離婚に苦しむ人へ

今、苦しんでいるあなたに寄り添って。

最近の出来事

2018-04-29 00:00:01 | 日記
最近のニュースで、

TOKIOの山口さんの事件がありました。

2016年にお子様2人がいるなかでの離婚、

そして今回のアルコール関係での入院、

退院日のアルコール過剰による今回の事件

もちろん、それを肯定できないし、

被害者のことを想えば、越えてはいけない一線であることは明白です。

ただそれらを前置きさせていただいて

私はもう少し違う角度で見ています。

もともとアルコールを飲むといろいろとあったようなので、

離婚の理由などに影響もしている可能性がありますが、

それは他人にはわからないことです。

ただ、アルコールだって、離婚のグリーフの影響で

通常よりも強く影響が出ているとも思うのです。

だって、もともとアルコールに問題があった人だとしても、

これまではTOKIOとして、ずっとやってきたわけですし、

ここにきて、表だった事件となってしまったのは、

離婚による寂しさや、孤独、いろいろな想いが重なり

過度に影響が出てしまったのではないかと。

通常なら高校生をどうこうするというのも考えないかもしれませんが、

離婚の悲しみというのは、ほんとうに通常では考えられない行動を

引き起こします。あとから思えばとても正常とは言えないくらいの行動や言動が

出てきてしまいます。

以前私も書いていますが、当時は、

寂しさゆえに、異性の友人に、入れ替わり長電話したり、

その日の苦しみから逃れるために、誰でも良いから予定が合う友人を食事に誘ったり、

相手との距離感も狂ってしまったりと

通常はコントロールできることができなくなります。

アルコールも毎日のように浴びるほど飲んでしまったり。

結局のところ、周囲から見ればどうしてとか、

周囲の知らない人は、何年も前の離婚とつなげて考えることはないでしょう。

私たちは、この苦しみの深さと

日常生活の崩れや、それが何年も続くということを知っているはずです。

みんな紙一重で耐えているのです。

誰にでもあることだし、離婚だって本人たちにしかわからないわけです。

無期限での活動停止ということですが、

彼にとってはTOKIOしか支えがないと思うので、

それを奪うことがないように、個人的には祈っている次第です。

その上で、しっかりと被害者の心情を考えて、

そして自らのグリーフを癒してほしいとも

思っています。

日々の生活のなかでニュースひとつでもいろいろな視点があるはずです。

この離婚という苦しみ、寂しさを経験しているあなたなら、

あまりに偏った日本の価値観に気づけるはずです。

今回の事件が良い悪いということではなく、

いや、悪いことには間違いありませんが、

人というのはそれだけ弱い存在、紙一重で生きているのだと気づくことが大切です。

この離婚の苦しみのなかで、今回の事件のように、

あなたの人生の決定打になってしまうようなことにならいように

極端な行動や判断、決断はできるだけしないことが大切です。

いつも言うように、自分ではコントロールできているとか

冷静、客観的と思っていても、グリーフのなかでは、たいていそうでないことが多いのです。

そしてそうならないためには、

自分のグリーフを認めて、ゆっくりと癒していく時間が必要なのです。

それを無視しても、結局は最後に向き合うしかなくなります。

放置すればするほどに、今回の事件のように

別な形で表に影響してしまいがちです。

今すぐ向き合うことも、何もできなくてよいのです。

ゆっくりと、ゆっくりと、耐えていきながら、

きっとあなたの道が見えてくるはずです。

それはあなたの道であって、私の道でもないし、他人のものでもありません。

あなたにしかわからない道。

今日も丁寧に一日を歩めることを祈っています。



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この差はなんだろう

2018-04-23 00:00:01 | 日記
昨日の朝の番組で

広島カープの赤松選手のドキュメンタリーがあり

思わず見入っていました。

私は今では特に野球を観ることはないですが、

偶然にも目に留まった番組です。

リーグ優勝にも貢献した俊足の選手ですが、

2年前に胃がんステージ3が見つかり、半分を摘出し、

現在は2軍で1軍復帰を目指してがんばっているとのこと。

胃がんのステージ3では5年生存率は50%という大変な病気です。

まだ35歳です。

きれいごとではない、番組では描かれない

それは大変な時間を過ごしてきたのだと思います。

それでも彼の笑顔やがんばりは、勇気となります。

抗がん治療では、そもそも生活するのも大変なほどなのに、

プロ選手として復活するためのトレーニングをしているわけです。

それをフォローしている広島カープもプロ選手として前例がないとも言っています。

彼が言っていました。

「苦しいけれども、苦しいことは生きていること。

死んだら苦しめない。」

「第2の人生、やれる身体があるのだから、やる」

「野球しかできないし、好きだからする。」

なんとも心に響く言葉です。

