離婚に苦しむ人へ

今、苦しんでいるあなたに寄り添って。

限りがある

2023-08-31 04:40:43 | 日記
人生100年時代と言われていますが、
健康寿命で考えれば、100歳まで何も心配ないくらい元気な方は多くはないでしょう。
そうなると、自分の人生というのも、すでに折り返しを過ぎています。

ユングは、「人生の午後」などと表現しましたが、
まさに人生には限りがあると思い知らされます。

みんな、生活のために、一生懸命仕事したり、家事をしたり、
老後のために、少しずつ貯金したり、やりたいことを我慢したりしています。
恵まれた環境でなければ、生活のための活動はせざるを得ません。
子育てがあれば、放り出すわけにもいきません。

ただ、何をあきらめていくのか、何に注力していくのか、
何を捨てて、何を拾うのか、本気で考えていく必要があると思っているこの頃です。
最低限のすべきことをしながらも、無駄な時間を過ごすわけにはいかないし、
一日、一日を全力で生きないと人生はすぐ終わってしまうとも感じます。

今、離婚の苦しみにある方は、それだけで日々が精一杯で、
感情の渦の中で必死だと思います。

ただ今苦しんでいる時間も、悲しみの時間も、相手への思いも、
すべて大切な時間です。

そんな時間が無駄だとは思いません。
悲しみから抜けるには、避けて通れない時間です。

私も最低でも3年くらいはボロボロでした。
はっきりと抜けられたと気づけたのは10年くらいかかったように思います。

そのうえで、悲しみから少しずつ立ちなおる中で、
自分が人生に求めるもの、求めるパートナー、そんなことを考えても良いかもしれません。

限りある自分の人生のなかで、自分の大切な時間を共有する人たち、
職場でも、友人でも、すべてにおいて、共有する価値ある人たち、場所なのかと。

全力で悲しみを駆け抜けたあとは、新しい人生と思って生きる。
私の実感として、離婚前と後では異なる人生を生きているかのように感じています。
価値観はもちろんのこと、友人関係も含めて、何もかも大きく異なっています。
それだけ離婚は苦しいし、悲しみの極致であって、人生へのインパクトが大きい。

だから、本気で人生の限りある時間を考える、考えざるをえない機会かもしれません。




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自分で判断する

2023-08-26 19:53:52 | 日記
最近、福島の原発処理水の話題があります。
首相は、政府で責任をもつと言ってますし、科学的にも問題ないと言います。
私も科学を学んだ人間なので、理屈はわかります。

ただ人々の感情とは違うという点もわかります。

いずれにしても、将来に何か問題が起きても、今の首相はおそらくこの世にはいないでしょう。
会社のロードマップも2030年、2050年という絵をかきますが、
今の経営陣の誰一人として退職しているし、もしくは生きてはいないでしょう。

人生は自分で決めるしかありません、

離婚して苦しみにあったとしても、

結婚して幸せでも、

子供がいても、いなくても、

生きる死ぬという点では些細な点ともいえるかもしれません。

今のすばらしい最新医療では、脳卒中か、心筋梗塞か、癌のいずれかで、みんな亡くなります。

先日保険会社の人から、最近は癌ですぐには死なないので、
病気と共存して働くための保険が必要だと言われました。
死んだあとの生命保険よりも、病気を抱えながら、生活する資金が必要だと。

平均して5回くらい癌になるそうです。

定年も65歳になったところもあります。

要するに、生涯、現役で働きながら、病気とも共存しながら、

人生を生きていくことが現実になりました。

大げさに言えば、仕事をリタイアするころには、死ぬ時期となるかもしれません。

そんな世の中で、様々なことを決めるのは自分でしなければいけないと思うのです。

誰も判断できません。

あなたの人生を決めるのは、自分しかいません、

その人生を生きて、終えるのは自分でしかない。

これは私の、しかも、20年を経た意見という前提ですが、

離婚で人生を棒に振る時間はない、

自分から離れた人を恨んだり、憎んだり、追いかけたりする時間はない、

この人生で私がすべきことは、他にたくさんあって、

楽しみも幸せもある。

結婚も離婚も、紙一枚のイベントにすぎないと感じます。

法的にとか、書類的にではなく、

一緒にいたい人と人生が歩めれば良いのではないでしょうか。
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想像力がない人たち

