離婚に苦しむ人へ

今、苦しんでいるあなたに寄り添って。

何が大切か

2019-06-30 00:00:01 | 日記
離婚という出来事で、

大切なパートナーや子供を失ったとき、

どんなものにも代えがたい存在を失った

深い苦しみ、悲しみに

耐えているかもしれません。

それだけ大切な存在だからこそ、

これだけ苦しんでいる人が多いのかもしれません。

そのことをなかったことにはできませんし、

忘れることも簡単ではないでしょう。

でも、そのことだけを考えていると

一歩も進めないということにも気づきます。

それはそれとして、保留して、消すこともないし、

忘れることもないし、そのことで一日の大半を苦しんでもいい。

でも、それ以外のことで、2番手、3番手の大切なことは何か?

を自分の内面と会話していくことが大切です。

それはもしかすると、趣味かもしれませんし、

自分の存在、親の存在、対象は物かもしれません。

別れたパートナーへの想いを無理に手放すのではなく、

一番手はそれ、でも2番手にはこういうものも大切なんだと気づいていく。

あなたは、たしかに結婚するパートナーと出会い、子供もできたかもしれない、

そのことが人生で一番重要で、大切で、幸せなことだったかもしれない。

でも、生まれてから、パートナーと出会うまでにも、

他の恋人との出会いや、素敵な時間もあったかもしれない。

自分自身の趣味で、最高な体験をしたかもしれない。

仕事や学業で成果を出したかもしれない。

日常のささやかな出来事に幸せを感じたかもしれない。

離婚という大きなショックによって、多くの人は、人生全体が見えなくなり、

すべては灰色の景色、無音の環境へと突き落とされ、苦しんでいます。

私自身ももちろん例外なくそうでした。

周囲は早く忘れてとか、気持ちを切り替えてとか、、、いろいろと言います。

でも、結婚までした相手とのことを簡単に忘れたり、切り替えたりすること自体が

難しいのです。だから、それはそのまま保留して、

次の次くらいに大切なものへ目を向ける努力をしましょう。

もし逆に、次の次のものがないのだとしたら、

あまりにパートナーや結婚自体に依存しすぎていたのだと

気づくタイミングでもあるのです。

私は苦しみのなかで、生まれてから記憶の限り、出来事や感情、そのときの周囲の人たち、言葉を

ノートに書き出していきました。

横に、年月日を入れて。

そうすると、たしかにパートナーとの時間は大きな意味がありますが、

それでも、それまでの人生のすべてではないと気づきました。

そしてその先のタイムラインを書いてみると、

まだ白紙の無限の可能性があることに気づきました。

あなたにとって、大切なこと、パートナーとのこと以外には

何があるでしょうか。

それがあなたという人間自体の人間力のはずです。




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直面化

2019-06-26 20:32:38 | 日記
カウンセラーがもっとも難しく、悩み、

そして、失敗することも多いのが、「直面化」という

場面です。

クライエントの最も打破すべきポイントに、

カウンセラーはかなり初期から気づいています。

でも、クライエントの準備が整うまで待ちます。

そして、そのタイミングを逃さずに、

クライエントが最も向き合うべき事柄をお伝えします。

このタイミングがとても難しいことは想像できると思いますが、

何十回と面談してきた信頼関係のもとに行っても

一瞬で関係が崩れ去るときもあります。

二度と面談に来ない場合も少なくありません。

それだけ本人には厳しく辛いけれども、本質的なことを要求します。

もちろん、そこには、ほんとうの信頼と心からの言葉ですが、

やはりタイミングが合わなければ、クライエントが受け入れることはできません。

私は、このブログでおひとりずつの状況に応じて

書くことはできません。

だから、実は、いろいろな状況の方に対して、

それぞれに響くように書いています。

あるときは、ある人には合わなくても、

ある人には、とても響くように。

おひとりずつに適切な言葉はできませんが、

逆にあなたが過去の記事を含めて、

