離婚に苦しむ人へ

今、苦しんでいるあなたに寄り添って。

実践こそすべてです。

2012-07-29 10:39:44 | 日記
おはようございます。

ひさしぶりに昼間の更新です。

いつも私は、あなたに本を読んで学ぼう!ということを

言っていますよね。

当然、頭ではわかっているはずですが、

知っていることと、できることは違います。

知る、学ぶということは

その最初のステップであって、

それ以上のものではないんですね。

だから、経済学者が、実際の政治家になっても

そう簡単にはうまくいかない。。。。

人生において、学ぶことが大切だということは

いつも言うことですが、

この「学ぶ」これは、知識を得ることだけではなくて、

経験し、実践することを意味します。

問題はここなんですね。

自分にとって望むことは経験したいが、不快なことは経験したくない。

ふつうそうですよね。

まして、苦労や、辛い実践なんてしたくない。

ここで、数分落ち着いて考えてみてほしいのです。

望むことや、楽しいことはある意味で誰でも経験したいし、実践できるでしょう。

だからそれは人並みです。比較しているのではなく、
単にだれでもできるということが言いたいのです。

そしてそこから先、本やセミナーで知識を得るところまでも

30%くらいの人はできるはず。

でも、自分にとって辛いこと、苦しいことを経験し、実践できる人は

1%もいません。いや、0.1%もいないかもしれない。

0.1%とは、1000人に一人です。

でもこの難関をクリアできないと、ほんとうの意味で

知識を活用したこと、人生に活用したことにはならない。

今、あなたは体験した。辛い出来事を。

そして、きっとこのブログや、本などから多くを学んでいるだろう。

そこから先に実践する勇気がほしいのです。

そう、1000人にひとりしか進めない実践の道です。

たとえば、物事の価値判断をしない。評価をしないで生きる。

流れに任せて、自然に生きていく。

いろいろな本にも書かれているし、

言葉や、表現は違えど、何度も聞いているはず。

それこそ10万人の人が聴いたことはあるでしょう。

でも、実践できている人はごくわずか。

なぜか? しんどいからです。

つらいからです。

どんなことでもいい。

あなたがこの離婚で学んだこと、大切だと感じたこと

それをあきらめずに、実践してほしい。

はじめは、すぐできなかったり、戻ってしまうでしょう。

挫折もするし、安易な解決を求めてしまうでしょう。

それもしょうがないんです。だって、1000人に999人はそうなんです。

せっかくいい知識を学んでも、実践しないと意味がない。

もしあなたが学んでいることが、心の底から腑に落ちているなら、

そしてその効果、意味が心底理解できているなら、なぜ実行しないのか?

ほんとはまだ腑に落ちていないのかもしれない。
ならばそれを徹底的に考えてみよう。納得して実践せずにはいられないほどに。

私がこのブログでお伝えしていること、

カウンセリングの現場でクライエントにお伝えしていること

それはすべて知識をベースにした実践に基づくことを伝えさせてもらっています。

自分で実践し、失敗もし、挫折もしたからこそ、

その難しさも、効果も理解している。

学ぶとは、経験し、知識を得て、そして実践し、また経験する。

この永遠のサイクルを続けていくことです。

まさにそこに善悪や、正解、不正解など存在せず、

人生は経験なのだと腑に落とすことです。





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あなたの使命は何か?

2012-07-28 01:00:00 | 日記
あなたは、自分の人生の使命は見つかったでしょうか?

哲学者の森信三氏はいう。

35歳から40歳ころに、封書をひらくべきなのだと。

人はこの世に、自由に生まれてきたわけではない。

自分の意思があったわけではない、少なくとも覚えていない。

何か成し遂げるために生まれてきたと。

各自が自分の使命が書かれた封書を持っていると。

残念なことに、一度も中身を見ずに、亡くなる人もいる。

あるとき、封書を見て、人生の方向を変える人もいる。

私は31歳のときに開けた。(もちろん比喩ですよ。)

自分の人生の方向性と使命が明確になり、大きく舵を切った。

そのあと、多くの人に助けられ、環境に恵まれ、

自分の使命が、人生の方向性が間違いではないと確信しているし、

今いるべきときに、いるべき場所にいるという確信がある。

そして出逢うべき人と出逢って、学ぶべきことを学んでいると。

今、絶望にあるなら、あなたにも封書を開けるチャンスが与えられた。

そのことに気づいているか?

