離婚に苦しむ人へ

今、苦しんでいるあなたに寄り添って。

生きるって大変ですね。

2012-05-29 22:00:31 | 日記
こんばんわ。

カウンセリングをしているといろいろな方々と出会います。

カウンセリングでは、当然ですが、
元気な話はほとんどありません。
悩みや、苦悩を聞かせていただくわけですが、
ほんとにみなさんが、それぞれに苦しんでいます。

うつに苦しむ人

リストカットが止められないひと

拒食症に過食症

PTSDやら、対人不安やら。。。

不安障害まで。。。

死別や離婚もありますね。

カウンセリングは魔法ではないので、

一瞬で改善することはほとんどありませんから
結局は、本人が自分の人生と向き合って生きていくしかないんですね。

どう決断し、選択して生きていくかは自分次第。

でも、ほんとうに辛いと思うのです。

頭ではわかっていても、どうしようもないということが
痛いほどよくわかるのです。

私は離婚して自分が辛いときに、

犯罪被害者の方の手記、特攻隊員の手記、

ガンや難病と闘う方の手記

いろいろなものを読みました。

比較するのは良いか悪いかは別として、

少なくとも、自分の状況を客観的に見るには役立ちました。

離婚の二文字で押しつぶされるような毎日だったとき、

子供と会えない苦しみで、絶望しかない日々において、

ある意味で、ただそれだけにすぎないという事実を知りました。気がつきました。

子供はまだ生きている。

元奥さんも生きている。

身体もあり、お金は調停費用やら、なんやらで底をついていて、
家賃が払えるのか毎月びくびくしていたけれど、何とか屋根の下で
まあ安いウイスキーくらいなら飲むくらいはできた。