今のあなたに必要な言葉を見つけてみてほしいのです。

もしかすると、それは、苦しみもがいているなかでの皆さんの過去のコメントにあるかもしれません。

私の記事から、どう自分自身に展開していくのか、それもひとつの試みかもしれません。

自分にとって、もっとも厳しく辛い言葉、事実を越えたとき、

気づきがあるかもしれません。

この過去のブログの記事のなかに、

あなたの気づきにつながるものがあれば幸いです。

私自身が、離婚を通して気づいたのは、いつもお伝えしている自分の軸であり、

人生そのものへの価値観のシフトです。

未だに、親も理解はしてくれません。

根源的な軸がシフトしたことで、仕事、趣味、生き方、すべてがシフトしました。

こういうとかっこがいいかもしれませんが、

ブログを読んでくれている方はご存知のように

ボロボロになり、絶望の時間を越えてきました。

新人のころの上司の言葉がいつも思い出されます。

若いリーダーが、窮地にあたふたしているとき、

そのベテランリーダーは、いつも言います。

「潜り抜けてきた修羅場の数が違うと。」

この言葉が仕事だけではなく、

人生そのものに当てはまると思うのです。

以前にも書いていますが、

人生は障害物競争みたいなもので、

障害物があるのが普通で、それに不満を言っても仕方のないことで、

うまく越えられても、障害物を倒しても、ぶつかっても、

ゴールへの道、そう自分たちの人生の道は続いています。

あなたが今、見つめるべきほんとうのことに気づいたとき、

もう出口は近いかもしれませんね。









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気づけるかどうか

2019-06-20 00:00:01 | 日記
人生というものを

どれだけ真剣に考えたことがあるだろうか。

諸行無常、無為、虚無・・・

生まれたくて生まれてきたのではない。

親も、国も選べない

そもそも勝手に生まれてきて

あとは死へ向かうだけ。。。

ありとあらゆるネガティブなことはいくらでも言える。

離婚の深い悲しみのなかで、

おそらく人生のなかでも一番と言えるほどに

落ち込む時間が長く続くかもしれない。

そのどれもが正しいようでもあるし、

ポジティブなこともたくさん挙げられる。

本やらセミナーでも、とにかくポジティブな思考はたくさんあるし、

そうしようと努力しても、ひと月どころか一週間も続かない。

以前から書いているように、ポジティブ思考は悪いことではないが、

続けることにも無理があるように感じる。

人間はポジティブもネガティブも共存しているのがほんとうだから。

小中高と義務教育があり、

いい大学に行って、就職して

結婚して子供ができて、家や車を買って、

定年して、、、、

そうやって世間の言うとおりに生きてきたかもしれない。

そこに、離婚という文字はなかったかもしれない。

病気で早くに命を落とすことも、

事故や災害に遭うことも想定していないだろう。

だが、世の中を真面目に真剣にとらえてみれば、

予想外のことはたくさんあって、ドラマみたいな人生の方が少ないかもしれない。

偶然、自分がそんな災難に該当していないだけだと気づける。

もちろんある程度の予測や予防はできても、完璧にはできない。

水泳のトップアスリートがオリンピック目前で、病魔と闘う姿を見て、

応援したり、勇気をもらえるなどと言うのは間違ってはいないが、

その一歩上の思考をした方が良い。

結婚目前だったり、子供が生まれてすぐに、親が亡くなるなんてことも

周囲にはたくさんあるが、見ないようにしているのではないだろうか。

自分には起きてほしくないことだと考えるうちに、起きないと錯覚しだす。

ほんとうは、人生とはそれだけ予測がつかないということに気づくべきである。

最近の自動車事故の多さは、おそらく今に始まったことではないだろう。

単に注目度が上がったからだろう。

なぜなら、高齢者は今突然増えたわけではないのだから。

かわいそうだとか、自分も気を付けないとと思うことは大切だが、

それ以上に、気づくべきことがある。

今までも、私たちの周囲には起きていたけれど、気づかなかっただけではないだろうか。

以前にも書いているが、

