生が終わるかもしれない、

大切な人を失うかもしれない、

それが私たちの人生だからこそ、

あなたの生きたいように生きていいのではないだろうか、

他人の目や、慣習など、

100年後どころか、10年後には全く違うものになっているかもしれない。

その10年後、おそらくあなたはまだ生きている。

そのときに後悔しても遅い。

今、あなたの軸で動いていいのだと思うのです。
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言葉は永遠ではない

2016-01-12 00:00:01 | 日記
結婚するとき、

式を挙げた人もそうでない人も

プロポーズした人も、された人も

そういうのが一切ない人も

そして恋人の期間、夫婦としての期間

様々なことを語りあったきたし、

誓いあってきたのではないだろうか。

ふたりで将来の計画を立てたり、

今このときを永遠に忘れないようになど、

数えきれないほどの

お互いの約束や、語り合いがあったことでしょう。

今となっては、

あれはなんであったのだろうかと。。。

あまりに深い虚しさや、悲しみを感じるかもしれない。

けして、あなたも、相手も、

その場しのぎや、思いつきであったわけでももないだろう。

そのときは、真剣に、本当に、心からそう感じて発言していたはず。

苦しんでいる多くの人が

過去の相手や自分の言動や行動を思い出しては

虚しさと悲しみと、寂しさに襲われているのではないでしょうか。


いったい、あの約束、言葉は何だったのかと。

どれだけ誠実で、純粋な相手であってさえも、

今となっては、あまりに虚しい言葉に思えてくる。

だから、悲しみの底で、その言葉の数々に捕らわれて動けなくなる。

私は、だから人生は虚しいのだということを言いたいわけではない。

逆に、多くの人があまりに理想化しすぎてしまっているのだ。

ちょっと視点を変えるとわかるように、

最愛の人、人生で最高のパートナーと出会い、結婚したはずなのに、

自分自身もそう誓ったけれども、

一度、離婚して苦しみを耐えぬいたならば、

再び新たな異性にも興味をもつし、惹かれることだろう。

恋人同志で考えても、多くの人が、時間はかかるかもしれないが、

新しい恋人と付き合うことになるだろう。

「絶対はない」

今日、お伝えしたいのは、このこと。

人の心も、行動も、

そして人生にも

「絶対、120%」

「永遠に変化がない」

こういうことはないのだということ。

これは虚しさ、はかなさでもあり、

希望でもあるように思える。

ネガティブに、絶望的にとらえても仕方ないから、

そういうものだと知ることなのではないだろうか。
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自分をコントロールしすぎない