安定剤は飲んだけど、半年で止められた。

私には、本を読むことができたことは一番の救いでした。
あらゆる本を読んだ。

本を読んでいる間だけは、辛い気分が忘れられた。

テレビはダメですね。頭が別のことを考えだすから。

離婚は極限までつらい、でも、ただそれだけに過ぎない。

死ぬわけじゃあない。そう思えた。

死ぬほど苦しんだけれど、絶望しかない毎日だったけど、
もっと耐えている人はいくらでもいると知った。

そして、気が付いたら、今の私は、死ぬことすらも恐れていない。
明日朝、目が覚めなくてもいいように、生きているつもりだ。

人生で辛いことなどこれからもあるだろう。
もっともっとあるだろう。

でも、所詮、死ぬ以外はすべてかすり傷。

かすり傷でないときは、死ぬとき。

それしかないのだ。

自分のやりたいように生きよう。そう思った瞬間があった。

他人と比較する人生をやめた。そのとき、気が楽になった。

では、今日はこの辺で。





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完全に忘れ去るってありません。

2012-05-28 01:00:00 | 日記
離婚でも、なんでもそうですが、

辛い経験を完全に忘れるということはありません。

時間の経過とともに、

すこしずつ、思い出したり、涙することが減るだけです。

でもそれには、とても長い時間が必要です。

一か月や二か月ではなく、

年単位が必要。

もちろん、新しいパートナーと出逢ったり、

何かに夢中になれば、

一時的には忘れていることもあるでしょう。

ただ人間の記憶とはすごいもので、

10年、20年前のことだって、断片的に思い出しますね。

だから、完全に忘れよう!!とか

完全に立ち直ろう!!とか

あんまりそう考えない方がいいのです。

悩んだり、辛い時間が以前と比べたら

少し減ったなーくらいに思っている方がベターです。

逆に、完全に忘れよう!!などと意気込むと

記憶は逆に強化されてしまいますし、

そうできない自分にいらだちが出たり、

落ちこむ原因にもなります。

そして最後は抑圧してしまいます。

抑圧はあくまで、圧力で感情を抑え込んでいるだけですから、

人間関係や、認知、いろいろな部分に知らないうちに歪みが生れてしまいます。

少しは記憶が風化したな。。。それくらいでちょうどいいのです。

そして、思い出して涙したりするときも

それはそれで、しょうがない。 そう思うことです。

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どう生きるのか?ひとつの在り方

2012-05-26 01:36:51 | 日記
私は離婚して辛かったとき、

また人生での苦難のとき、

手帳に貼っている当時出会ったこの詩を読み返す。

とても道徳的で、理想論かもしれない。

それでも、こう生きたいと思うし、

こう在りたいと思うのだ。

特に、8番目の言葉は、絶望の崖っぷちでもがいていたとき、

光明であり、期待であった。

まさに、以前書いたように不死鳥のように、何度でも立ち上がり、

再び、築く。

人生はそれしかない。

書籍も出ているから、より詳しい中身を理解したければ、

アマゾンあたりで、検索できるはずなので。

==================

逆説の十カ条

1. 人は不合理で、わからず屋で、わがままな存在だ。それでもなお、人を愛しなさい。

2. 何か良いことをすれば、隠された利己的な動機があるはずだと人に責められるだろう。それでもなお、良いことをしなさい。

3. 成功すれば、うその友達と本物の敵を得ることになる。それでもなお、成功しなさい。

4. 今日の善行は明日になれば忘れられてしまうだろう。それでもなお、良いことをしなさい。

5. 正直で素直なあり方はあなたを無防備にするだろう。それでもなお、正直で素直なあなたでいなさい。

6. 最大の考えをもった最も大きな男女は、最小の心をもった最も小さな男女によって撃ち落とされるかもしれない。
     それでもなお、大きな考えを持ちなさい。

7. 人は弱者をひいきにはするが、勝者の後にしかついていかない。それでもなお、弱者のために戦いなさい。

8. 何年もかけて築いたものが一夜にして崩れ去るかもしれない。それでもなお、築きあげなさい。

9. 人が本当に助けを必要としていても、実際に助けの手を差し伸べると攻撃されるかもしれない。それでもなお、人を助けなさい。

10. 世界のために最善を尽くしても、その見返りにひどい仕打ちを受けるかもしれない。
     それでもなお、世界のために最善を尽くしなさい。

ケント・M・キース
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逆境を超えた先にあるもの(2)

2012-05-23 23:10:09 | 日記
こんんばんわ。

新渡戸稲造のシリーズです。

「逆境を超えてゆく者へ」 新渡戸稲造 実業之日本社


さて、こんな文がある。

「人生はユリ根のようなもので、剥いでも、剥いでもまだ中があるようだ。
一枚でも多く剥いだ人は、それだけ人生を多く味わった人というべきだろう」

どうでしょうか?

まさに、苦悩は、味わいたくはないが、そういう状況なら覚悟を決めるしかない。

あなたが覚悟しようがしまいが、結果は同じで事実は変わらないのだから。

また、こんな文もあり、私は印象に残っている。

「中心に到達しなければ、人生は到底わからないものであるが、

途中まで剥いだ人はとかく中心まで剥いだかのように言う。

辛い経験をした人は人生の奥もまた辛いものであると早飲み込みをする。

今までこうであったからこうであろう、と判断するが、

必ずしも的を射ていない。・・・・(中略)


ましてや、自分が母親や子供を亡くしたという人生の辛さを二つ、三つ味わっただけで、

社会のすべてのことを判断するとしたら、それは健全な考えではない」


・・・・(中略)


自分ひとりの狭い小さな経験を基準にしてすべてを判断する。

これは逆境に陥ったものが大いに警戒しなければならないことである。

海の下にも都があるという信念を持つべきである。

群がる雲の影には、太陽が燦然と課外焼いているのだ」



どうでしょうか?


我々には、しょせんは自分の小さい経験からしか判断できない。

だかあ、絶望のとき、もう駄目だと考える。だれでもそうだ。

だが、例外など数えきれないほどあるのも、あなたにはわかるだろう?

もちろん、離婚は辛い経験だし、打ちのめされる。

それが半年は続く。

だが、それで人生のすべてがわかるわけでも、決定されたのでもない。

つぶれてしまえば、そこでゲームセットだ。

だが、わずかずつでも、いや立ち止まってでも、しがみついてでも

この苦難から振り落とされずに、踏ん張ることができたら、

また先も見えてくるのだ。

日々生活しているとほんとうに不思議だ。

昨日まで思いもよらないことが起きる。

まるで神の導きとでもいう出来事が起こる。

しかし、感性をオープンにしている私には

以前に同じことを感覚として感じていたことが今起こるだけである。

予知能力があるわけではない、

ある言葉にならない、予感というものがあるだけだ。確実でもなんでもない。

本当に偶然かもしれない。

だが、驚くべき、予想できないことが起こる。

それが自分にとって、良いことでも、悪いことでも。

そもそも、考えてみてほしい。

悪いことは突然起こるし、予期しないことが起こる。

離婚ひとつとってもそう思うでしょう?

では、どうして、良いことも、突然起こるし、予期しないことが起こる。

そう信じれないのであろうか?

確率は50%のはずである。

なぜか?

よーく考えてみてほしい。

答えはとても簡単だ。

あなたがそう信じ込んでいるだけである。

単なる、ネガティブな思い込みにすぎない。

そして、今日、今、あなたは生きている。

だが、あなたはもしかすると、昨夜、死ぬことになっていたかもしれない。

ただ、まさに「奇跡」によって助かったのかもしれない。

今、生きているわなたには、そのことがわからないだけかもしれない。

だから「奇跡」などないと言うだろう。

ほんとに、つくづく思う。 人生はわからないと。

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あなたが試練を乗り越えたら見える景色

2012-05-21 03:00:00 | 日記
さあ、いよいよです。

どんな景色でしょうね?