絶望に苦悶し、あえいでいるのはわかるが、

チャンスに気づかないといけない。

すべての人にあるチャンスだが、あなたには気づきが与えられたのだ。

偉大なオーストリアの精神科医、ビクトール・フランクルはいう。

人間とは、生きる意味を問うのではなく、

あなたが人生から生きる意味を問われている存在なのだと。

あなたしか達することのできない意味を。

もしあなたがそれを成さなければ、ほかに成すべきひとはいず、

永遠にその機会は失われるのだと。

離婚という辛い出来事に、どんな意味を見出し、

これからの人生をどう生きるのか?

よく考えてほしい。

離婚を経験せずに、苦悩を知らずに生きている周囲の人と

同じように、もとの人生を生きていきたいのだろうか?

それとも、この苦悩を経験したゆえの、自分の人生を生きたいだろうか?

私は他の人生であればよかったとは思わない。

負け惜しみではなく、心からそう思う。

人生においては、経験こそがすべてだ。

死ぬ以外はすべてかすり傷。致命傷ではない。

だから、あなたが経験するすべてのことは

死へ向けた人生の大いなる流れの中の出来事のひとつにすぎないし、

正解も不正解もないのだ。

そのことに気づけたとき、あなたの人生は大きく変化し始める。
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流れに任せる以外にはない

2012-07-26 05:00:00 | 日記
いつもいうのだが、

流れに任せようと。

できない、できない。というかもしれない。

前回に書いたのだが、

他人はコントロールできない。

できるのは自分だけ。

それと同時に、世の中で起こることの大部分も制御不能だ。

自然災害にしろ、天気にしろ、

病気にしろ、何にしろである。

身の回りの出来事を冷静に考えてほしい。

どれだけのことが

あなたの思い通りにできているだろうか?

そう多くはないということに気づくでしょう。

仕事だってがんばっても、リストラになることもあるし、

サラリーマンなら、給料ひとつ自由にならない。

不況なら自動的に減る。

でも多くの人が、そのとてもわずかな自由にできることに

しがみついて、何とかしようと努力しているのだ。

でも大部分は自由にならず、そのことによる人生への影響の方が

はるかに大きいことに気づいているだろうか??

どんなに努力しても、お金をためても、自然災害には歯が立たない。

お金があれば、病気の良い治療はできるかもしれないが、

末期であればやはり同じでしょう。

そのことにほんとうに気が付いたら、

そんなわずかなことにとらわれず、

全部、流れに任せてしまおう。

そして、これは経験上の話で何の科学的根拠もないが、

たいていはそのほうがうまくいくし、気持ちは楽である。

結果として、より健康的な生活もおくれる。

それにそういう人の方がおおらかで、人間的にも魅力がある。

自分に今できることだけを一生懸命すればいい。

運動して体調を整えたり、

本を読んで学んだり、

ゆっくり睡眠をとることでもいい。

趣味をしてもいい。

しっかりと自分でできることをしていれば

流れは自然にあなたをあるべきところへ運んでくれる。

それは自分の望みの結果ではないかもしれないし、期待がはずれるかもしれない。

だが、何度もいうが、

多くのことが自由にできないこの人生という流れのなかで、

あなたがもがいても、もがかなくても、その場所へ流れつくことはかわらない。

身を投げ出すのは、だれでも怖いし、不安だ。

どうしようが、自由だが、どちらを選ぶかは生き方として重要だろう。
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人間関係の本質に気づいているか?

2012-07-23 01:00:00 | 日記
多くの人は、相手を支配しようとしている。

そのことに気づいているだろうか?

