離婚に苦しむ人へ

今、苦しんでいるあなたに寄り添って。

人の本質が問われる

2014-01-30 20:31:27 | 日記
離婚したときに、

協議でも、調停でも、裁判でも、

どんなときでも、その人の本質が問われます。

たしかに世の中は、お金が必要です。

お互いに反省すべきこともあります。

ただ、人として、その道義、道に反することは

いかがでしょうか?

相手に対抗するには致し方ないこともあります。

それはそれで現実的な対処ですから、悪くはありません。

いや、しっかりと対処すべきでしょう。

ただ、どんなときでも、

あなたが人としての尊厳や、自分としての尊厳、

誰に恥じることもないような、確固たる信念が必要です。

世の中には、生れたときから衣食住に不自由したり、

先天的な障害に苦労されたり、

リストラや、病気、災害。。。

言い出せばきりがありません。

だからと言って、犯罪をして良いということにはならないし、

努力しない言い訳にもなりません。

心を清らかに、信念をもって生きるかどうかは

その人の決断でしかありません。

相手がそれだけの酷い、あまりに反人道的とも言えるような態度ならば、

それに反応し、関われば、あなた自身も同じレベルということです。

だれも小学生が悪ふざけや、誹謗中傷しても、

たとえ石を投げられても、、、

まともに喧嘩はしないでしょう?まともに言い争いはしないでしょう?

成熟した、自立した人間なら

それなりの対処ができるものです。

同じことです。

どんなに良い会社でも、お金があっても、地位が高くても、

どんなステータスがあろうとも、

結局は、一番過酷な状況、たとえば、離婚、病気、破産。。。

そんな状況で、どんな態度で居られるか?

それがその人の本質的な人間力です。

悲しんではいけないとか、そういうことではありませんよ。もちろん。

人としての道を歩むということです。

酷い相手というのは、

教養もなければ、未成熟で、幼いのです。

たいていは、その親もそうなのです。

だけれども、他人は変えられませんし、その必要もありません。

あなたがどう生きるかだけが問題なのです。

いつも紹介している

ヴィクトール・フランクル(心理学者)は言います。

ナチスの強制収容所のような過酷な状況下、
一時間後の命すらわからない、他人を押しのけてでも生き延びなければ
ならないような環境でも、

ひとつのパンを分けることができる人もいるのです。

自分の命を顧みずに、倒れた仲間を助ける人もいるのです。

「どんな状況でも、自分の心の中までは、
 誰も支配することはできないのです。
 どんな態度を取るかは、自分自身が決められるのです。」

フランクルの提唱したロゴセラピーでは、「態度価値」 と呼びます。

自分が死ぬときに、恥じないような態度でいたいものです。


薬は対処ですが、必要なこともあるのです

2014-01-25 20:04:31 | 日記
離婚によって、

グリーフ(悲嘆)という状態にあるとき、

睡眠不足、食欲不振、過食、頭痛、

腰痛、肩こり、心臓が痛い、胃痛、下痢、血尿、過度の疲労、・・・

もう自分の身体がどうかなってしまったかのような。。。

まるで重病になったのではないかと思えるような

そんな症状に苦しみます。

心の傷や痛みだけではなく、

身体症状として現れるのです。

その一方で、

あまりに悩み、苦しみ。。

離婚による生活の乱れなどにより、

実際に内臓を壊すこともあります。

実際に、妻と死別した男性の3年以内の

心筋梗塞による死亡率が明らかに高いというデータもあります。

極度の心労などから、身体に負担がかかっているのです。

グリーフが癒されていくには、

まずは、身体が整っていくことが先です。

心よりも先に身体が整うことです。

日常生活でも、太り過ぎたり、生活が乱れたり、

身体に不安があると、なかなか心が付いていかないですよね。

睡眠を十分とることは難しくても、
最低限とらないと、身体に影響しますし、

食事も同じです。

今は昔のように、一度飲みだしたら、止められないような薬は
すぐに処方されませんから安心してください。

まずは生活リズムを整えることを重点にしてください。

もちろん、しんどい状況で動けないこともあるでしょうが、

陽の光に当たるということも大切です。

自然の中や、静かな公園、河原でゆっくり日光浴できたら一番いい。

ただでさえ、引きこもりがちになりますから、
本格的に鬱病になることもあります。

素人判断はリスクになります。

今は、心療内科でも、臨床心理士が付随しているところがあります。
診察を受ければ、予約が必要ですがカウンセリングもできます。
血液検査もしてくれます。
離婚したことを話して、そして自分以外の人に
自分の状態を客観的に見てもらうことは、
自分自身を守るために大切です。

