離婚に苦しむ人へ

今、苦しんでいるあなたに寄り添って。

都内の景色

2020-01-30 00:00:01 | 日記
先日、用事があって、

日比谷のある商業ビルにいました。

大きな窓から、日比谷公園が見えました。

10年以上も前、当時は東京から電車で2時間以上の他県から、

仕事を休んで、霞ヶ関の家庭裁判所へ通いました。

気の遠くなるような内容や時間のなかで、記憶のないまま、上野駅で数時間彷徨ったこともありました。

弁護士と日比谷公園を歩いて帰ったこともありました。

絶望と虚無のなかで見ていた公園です。

ただ10年以上たてば、感情の伴わない記憶になっています。

もちろん良い記憶ではないけれども、悪夢がよみがえるようなものでもなく、

ただそこに、当時の私はいたのだという記憶です。

先日も書きましたが、当時、ぎりぎりの精神状態でも、

自分の生き方に悔いのない、恥じない、そんな自分が、この公園にはいたのだという確信です。

窓から公園を眺めていて、
使い古された言い回しですが、

当時の自分に、今の自分から、

「よく耐えたね。乗り切ったね。おつかれさま。
 あれからもいろいろあったし、楽ではなかったけど、
 なんとか、また自分を取り戻せたよ、ありがとう。」

そう伝えたいという想いが出てきました。

その時々で、全力で後悔しない生き方は、そのときにはわかりませんが、
後々、何年も経ってから、そのほんとうの意味がわかるように思います。

今日も一日、あなたを応援しています。




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何を基準にするか

2020-01-27 00:00:01 | 日記
おそらくこのブログを読んでくれている方は、
スマホかタブレット、パソコンなどを持っているだろうし、
その通信費だって払っているでしょう。

屋根のある生活だろうし、
最低限の食事ができるのではないだろうか。

先日、NHKドキュメンタリーで中国のマンホールチルドレンについてやっていた。
いろいろな事情で親と別れ、マンホールの中の地下で、着るものも食べるものもなく、
わずかな酒におぼれたり、表立っては言えないようなことをして日銭を稼いで
命をつないでいる子供たちがいる。見ていて、壮絶な人生だと感じました。

この日本だって、河川敷に行けはそういう方がたくさんいる。
理由はいろいろだが、以前も書いたように、私たちも紙一重だと気づいている人は少ない。

一方で、どこかの元社長さんのように1000億円を通帳記載するのをYOUTUBEに載せる人たちもいる。
億の保釈金を捨ててでも逃亡する人もいる。

だが、すべての人に共通するのは、最後は死であり、何も持っていけないということは明確。
死を前にしては、自分の生きてきた中身だけが残る。
周囲や自分自身をごまかして生きていても、最後のときに自分はごまかせない。

昔から、「おてんとうさまが見ている」なんて言葉が日本にはあるが、

結局のところ、ほんとうのところを知っているのは、自分であり、
おてんとうさまは、自分ではないだろうかとも、勝手な解釈ですが、思うのです。

離婚調停でどんなことを言おうとも、どれだけのお金を得ようとも、
周囲に対してどんなことを言っても、言われても、
自分の生き方だけは自分が一番知っているのではないだろうか。
その時々、または生涯ごまかして、何もなく生きてきたとしても、
その生き方を問われるのは最後ではないかとも思います。
もちろん、私もその最後を迎えていはいないのですから
あくまで想像ですが、そう思って生きているのです。

苦しい時間は、その時々を乗り越えるだけで精一杯ですから、
そんなことを考えることなんてできないと思います。
もし、その苦しみに少しの余裕ができたり、新たな一歩を踏み出そうとしているなら、
自分自身の在り方を一度考えてみる機会としては、最良のタイミングかもしれません。

