離婚に苦しむ人へ

今、苦しんでいるあなたに寄り添って。

さてと。

2022-12-31 19:00:00 | 日記
さて、今年もあとわずかです。

一年、よく耐えました。

人生のなかでも最も大変なしんどい時間を過ごした方も多いでしょう。

少しだけ前に進めた方もいるでしょう。

世の中が激変するなかで、ふつうの状態でも多くの人が悩んで、不安をもちながら

生活している状況で、

離婚という厳しい状況を耐え抜いてきたこと

今、この年末を迎えられたこと、

そのこと自体がすごいことだし、十分と思うのです。

来年への抱負があっても、なくても、無理することはありません。

いつも伝えているプロセスの流れに身を任せていきましょう。

そんな簡単ではないかもしれません。

コントロールできないことに逆らっても、身を任せても

結果は変わらない。

テレビキャスターでも人気のホラン千秋さんが、クリスマスの予定を聞かれて、

24はただの数字、ただの土曜日、自分には関係ない と言ってました。

ほんとうのところはわかりませんが、彼女らしい答えです。

年末年始も意味を与えればきりがありませんし、

昨年は、以前はと考えてしまうのも無理もありません。

それに自分で意味を与えても与えなくても、それぞれでいい。

今日も一日おつかれさまです。

少しでもいい眠りを。

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一年が終わります

2022-12-29 05:00:00 | 日記
さて、そろそろ仕事も終えて、
休みに入っている方もいるでしょうか。

もうすぐ一年が終わりますね
とはいえ、世間の年末年始ムードで毎年しんどい時期かもしれません。

スーパーでも買い出しをする家族がたくさんいるし、
テレビは特番やら年末年始ムードでにぎやかだし、
人によっては、親戚と会う機会もあるかもしれません。

そんななかで、とてもじゃないけど、笑顔ではいられない。。。
または愛想笑いでやり過ごしたり、
心を凍結させて、ただただ仕事始まりを待つような方もいるかもしれません。

私も実家に帰省は必要でしたし、
離婚を機に親とも相当にぶつかりましたから、
しんどい年末年始を過ごしていました。

逆に一人で過ごす時間は、寂しさを感じつつ、少しほっとしたのも覚えています。

そんなとき、自分の気持ちに無理をさせないことが一番です。

つらい気持ちも、むなしい気持ちも、寂しさや悲しみも、
すべて当たり前で、あっていいんだ、それだけ自分はつらかったんだ、
それでいいんだと思います。

無理に抑えこもうとするのではなく、それはそれで認めつつ、受け入れつつ
それでもやむなく、愛想笑いも、親戚付き合いもするのでいいじゃないですか。
元気になるまでは時間がかかります。

そしてもし可能なら、自分だけの休みの時間を作って、映画を見たり、
スパにでも行ったり、ジムで運動したり、おいしいお酒でも飲んで
自分にやさしくする時間を作ってあげてください。
ただただ、他の誰でもない、自分自身のために。