お金も多少はかかるので、しんどいですが、背に腹は代えられません。

個人のカウンセラーなら、最寄の駅まで来てくれる方もいます。
地域で検索してみてください。

ただ。。。どうしてもタイムリーに心の想いを吐き出せる場所が
なかなかないのも現状です。
そんなときは、ここにコメントしてください。
毎日、一時間と開けずに、多くの人が閲覧しています。
そしてその多くは、同じような苦しみの中にいる人たち。
夜中でも早朝でもいつでもいいのですから。

そして、薬では、この悲しみ、苦しみも、、、

離婚の問題も、治すことはできません。

だけれども。。。 対処として、その場を何とか切り抜けるために

睡眠導入剤や、抗不安薬などを飲むことは悪いことではないのです。

アルコールを飲みすぎるより、よほど良い。

何回か伝えていますが、意識的に、
水をたくさん飲んで下さい。お茶や珈琲ではなく、水かスポーツドリンクです。
あまり知られていませんが、
グリーフの状態では、脱水気味のときがありますから。

ぜひ、自身の身体を整えることを意識してほしいのです。

ただでさえ、心がついていかないのですから、

意識せずにはできないのですから。



今は、決断しないという決断

2014-01-23 00:01:00 | 日記
離婚してほんとうにしんどいとき、

それぞれがそれぞれの方法で

何とかやり過ごし、

もがきながらも、

毎日をおくっているだろう。

そんな中でも

離婚に関すること

仕事に関すること

自分のこと、

いろいろな判断を必要とする場面もあるだろう。

全く動けないときはどうしようもないが、

少しだけ動けるようになると、

当の本人は、冷静さを保とうとし、

客観的に状況を分析し、考える。

まともな判断ができていると考えている。

そして、物事を整理したいから

できるだけ片づけたいという想いもある。

ただ、この時期は、記憶があるようで、曖昧だったり、

何年も経過して考えてみると、

どうしてあんな判断をしたのか?と思えるようなことが

たくさん出てくる。

取り返しがつくようなことならいいし、

大きなことでないならいい。

でも、

人生を左右するような判断は、すぐにはしないほうがいい。

そして、少なくとも、今の自分よりは客観的に見れる

親や兄弟、親友の意見も素直に聞いてほしい。

死別体験の直後に、よく遺品整理をする傾向があるが、

あれはやめた方がいいとアドバイスしている。

そのときは、周囲の家族も、自分自身でも、見ると思いだし
辛いものだから、捨てたがる。

この時期は、とても記憶があいまいだ。

だから、あとで後悔することがよくある。

それが罪悪感につながることもある。

だから、できるだけ後回しにするほうがいい。

離婚したときも、いろいろなものを捨てる必要があるだろうが、
最低限のものは、箱詰めにしてとっておこう。
いつか冷静に見れるときもある。

そして、一番意識してほしいのは、「流れ」である。

無理に何かをしてはいけない。
気が進まないのに、周囲が言うからとかの理由でしてはいけない。

離婚の辛さ、悲しみの癒しのプロセスにおいて、
自分自身が今だと感じたときに、しよう。

転居も、整理も、携帯変えるのも、転職も全部そう。

「ああ、自分にとって、これをするのは今ではない・・・」

「今なら、動ける、今がそのときなのだ・・・」

よく、「機が熟した」という言葉あるように、

まさに、流れを意識しよう。

そうすることで、自分自身の肩の力も緩み、

リラックスできる。

決断をしないという決断も、大切なことである。




手放すアイテム

2014-01-20 00:01:00 | 日記
こんばんわ。

私がいつも言う、手放すということ。

そしていつも言いますが、

簡単ではないというか、難易度は相当に高い。。。

完全にはできない。

「手放す」 以外にも

あなたがこれまで学んできて、

自分で日頃、気を配ることはたくさんあるでしょう。

私でいえば、

・人生のミッション

・行動の指針

・苦しいときの救いの言葉

・・・・

手帳に入れて、迷いがあると見るようにしている。

そして、

「手放す」 この超難易度の手段は、

ある意味で最終選択に近い。

もう努力して、あがいて、もがいて、、、

逃げて、誤魔化して、、、

それでも、どうにもならないこと

そこまで徹底的に抵抗しつつ、

「ああ、これは手放すときが来たのだ。。。」

「どんなに苦しくても、どうにもならないのだ。。。」

「そして、こんなときは、手放すことで、