たとえば、親子では、どうか?

子供が言うことを聴かないだとか、・・・。

もちろん危険があるなら止めることも必要だが、
たいていはそんなことでもなく、
親の都合であることが多い。

都合とは、親の習慣、価値観である。

また、恋愛ではどうか?

恋人が予定を合わせてくれない。

メールの返事が遅い。

・・・・切りがないであろう。

では、よく冷静に考えてみてほしい。

もっと返事を早くしてほしい。

もっと予定を合わせてほしい。

要望や注意はできると思う。不要だとは言わない。

でも、本質的に、それが相手の人間性であり、個性なのだ。

それが嫌なら、付き合う意味がない。

それを無理やり、あなた好みに強制したところで

相手は不本意だし、自分の生き方ができない。

あくまで気づくなら、自分で気づいて、修正できるし、

気づかないし、修正できないならば、それもその人なのだ。

これは結婚でも当てはまる。言うまでもない。

多くの人は、自分のイライラや、不安や、孤独と向き合うことができない。

だからそれを軽減するために、

相手に変わってもらおうとする。

先ほども言ったのだが、それが相手の人間性であり、

受け止めるとは、そのすべてを受け止めることなのだ。

あくまで受け止めた、そして自分も受け止められた

相互の関係性のなかで、気づきながら、自分自身の手で修正していくのだ。

もう一度、あなたの人間関係を見直してほしい。

あなたは相手に変わってもらおうとしていないだろうか?

変えることができるのは、コントロールできるのは自分だけなのだ。

自分だって、完全ではありえないのだから、

相手だって同じだ。

丸ごと受け止めることができて、はじめて成熟した大人ということができるし、

その先に、本当の人間関係があるということに気づいてほしい。
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一沈一珠

2012-07-21 12:46:58 | 日記
いっちん、いちじゅ 

と読むそうです。

どういう意味かというと、

海女さんが海にもぐって、

どんなに息が苦しくても、

とにかく、真珠をひとつ取って上がってくるのだそうです。

人生においては、

ほんとうに絶望の底というところに落ち込むことがあります。

離婚もそのひとつでしょう。

そこから、もう完全に立ち直った!

そう言い切れるようになるには

とても長い年月がかかります。

立ち直ったと思っていても、

あたらしい家庭をもっても

自分の芯の部分には、思い出も絶望もあるもの。

ただ、いつもいうように

せっかく人生について深く考え、

生きることに真剣に向き合う機会を

与えられたのだから、

何かひとつでもいいから

学んで、成長したいものです。

苦難を正面から引き受け、

生きるという本質を見つめたとき、

はじめて成長できるのです。

こうしたらできるとか

アドバイス的なことはいくらでも言えるけれども、

それぞれの人が

自分の自分だけの人生と格闘し

成熟していく。

そこに正解などないし、道はたくさんあるわけです。

でも大切なことは、

そのことに気づいているかどうかです。

自分は学ぶ必要がある。

自分が進む方向は、まだ確信が持てなくても

とにかく進んでいく、

進みながら方向も修正していく。

戻ることもあるけれど、

やはり少しずつ前にいく。

本当の意味で絶望を経験した人は

心から人にもやさしくできるし、

人間としての魅力があるように思います。

なぜならば、

人の強さも弱さも実体験として知っているから。

そして人のやさしい想いも知っているから。

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あなたの周囲はどう見えますか?

2012-07-17 21:47:16 | 日記
今、あなたの周囲にいる人たちに対して

どう見えますか?

幸せそうで、腹がたちますか?

不幸そうで、かわいそうですか?

あなたの周囲の人を見るまなざしは

あなたの心の反映です。

離婚したとき、

どうしても周囲がうらやましく、

自分がみじめに感じることもあります。

自分以外はみんな幸せにも見えます。

そう思ううちはまだまだ、立ち直るのに時間がかかります。

というのも、自分が幸せなら、

周りが幸せでも一緒に喜べるでしょう?