本来は自分のまわりには偶然も、奇跡もたくさんあるのだが、

何もなければ気づけないだけだろう。

今日家を出て、無事に帰ってこれる保証などどこにもないし、

そのこと自体が奇跡かもしれないと、考えたことがあるだろうか。

でも、良い出来事には、私たちは、自分で努力もするし、真面目に働くし、一生懸命生きているし、、、

その結果だと、奇跡には気づけない。

でも、世の中の悲しい出来事や、離婚という出来事をとってみても、

そんな努力とか真面目とかいうことに人生の根本は左右されていないということに

気づける。そんなものではないと。

世界中に、明日のわが身がわからない人がどれだけいるのか、、、

けして、自分のせいではないのに。ただその国に生まれただけなのに。

そして自分自身だって、明日目覚めることは確定しているわけではない。

1秒先に何が起こるのかは誰も知れない。

ただ、そうであろう・・・というだけなのだから。

刹那的に生きればよいということではなく、

どうでもいいのだとあきらめるのは簡単だ。

そうではなくて、

確実なことを丁寧にするということ。

今以外は不確実だと知れば、今の大切さに気づける。

以前にも書いたが、「一日一生」である。

大切なことは、自分自身に明日があるかどうかはわからないということ。

そして親でもパートナーでも、子供でも、それは同じであって、

今こそがすべてだと真に気づけるかどうか。

私自身、自戒も含めて、都度、深く、深く気づけるかどうか。

単に道徳的な話だととらえるのも自由だし、

深く自分の内面で熟成させるのも選択である。







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想像もつかない

2019-06-17 06:11:11 | 日記
今、自分自身を考えて、離婚した当時からは、想像もつかない。

あれから10年以上も経つが、

想像もつかないような人生となっている。

人生哲学も、仕事も、友人も、趣味も、環境も。

正直なところ、離婚しない方が良かったのか?と聞かれたとき、

イエスともノーとも言えない。

どちらにもそれなりの人生があるだろうし、

もし離婚しなかったら、

離婚という事実そのものよりも、

あれだけの苦しみと悲しみを経験しなかったら、

違う人生となったかもしれない。

逆に、あの苦悩を越えてきたから、今があるとも言える。

そう、いつも言うことだが、

こうであったらという人生はない。

今が人生である。

今が、私の唯一の人生であり、それしかないのだと深く気づく。

離婚して、何かに気づく人もいる。

何も気づかずに、そのままいく人もいる。

ほんとうの意味で自分を見直すきっかけとなった。

人として、完全な人はいない。

恋愛やら、愛情やら、自分のトラウマは難しい。

だからこれだけ、だめだと知っていて不倫が多い。

長年一緒にいて、熟年離婚が多い。

要するに、人間はそんな計算どおりにいかないし、

そもそも理屈どおりにも動けない。

今、あなたは自分の未来を悲観しているかもしれない。

将来になんの希望もなく、どうでもいいと思うかもしれない。

でも未来はわからない。

良くも悪くも、予測できない。

それが今の私の本心だ。

そう、未来はどうなるかわからない。

だから、未来を見るために、予想外の自分と出会うために、

今日も、今を見つめて歩みたいと思うのです。

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人はわからない

2019-06-14 00:00:01 | 日記
先日、ある学会に出ていて、

偶然に隣に座っていた20代の女性がいました。

指輪もしていたので、既婚かと思いますし、

男性目線で恐縮ですが、きれいな方でした。

ふと目にしたのは、

リストカットの跡。

一瞬は気のせいかと思ったのですが、

10本以上は見えたので、間違いないでしょう。

カウンセラーをしていると

自傷行為の相談もたくさんありますし、

とても繊細な方が多いのですが、

その苦しみの深さは、おそらく普通の方にはわからないレベルかと思います。

カウンセラーでも寄り添うことができるレベルではないとも感じます。

実際、寄り添い、心を通わすのが、非常に難しいケースがあります。