あなたが本当に試練を乗り越えたら、

そんな乗り越えた仲間が集まります。

乗り越えた人たちだけの世界が広がっています。

もちろん、一見すると同じように仕事をして、

同じように飲み会にいて、

同じようにセミナーを受けている。

でも、これはもう表現しようがありませんが、

目があった瞬間に、心の奥底で反響します。

話したら確実にわかります。

発する言葉は同じでも、重みが違います。

一緒にいると、それだけで癒されます。

なんだかとても安心します。

声を聴くだけでも、涙が出てくるときがあります。

特別、偉そうなことを言うわけでもなく、難しいことも言わない、

でもその言葉は真実だとわかるのです。

本や人から聞いた言葉ではなく、自らの苦難から得た、真実の言葉だとわかるのです。

そして、そのような精神性でつながった人たちは、

けして離れることはありません。

一度出逢えば、死ぬまで離れません。

結婚するとか、離婚するとか、恋愛とかそういうのとは違います。

一緒に住むとか、どうとかとも違います。

そもそも精神性でつながるのだから、物理的、社会的な要素などはじめから飛び越えているんです。

お互いに、これから何度でも経験するであろう苦難を

ともに乗り切ろうというキズナのようなものがあります。

だから、いつどこにいても安心しています。

安心しているから、心は穏やかです。

お互いに、一言、二言を話せば、その意味するところ、

相手が何を考えて、どういう言葉がほしいのかわかります。

何も、スピリチュアルや、テレパシーの話をしているのではありません。

人間に本来そなわっているまさに、心のゆらぎを見て取れるのです。


もし、あなたが無事、この試練を乗り越えたら、
そんな人たちが、不思議と周囲に集まります。

今は、まだ想像できないでしょうが、そうなります。

正確にいうと、実はもういるのです。あなたの会社にも近所にもサークルにも。

でもあなたには気づけないのです。乗り越えていないならば。

乗り越えた人たちは、一生懸命に手を伸ばしています。

でも。渦を眺めていたり、もぐれない人にはその手が見えません。

渦の中にもぐるのは、そう人生において、一瞬です。

離婚なら、一年も続きません。これを長いと思うか短いと思うかは自由ですが、

私はそんな景色があるなら、一年くらい耐えてみせよう!と思いました。

自分を引き上げてくれる手が見えた瞬間がありました。

越えたと思いました。

そして今、私の周囲には、そんな仲間が男女、年齢を問わずいます。

そう、それぞれの苦難を乗り越えてきた人たちが。サバイバーたちが。

お互いをそれぞれで最高に尊重して大切にしています。

そして、来たる次の試練に備えて、しっかりと結びついています。

面白いことに、会った瞬間に、一瞬で旧知の仲になります。

言葉は必要ない、今日、この場で出逢ったことが必然とでも言うかのような

当たり前の感覚。出逢うべくして出会ったという感覚でしょうか。

あなたもまだ、迷って、渦に飛び込めずに、眺めているなら、

飛び込みましょう。

失うものなど何一つない。

飛び込んだら何かを失うと思っているのは

眺めている人たちだけです。

乗り越えたら、手に入るものがたくさんあります。
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試練を乗り越えた人と乗り越えていない人との違いって?(2)

2012-05-20 05:01:44 | 日記
さて、前回のつづきです。

あなたは、絶望の渦から脱出しました。

今、渦を上から眺めています。

その横で、同じように眺めている人がいます。

でも彼らはまだ飛び込んでいない。

言葉が通じません。なぜでしょう?

正確には、単語は同じです。

「ありがとう」「感謝」「苦悩」「幸せ」「喜び」

「仕事」「子供」「生きる」・・・

お互いに誰でも言葉は知っている。

でも本質的に知らない。

なぜなら、乗り越えていないから。

乗り越えていない人の言葉は、薄っぺらい

魂がこもっていない。あたたかみがない。

だから、相手が苦悩している状況で

「つらいね、がんばっているね」 

そう声をかけても、乗り越えた人の言葉には

相手の心をゆさぶる力がある。それだけで涙が出る。

なぜなら、その言葉の本当の意味を自分で知っているから。

間違ったり、失敗したり、そんなときにかける言葉は

愛情に満ちています。

「そっかぁ。」 ただのそれだけの短い言葉で、相手の心をとらえます。

なぜなら、相手の気持ちを心から感じて発している言葉だから。


自分もかつては、渦に飛び込むのを恐れた、何度も逃げた。

がんばっても、がんばれなかったときがあった。

努力したけど間違ったときもあった、うまくいかないときもあった。

それでも、強い意志で渦に飛び込むこともできたし、

渦から脱出もできたことを体験として知っている。

でも飛び込むときも、渦の中から脱出するときも

独りではできなかった。支えて応援してくれた人がいた。

それはだれか??