私にとって、ベストなところに導かれるのだ。」

「これは、もう、、、手放すようにという、神からのサインなのだ。。。」

そんな風に感じることがある。

そんなとき、

本物のロザリオ(十字架のネックレス)を額に当てて、祈る。

自分自身が離婚して苦しみに耐えていたとき、

都心にある、由緒ある教会で購入したものである。

アクセサリーではない。

一時期はクリスチャンでもないのに、
密にずっと身に着けていたものだ。

まあ要するに、お守りである。

そのときの苦しみを想い出し、耐えた自分を想い出し、

手放すことで導かれたことを想い出し、

自分自身が、直面している問題に、

神の、宇宙の、人智を超えたものからの導きがあるように祈る。

神や、宇宙と聞くと、日本人では抵抗を示すかもしれないが、
あなたにとって、祈れる対象なら何でもいい。

私は、「人智を超えた存在」という表現が好きだが。

カウンセリングや心理学でも、決して否定していない存在だ。

偉大な心理学者や、科学者など、真実を求めた者たちが

認めたものなのだ。明確に書籍にも記載されている。

そもそも、科学者でさえ、

みんなキリスト教や、ユダヤ教徒でもあるのだから、当然といえば当然だが。

アメリカ大統領でさえ、就任式ではバイブルに手を置くのだ。

あなたにとって、祈りを導くようなものを何か用意してみてはどうだろうか。

できるだけ本物、自分にとって意味あるものがいい。

そしていつも身に着けたり、持ち歩けるくらいのものがいい。

祈ったからといって、神はすぐには答えをくれないこともあるし、

想いどおりというわけにもいかないこともある。

神も仏もいるもんか!! と想い、神を恨むこともあるはずだ。

そんなに都合よい存在ではないのだろう。。。

だが、これはほんとうに、、、カウンセラーとしての発言としては

やや不適切に想うが、、

一個人として、ほんとうの意味で、祈り、手放せたとき、

滞りは流れ出し、

いずれ「人智を超えた存在」からの導きやサインが届く。

おそらく、肩の力を抜き、身をゆだねることで、

大きな視点がもたらされるからかもしれない。

理由や理屈は不要であって、

結果があれば十分だと思うのだ。

多くの人は、自分の力で生きているように錯覚している。

周囲でも、そういう人はたくさんいる。

だが、離婚を経験したあなたは、

自分でできることなど、限りあることを知っているはずだ。

そして、まさに、自分の手を離れて、物事が転がっていくことも
経験しているはずだ。

まるで、神の戯れかと思うようなこともだ。

人間はそんなに強い存在ではない、

独りで苦悩に対峙するには、どうにも心細い。

だから、手放すしかないときこそ、

祈ることは力になる。

いや、正確には、祈るしかもう残されていないというべきか。。。





考えるのは自由なんです

2014-01-18 00:01:00 | 日記
離婚して辛いときに、

毎日、そのことに苦しんでいると思います。

別居中、調停中、裁判中。。。

終わりの見えない苦しみの期間が続く。

気持ちの整理がつかなくて当然ですよね。

たとえば調停なら一か月か二か月にたったの1時間程度。

それ以外は、まさに生殺しのような精神状態となる。
焦っても、悩んでもどうしようもない役所仕事。

あるとき、こんなことを教えてくれた人がいました。

1千万円以上の親の借金を返すために、
期日には、サラ金に追われ、拳銃を突きつけられたこともあったという。
でも10年かけて返した。

期日の数日前は、あちこちからお金をかき集める日々。。。

でもそれ以外の日は、楽しく過ごすことに決めたそうだ。
返済の数日以外に、苦しむ必要などないのだと気が付いたのだそうだ。

だからこそ、その人は、10年もの返済の苦悩に耐えられた。

苦しむ日は、徹底的に苦しむしかない。そして耐えるしか方法がない。
しかし、一か月のそれ以外の日にち全てを、人生を、
台無しにする必要はない。

苦しむ日にち、悩む日にちを自分で決める。
これはあなたの自由にできることだ。

一日のうちで一時間だけ絶望的に苦しむことに決める。
でもそれ以外は、楽しく、明るくとはいかなくても、
なんとかしてみる。新しいことに少しでも目を向けてみる。

多くの人は、
苦しむことも、苦しまないことも、
実は自分自身で決定できるし、
実は自分自身で決めているということを知らない。

もし自分が被害者意識のみで、被害者の役割に徹するなら
苦しむのは相手のせいかもしれない。たしかに一部の真実でもある。
しかし、あなたの人生の決定権は、あなたにしかない。