2023-08-22 07:00:00 | 日記
今、幸せを感じている人たちの多くは、

悲しみや苦しみのなかでもがいている人のことを想像できない。

以前にも書いたが、

子育中や育休中の若い人たち(男女ともに)が、楽しそうにおしゃべりしている風景は

どこでもよく見る。もちろん悪気はないし、楽しい時間だろう。

職場でも、飲み会でもよくある風景は、本人たちは幸せなのだから気づいていない。

全くの他人がいるカフェや電車、良く知っている仲だけの話なら良いが、

少なくとも同僚やたくさんの友人たちが周囲にいるならどうだろうか。

結婚していても、不妊治療している方や、ご家族で苦悩していたり、

どんな状況にいるかわからないなかで、周囲に配慮が足りないし、

想像力が足りない。

その場のコミュニティーから逃げるわけにもいかないから、愛想笑いで黙って聞くしかない人が

少なかれいることに気づかない。

一方で、人生のどこかで徹底的に苦悩したり、悲しんだことを経験した人は、

そんな苦しんでいる人が目線や空気で何となくわかるようになる。

だからものすごく本質的に優しいし、男女であれば心許せる相手になるかもしれない。

今、あなたが苦しんでいるなら、これまでとは違ったそんな人になれるかもしれない。

人を憎み、恨み、怒りだけで生きていくこともできるし、

ほんとうのやさしさや、思いやりをもった人になることもできる。

悲しみや苦しみにある人に寄り添える人になることができる。

離婚という人生のなかでもとてもつらい経験をしたあなたが、

これから先、どういう生き方をするのか、

もし、相手が圧倒的に悪い、どう考えても理不尽だと感じるなら、

そんな相手と同じような人間になるのか、生き方をするのか、

どういう人間になるのか、それを決めるのはあなた自身。

もちろん人生の正解はないけれども、

きっとあなたの心のなかには、あなたなりの答えはあるのではないでしょうか。

ゆっくりとでいい、歩んでいきましょう。




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未来はわからない

2023-08-19 07:30:12 | 日記
先日もコメントで拝見しましたが、

離婚で、子供と会えない苦しみを伝えてくれる方がたくさんおられます。

相手は他人ですが、子供は親子なのですから当然です。

私も20年近く一度も会っていません。

だいぶブログの初期のころ書いていますが、

仕事から帰ったとき、もう家はもぬけの殻だったし、

調停中も一度も子供の声すら聞けなかった。

自分の最も大切なものを一瞬で奪われた気持ちは、

経験していない人には想像すらできないかもしれません。

だからこそ、拉致問題や、事故や災害のニュースを見るとほんとうにつらいです。

当時は私もほんとうにボロボロで、人生そのものがどうでもよく感じられたし、

将来のことなどまったく想像できなかった。

ただ毎日、毎日、何年もかけて、ひとつずつ、ひとつずつ、

やれることをやって、少しずつ楽しみも増やしながら、そして20年が経ちました。

当時を忘れることはないし、相手があまりにひどい人間性と思うけれども、

それ以上でもそれ以下でもありません。

もはや自分の人生とは関係のないところにいるように感じます。

決して心の中からなくなることはないけれども、

自分の人生は20年進み、今は今で楽しみも幸せもあって、

相手とも子供とも違う人生のレールを歩み、むなしさや悲しみを感じることはあっても、

それはそれとして、自分の人生をこれからも生きていく。そんな感じでしょうか。

今、あなたが苦しんでいるとしても、10年、15年と人生を歩むなかで

想いは変化していきます。その都度、想えばいいのです。

どんな想いが正解なんてありません。

あなたが想うように想えばいいのです。

今、自分はこんなふうに感じているんだな。それだけです。

幸せだな、楽しいな、ちょっと苦しいな、悲しいな、むなしいな。。

賛成も否定も必要ないんです。

人生はそうやって進んでいくように思います。





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人生は続きます

2023-08-14 14:10:56 | 日記
とても久しぶりに更新となりました。
ご心配をおかけしておりましが、
ゆっくりと記事をかけるゆとりがなかったということで、
時間が過ぎていました。

先日、何かで「結婚」すれば「孤独」にならないのか。
そんな問いかけの記事を目にしました。

結婚できたときは、これで一人で生きていかなくて良いとか
毎日幸せだと思う人も多いし、実際ある程度はその時間があるのかもしれません。

ただ、結婚するということは、人生の最後で3つしか可能性がないことも意味しています。

離婚するか、相方が先に死ぬか、自分が先に死ぬか です。
もちろん、子供がいるいないも影響はありますが、大きく3つです。

離婚しなくても、結局は最後は一人で死に向かいます。
誰も代わることができません。

生涯未婚率が増加し、離婚率も増加しているなかで、
結婚することが幸せの唯一の答えではなくなっています。

どちらが良いとか、幸せだとか議論しても意味がないので、
お伝えしたいことは、結婚するとか、離婚するということは、
自分の人生の幸福を決める要素ではあるけど、絶対的なものでもないということ。

離婚したといっても、再婚しても良いし、パートナーがいても良いし、
ひとり生活を楽しんでも良い。
ひとつ屋根の下 というのも、この時代当たり前ではありませんね。
10年以上も単身付近していたり、週末婚や、親の介護などで別居していたりとそれぞれです。

離婚調停の担当弁護士に当時言われたことが、今だとよくわかります。
私の「失ってしまった・・・・」そんな意気消沈している言葉に対して、

「結婚して、得たと思っていたものが、ほんとうは得ていなかったのかもしれない。。。。」

離婚の理由は人それぞれですが、人生の最後まで歩む相手ではなかったということだし、
その結婚によって、ほんとうに「幸せを得ていた」のなら、
どんなに喧嘩をしても、意見の相違があっても、
離婚には至らないのではないかとも思えてきます。

苦しみと悲しみのなかで、寂しさ、悲しみ、憎しみ、恨み、怒り、

何ともいえない、自分でもわからない思いのなかで生活していると思います。

ただ、すべての可能性が閉ざされたわけでもなく、ずっと幸せになれないわけでもなく、
離婚という事実はありますが、その先の道はずっと続いているのだと信じてほしいと思います。
離婚してそろそろ20年近くなりますが、
単なる人生の一部であって、影響は受けたけれども、
それがすべてではないとはっきりと感じます。

今日のあなたが、ゆっくりと眠れますように。
また記事書きますね。

コメント (2)
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