かつては、自分たちも、渦に飛び込んで、苦悩し脱出を果たした先輩たち。

その人たちが、自分を導いてくれたと知っているから、

人のあたたかさを知っているから、自然とやさしくなれる。

人間の強さも弱さも、自らの体験として知っているから。

挫折や、苦悩や、絶望を自ら経験したから、

今苦しんでいるひと、もがいているひとのことがよくわかる。

かつては自分もそうだったから。

それが試練を乗り越えた人たちの視線です。世界の見え方です。

さて、次回はこのシリーズ最後。 乗り越えた先にある世界を少しだけ覗いてみましょう。

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試練を乗り越えた人と乗り越えてない人の違いって?(1)

2012-05-19 19:25:32 | 日記
こんばんわ。

さて、今日はコメントでご質問がありましたので、

こんな題名にしてみました、

乗り越えるライフイベントってたくさんありますが、

やはり、

死別、生別、障害、病気、リストラ、・・・

このあたりがけっこうきついんじゃあないでしょうか?

もっとも、私は「死」は身近であると思っていて
特に明日訪れても怖いとも、不安とも思いませんが。。。

障害を抱えて、がんばっている方はすごいと思います。
なぜなら、その辛さが継続するのですから。

急に現実的な話にすると、
「離婚」も辛い出来事のひとつ。
じゃあ、せっかくこのブログなんだから、
やっぱり「離婚」を題材にして説明しましょう。

世の中には「離婚」する人なんて数えきれないほどいます。
それぞれに「辛い」と感じると思います。

自分から去った人、相手が去ったひと、

あなたがどちらかということでもだいぶ違うでしょうし、
理由なんて、それぞれ。

さて、乗り越えた人と乗り越えてない人の違いについて話す前に、

そもそも、当人にとって、どれほどの難易度で乗り越える課題か?ということです。

死というものは、だれでも突然かつ、拒否権がないわけですが、
ある意味で課題としては平等です。もちろん、要因は違うのですが。

たとえば、浮気をして新しいパートナーと一緒に暮らし始めた後で
離婚したとしたら、あまりダメージ少ないですよね。
見かけ上は、ひとりではないんですから。孤独も感じませんよね。寂しくもないでしょう。

慰謝料をがっぽりもらって、お金の心配ない人も、
離婚した後の悩みのひとつは解決しているんです。

私がいう乗り越える試練というのは、

これまでの自分の価値観、生き方、そして、判断などでは
もう生きていくことが不可能であるという状況で、
自らが変化をせざるをえないようなことを言います。

もうまさに、人生のどん底です。

で、ここが人生の分かれ道。

さて、ここから、読みながら、イメージをふくらませてくださいね。

目先の欲求や、安易な誘惑に負けて、すぐに解決したがる人が多い。

ぐっと我慢です。

一時的に辛いときに、逃げるのはいいのです。
でも永遠に逃げるのはどうでしょうか?

体力も戻り、少しは癒しも進んだら、また戻るんです。

グルグルの渦に飛び込むんです。真っ黒で、すごいスピードで回転している渦が

あなたの足元に広がります。

あなたは、それを上から眺めています。

今、あなたがいる場所には、いろいろな誘惑があります。

新しいパートナーの候補、アルコール、仕事、ネット、ゲーム、薬。。。

飛び込むのは、誰でも怖いし、嫌です。

そこで、あなたは、もう一度飛び込めるかどうか?
飛び込んで、まだダメだーと思ったら、また一度逃げましょう。その繰り返しでもいい、
でも、何度でも飛び込み続けるんです。

だんだん、渦の中に長くいられるようになる。

渦の中から逃げるのではなく、脱出できる道があります。

それこそが、乗り越える道です。唯一のルートです。

でもそれは、渦から逃げて、上から見ている人には永遠に見えません。
そんな方法があることにすら気づけません。
目先の欲求にふけっている人たちには、乗り越えた先の景色など知る由もない。

渦に自らの意志で飛び込み、決死の覚悟で渦の中心へもがいてたどり着き、

さらに、目を見開いて、渦の中心でもぐる必要があります。

はじめは息もできないくらいかもしれません。

でもあるとき、ふと、楽に息ができ、呼吸している自分に気づきます。

あれっ?? 渦に飛び込んで、もぐって、苦しくて、苦しくて、

もう駄目だーって思って、ふと気づいたら、楽に呼吸している。

そんな感覚でしょうか。

よく見れば、自分も渦の上から眺めています。

すぐ横には、先ほどまで一緒に渦を眺めていた人が、いまだに飛び込めずに上から眺め続けている人がたくさん見えます。

あなたは、話しかけてみます、

でも、なぜか言葉が通じません。

相手もなぜだかわかりません。

そういう違いがあります。

次回は、どんな違いなのか?をご説明しようと思いますので

お楽しみに。

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逆境を超えた先にあるもの(1)