いつも言うことですが

離婚での離別はほんとうに苦しい。

私自身も未だに会えない子供への想いはゼロにはなりませんし、

どうして。。。。と自分の人生を想うこともたくさんあります。

それでも、それと引き換えに、いろいろなことを学び、

そして今も生きている。10年以上たって、

今は、幸せなことの方が多いと思えるようになった。

少なくとも自分のやりたいことができる可能性が残っている人生。

ないことを探せば、離婚しなかった人生や離婚しなかった他人と比較すれば、

こうであったら・・・と思うこともたくさんありますが、

配られたカードで勝負し、〇〇であったら・・・という人生などはなく、

あるのは、今の人生が自分の人生だと認めることを学びました。

以前も書いたのですが、

世界的な100マイルトレイルランニングレース(山岳レース)で走っていた70歳近い選手が言ってました。

「死んだらゆっくり休めばいい、生きているんだから、今は休んでいる時間なんてない。」

どう生きていくのか、それは個人の選択でしかありませんし、

あなたにこれ以上がんばれという資格も必要もありません。

あなたは十分に耐えているし、それだけで十分なんです。

そのこと自体がすごいことで、がんばっていること。

ただその苦しみと、がんばりの中で、何をつかみ、学び、

歩むのかということはとても大切です。

今日もあなたの歩みを応援しています。

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疲れる

2018-04-19 00:00:01 | 日記
私が一番苦しい時間を過ごしているとき、

毎日、無数に頭に浮かぶ想いを繰り返し、

外出しても、職場でも他人を意識し、

自分の孤独さや虚しさと格闘して

家に戻って、酒を飲んで、まるで泥酔するかのように寝落ちる。

感情はなく、ただ、ただ灰色の世界にただよう。

未来など見えないし、どうしたいかもわからない

そんな自分があるときふと思ったこと、

こういう生活に疲れた・・・。

もう疲れた。

だからどうしたいとか、

がんばろうとかいうのではなく、

「疲れた・・・」

そんな言葉にもならないような想い。

もう十分に耐えてきた。

これ以上はどうしようもない。

考えたところで、悩んだところで

努力しても、もがいても、

恨んでも、叫んでも

酒を飲んでも、何をしても

自分の望んでいた方向にはいかないし、

過去には戻らない。。。

そんなことにゆっくりと気づきながら、

そして否定しながら、それらを繰り返して、

「もういいや・・・」

「天に任す・・・」

「流されよう」

そんな感じで、悲しみの底、苦しみの底辺に到達したのです。

もちろん、それからも、アップダウンはあり

簡単ではなかったですが、

一度、諦めてみる、

先日の聖なる諦めを感じると、そこに戻ってくる。

グルグルまわって、やはり諦めに戻ってくる。

そこからはじめて自分の人生を再構築しだしたのです。

あなたなりのプロセスで、どうたどるかはわかりませんが、

楽な道でも、簡単な道でもありません。

でも、どこかであなたの答えが出るときがくると信じています。

今日も応援しています。



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耐えすぎない

2018-04-15 00:00:01 | 日記
苦しみや悲しみに

耐えようとするほど

よけいに苦しくなる

運動でも、なんでも

がんばろうとか、ちゃんとやろうとして

よけいに緊張して動けなくなるのに似ているかもしれない。

自分は耐えなければいけない

この悲しみを手放して

早く元気な元の自分へ戻らないといけない

そう思うことは自然で、誰でもそうなのだが、

そうやって意気込むと

よけいにしんどい

だって、苦しみも悲しみも、虚しさも

そう簡単にはどこかに消えてくれない

だから理想の自分や目指す状態と

現状が大きく離れて、よけいに自分の無力さを感じるし

どうにもならない自分にあきれる

負のスパイラルに入っていく

あなたはすでに十分がんばったり、努力したり

もちろん耐えているのだから、

それよりは気持ちを落ち着けたり、リラックスしてみたりするほうが

良いかもしれない

ヨガ、スパ、瞑想、なんでもいいし、

趣味でもいいし、旅行でもいい

私はよく独り旅をした。

もちろんカップルやら子供づれもたくさんいるが

それはそれと割り切って、あえて苦しみに飛び込んで

どうせ自分は独りだと開き直って

逆においしいものを食べたり飲んだりして

孤独を楽しむようにしてみた。

そうしたら、もう別にどうでもいいやと思えたり、

こんなにおいしいものや、素敵な景色を見て感動できるの力が自分にはまだある

残っているのだと感じた。

そのことで、もう少しがんばってみて、もう少し先の人生の景色を見てみようという

気持ちになれた。

人それぞれだろうが、力を入れたり、抜いたり、右がだめなら、左というように

今日はこういう方向性でも明日は違う方向が良いかもしれないというように

とにかく頑なにならずに、自由に柔軟に考えたり行動してみよう。