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景色は人それぞれ

2022-12-16 05:32:31 | 日記
ずっと昔に書いた記憶があるが、

離婚したとき、一瞬で自分の人生の景色が変わった。

人生そのものだけでなく、日常生活で目にするものの多くが

カラーからモノクロに変化し、何の色合いも感じられなくなった。

もちろん、世の中は何も変わらないが、心の変化がそう感じさせた。

とはいえ、その後、数年で再びカラーの景色に戻っていく。

そんな人生の大きな転機でなくとも、本来は誰でも日常でそんなことを感じることができる。

感性だけの違いで。

例えば、このコロナ流行、ウクライナの戦争、それによる世界での物流や品不足、円高と、

わずか数年で世界は大きく変化した。評論家以外のふつうの人で、誰がこんな時代を本気で予想していたか。

自分たちが生きてきた何十年の中でも、オウム事件や、東北と阪神の大震災、御嶽山の噴火による登山者の死

とにかく、予想しないことは多く起きている。

もっと小さい事件でも、多くの方が家族、子供、恋人を突然亡くされるニュースを毎日のように見ている。

そこで、あなた自身が何を感じて、どう行動するかは、人それぞれで、

良いも悪いもないし、正解不正解もない。

ただ、ひとつ言えるのは、感じてみたか、何も感じないかは大きな違いだということ。

その感じ方で、見える世の中も景色も違ってくる。

先日のWEB記事で、女優の仁科亜希子さんの壮絶な人生を読んだのだが、若いころから4回の癌を患い、

乗り越えてきたそうで、4回目には、「神様もういいかげんにしてよ」と叫んだという。ほんとうにそうだと思った。

今はまた元気に過ごされているようですが、はたからはそんな苦労は見えないが、

想像できないくらいの大変さを乗り越えてきたのだと知らされました。

どんな人生の景色を見ているのだろうとも感じました。

そして、どんな景色を見るのかは、受け身的ではなく、能動的なものだということも伝えたい。

感じるか、感じないか、それを受けてどう行動するかしないか、

自分に対しても、他人に対しても、どう在りたいのか。

この得体の知れない人生で、何をするのか、ただ過ごすのか。

すべては自分の選択なのだ。誰も指示していないし、強制できない。

確実なことは、時間は限られていて、先にも書いたように、未来はわからない。

であるなら、今日どう生きるのか。

将来への貯蓄も、未来予想図も必要かもしれないが、

確実なのは、今だけであると気づけるかどうか、今日の夕方のことは誰も知らない。

すべては希望的観測にすぎない。

たぶん今夜もいつも通りに、眠りのベッドに入れると思うし、ほぼそうなのだろうが、

そうならない世界を私たちは何度も目にしているはずだ。

ただ見ていないふりをしているだけに過ぎない。

いつも伝えているように、苦しみ、悲しみを越えていくには、

これまでと同じ視点、考え、見方をしたらその延長線にしか行けないし、乗り越えるのは大変だ。

あなたの人生でも最大級のひとつといえるかもしれない悲しみを乗り越えるには、

これまでと違った景色を主体的に見ていくことも大切ではないかと感じます。

もちろん、正解不正解はないですよ。

すべては自分で決めるしかないし、未来は誰も知らないのだから。

私自身は、悲観的にとらえても、楽観的にとらえても、

自分のコントロールできないことが起こるのだから、

すべてはプロセスのなかだと感じているから、

流れを感じて、流れに逆らわずに生きていくと決めています。

今日も一日大切に過ごしましょう。




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無力感と儚さ

2022-12-06 20:04:28 | 日記
昨日、仕事から最寄り駅に降りたら、

けっこうな雨で、階段下で、タクシーを拾おうとスマホのアプリを見ていた。

後ろからゴーンというすごい音とともに、酔っ払いのおじさんが頭を下に落ちてきた。

おいおい、何やってんだろと思いながら見ていたら、殺人現場なみに頭から血を流していて、

目の前の若いサラリーマンが救急車を呼んだ。

周囲は見ているだけ。駅員を呼ぼうと私も動いたものの、無人の改札口側で駅員がいないことに気がついた。

そんな私も何もできない。

こんなときは、下手に動かさないほうが良いと習った気がすると思いつつ、流れ続ける血に

何が正しいのか判断がつかない。

駅員はそばにはいない。

しばらくすると、ちょっといかつい人たちが来て、とりあえず、声かけて体勢を整えたり

声をかけている。

こんなときに、すぐに行動できる人はすごいと思った。

10分くらいで救急車が来たと思う、

助かればとも祈る。酔ったままあの世なんて、せつないではないか。

そんな衝撃的な時間を過ごした後で、いろいろ考えました。

きっと楽しくお酒を飲んで帰る途中で、雨で階段が濡れていて踏み外した。

家族がいるかは知らないし、助かったのかもわからないが、

数分前までは上機嫌だったろう。

自分に起こる出来事は知る由もない。

人生はどこで何があるかわからないと、あらためて思った。

私自身も、そんな緊急時に、人を助ける方法も、スキルもないことも残念だ。

ほんとうに頭から血を流している人に、どうして良いのかわからない。

AEDの救急救命は習ったが、血を流している人へ対処できない。

医者なら、看護師なら、もう少しはまともな対応ができただろう。

私も酔っぱらって、駅の階段や飲み屋の階段を降りることはある。

そのとき、偶然雨かもしれないし、手すりがないかもしれない。

駅のホームもあるかもしれない。

だからといって、飲まないかといえば、そうもならない。

短い時間だったが、人生の縮図を感じた。

生きるも死ぬも、一瞬の違いで分かれるし、偶然なんだと感じました。






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日常の在り方

2022-12-01 04:27:34 | 日記
あたたかいコメントやご心配をおかけしました。

特に何かあったわけではございませんでしたが、

日常の忙しさのなかで、すこし筆が遠ざかっておりました。

今日から12月に入り、今年もあと少しというところになりました。

世の中を見ていると、日々目まぐるしい変化を目の当たりにしますし、

物価高騰やコロナ8波と、まだまだ安心できる状況でもないようですね。

おひとりで生活していると、離婚という苦しみにプラスして

そんな安定しない日常や世情が、さらにしんどさをプラスするのではないでしょうか。

年末のイベントなどもテレビや街でみると、目をそらしたくなったり、

心が締め付けられるような気持ちになるかもしれません。

先日、ウクライナで生まれて2日の赤ちゃんが砲撃で亡くなったということや、

最前線にいく前日に結婚式を挙げた若い二人のニュースを見ました。

ご両親の思いはもとより、人間が生まれてくるとか、人生というのは何なのか

そんなことを考えざるを得ませんでした。

日本だって戦時中は同じであったのに、もうみんな忘れてしまったかのようです。

なぜこんな離婚とは関係なさそうな記事を書いているのかというと、

いつもお伝えしていることですが、離婚の苦しみを超えていくには、

結婚したとき、離婚したときとは、別次元での視点を得て、新しい自分の軸を見つけることが大切だからです。

排他的、刹那的になるというのではなく、

生きるということや、人生そのものをいろいろな視点でみて、

できれば起きてほしくなかった離婚という悲しみ、苦しみを自分自身のなかで

あらたに位置づけることで、その先が見えてくると思うのです。

偉そうに言っていますが、私自身はすでに15年以上の年月を経ても

今だに、そんなことを考えながら生きております。

離婚について何か月も全く考えないときは来ていないようです。

だからといって、悲しみのなかで生きているわけではなく

ただの思考のひとつであるということだけで、日常に影響は全くしませんし、

別の幸せや楽しみがあるわけです。

あなたが今、苦しんでいることはそれはそれでいい。

悲しみはふつうのことで、あなたが弱いわけでも、おかしいわけでもない。

私も含めて、みんなが通ってきた道。

一歩、一歩です、焦っても、焦らなくても、

自分のプロセスに任せましょう。

今日も一日、なんとか乗り切れますように。

また少しずつ年末に向けて、記事を更新していきます。





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