2012-05-19 09:10:53 | 日記
おはようございます。

みなさんもご存じでしょうね。

5000円札の新渡戸稲造。

新渡戸氏の本で

「逆境を越えてゆく者へ」 実業之日本社

なかなかよい本です。

硬派な内容ですが、真実でたしかにという内容です。

書いてあることに無駄が全然なく、表現含めてストレート。

特に、苦難にある人が陥りやすいワナが参考になりますね。

何回かはこの本から抜粋して書いてみようと思います。

では、さっそく

「逆境にあるものは心に傷を残しやすい」


人間は試練を乗り越えると、強くなります。

パーソナルパワーがつくんですね。

新渡戸さんは、こう言います。

「逆境を切り抜けるということは、人を鍛錬するから、
人物は非常にしっかりするのだが、性格的にのびのびしたところがなくなる。
つまり骨格はがっしりするのだが、ふっくらした肉付きがなくなる。
しっかりしているが、温かみがない。」

「たとえ逆境から心に傷を負っても、他人の行為を善意に解釈し、
親切を感じることを心がければ、傷は自然と癒え、同情の気持ちも持てるようになるだろう。」


あなたも経験している最中だと思いますが、
試練を越えることは、けして楽ではない。

私はカウンセラーであることもありますが、

日常で話していて、試練を超えた人とそうでない人はすぐにわかります。
物事の考え方が違うし、見ている世界が違います。
同じ空間に目の前にいるのに、まるで違う世界に住んでいるかのようなんですね。

試練を超えてきた人はその世界の見え方が共通していますから
これまたすぐにわかります。

ただあまりに強い衝撃に耐えてきているので、
下手をすると、つまり「性格がひねくれる」

すべてに無気力になり、人を恨み、妬み、

どうせ世界はこんなもんだとたかをくくりだす。

でもこれは他罰的な人が陥りやすいことです。

人生を引き受けるとは、そんなことではない。

試練を乗り越えたからこそ、人のやさしさにも気づき、
絶望を味わったからこそ、今あることは、その絶望よりも
少しでもマシ、そうそこに「あのときに比べれば、全然いい!!」そんな感覚。

あれだけ辛い状況にあった自分が

「まだ生きているではないか、呼吸もできる、食事もできる

 だれかと話したり、笑うこともできる。」

そんな感覚。

はじめは、いや当分の間は、離婚した後、

カップルを見たり、仲のよい夫婦をみたりすれば
寂しくもなり、悲しくもなり、
「なんだよ、幸せそうに!!」とか、「別れてしまえー!!」と、腹立たしくもあり、
そんなことが続きます。

以前も言いましたが、これはグリーフのプロセスとしても普通です。

多くの人は、何だか自分が嫌な人間になってしまった感覚になりますが、
けしてそうではない。多くの人が同じように感じるんです。
それはグリーフが癒されていないからであって、あなたの本質がそうなってしまったわけはない。
ただの反応です。

でも、自分の人生をこうだと引き受けた瞬間に、

自分は自分、他人は他人。

同じ人生を歩んではいない、生まれも死も違う。

自分は自分の自分だけの人生を歩んでいて、比較することは無意味だと知る。

その先に、他人へのやさしさは生まれてくる。

みんな自分の道を、わけのわからない人生を生きているんだと。もがいているんだと。

その意味では、あなたも、私も同じなんだと。



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川が流れはじめた瞬間を見逃すな

2012-05-17 22:19:17 | 日記
こんばんわ。

私がいつも言うことば。

「人生という川の流れに、身を任せてゆだねる」

離婚というライフイベントは

急流で滝壺に落ちたような、大きな岩にぶつかったような

そんな出来事かもしれません。

その後、浮かんできても、満身創痍、

そして、川の淀みに漂っていて、

まったく進まない、一進一退。

でも、あせらないでください。

多くの人がここであせります。

早く新しい恋人がほしい。

もう一度、再婚したい。

早く元気になって、軌道修正しよう。

でも、

人生という川には、休むときも淀むときも大切なんです。

その時間をどう過ごしたかで、残りの人生の質が決まります。

その時間に何を学び、成長したかは、

残りの人生で結果となって自分に返ってきます。

そのことに例外はないと思います。

ただ、下ばかり向いて、過去ばかり見ていると、

淀みから脱しつつあることにも気づけません。

たまには、自分の周囲にアンテナを張り巡らし、

ほんとに小さな、新しい息吹ともいえる変化の兆しを

探してみてください。

些細なことでいいのです。

今日は少し眠れたとか、

ご飯がおいしく感じれたとか、

電車でかわいい女の子がいたとか、そう思えたとか

少しだけ人を信頼できた とか、

とにかく、これまで、そう離婚した後は忘れかけていた感覚を

ひとつでもいいから、再発見してみようと探してみましょう。

今、あなたが見ている目線から10度だけ上に目線を動かしてみましょう。

そして、左右をゆっくり見てみましょう。

そこには、あなたが先ほど見ていない景色が目に映るかもしれません。

そうやって、ひとつずつ、あせらずにゆっくりと

変化の兆しを探しましょう。

そして、流れている場所が見つかったら、

その流れに乗れるようにその流れから目を離さないでいましょう。

そうやって、流れは見つけることもできますよ、

あなたがその気になりさえすれば。
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自分を認めることと、自分に甘いことは別