今日もまた一歩ずつ歩んでいるのを応援しています。



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苦しみの数は無数にある

2020-01-22 00:00:01 | 日記
私はグリーフカウンセラーだが、

同じようにグリーフを学ぶ人たちとの交流もある。

そもそも、自分が幸せで、順風満帆な人生なら、

わざわざグリーフを学ぼうとする人の方が少ないのではないだろうか。

精神科医、カウンセラー、看護師、医者、葬儀などを仕事とする人には、

普通よりは多いかもしれない。

それでも、誰もが知っているわけでもなく、

グリーフについて無知な医療関係者やカウンセラーもたくさんいるのが現実だ。

学ぶ人たちの動機を聞けば、

やはりそこには、苦しみがあることが多い。

若くして伴侶を亡くしたり、子供を亡くしたり、

もちろん離婚もそうだし、震災経験もあるし、

とにかく、何かの大きな喪失体験をしていることが多い。

だからこそ、人生や生死をほんとうの意味で問い、答えを求め、

価値観を問われ、自らの心理的状況を知ろうとして学びだす。

私自身も、離婚後のあまりにケタ外れた苦しみと、理解できない虚無感、喪失感、

自己崩壊しそうな日々のなかで、その理由を必死に探していた。

誰も、それが悲嘆とかグリーフという言葉で、そして私の感情、状態が

そこに当然付随するものだとは教えてくれず、どうして悲嘆という言葉を知ったのか

思いつかないが、出会うことができて、まさに私は悲嘆にあり、グリーフの状態なのだと

知ることができたことが、救いのはじまりだった。

けして精神的におかしくなったのでもないし、何か自分が病気になったのでもない、

まさに自分が体験している状況そのものこそ、グリーフなのだと。

そこからは、手当たり次第に学びを深めた。自己理解のために。

知ることで、理解することで、少しでも心の支えになればと。

そこで気づくのは、苦しみはほんとうに人それぞれで、同じようではあっても

同じものはなく、その苦しみに対する対処も、立ち直り方も、それぞれなのである。

だから、このブログで私が書くことも、ひとつの例であるし、

コメントしてくれる人たちも同じである。

それと比べることも必要ない。

ほんとうの意味で自分という人間を知ることができる数すくない機会でもある。

うれしくはないが、望んでいたわけではないが、

この苦しみに直面した以上は、何を学び、気づけるかどうか。

こう言ってしまうと、気づけるかどうかという二択になりプレッシャーになることもある。

だから、決してそうではなく、私にとっては気づくことが救いになったということをお伝えしているだけで

いつも言うように、それが絶対ではない。

正解もないし、こうでないといけないということもない。

幸せなときには気づけない、順調なときには知ることすらできない

そんな人生の大切な数々の事実に気づける時間でもある。

何度も言うが、歓迎しない時間だし、しんどい時間で、早く過ぎ去ってほしいに決まっている。

だが、簡単には過ぎ去らないし、当分はかかかるかもしれない。

コメント欄でも2年、5年、7年と長い時間苦しんでいる方がたくさんいる。

実際に私もそれを経験した。

当時の私にもそれはわからなかったが、

人生の本当に大切な真実、物事に気づけたときから、苦しさが変化しだしたように思える。

それもゆっくりと、ゆっくりとだし、何度も言うが、当時はその変化に逐次気づけたわけではない。

今日も一日、あなたが耐えてきたことを想いながら、

これを書いています。

ではまた。

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大きな変化を急がない

2020-01-18 00:00:01 | 日記