部屋で独り過ごす時間も、それもそういう行動の選択と思えば、

けしてネガティブにとらえることもない。

一日布団で寝るというのも選択で、行動だ。

いつもと違う行動をしてみて、いろいろ試してみる。

そんなことでつかめるきっかけや気づきがあるかもしれない。






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日本慣習から出る

2018-04-10 00:00:01 | 日記
いつもと同じことを言います。

日本は本当に、世間やら常識やら

古くからの慣習に縛られていて

どうにも生きづらい。

海外がすばらしいというのとは違うけれども

日本というのは本当に生きづらい。

記憶があいまいではありますが、

先日ニュースでありましたが、

学生の自己肯定感についての調査で

アメリカと日本と、中国か韓国あたりで行ったところ、

日本はダントツに低い結果でした。

つまり他人との比較のなかで、

自分を肯定できない文化が影響していると。

私からすれば、そりゃあそうでしょうということ。

日本にいると、周囲がどうだとか、一般的にはとか

世間ではとか、体面とか、、、、

もうたくさんの周囲の目に縛られているわけです。

もちろん最近はそうでない人もいるのですが、

やはり、それは特殊で特別で、一般的な枠には入らないという感覚でしょう。

私も離婚を経験するまではそうでしたが、

苦しんだ結果、抜けることができました。

たとえば、どうせニュースを見るなら、BS-NHKをお勧めします。

特に朝4,5時くらいからワールドニュースがあります。

世界の動きや事件がわかります。

日本のニュースではほとんどやらない内容ですが、

世界でどれだけ難民やら戦争やらが日常的かわかります。

どれだけ日本にいる自分が安全なのかわかります。

そして何よりも、日本的な感覚を修正できるでしょう。

私は日本のニュースやらバラエティーはほとんど見ません。

先にお伝えしたように、日本の慣習から抜け出た今の自分には

くだらない内容だからです。

表面的で短絡的で、こんな番組が受け入れられているとすれば、

日本の人たちの低レベルさが残念だと思うようなレベルです。

日本にいて、日本の感覚から抜け出すには、

情報コントロールが必要です。

なぜなら、日本ではその慣習、世間が大前提だからです。

そこに浸っていたら抜けることは無理です。

自分に取り入れる情報、触れる情報、それらを変えていくことで

視野が広がるでしょう。

ぜひ、BSワールドニュースを数カ月見てみてほしいと思います。

きっと日本の番組を見るのもばからしくなるのではないでしょうか。

いつも言うように、離婚の苦しみから抜けるには

今までと同じ価値観や視野では難しいでしょう。

物の見方、価値観を変えていくしかありません。

日本的には、いまだに、大卒で就職、大企業。

30歳で結婚、子供とマイホームの価値観が根強いのだから。

もしあなたが本気で抜け出したいなら、

価値観を見直していくことが早道だと私は思います。




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変えられないもの

2018-04-05 00:00:01 | 日記
先日、テレビで

シスターの鈴木秀子さんが話していました。

鈴木さんの本はたくさん出ているので読んだこともあるかもしれません。

そこで言っていたのが、

「聖なる諦め」

私も含めて、多くの方が言っていることですが、

変えられないもの、自分でコントロールできないものに対する

手放し ということです。

ただ意図して、積極的に手放すわけであって

ネガティブな諦めではありません。

私はよく、プロセスだとか、人智を超えた力と表現しています。

宗教ではそれは神であったり、仏かもしれません、

ただ大切で、そして真実は

人生は自分でコントロールできるようなものではないということと、

生まれることも、死ぬことも自分で決めているわけではないということ。

身体を鍛えぬいたアスリートでも癌などで早く亡くなることもあるし、

結婚した直後とか子供が小さくても

突然、死は訪れる

病気も事故も災害も同じ。

もちろん日常の些細なことは自分で決めて、努力もできるだろう。

だが大局的には何もコントロールなどできていない。

何かできているようなことを言う偉そうな、勝ち組のような人は、

一番大切な真実に気づいていない、または無視しているある意味で無知である。

自分でコントロールできているなら、

どうして保険をかけるでしょうか。

どうしてお金持ちも、有名人も同じように被災したり、病気になるでしょうか。

何も世捨て人になったり、何もしても意味がないから、投げやりに生きていいというのではない、

人生の絶対的なルールのなかで、精一杯、自分の生き方をしていくしかない。

カードゲームでも、テレビゲームでも何でもルールに文句を言ってもはじまらない。

いつもいう、

手持ちのカードで勝負するしかないのだと思うのです。

「聖なる諦め」

深い言葉だと思います。

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