自分が辛いときは、なかなか周囲の喜びを素直には喜べないものです。

でも、もう少しわかってくると

自分と他人は別ものとして、

影響されなくなります。

つまり自分の状況と、周囲の状況は別物であって

切り離して考えることができるようになる。

さらに、意識の改革が進むとどうなるか。。。

他人の喜びは喜び、悩みは悩み。

自分の喜びは喜び、悩みは悩み。

けして、相手のことを思いやらないとか、

気にしないとか、無視するということではない。

違う人間であり、

どこまでいっても違う人生なのだと知ることなんです。

私はわたし、あなたはあなた。

それは冷淡なのではなく、

人生の本質に気づくということなんです。

この感覚。。。

トレーニングを積んだカウンセラーなら必ずあるものなんですがね。

自分自身を見るというのはなかなか難しいもの。

で、自分が周囲にどういう感情を抱いているのか?

それを知ると、自分の心の状態を見ることにもなるのです。
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ただ明日まで生きてみようか

2012-07-14 01:00:00 | 日記
人生には不条理なことがたくさんある。

でも一度、生まれたら

生きねばならない。

もちろん、自死を選択することは可能だが、

死んだらどうにかなるというものでもあるまい。

あと5年も10年も生きないといけないと思うから辛い。

もし、今、末期がんを宣告されて、

あと一か月と言われたらどうであろうか?

今すぐに、死のうと思うだろうか?

どうせ半年ならば、好きに生きてやろう

やり残さないようにしよう

そう思うのではないだろうか。

何も死に急ぐ必要もない。

だから、絶望して生きる気力も意味も見いだせないなら、

とりあえず、あと一日、そう明日だけ生きてみないか?

それならできそうでしょう?

そして、また明日へと、繰り返すだけ。

意味なんかすぐには見つからないし、

簡単に到達はできない。

でも、とにかく、あともう一日、明日を生きてみようという

ただそれだけの気持ちでもいいのかもしれない。

人生を深刻にとらえすぎると、つぶれてしまう。

死ぬのが一か月後か、10年後かの違いであって、

大きな違いでもないのではないか?

その意味で、今日を生き、明日へつなげるというだけの

その繰り返しの違いだけ。

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不安を手放す

2012-07-12 01:00:00 | 日記
あなたは毎日どれくらい多くの不安を抱えていますか?

明日の仕事の締切どうしよう?

片思いの相手はどう思っているだろうか?

予約ができるだろうか?

将来の収入はどうだろうか?

体調面の心配が。。。


とにかく、きりがないほどそれぞれで抱えているでしょう。


よく本には、不安になってもしょうがない。

不安なんて、そのいくつも的中しない。

そう書いてあります。

でも、その考え方は私にはどうもしっくりきません。

なぜなら、

当時、離婚したときに、

まさか離婚にはならない、どうにかなる!

そう自分の不安と闘っていたころ。

結局、その不安や心配が現実となり

まさに絶望的な苦しみを味わった。

だから、的中しないなどとは、到底信じることはできないし、

あまり論理的でもない。

どちらかといえば、

どんなことでも在り得るし、起こり得る、

そしてそれが一度起これば、

今の生活などひっくり返るということ。

震災などの状況を見てもそうですよね。

じゃあ、どうするか。

不安を手放す

そう決めるしかありません。

不安になるのが人間です。だれでもたくさんあります。

それに蓋をしたって溢れます。意味がありません。

ますます意識は不安に傾き、心配になります。

もうそうなれば、

手放す以外にはない。

具体的には、

「●●が不安だ。心配だ」

そういう気持ちが芽生えたら、

そっか、自分は●●で不安なんだな・・・・、

そうまずは受け止める。しっかりと。

でもそのことはもう考えないで放っておく。

ここがポイントですが、

考えないようにしよう!とか

忘れよう!!とか意気込まないこと

できるだけ、さらっと放っておく。

イメージとしては、

不安という塊が、自分の目の前にあって

それを両手でがっしりと抱えているんだけど、

それをそのまま手を放すようなイメージ。

だけど、不安はそのままそこにある。

でも手ではつかんでいない。

ただそこに不安の塊が浮いているだけ。

不安が自分にあることを認めて、受け入れて

どうこうせずに、そのまま放置。

消えてはいかずに、相変わらず目の前にあるけれど、

自分の手で持っているわけでもない。

自分からは微妙に切り離されている「不安」

あとは流れに任せようということ。
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苦悩がないというのは嘘