自傷行為もリストカットから、オーバードーズまでいろいろありますし、

タトゥーや、ピアスを多数入れる場合や、

アルコールや覚せい剤まで様々ですが、

いづれにしても何かの形で表れています。

今日は、自傷については書きませんが、

その時ふと思ったことは、結局は外見ではわからないということ。

結婚していて今は幸せかもしれません。

容姿も問題ないかもしれません。

でも、人知れずに、苦しんだ跡が、リスカの線なのです。

私はカウンセラーでしかも、自傷行為の背景の知識も、

多くの経験者のことも知っていますので、偏見はありませんが、

はじめてみる人は、びっくりしたり、嫌煙するかもしれません。

自殺を経験したことのある方への偏見もあるかもしれません。

カウンセラーだから言うのではなく、

人生のなかではいろいろあるのです。

離婚を経験した人なら、誰でも人生の無意味を感じたことがあるはずです。

自殺しようと思う人もたくさんいるでしょう。

実際に未遂の方もいるでしょう。

だから、自傷も自殺未遂もあっても、それはそのときに

自分自身で最大限に考えて下したのだから、

してほしくはないけれども、そのことを否定しても仕方がないこと。

でも今生きていることがすばらしい。

今、生きていることが何よりもすばらしい。

今はそんな跡も消せるようになってきましたが、

自分への戒めにあえて残してる方もいます。

人は外見や、地位、今の状況に関わらず、

人知れずに苦しみ、耐えてきているのです。

少なくとも、私でさえも、知らない人からは

離婚をして、会えない子供がいるとは思われないでしょう。

元気で前向きで活動的な人間として映るでしょう。

でもその過去に、苦しみ抜いてきた時間があるとは気づきません。

あなたの苦しみが過去とななるまで

このブログを通して応援します。

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不安はなくならない

2019-06-06 00:00:01 | 日記
離婚して、

将来のこと、仕事のこと、子供のこと、お金のこと、、、

そして自分自身のこと、

いろんなことが不安になると思います。

そして、何か得体の知れない不安もあるかもしれません。

私たちはその不安が離婚したことで生じているように感じますが、

結婚していても不安はあったのです。

相手が病気にならないか、事故にあわないか、

子供ができるか、、、、ローンをどうするか、

もちろん、相手がいて、一緒に共有できる不安という部分もあるかもしれませんが、

結局、不安というのはなくならないのです。

その不安をどう扱うのかという点が一番むずかしいのです。

不安に考えても仕方のないこと、プロセスに任せる、などと言ってみても

不安というのは、あたかも自動的に自分に襲ってくるものであって、

どうにもならないというのがほんとうではないでしょうか。

もちろん、対処する方法はいろいろあります。

瞑想やマインドフルネス、宗教やら、思想哲学まで。

ですが、どれも一時的であったり、部分的かもしれません。

だから、不安というのはなくならい。

生きているのだから、あって当たり前。

いつ病気になって死ぬかもしれない。

いつパートナーを失うかもしれない。

結婚していてパートナーがいても、

自分が何歳のときまで一緒にいられるのかなんて

誰も知らない。

もしあなたが50歳でパートナーが亡くなったら

残りの20年以上を独りで苦しんで生きていたかもしれない。

最近の痛ましい事故や犯罪のニュースを見ても、

一寸先はほんとうにだれもわからないのだけども、

目の前の楽しみや幸せで、なんとか考えないようにして

何とか自分のこととは違う出来事として脇によけて

生きているに過ぎない。

要するに目をそらしてやり過ごしているに過ぎない。

だから、不安というものを排除しようとしてもうまくはいかなし、

当然、不安がない状況というものは存在しない。

不安がない人がいるとしたら、悟りをしているか、

単に目を背けているだけではないだろうか。

不安はある、あるのが当たり前、なくなることはない。

じゃあ、不安をもって生きていくことは普通だし、