苦しみの時間はつらい

体調が悪く、睡眠もできず、

食事もできない、

外出もできない

仕事もできない

そんな日々のなかで、何とかして以前の自分に戻りたい

せめて苦しみから解放されたい

そんな想いを抱えているかもしれません。

だけど、離婚の苦しみはけっこう長く続く、

誰もそんなこと教えてくれない、どうしたらいいのかも教えてくれない

周囲から言われるのは、本当の苦しさを知らないうわべだけのアドバイスと

道徳的な見本的な話ばかり。

でも経験した人は知っている、どれだけ苦しいのか、しんどいのか、

そこに簡単に答えもないし、どうにもならないことがあるのだと。

自分史上で最大の難関のひとつであるとも。

そうでなければ、これだけ多くの人が苦しんでいるはずがない。

精神的に弱いとか、打たれ弱いとか、人生経験が足りないとか

そんなことなら、どうしてこれだけの人、そして定年を超えたような人、

まだ20代の人、少なくとも人の子の親になるような人が

苦しんでいるのだろうか。

かすり傷程度なら、だれもこんなに苦しんでいない。

毎日のように芸能人の離婚の話が出ているが、

だれもその苦しみを語りはなしない。

ただ意外と海外のハリウッド俳優、女優の方が素直に告白している。

アルコール依存になったとか、メンタルがダウンして入院したとか。

日本では、そういうことは隠される。いや隠すしかない世間の中にいるから。

一足飛びに楽にはならないことが多いだろうし、

見た目には変化して、周囲とも話せるようになっても、

それでも独りのときには、落ち込むことも多い。

そんなことを周囲や他人から聞けることはまれだから、

ほんとうに苦しい人はわからない。

先日、韓国でアイドルが自殺したが、少し前まで元気そうに日本での活動をしていたのだから。

誰もほんとうの苦しみに気づいてあげれなかったのだから。

だから、焦らないでほしい。

あなたの家族が言うほど、友人が言うほど立ち直るのは早くはないし、

簡単に前を向けるほど楽でもない、

言わないだけで、多くの人が苦しんでいる。

いつも言うことだが、

ほんとうに、ゆっくりと、ゆっくりと、歩んでいくしかない。

今日もあなたを応援しています。







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5度上を向く

2020-01-14 00:00:01 | 日記
私が離婚して苦しかったとき、

会社の人や、知人はもとより、

見知らぬ街の人、電車の人、いろいろな人から

指さされているような感覚があった。

もちろん、そんなことはないし、

誰も他人のことに興味はないが、

自分自身の心の動きがそう感じさせていた。

もちろんそれは当時も知っていても、

それでも、なんとなく下を向いて、

できるだけ人と交わらず、顔を背けて、

他人と目を合わせることができなかった。

目を合わせると、自分の動揺や苦しみ、悲しみが読み取られるのではないかと

びくびくしながら、生活していた。

そんなとき、ちょっとだけ上を向いてみようと言われたことがあった。

瞼を上にでもよいし、イメージはあごをすこし上にあげるだけである。

意識的に、気づいたらそうする。

自然と目線は下向きになり、うつむき、目線をそらしているから、

ほんとうにわずかだけ上を向く。

くだらないと思うかもしれないし、意味ないと思うかもしれない。

実際にそれで何か変わるわけではない。

だが、苦しみのなかで、そんなわずかな、ほんの些細な前向きの行動が

いづれは大きくなっていくこともある。

1カ月前には食事ができなかったくらいに疲弊していて、

今は少しだけおいしいものが食べれるようになったとか、

朝、コーヒーを入れるだけはできるようになったとか、