2012-05-14 22:12:43 | 日記
こんばんわ。

もちろん、賛否が分かれることかもしれませんが、

巷の、スピリチュアル本や、自己啓発本では

「あなた自身を認めてあげる」

「そのままでいい」

そんなフレーズが並びます。

もちろん、私も使います。

カウンセリングでも使います。

ただ、

題名のとおり、

自分を認めてあげることと、

自分に甘いことは別です。

自分を認めてあげるというのは、

自分の気にいったところも、気に入らないところも

ぜんぶ丸ごと自分なんだと認めること。

だからと言って、努力しなくていいとか、

変化しなくていいということではない。

もちろん、努力もしなくてもいいし、

変化もしなくても、それはあなたの選択だが、

そのままなだけである。

誰だか忘れたが有名な格言にあるように、

「同じことを繰り返して、違う結果を得ようとするのは

 どうかしているだろう」

言いたいことが伝わっているだろうか。

自分に甘い人間というのは、

たいていは、他罰的である。

自分に甘くするには、自分を否定的にみることもできない。

であれば、何か不都合があれば、

それは自分の外に理由がなければならない。

これを専門用語では、

「外的帰属」 という。

かといって、ネガティブなことを「内的帰属」つまり、自分のせいだと思い、

ポジティブなことを「外的帰属」、つまり、偶然だったとか、だれでもそうだとかいうように

自分以外に原因を求める傾向が強いと

抑うつになる要素がある。(ただし、100%なるということではない)

以前言ったように、

「自分に源泉」があれば、

ポジティブなことも、ネガティブなことも、すべては自分から始まるのである。

まず、傷ついた自分の心を穏やかにするために、

そして何よりも、自分のことを一番知っているのは自分なのだから、

一番身近な自分で自分を認めることで、心が癒されていく。

でも充分に癒されたならば、自らの手で選択していくことだ。

人生には流れがある。だからどうにもならないことも多い。

だからといって、すべてを放りだしてはどうしようもない。

ある意味で、選択することも、流れのうちの行動なのだ。

あなたは、感性を研ぎ澄ませ、小さいことを着実に選択することで

自分の流れにのっていくのだ。


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不死鳥のように

2012-05-12 23:06:32 | 日記
こんばんわ。

離婚というものは辛い。

とても辛い。

良き日を思い出せば、

何か、内臓でもえぐられたような

全身から、何かもぎとられるような

そんな想いも出てきそうです。

考えれば、考えるほど

思い出せば、思い出すほど

どうして人生は、こんなにも酷いのか

どうして神は、自分にここまでの試練を与えるのか

まさに、天を仰ぎたくなるような

そんな感じでしょうか。

でも、カウンセラーとなって、

多くの方の苦悩を聴かせていただくようになって、

ほんとうに、その話は現実であろうか??

と思わざるを得ないようなことをお聞きします。

この方(クライエント)は、どうして生き延びれてこれたのだろうか?

このように苦悩するのも

対人恐怖になるのも

何もかも、無理はない。

あなたが悪いわけではない。

そう叫びたくなるような、話をたくさん聞きます。

でも、私は信じています。

どんな苦悩があろうとも、

必ず立ち直ることができると。

私の尊敬する精神科医でさる

ご存じ、ビクトール・フランクル氏

悪名高き、ヒトラーのアウシュビッツでの大量虐殺から生還した

フランクルの生涯と、精神科医としての功績だけでなく、

まさに、人間の底力、そして2人目の奥様の愛の力、

そのすべてに、人間の可能性を感じているからです。

もう、あなたは「夜と霧」読んでますよね?(笑)

そして、もうひとつおすすめは、

「生きる意味」 諸冨 祥彦 

フランクルの言葉をわかりやすくまとめています。
私の宝物の一冊です。

ちなみに、諸冨先生は、現在、明治大学の教授ですが、

私もセミナーでお会いして、カウンセラーとしても尊敬しています。

ぜひ読んでいただきたい。自信のおすすめです。

どんな辛い状況でも

何度、人生の苦渋を味わっても、

必ず、甦る!!そう不死鳥のように、強く。

死ぬ以外は、すべてかすり傷。

まさにこの言葉のように、

全力で生き切った先に、死はある。

それでいい。

人は必ず死ぬ。

そこまでは、血へどを吐いてでも、

内臓をえぐられようとも、

どんなにプライドを傷つけられても

どんなに恥をうけても、

それでも再び、立ち上がり、生き切ろうではないか。

そして、私もあなたも2012年を生きる同志であり、

同時代を乗り切ろうとしている同志である。

もしかすると、このブログを通じての出会いではあるが、

過去の前世では出逢っているのかもしれない。そう思えば、これもまた出会いのひとつ。

このブログに集う人たちとともに、

乗り切ろうではないですか。

少なくとも、あなたはひとりではない。



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あなたの道は示される

2012-05-10 00:35:17 | 日記
こんばんわ。

どうも、宗教じみた題名です(笑)