苦しいかもしれないが、

「絶望的に苦しいとき、
苦しむことを自分で決めているのだ。」

そうやって、仮に主体を自分にもってきてみると、
少し違う視点がもてるかもしれない。

人生の主体を自分に取り戻す。

私の好きな言葉がある。
苦しいとき、ふとつぶやく。

「明日のことは、明日の自分にお任せ」

キリストの言葉が元かもしれない。。。忘れてしまったというか
完全に自分のものとしてしまった、

今日の自分は、今日のことで精いっぱい、今日の苦難で十分だ。

明日のことまで苦しんだり、悩んだりする余裕なんてない。

明日のことは、明日の自分が何とかするだろう。

毎日、自分自身で明日の自分にバトンタッチするのだ。

毎日たしかに苦しい。絶望を感じる。
しょうがない。どうにもできない。

そこから抜け出すには、あなたにとって適した時期に、
ちょっとだけあなたの努力がいるかもしれない。

その時期は、あなたが自然にわかるようになるはずだ。

耐え抜こう。

大丈夫、必ず、抜け出せる。


苦しみの本当

2014-01-16 00:01:00 | 日記
離婚で苦しんでいるあなたは、

絶望の底にいるかもしれない。

そして、もうどうでもいいとすら思っているかもしれない。

どうしたらこの苦しみから解放されるのか

それだけが毎日の関心事かもしれない。

だが、いつもいうのだが、

特効薬はない。

苦しみから逃れるために、

私自身もたくさんのことをしてきた。

そして、たくさんの先人の智慧も学んだ。

安易なスピリチュアルな考え方でさえも、
救われた。

アルコールを泥酔するまで飲んだ。

抗不安薬も飲んだ。

寂しさを紛らわすために、休日は全て活動した。

スポーツジムにも通ったし、大学も入学した。

キリスト教や、仏教の教えに救いを求めた。

だが、どんなことをしてもそれは一時的。
その場を何とかやり過ごすための方法。
それはそれで大切だから、合法なことは何でもすればいい。

藁でもすがればいい。

先日亡くなった、淡路恵子さんが

「苦しいとき、藁にもすがるけど、
藁はやっぱり藁で、いずれ沈む」

と言っていた。

苦しみから逃れることなどできない。

それが学びだと思おうが、罰だと考えようが。。。

これは、悲報に想うかもしれないが、
ある意味で朗報でもある。

どんなに強くとも、どんなにお金持ちでも

苦しみから逃れることなどできないという、

ある意味で平等の真実だ。

そして、あらゆる先人の智慧は教えてくれる。

「苦しみをまっすぐに見つめて、向き合えと。」

すぐにできるはずもない。

タイミングもあるから、焦らないように。

結局、この苦しみを超えたところにしか、

向き合ったところにしか、

逃れる道はないのかもしれない。

「一度、苦しみから逃げると、癖になる。」

そして、同じ苦しみは、あなたが克服するまで繰り返される。

カウンセラーとしてではなく、

一個人として、

「苦しみから逃げてはならない。」 そう確信している。

だから、私も苦しいとき、

逃げないと決めた。

出来る限りのあがきをして、最後は神に託す。

はじめから手放すことなど出来ない。

だから自分でできるだけのことはする。

そして最後は、手を放す。

苦しいけれど、しょうがないとあきらめる。


悲しみを否定しない

2014-01-14 00:01:00 | 日記
こんばんわ。

世の中では、

死別でも、離別でも、

別れの時間は限られている。

葬儀は、決まった方法で進みますし、

離婚なら、協議にしろ、調停にしろ

これまた決まった方法で進む。

離婚を言い出した当人ならまだしも、

言いだされた方は、

心の準備もないまま、ある日突然、

決まったレールに乗せられていく。。。

死別でさえも、一週間程度も猶予があれば
会社員なら良いほうだろう。

まして離婚ともなれば、
周囲に積極的に言うことも躊躇する場合もあるだろうし、
ゆっくり休暇をもらうわけにもいかない。

だから、多くの人が悲しみを十分感じることもできずに、
なんとか仕事に行く。

もちろん、仕事など手につくはずもないが
這っていくような状態だ。

周囲はどうであろうとも、

あなたはあなたの悲しみを感じていい。

いや、感じることが必要です。

周囲は、あなたに半年も一年も悲しみの状態にいることを
許さないかもしれない。

それは、周囲もそれに耐えられないということもある。

そのことは、この東北の震災に対する世論を見ていれば明らかでないだろうか。
1年目こそ、〇〇の自粛 などと言っていたが、
2年目になれば、世の中の人は、自分たちの生活優先となり、
お花見をはじめとして、クリスマス、正月、、、、
世間はいつもどおりになっていく。。。