2016-01-09 00:00:01 | 日記
動けない状況から脱すると、

少しずつ、日常を取り戻しながら、

ダイエットしようとか、

アルコール量を減らそうとか

仕事で、遅れを取り戻そうとか

運動しよう

○○しよう

・・・・

あれも、これもと動き出すかもしれません。

それはそれで

回復してきたことだし、悪くない。

以前にも書いたように、

過活動を意識的にするなら、身体を壊さないレベルなら、

そう悪くもない。

だけど、

あまりあれこれと、自分に目標を与えたり、

制限を加えると、

ふつうでも辛いのに、

まだ心が完全に回復していないのに、

自分で苦しみを与えてしまうようなことになりかねません。

だから、

苦しみに耐えるというのは

それだけで十分な制限だし、

体力も精神力も必要です。

だから、それ以外に

あまり制限しすぎないほうがいい。

自分をコントロールできると

なんだか前向きだし、がんばっているし、

回復している実感も得られて良いようだけど、

あまり無理しすぎないこと。

今、あなたが自分に課しているなかで

ひとつか、ふたつでも

少し制限を減らしてみませんか。

そしたら、もう少し楽になるかも。

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できなくて当たり前

2016-01-06 00:00:01 | 日記
苦しみのどん底にあるとき、

なかなか動くこともできない。

食事も、睡眠も、仕事はもとより、

日常のちょっとしたことすらもできない。

以前にも書いたと思うが、

仕事のアポイントを

手帳に書くという、何も難しくないことでさえ

まともにできないこともある。

注意力が足りないなどというレベルではなく、

予定が入り、それを手帳に書き留めるという

ただそれだけのことに、思考が回らないのである。

それでも何とかがんばろうとするが、

もう身体も心もバラバラになり、

とても自分というひとつの人間として形になっていないような

まるで人間としての基本的な機能が果たせないような

そんな状態だ。

どうすればいいのかもわからないし、

そのことを誰かがわかってもくれない。

話をすれば友人も気をつかってはくれるだろうが、

ほんとうの意味での理解ではない。

何しろ、経験したことがないのだから無理はない。

つまり、これらのひとつひとつが

あなたを孤独に深くおとしていく。

だが、ここのブログを読んでいればわかるように、

多くの人が同じような想いを抱えて

苦しんでいる。


朗報なことは、

特別に新しいことでも、人類はじめてのことでもなく、

いずれは、折り合いがつけられる日がくるのだという

過去の実績もルートもあるのだということ。

逆に、あまりうれしくないのは、

だからといって、

あなたの苦しみが減るわけでも、

瞬時に悲しみが消えるのでもなく、

当面は、相当にしんどいのだということ。

そんな状況のなかで、

できないことは山のようにあり、

できることは少ないと思う。

だが、経験している人なら、だれでも認めるし

肯定すると思うのだが、

その中で、サバイバル、生き残る、耐え抜くだけで

十分にすごいことだし、

食事ができること

少しでも眠れること

まして仕事にいけること、

家事をすること

子供の世話をすること

子供に笑顔で接すること

これらすべてが、すごいことだということ。

だから、いろいろできなくて

当たり前、

無理なんです、それだけの苦しみを背負って

あれこれできるなんて。

今までと同じように生活するなんて。

できてなくて当たり前、

でも、十分にがんばっているし、耐えている。

私はあなたのそのがんばりを、

十分に認めています。

できるだけで十分、

自分なりで十分、

生きているだけで十分です。
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気持ちのアップダウンは仕方ない

2016-01-03 00:00:01 | 日記
連休に独りで過ごす時間というのは

どうにも寂しさがこたえますね。

まして街もテレビも新年のどんちゃん騒ぎですから

余計になんだか辛いかもしれませんね。

仕事で職場の人と接している方が楽だということも

あるかもしれません。

ひとりで過ごしていると

どうしても気持ちが落ち込みます。

一日の大半は、比較的安定していても、

夜や朝になるとどうしても辛い。

気分がいっきに落ち込むと

そのこと自体に、がっかりもするかもしれません。

というのは、

自分自身の感情すらもコントロールできず、

激しく落ち込んでしまう、そのこと自体が

どうにも残念で、はがゆく感じられるかもしれません。

でも仕方ない。

みんなそうだから、あなたが弱いのではないし、

特別にコントロールできないのでもない。

あなたがそのたびに周囲に報告しないのと同じで、

他の人もいちいち報告しないでしょう、だからわからないだけ。

みんな落ち込んでいるし、どうしうもない気持ちを味わうこともある。

まずは自分を責めるのを止めよう、

何も良いことは生まれないどころか、

気持ちはどんどん落ち込む方向へむかう。

褒めることができなくてもいい、

でも自分で自分を責めることだけはやめよう。

そして、感情だからアップダウンがあってしょうがない。

しょうがないことなんだと知る。

感情がアップダウンしないようにしたって

そうもいかない、

だからアップダウンしてしまっても

来ましたか! ってくらいな感じで

受け止めてしまう。

しょうがないと知ってほしいと思います。

そして責めないでほしいと思います。
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新しい扉

2016-01-01 00:01:00 | 日記

新しい扉の前にようこそ。


年を越しましたね。

華やかな気分でなくてもいい

世間のワイワイに付き合うことなんて必要ない

独りで過ごしている人も

実家にいる人も

それぞれ過ごしていることでしょう。


昨年、ほんとうに万感の想いで耐え抜いてきました。

人生で想像を超えた苦難を耐えてきました。

まだ苦難はそれぞれ続いているでしょうし、

気分が晴れることもないかもしれません。

どうしようもないほどの、ぐちゃぐちゃな感情に

悶絶しているかもしれません。


ただ一瞬だけ想像してみてほしいのです。

あなたは、耐え抜いて、耐え抜いて、苦しみ続けて

今、どんな感情や状況でも

ちょっとだけ横に置いておいて、想像してほしいのです。


********

悲しみの底を耐え抜いて、

ようやく、2016年を迎えました。

今、あなたの目の前には、

新しい扉があります。

何色のどんな扉でしょうか?

大きいですか?小さいですか?

木でできていますか?
金属でしょうか?

おしゃれなデザインですか?
古風な感じでしょうか?

ノブは?鍵穴は?

ありありと、実際に想像してみてください。

ドラえもんのどこでもドアを想像してみても良いでしょう。

あなたの行きたいところへ連れて行ってくれるなんてのも

想像できるかもしれません。

その扉を開けるも開けないもあなた次第です。

扉の向こうはわかりません。

階段かもしれないし、土の道かもしれないし、

レッドカーペットかもしれない。

後ろに戻ってみても良いかもしれません。

すべてを決めるのはあなた自身です。

動けないから、扉の前で、じっくり考えて、待ってもいいでしょう。

勢いで開けて飛び込むのもいいでしょう。

深呼吸して、ゆっくりと開けるのもいい。

・・・

・・・

・・・

あなたは扉の向こうへ歩みますか?

ちょっと待ちましょうか。

どちらが良い悪いではありません。

あなたのペースでいいのです。

無理に動くこともありません。

後ろに少し戻ってもいいのです。



ただひとつだけ覚えておいてほしいのです。

あなたには今見た、新しい扉が常にあります。

なくなりはしないし、開かなくなることもありません。

あなたが自分のタイミングで

新しい扉を開けたいのだと思うときに

開ければいいのです。

そのときまで、ずっと扉はそこにありますから

安心して、自分のタイミングを待てばいいのです。

新しい扉の存在、

それだけを忘れずに、この一年歩んでいきましょう。

扉はいつでもあなたの前にあります。
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