ちなみに、私は無宗教にして、仏教、キリスト、・・・まで

多くを学んではいます。

で、今日はそんな話題ではないのですけれど。

今、離婚をしたあなたは、

これからどう生きるべきかを模索しているでしょう。

まして、私のブログを読んでくださっているということは、

その視点は必ずもっていると思います。

私がなぜカウンセラーとなったかをお話ししましょう。

実は、他人の話だと思うなかれ、

そこに、あなたへのヒントがありますよ。

どこでどう気づき、どう転換していくか。

人から同じ話を聞いても、自分の身に転換できる人と、やはり他人ごとの人がいます。

それをどう感じるかはあなた次第。

さて、私は昔からコミュニケーションは得意でした。

相手の表情、場の空気、いろんなことが瞬間的に肌で感じられる。

とにかく、人と接するのが好きでした。

中学、高校と女子の多い学校で思春期を過ごした私は、

女性の感覚を、通常の男性よりも強く感じとれるように成長しました。

そして、男女問わず、相手のパーソナルスペースに入り込むのは

自然と得意でした。自分でもわかりませんが他人からすると、ものすごく自然なようです。

で、ふつうに結婚して離婚。

私は、一方的に調停離婚の場に引きづり出されたのですが、

そこでは仏教の教えのとおり、執着を手放す訓練を受けました。

お金も、娘への愛情も、プライドも、価値観も、ありとあらやる執着を手放すしかありませんでした。

この一度目の離婚こそが、私のカウンセラーへの道を開きました。

当時は、夫婦でも数回カウンセリングを探していきました。

まったく力不足なカウンセラーでした。

あのとき、もう少し力のあるカウンセラーだったらと、何度も恨みましたし、後悔しました。

でも当時、自分にはそんな知識すらもありませんでした。

愛した人間が一瞬で変化する様子も体験しました。

両親とのけんかも耐えませんでした。

子供のときからのトラウマ的思いも両親にぶつけました。

そして、人間という存在、生きるということ、死ぬということを学びました。

二度目の離婚、相手は心理の勉強をした人でした。

でも彼女は、自分を見つめることができなかった。

相手を責めることと、事実を客観視することは違いますよ、念のため。

そうやって、自分の生きてきた得意なこと、苦手なこと

人生で起きた、辛い経験、すべてを統合して

混ぜてみて、その答えは、自分がカウンセラーとなり

多くの人の苦悩をサポートすること。

自分と出逢えてよかったと思えるようなカウンセラーとなること。

毎日のようにいただくメールカウンセリングの文面に

全力で返信して、少しでも心を支えられるとしたすばらしい。

そしてその道を示されているかのように、

道が見えてくる。

最高のカウンセリングだったと言って、知人を紹介してくださる方

また、話を聞いてほしいと言ってくださる方、

ご自分のFACEBOOKに寄稿してほしいと言ってくださる方

カウンセリングのプロジェクトをいっしょにしようとお誘いくださる方

本当に、自分の道がこれでいいのだと感じさせてくれる出来事が日々起こる。

そしてそれに応えていく。

あなたにも、この離婚が意味する道があるはず。

あなたが目を向けさえすれば、見えてきます。

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あなたの心に何を着飾っているの?

2012-05-07 22:12:03 | 日記
こんばんわ。

あなたが離婚して気づける

手放すものはたくさんあります。

物事の善悪の価値判断

世の中に絶対などないということ

世間の目

自分のプライド

お金

・・・

世間のほとんどの人が、仮面をかぶって生きています。

○○大学の私
○○高校の私

△△さんの家の長男の 私

□な会社の部長の 私

○○○なマンションに住む私

会社でも、家でも優秀な 私

みんなから憧れる存在の私

いつも元気な 私

いつも陽気な 私

真面目な 私

そんな、枠組みは、生まれた瞬間はなかったのに、

少なくとも意識していなかったはずなのに、

どうして、どこで成長する過程で身にまといはじめたのか、

自分を社会から守る手段だったのか

ほんとうの自分を周囲に知られないためなのか

弱い自分を隠すためか

性格の悪さを隠すためか

今よりもっとお金持ちになるためか

いい彼氏を見つけて、結婚するためか

知らないうちに、身に着けている。

でもね、

自分自身という存在はひとつしかないんですね。

どんなに背伸びしても、かっこつけて、おしゃれしても

ほんとの自分って、自分で無意識に知っています。

無理をするから、そのギャップで苦しくなる。

ある意味で自分で苦しんでいるようなもの。

これを機に、背伸びするのやめませんか?