でも、被災者の悲しみがそんな数年で癒えるようなものではないだろう。

悲しみの状態にいることに耐えられなくなるのが人間なのだ。


だが、

あなた自身の悲しみは、あなた自身でしか癒すことができないし、

その期間はあなたにしかわからない。

同じ離婚を経験していても、悲しみは共通ではない。

今、悲しみにあるのなら、

悲しむことができるなら、

十分にその時間をとってほしい。

私は10年後になって、ご主人との死別の悲しみで打ちひしがれた方を知る。

悲しむことは、時期はいつであれ、

避けることのできない感情のプロセスであり、

あなたにとって、それが今なら、そうしてほしい。

1年後なら、そのときがあなたにとってベストな時期となる。

周囲にはあなたの苦しみや悲しみが忘れられ、

表面的には日常生活を送り、平穏に見えるかもしれない。

それでもあなたの心の底にある悲しみを癒すことは必要なのだ。

だから、絶対に否定しないこと。

もっと元気にならなくては。 とか

いつまでもクヨクヨしていてはいけない。とか

早く新しいパートナーを見つけて。。。とか、

そんな周囲の言葉に動じることなく、

あなたのペースで悲しんで良いのです。

悲しむことで、

次へのステップの足掛かりとなるでしょう。

自分の悲しみを否定しない。抑えない。

職場や家族の前では、泣けないかもしれない。

でも、自分ひとりで泣いてほしい。悲しんでほしい。

悲しいことがあったのだから、それでいい。

身を任すには覚悟がいる

2014-01-10 00:01:00 | 日記
こんばんわ。

いつも私が言う

天に身を任す

川の流れにのる

これには、ひとつだけ大切なことがある。

「覚悟」

「腹をくくる」

これが必要なのです。

どうしても人間だから、

いろいろと何とかしたくなるし、

嫌な想い、辛い想いはしたくない。

あえて不幸にもなりたくない。

だからこそ、

どうにかしたくなる。

もがく。

人生でうまくいっていると感じられるときは、

なんだか自分で自分の人生がコントロールできていたり、

自分の努力や、行いの当然の結果のように思い込む。

でも、努力や正しい行為だからといって

その結果となっているとは言い切れない。

実際は失敗したかもしれないのだから。

上手くいっていると感じるときこそ、

自分のコントロールを手放さないといけない。

そうしないと、足元をすくわれてしまう。

そして、自分でコントロールするのをやめるには

「勇気」「覚悟」

がいる。

恐さも、不安あるだろう。

だから、だれにでもできることではないし、

悟りをひらいたヨガ行者でもなければ、完全にはできない。

だから、

そうあろうとすることが大切なのです。

「コントロールする心」 と、 「コントロールを手放す心」

この両端を行ったり来たり、うろちょろしながら、

できるだけ、気づいたら、できるだけ長く、頻繁に

「コントロールを手放す心」 状態にあろうとする。

そのことが、大きな違いを生み出します。

理屈で納得してもいいし、

経験からでもいいし、

感覚的にでもいい。

もちろん、「コントロールする」と覚悟して

精一杯走って、その状態で生きてもいい。

結果はいずれ明らかになるから、個人の判断だが、

あまりお勧めはできませんが。

これは巷の安易なスピリチュアルな方法でもないし、占いでもない。