お風呂でゆっくりすることだけはできるとか、

日々の生活のなかで、できないことが多く、落ち込み、自己嫌悪することも多いだろうけれど、

以前より何かひとつでも変化したら、良しとしたい。

もしほんとうに全く変化がなかったとしても、

この1カ月を過ごしてきたこと、耐えてきたことだけで

十分にすごいのだと気づいてほしい。

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軸を通す

2020-01-10 00:00:01 | 日記
元民放の男性アナウンサーが、

悪性腫瘍ということで、ブログやらツイッターでいろいろと

発言してくれています。

ほんとうは治療だけでも辛いし、それどころではないでしょう。

テレビに出ていた方だけに、イメージも大切でしょう。

でも、その方が言っていました。

自分はこれまでいろいろな人のプライベートも含めて

テレビで取材したり、見てきたのだから、

いざ自分の番になったときに、

プライベートを隠すのでは筋が通らないと。

他人のプライベートまで放送してきた自分としては、

自分のもさらけ出さないとポリシーに反すると。

だから、放射線で脱毛したり、

しんどいということも発言している。

びっくりするくらいプライベートなこと、ひとりの人間らしいことを。

これは、軸がないとできない。

仕事のポリシーとしてもそうですが、人間としての軸がないとなかなかできることではない。

ほんとうにすばらしい行動だし、尊敬できます。

以前読んで、紹介したかもしれませんが、

「離婚の品格」という書籍がありました。

やはり、苦しいしんどい、離婚だって、人としての在り方があるはずです。

またこのブログでもたびたび触れていますが、

幸せで順風満帆なときに、お金があって、仕事もあって、

健康なときに、ほんとうのところは見えません。

人間は追い詰められて、ぎりぎりの状況で

どう行動できるか、振舞えるか、そこが勝負です。

このブログを読んでいる方には、相手から想像を絶するような仕打ちを受けているかたもいるでしょう。

人間不信になるような出来事もあったでしょう。

私自身もそういう経験をしました。

そのときに、相手の本当の人としての本質が見えます。

少し上から目線にはなりますが、どの程度の人間なのか?本質的にどういう人間なのか?ということです。

極限の状況で、どういう言葉、行動となるか、

単に自己保身に走るか、情や思いやりがあるか、

すべてはその人の生き方、考え方、軸であり、

本質となるのではないでしょうか。

和だとかおもてなしだとか、気遣いとかいう世間が、

放射能の汚染された産業廃棄物の受け入れを全国の自治体が拒否しました。

復興だとか、なんだとか言いながらもです。

震災の2年後には、クリスマスも正月もなく、イルミネーションだらけで

節電ムードはなくなりました。

一方で、お金がなくとも、ボランティアとして活動する方や、支援してくれる方もたくさんいます。

本来、残念なことに人間とは利己主義ですが、

そんななかで、ぎりぎりの状況で、身を削ることができるのは

ほんとうにすごいことです。

そのどちらも人間的なのですから、どちらが良い悪いではなく、

人の本質を見抜いたうえで、右左ではなく、どちらかというと右なのか、左なのか

できるできないではなく、どちらに向きたいのか、

あなたはこの離婚という地獄のような苦しみ、悲しみのなかですら、

どう行動するのか、

自分の人生において、後悔ない生き方とはどうなのか、

損得ではなく、常識でもなく、自分の軸に反しないとはどういうことか、

離婚という苦しみのなかで、またそこから立ち直る過程のなかで、

ヴィクトール・フランクル的に言えば、人生からどう要請されていて、どう答えるのか?