いろいろなものを着込むのやめかせんか?

どんなに着込んでも、

心がわかる人間には見えてしまいます。

あなたはどういう人とこれから人生を生きていきたいですか?

あなたもそうならないと、出逢えません。

本来の自分でいて、それ以上でもそれ以下でもない、

それでいいんじゃないですか?

良いも悪いもない

だって、あなたはそれ以外ではないんですから。

ふと、私が混迷しているとき、

私の信頼するメンターがささやいてくれた言葉。


「優秀な会社員でなくても、

 優秀な部下でなくても、

 理想的な息子でなくても、

 優秀なカウンセラーでなくても

 たまにはいいんじゃない? 

 あなたはあなたなんだからって。」


そのとき、なぜか心が軽くなりました。

いつのまにか、何かを着込んでいたんだなと。

そう、あなたはあなた以外でありえず、

自分自身であればいい。
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時間を決めて考えよう

2012-05-07 05:00:00 | 日記
こんにちは。

日々、悩みが尽きないことだと思います。

でも、大切なことがあります。

毎日、毎日、

どうして。。。

なぜ。。。

どうしたら。。。

そうやって考えていると、

どんどん、どんどん 落ち込みます。

抑うつ という状態になってきます。

ですから、毎日、悩んだり、考えたりする時間を

決めてみませんか?

一日1時間は、もう思う存分に悩む、考えると決めましょう。

で、それ以外は、ちょっと辛いのだけれど、

とにかくなんとか、乗り切る。

こうやって時間を決めてしまうことで

はじめは難しいですが、

1時間も悩むようなことがなくなってきたりします。

もしくは、

そんなこと忘れていたりします。

じゃあ、どこでそういう時間にするか、

朝はあまりお勧めできません。

というのも、一日の仕事や活動に影響します。

朝はゆったりとリラックスに使ってほしい。

夜はとてもネガティブな思考になりやすく

孤独を感じやすいので、これもよくない。

夕方でも昼間でもいいのですが

できるだけ明るい時間にしましょう。

仕事がある人は定時以降にちょっとさぼって時間作りましょう。

で、カフェなどの少し、雑音や人がいる雰囲気の方がいい。

どうしても、考えたり、悩むと落ち込んでしまうので、

ひとりだと余計に辛い。

多少、他人でもいいので、人の感触があるほうがいい、

まあこれは、自由に決めてもいいので、

どこでもいいですけれどね。

そうやって、悩んだり、考える時間を決めてしまうことで、

自分の中に少しだけ区切りをつけて生活していくんですね。

けっこう効きますよ。
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認知を変えよう

2012-05-06 19:19:15 | 日記
こんにちは。

いつも言うように、

あなたが離婚で苦しんでいる今の状況は

あなたが特別異常だったり、弱いということではないのです。

誰でも寝れない、目が早く覚める、食欲がない、集中できない

ぼーっとしてしまう。。。

不安、悲しい、苦しい、絶望、むなしい。。。。

ぜーんぶ、離婚した多くの人が経験するものです。

ただ、その後には2とおりの経過があるんですね。

ひとつは、一時的、ひとそれぞれですが、数か月~1年くらいで

だいぶ改善して、もとのように元気になっていく方。

もうひとつは、どんどん悪化して、本当にうつ病になってしまう場合。

でも、大丈夫です。安心してください。

私のブログを読んでくださっているあなたは、

もとの元気なあなたに戻ります。

いつも言うように、これまで生きてきた価値観を一度見直して、

自分にとって、安全で良いと思う、あなたを幸せにしてくれる価値観は

そのままもっていればいい。

でも、これは自分を苦しめているな、手放した方がいいな、

そう思う価値観は捨てていい。

いや捨てることが必要と言い切りたい。 

本来、カウンセリングではここまで強くは言いませんけれど、

まあブログでは、ある意味、私の個人的な価値観も入れているのでご勘弁を。

で、離婚という出来事に対しての、認知 を変えていくのです。

自分がこれから離婚する前よりも、もっともっと良かったと思えるように

自分に起きた出来事に、あなた自身で意味、価値を与えていく作業です。

これはひとそれぞれ違います。

私は、カウンセラーとして、多くの方を苦しみから脱することができるように

サポートしていくことを選びました。

だから、離婚自体を望んだわけではないけれど、

結果としては、自分の生きる道を歩んでいると断言できます。

あなたにとって、大切な意味を与えてくださいね。

今すぐには無理でも、少しずつ見えてきますから安心して、

考えてみてくださいね。

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