どちらが、より生きやすいのか?という問いへの

単純な答えですが、

あなたが好きな答えを選ぶ権利はもっているのです。

そして、「覚悟」もあなたしかできません。


大局をみる

2014-01-07 00:01:00 | 日記
苦しいと、

もう一喜一憂してしまう。

目先の出来事に翻弄されて、

相手のひとこと、ふたことに反応して、

苦しみもがく。。。

人生は短いけれど、

毎日は貴重だけれど、

そこまで短くみなくてもいいのではないでしょうか。


もちろん、明日はわからない。

一か月、いや、三か月くらいで見ても良いのではないか。

人生の流れを意識したい。

一度、自分が生れてから今までのプラスマイナスの流れを

書いてみるといい。

最近は、下降しきっているかもしれないが、

上向きのときもあるはず。

次はどこで上向いてくるのだろう。。。

不安は尽きないが、

流れである。

大きな視点で自分の人生もとりまく環境もみなくてはならない。

今日、明日のひとつずつに対して、どうにか考えてもはじまらないのだ。

苦しいから、目の前のものを何とかしたい。

それはそうなんだが、

だからといって、

目の前のことに反応ばかりしていると、

大局が見えなくなってしまう。

足元ばかり見て歩いていたら、

50センチ先の柱に当たってしまうし、

どこに向かえばいいかもわからなくなってしまう。

目線を少しだけ上向きして、

歩いてみよう。

心配して良いことはある?

2014-01-05 00:01:11 | 日記
こんばんわ。

お正月に読んだ本で、なるほど。。というのがありまして、
今日は、「心配」について書いてみます。

ところで、

なぜ、私たちは「心配する」のでしょうか?

これこそが、毎日のなかで多くの要素を占めているはずです。

離婚したときもそうですね。

苦しみの大きな部分です。

なぜだか、明確にあなたは答えられますか?

だって、不安だから。。。

だって、嫌なことが起きて欲しくないから。。。

だって、〇〇が不安だから。。。

だって、望まないことになると嫌だから。。。

・・・・・

・・・・・

・・・・・

言葉は違えど、理由は、この繰り返しでは?

では、もうひとつ質問です。

あなたが毎日、1時間ごと、いや1分ごとに「心配する」

をしていたら、

不安がなくなり、

嫌なことは起きなくて、

心配ごとは回避されて。。。。

なんてことが起きるでしょうか?


そんなことはありえませんね。

余計に不安になるし、

ネガティブは尽きることなく、泥沼になり、

体調も壊して、メンタルも落ちる。

だからといって、

起きることは起きるし、

起きないことは起きない。

最近の本では、

「不安ごとの90%は起きない」

のようなものがありましたが、

あれは意味がありませんね。10%は起こるから不安なんですから。

問題は、

「心配する」ことで、

「心配している」ことで、問題が起きないのではないかという

迷信にも近いような錯覚に陥っているのです。

現実は、いつも言うように、

あなたが心配しようが、しまいが、

起きることは起きるし、

起きないことは起きない。

心配するならば、

自分でできること(=コントロールできる)を対処した方が良いし、

その方が心配するよりも、変化を起こせると思いませんか?