不安だと感じている方が、目を背けているよりもよほど立派かもしれない。

そして過剰に不安になることもない、

あなたが過剰に不安になろうとも、軽く不安になろうとも、

事実は変わらないし、変えられない。

もし現実的に対処可能ならする方が良いだろうし、

対処できないことなら、泣き叫んでも、喚いても、

寝れなくても、食べれなくても、どう不安に向き合っても

コントロールはできない。

ならば、あまり深く考えても仕方がないのかもしれないとも思えてくる。

プロセスは自分の想いや行動とは関係なく、

太陽が上がって沈むように、淡々と働いていると、

私は信じてる。

真実かどうかは問題ではなく、確かめることもできないが、

それで自分自身がどう生きられるかが重要だからなのです。



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違和感

2019-06-01 00:00:01 | 日記
結婚すると

男女どちらも、急に、

お小遣い制になったり、

昼食はお弁当になったりと

変化しないでしょうか。

海外の事情は知りませんが、

ものすごく違和感があります。

もちろんそうでない人はいますが。

家計の節約だったり、

男性ならば、外食も仕事で多いでしょうから、

奥様が健康のために作ってくれるというのも

わかります。もちろん、理解もできます。

でも、いつも言うように、あまりに定型すぎないでしょうか。

食べ物を重視するアスリートは、やはり独身でも結婚しても

しっかりと食事管理をします。

そのためのお弁当やら自炊という選択になります。

結婚したり、子供ができて自己管理に対する認識が変化したととらえることもできますが

まるでそれがルーチンかのように変化するのはどうでしょう。

また飲み会でも、子供の話や、パートナーの話ばかりする人がいます。

自分のことや、趣味のことはほとんど話がなかったり、

何かにつけて、家族の話につなげる人がいます。

特別に親しい間柄ならともかく、

そうでもない人の家庭の話に興味がある人は少ないのではないでしょうか。

なぜか日本では、結婚すると個が消えてしまいます。

生活スタイルから趣味まで、無意識に相手に合わせていきます。

〇〇ちゃんのお父さん、お母さんであり、

〇〇さんの旦那さんであり、奥さんになってしまいます。

本来は、成熟して自立した男女が結婚してさらに成長することができるのに、

相手への依存が強い、そしてそれに気づかずに、パートナーに依存して

一緒に生活していく、そもそも自分ひとりでは幸せではないので、

自分が幸せではないのは、相手のせいだと勘違いして、要求する。

以前にも書いていますが、自分で自分を満たすことができる人は

依存した関係にはなりません。

結婚していようが、いまいが、自分が中心であり、軸になっていますから、

先に述べたようなことにはなりません。

危険なのは、相手に無意識に合わせているうちに、それが自分のやりたいこと、

自分の幸せだと勘違いしてしまうことです。

自分というものがなくなってしまうのです。

あなたの周囲の人たちの会話を聴いてみれば、

そういう人がたくさんいると気づけるでしょう。

離婚して気づく必要があるのは、本当の自分とはどこにあるのか。

本来の自分とはどうであったのか。

結婚する前、独身でも楽しかったとき、パートナーができる前のとき、

ほんとうの自分はどうであったのか。

もちろん、相手との関係性の中で、刺激を受けて、学んで

そして変化していくことは悪いことではありません。

ただ依存に根差した変化は、ほんとうの変化ではないから危ないのです。

見極めはたいへん難しいですが、いつも自分に問いながら進むしかないかもしれません。

結婚していても、離婚しても、

パートナーがいてもいなくても、

本来の自分は変化してはいけないし、軸がなければなりません。

結果的に、そういう自分でいることで、そういう相手が男女ともに近くに来るようになります。

順序が逆ではいけないのです。まずは自分を作ることです。

それに気づけるのが、離婚という苦しみのなかだと思うのです。










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