2012-07-10 01:00:00 | 日記
離婚された方のカウンセリングをしていて

けっこうな割合でいるんですね。

「離婚してよかったし、せいせいしている」

「つらくなんてない、どちからというと気が楽になった」

もちろん、そういう側面もあるでしょうけれども、

そうではないということが

症状としていろいろな場面で出てくるんですね。

身体は悲鳴をあげているし、

心はざわついていて、不安や孤独感がたくさんあるのに、

自分で気づかないふりをして、ふたをしてしまう。

ほんとうは、その悲しみ、苦悩と向き合ってからが

スタートなのですが、

多くの人がそのことができずに、

わけがわからずに、苦しんでいる。

身体に症状が出ているということは、

どこかに無理をしているんですね。

一番いいのは、認めてしまうこと。

自分は苦しいし、つらいし、もがいている。

毎日、食事もできないし、眠れない

どうしようもなく、つらいと。

でも、そこでふと思うのです。

あー、自分はそれでも生きて呼吸しているんだなぁと。

苦悩を認めた先にあるのは、

なにかほっとする安心です。

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自分を変化させるコツ

2012-07-08 01:00:00 | 日記
さて、前回は、覚悟しよう!!といいました。

自分のこれまでの生き方を変えようと思っても

そう簡単にはいかない。

心を変えるのは一番難しいのだ。

どんなに内省していても、むずかしい。

じゃあ、どうしようか?

たとえば、体型はどうだろうか?

若かった自分と比べて、だらけていないだろうか?

まず運動して、シェイプアップしてみる。

新しい恋愛が自信をもってできるように、大好きな洋服に合う体型に戻す!

ファッションや、髪型や、お化粧はどうだろうか?

今までやろうと思ってできなかった趣味をはじめてみる。

あきらめていたものはないだろうか?

以前にも書いたが、離婚後1週間以内にジムに通いだした。

私はスポーツジムに通って、5か月で10kg落として、

学生時代のような体型に戻した。

さらに、心理学を学ぶために、大学の通信教育に入学した。

この判断をしたのは離婚後の2週間後である。

またセミナーを開催して、有料のセミナーを始めた。これはさすがに3か月を要したが、

仲間とのミーティングは1か月後にはじめた。

そうやって、失ってしまった自己価値観を懸命に取り戻そうとした。

やれることをひとつずつ増やしていった。

ひとつひとつを達成していく中で、

必ず、立ち上がり進むという気力が出てきた。

そういう中で、これまでとは全然違う価値観をもつ仲間との出会いや

恋愛もできた。

つまり、行動する前から、すべてを見通せることなどないし、

予期できることなど皆無に近い。

行動する中で、心も変化する。

髪型を変えてみたり、ブログをはじめてみたり、なんでもいい。

もう怖いものなど、そうたくさんはないはずだ。

行動するプロセスのなかで、新しい出来事や価値観に出逢い、そしてまた変化する。

きっとこのブログを読むのを忘れる日が増えてくる。

それでいいのだ。

あくまで、変化をあなたに与えるために書いている。

変化したあなたには不要になる。

そのときが、あなたにとって、あたらしい時代のはじまりとなる。

最後に、

変化をおそれてはいけない。

変化していく環境や自分を楽しむくらいのつもりでいこう。

あなたにとっての変化とは、

人生で経験するということ以外の何ものでもないのだから。

経験こそは成長する原動力なのだから。



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ねえ、生きて、あと何年ですか?