そんなことに思えてくるのです。









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流れ

2020-01-07 00:00:01 | 日記
さて、今日は、「流れ」について書いていきます。

ブログをはじめから読んでくれている方は、

何度も読んだと思います。

私がいう「流れ」は「プロセス」という言葉ともほぼ同じです。

人生ではほんとうに何が起こるかわかりませんよね。

離婚はもちろん、災害も、病気も事故も

私たちは、一寸先も予測できません。

幸せな状況では、さもいろいろとコントロールできていて、

努力もきっと報われて、真面目に生きていくことで・・・・

でもそれは一部では正しいけれども、幻想というか、希望でしかない。

人生にはプロセスがあり、流れがあると私は信じています。

真実だとか、絶対だというつもりもないし、

考えたところで答えはでません。

神を信じるかどうかと似たようなことで、

この人生において、何を信じて生きたら生きやすいのか、そこが大切ではないでしょうか。

その存在を議論しても意味がありません。

他人がとやかく言うことではないでしょう。

この流れというものについて、どこまで深く考えているかは別にしても、

多くの人は感じているのではないでしょうか。

スポーツやら仕事やら、なんでも流れが良いとか、追い風だとか言います。

ただ私が言うのは、もう少し長期的なものです。

私はようやく、人生80年を折り返したくらいですが、

それでも学生時代からいくつものターニングポイントがありました。

そして、離婚もそうです。

だいぶ後になって、はっきりとターニングポイントだったのだと

わかるわけです。

私自身は、離婚がなければ、今の自分の在り方はないと思いますし、

当時は想像もできなかったけれども、当時の自分とはだいぶ違う、遠い場所まで

変化してきたとも思います。

この流れに気づくには、周囲の状況や自分の環境の変化を見逃さないことも大切ですが、

一番大切なのは、自分の内面と対話することです。

言葉にできないような、心のなかでわずかに存在するような

少しすると消えてしまうような、そんな小さな感覚に気づけるかどうか。

お天気の朝、ふとした瞬間に、心が軽いとか、

なんとなく部屋を整理しようとか、

本屋でふと雑誌の記事が気になったとか、

ほんとうにわずかな、気のせいか?と流してしまうようなものに

あなたが向かうべき流れのヒントがあるかもしれません。

そういうことに注意して生きていくと、

自然と丁寧な生き方になってきます。

そんななかで、ふと自分の流れ、プロセスに気づくことができるように思います。

苦しいなかで、なんでも最悪な方向しか見えず、絶望したり、虚しさに囚われるのは

誰もが同じですし、少しもおかしなことではなく、

ある意味で、正常な悲嘆(グリーフ)とも言えます。

悲しんだり、苦しんだり、泣いたりすることは悪いことではなく、

これもまた自分の内面に素直に応じればいいのです。

そんななかで、ふとした心の変化に、ゆっくりと目を向けて、

どんな感情も、物事も、否定せずに感じていきましょう。


















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コメントについて

2020-01-06 14:39:31 | 日記
みなさまへ

苦しみのなかで、同じような境遇の方々と
心の交流をしたい、
またみなさんのコメントを読んで、
癒されたり、慰められたり、
そんなお気持ちを大切にしたいと考えてます。

ただ残念なことに、
意図、無意図に関わらず
配慮にかけたコメントで、過去に嫌な想いをされた方もいました。

過去には、
多くの方は、優しさに満ちたやりとりをしていただいています。

また、悲嘆のプロセスにある方への言葉には
細心の注意と配慮が必要で、プロでも失言があるくらいに
難しいものです。

そんなかで、私自身も大変に残念ですが、やむを得ず、
相互コメントのやりとりは、自粛いただいています。

勿論、私や記事への質問は構いません。

コメントに救われることがあることは、理解していますが、
みなさまが安心、安全に、どんなことでも話せる場にしたいので、
ご理解、ご協力お願いします。
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身体を休める

2020-01-03 00:00:01 | 日記
苦しいなかで、

仕事をしている方が楽なときもあるかもしれない。

長期休みで、人と会話できないことが苦しいこともあるでしょう。

身体が重くて、人と会話するのが辛くて、

休みなら、まだ自分だけ相手にすればよいから楽と思うときもあるでしょう。

ただ、いづれにしても、あなたの身体は想像以上に疲労しているはず。

ストレスは相当なレベルだろうし、それに耐えているだけでも身体は疲労する。

まして眠れなかったり、酒を飲みすぎていたり、

とにかく、ダメージが大きいのではないだろうか。

以前も書いたが、いつもよりたくさんのお水を飲むことは大切で、

ストレスの強い状況では特に。

そして、この連休、あなたの身体だけはできるだけ休めてあげましょう。

眠れないからもしれないし、不安を抱えてそれどころではないこともあるでしょう。

ただ、できるだけ、身体をいたわってあげてほしいと思います。

自分で自分に優しくしてあげること、

もちろん、こんな状況では簡単ではないでしょうけれども、

それでもやはり優しく、丁寧に接していくことをお願いしたいと思います。
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何も変わらない

2020-01-01 00:00:01 | 日記
世間では、

正月気分で、テレビも街も大騒ぎですが、

苦しんでいる人間にとっては変わらない。

昨日の延長が今日だし、年が変わってもなんだろうと。

当時の苦しみの日々のなかで、この年末年始も、

私はテレビを見ていてもしんどいだけだったから、

ずっと海外の連続ドラマDVDを見ていた。

ただまあおいしいものとおいしいお酒は手に入れておいて

自分の気持ちをごまかしただけかもしれないけれども、

そうやって、正月を過ごしてきた。

除夜の鐘をきくこともなく、泥酔して寝た。

お世辞にも見本とは言えないが、多かれ少なかれ、

苦しいときは、誰でもそうではないだろうか。

ただ、ただ耐えていくだけ、それで十分。

今日もまた一歩ずつ。ゆっくりといきましょう。

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