もし、自分でどうにもできないこと(=コントロールできないこと)は

するべき手立てがないのだから、心配して良いことはひとつもない。

先に言ったように、

心配しても、何も解決はしないのは明確なんですからね。

たとえば、離婚したときに、不安なひとつは、
再び幸せな家庭を作れるのだろうか、パートナーは見つかるだろうか。
というのがあるかもしれません。

離婚したという事実は、変えられません。(=コントロールできないこと)

でも、あなたが対処できることがありますね。

あなた自身を磨いて、より成熟した大人になり、魅力的な人になることです。
(=これはコントロールできること)

今の世の中、離婚経験者は、ふつうにたくさんいるし、
そのことが将来を決めるのではありません。

自分の至らない点を見直し、
よりよく成熟できたなら、それを素晴らしくおもってくれる方は
たくさんいるのです。

将来を心配してもしょうがないけれど、

苦しいときにネガティブなのもしょうがない。

人それぞれ、自分でやれることをしっかり毎日やれば

成熟へつながっていきます。


自分に期待する

2014-01-03 00:01:00 | 日記
コントロールを手放す。

カウンセラーなら、だれでもクライエントに言うでしょう。

でも、簡単ではない。

本人だって、できない。

それでもそれが苦しみからの解放の唯一の方法と知るから

誰もが言うのです。

そしてそれができないことも人間だと、

仏陀は言います。

他人はコントロールできない。

それは大好きな相手だろうと、子供でも。

他人に期待したら、

それは期待どおりにはいかないのだから、

必ず、失望もする。

今年、一年、

自分に期待してみてはどうでしょうか?

もちろん、過度に期待して、

追い詰めてはなりません。

何事も過剰は厳禁です。

自分の人生に期待してみるのも悪くありません。

最悪なら、それはそれとしたい。・

だって、どのみち、自分ではどうしようもないことだらけ。

自分に都合よく、

全てがきれいに、幸せに、、、、

それはお祈りにしかなりません。

パートナーを見つけて。。。

これも他人次第なことだから、コントロールの範疇。

それは過剰な期待です。

だから、ひとつかふたつ。

今の自分にないもので、

自分次第なことで、期待したいもの。

そうですね、私なら。。。

「ちょっと大きめの新しい、気づき」

それがひとつでも、もたらされたら、大きいですね。

他人次第なことは期待しても無駄です。

自分のコントロールを超えていますからね。

自分なりの人生がある。

それを信じて、その人生を

否定せずに、ありのままに生きていく。

そうありたいものです。


どういう人生を

2014-01-01 01:01:11 | 日記
昨年は、いろいろありましたね。

一年をはじめるとき、

予想できたことがいくつあったでしょうか。

私は、いくつもありませんでした。

良いことも悪いことも、

もちろん、個人の認知次第ですが、

予想できないことばかりでした。

暗示されていたこともあったかもしれません。

一年の目標を立てることが良いことのように思われますが、

もちろん、悪くはありませんが、

今、その場、この場、瞬間に生きていくことも大切です。

人生では、

自分にはどうしようもないことだらけです。

自分でどうにかできることが少ないのが現実。

でも、世間では、がんばれば良いとか、努力とか、

誠心誠意とか、、、、

災害ひとつ見ても、そんなことは幻想だと

だれもが知っているんですが、

希望がないと生きていけないから、、、、。

それも智慧かもしれません。

自分にできることは、もう何もない。

そこまで努力したら、

あとは身を任せるしかありません。

そこで、コントロールしようとすれば、

苦しむだけ。

苦しんでも、不安になっても

結局、結果に影響しない。。いや、複雑にして悪くすることすら。

手放すなんてものは、簡単ではない。

苦しみも絶望も伴います。

だけど、真実でもある。

今年一年、どうなるか、

来年を無事迎えられるのか・・。

そんなことすら、不確実なことが真実。

ネガティブなようですが、

現実をしっかり認識すればこそ、

今、この一瞬を全力で生き切る。

それしかできないと、知るのです。