2012-07-06 23:03:01 | 日記
こんばんわ。

私には、あなたがあと生きて何年か?知りません。

実は、私は今日誕生日。36歳になりました。

まあ、平均年齢はともかく、

もう半分来た!そう考えています。

で、今日は朝からできるだけ、流れを意識して

一日を過ごしました。

まあ、あと半分の人生を考えたわけですが、

これまでの人生と比較してどう生きたいか?

周囲の人を見ていて、どう生きたくないか?

これまでも言ってきましたが、

私の結論は、

やはり、やりたいように生きろ!!!です。

人生に正解な道などありません。


どう生きても正解です。

多くのしがらみに縛られる人生など無意味です。

ほんとうに結婚が必要ですか?

ほんとうに今の仕事が必要ですか?

ほんとうに今の生活でいいですか?


そう、人生は無限に自由です。

型などありません。

だから、自由に生きよう。

苦しんで何が悪い???

それでいい。そのままで。

生きるということに、希望はあるだろうし、期待もあるが、

それでも

こうでないといけないということはない。

それを知ったとき、

はじめて人生はあなたのものとなり、

使命を生きることになる。

でも、私の知る限り、

そのことがわかる人はわずかだ。
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乗り越える覚悟

2012-07-06 01:00:00 | 日記
人は苦難に遭遇すると

いとも簡単に撃沈してしまう。

最近でいえば、

うつ病になる人がどれだけ多いことか。

自殺者もあまりに多い。

その一方で、とても信じることのできないような苦難に

立ち向かい、乗り越え、生きる人もいる。

離婚を機に、ボロボロになっていく人がいる。

その反面で、新しい自分と出会い、成長する人もいる。

何が違うのだろうか?

生れたときは、同じ人間。

もちろん成長過程でいろいろなことがあるだろうが、

私が世界でトップ1000人に入る不幸者だと

胸を張るようなことができる人も少ないでしょう?

つまり自分の苦難などその程度のものだ。

もちろん、他人と比較できるものではないが、

相対的には大したこともない。

離婚を4,5回したとしても、その程度の人は

世界にいくらでもいるのだ。

自分が絶望すると、もうそれは一大事のようであるが、

実際はそうでもない。

そこに必要なのは、絶対に乗り越える!!そういう覚悟である。

苦難は苦難で、絶望はしているのだから、

並大抵の試練ではないことは間違いない。

自分のせいだろうが、神様が用意してくれた試練だろうが、なんであろうが、苦しい。

だから、自分がこれまで生きてきた中で、

本気で、全力で立ち向かい、努力し、覚悟しなければ

簡単に負けてしまう。

絶望したあなたは、精魂力尽き、もう気力も体力も限界だろう。

今すぐにとは言わない、やりすごした後でいい。

でも、乗り越えようという覚悟だけはしてほしい。

人生をかけた覚悟をする。

これは大切なことだ。

甘く考えていたら、負けてしまう。

やられてしまう。

人生をやり直したいと本気で思うなら、

自分を変化させる覚悟を本気でして、実行することだ。

次回はどう変化させるかを書いてみるのでお楽しみに。
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幸せ論も、苦しみ論も偏っている

2012-07-04 01:00:00 | 日記
幸せ論をふりまく人たちは、

「世の中は幸せで満ちている」

「人は幸せになるように生きている」

「感謝していきることで、幸せになれる」

苦るしみ論を展開する人たちは、

「人生は苦であるし、何をしても意味がない」

「苦ばかりなのだから、あきらめろ」

いずれも偏っています。

幸せ論を言う人たちは、どうも生きていることに鈍感なのか?

それとも、単に苦しいことには目をつぶって、ふたをしているだけなのか?

要するに、感性が鈍すぎる。

逆に、苦しみ論ばかりを展開する人は

生きるとはどういうことか?という本質的な問いを放棄して、

要するに、苦しい、苦しい、意味がないと、引きこもっているにすぎない。

人生には、幸せなときもあるし、苦しいときもある。

ブッタはたしかに、

「生きることは苦である」

「諸行無常」

そう言っていますが、

その本質的な意味が理解できたら

いつも私がいうように、

人生は楽に生きれるのです。

でも、私も含めて、多くの人が苦悩するんです。

つまり、悟らないと、とても楽に生きるということはできることではないということ。

人生においては、絶望することもあるし、

不安なときもある。

だけど楽しいときもある。

そのバランスは人それぞれで、平等ではない。

それでもどちらもある。

あなたの人生すべてが苦であったと言い切れる人は少ないのではないでしょうか?

言い切るとしたら、ほんとうに類いまれな辛い人生であったか、

単に鈍感なだけかです。

「無常」

という言葉のポジティブなとらえ方として、

物事は常に変化しているのだと 知ることです。

良いことも永遠ではないけれど、

苦しいことも永遠ではないと知ることです。

私自身を振り返ってもそうでした。

10年、5年単位でみてももちろんそうだし、

ここ数か月を考えてもそうです。

完全に同じことなどありえない。

あなたがどん底を経験しているというのなら、

今より下には行かないし、

まだまだ下降するなら、今はどん底ではない。

カウンセリングでは

「底をうつ」と言いますが、

人間というものは、どん底に「カツン!」と当たると

その拍子に何かがシフトするようです。

生き方なのか、価値観なのか、人により違うでしょうが、

とにかく変化するしかないんですね。

今辛い状況で、幸せ論を信じれないのはしょうがない。

だけれども、苦しみ論ばかりに気をとられてもしょうがない。

人生はそのどちらもあるんですから。

どちらかを信じるのは信仰と同じです。

現実を直視するとは、客観的に物事をとらえることができるということです。

しっかりとそのことを学ぶことは、

生き方を考えることであり、対人関係を修復することにもつながります。

相手を客観的に見れなければ、不適切な人間関係から抜けれません。

不適切な人間関係を結べば、望まない結果を得るのは当然ですから。

そうならないように、物事の判断基準をしっかりしましょう。

常識的とか、世間的とかそういうのではなくて、

自分の軸を作るということです。

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前後際断

2012-07-02 01:00:00 | 日記

「前後際断」 ぜんごさいだん

シャレではありませんが、禅語です。

今日を生き切るのです。

私たちが毎日生きている今は、一点でしかない。

その連続です。

だから、人生は一本の線ではなく、いくつもの今という点が結ばれたもの。

人生では、先のことはわかりません。

不条理なことなどいくらでもあります。

それこそ、離婚程度は大したレベルとはいえない過酷な状況が

いくらでもある。

そもそも、日本に生まれた時点で

世界的にみたら、上の上の上でしょう?

人生が幸せを追い求めたり、

お金もちになったり、

ましてサラリーマン、主婦、子育て・・・

そんなだけのものではないし、

テレビドラマのような家族や、生活だけのものでもない。

でも悲しいけれど多くの人がその生活を追い求めてしまう。

先日も45歳にもなる私の知り合いが、

そんな夢のような生活を語っていました。

今の家族がそうでないことに、日々苦悩されているとか。

私からすれば、どれだけ理想を掲げて生きているのだろう?

そんな考えをしていたら辛くて当たり前だと思えるくらいです。

生きることは楽ではない。

だから、生き切ってやる。過去は戻らないのだから進むのみ。

そういう覚悟がいるんです!

それは意図的に、覚悟することなんです。

試験に合格しよう!!

お金を貯めよう!

物事ではなんでもいろいろと気合を入れて覚悟しますよね?

人生を生きるということも

覚悟が必要なんですよ!

知ってましたか?

なんとなく生きていけるほど甘くない。

どんな苦難も生き切る!!! 

そう覚悟したら、あとは楽なんですね。実は。

だって最後には、死ぬだけですから。それ以外には何もない。

あなたの覚悟はなんでしょうか?

覚悟して生きていますか?

不条理だろうが、辛くても。悲しくても、絶望しても

与えられた使命を生きること。

私たちがすべきことはそれだけです。



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