離婚に苦しむ人へ

今、苦しんでいるあなたに寄り添って。

壊れている

2019-11-28 00:00:01 | 日記
最近のニュースを見ていると、

どうも日本はおかしいと気づく。

いや、少なくない人たちが気づいているかもしれません。

子供の誘拐にしても、

放火や殺傷などの事件、

政治では、権力者がやりたい放題です。

それでもその権力者にノーを言うこともしない国民です。

香港の例は良いとは思いませんが、民衆が怒っています。

少なくとも、それは伝わりますし、政治家のための政治ではなく

あくまで国民のためだということを主張しているのです。

昔のように周囲と助け合ってなんてのも減ってきて、

身内には親切で、他人には冷たく、それがほんとうのところです。

でも、和を大事にとか、いまだに、両親がいて、子供がいて、車や家があって・・・

そんな暮らしをアピールして押し付けてくるテレビCMやら、政府の政策。

もうすでに多くの30、40代の独身の方がいるなかで。

一方で、介護のためにお金が必要で、年金では足りなくて、

ホームレスになったり、生活保護を受ける方がたくさんいて、

完全な格差社会になりながらも、それをうわべだけ隠している政治や世間。

老老介護に疲れて、パートナーや親に手をかけてしまう高齢者。

どんな国なんだろうと思わずにはいられません。

古い昭和初期の離婚制度のなかで、役所仕事で片付けられ、

どれだけ多くの人が苦しんで涙してきたか。

だから、世間や会社に期待しても無駄だし、

時代は変わるかもしれないが、すぐには難しい。

今日明日を耐えている人にとって、それは長すぎる時間であって待ってはいられない。

だから、自分で生きたいようにするしかない。

ZOZOの元社長さんは、月に行くと言ってトレーニングを始める。

ライブドアの元社長さんは、ロケットを作って飛ばすことを夢見ている。

彼の本はよく読んでいるが、正しいというか、正論ばかりで

そのあたりの政治家とはレベルが違う。

当時はマスコミや国家権力、世間からお金でつるし上げられて、

前科もついて戻ってみれば、

世間は、今度はそんなこと忘れたかのうように、テレビにも出るし、人気もので、

どこの誰よりも稼いでいる。ご本人も言っているが、世間なんてその程度のことなのだと。

突き抜けている人というのはそういうもので、

異端とかいろいろ言われるけれども、多くの人ができないし、そうなれないだけだろうと思う。

けして、詐欺をして稼いでいるのでもないし、自分軸で生きているだけだ。

芸能人でドラッグで逮捕される人がたくさんいる、

家族や周囲に迷惑をかけているが、それも人生の一部であって、

本人次第でいくらでも生き直せるだろうと思う。

ドラッグは身体にはよくない、犯罪につながりやすく、迷惑にもなる可能性がある。

だが、本人が自分の人生で選択したなら、周囲を巻き込まないなら、

残念だが周囲が何かを言うことではないのかもしれない。

依存は大変なものだから、一度はまれば抜けるのは簡単ではない。けれどそこからがその人の人間力となる。

これだけアルコールやたばこやギャンブルがやめれない人が多くいるなかで、

みんな所詮は紙一重である。だがそれに気づけてない人が多い。

合法かそうでないかだけで、アルコールやギャンブルがいつの日か

非合法になったときに、どれだけの人が急に止めることができるでしょうか。

お金があって、環境があったら、どれだけの人が自分は大丈夫だと言えるだろうか。

楽しく、幸せいっぱいな時間を過ごし、仕事でもなんでもバリバリやれて自信にあふれていた時代、

そして離婚でボロボロになり、動けず、人生すべてが止まってしまったかのように苦しむ時間、

それを経験している、またはしてきた方にとって、どれだけ紙一重の世界で生きているのかを

身に染みて感じているのではないだろうか。

先日も書いてるが、人生は最後までわからない。

だから全力でやり抜く、苦しさも哀しさも、寂しさも、そして楽しみもすべて味わって、

駆け抜けてみれば良いのではないかと思うのです。

いや、それ以外にやれることってないのではないか、、、、そんなふうにも感じるのです。



先はわからない

2019-11-23 00:00:01 | 日記
最近、私にとってショッキングだったのは、

首里城が燃えてしまったことです。

私は東京出身ですから、

それは沖縄の方の悲しみとはまた違いますし、

一緒にはできません。

実は、今年の4月には、完全復元された全貌を観光して、

沖縄の歴史と、そして奥深さに感動したのです。

それ以前にも過去4回首里城を見ていて、

都度復元途中で、今年やっと完成した姿が見れた矢先でした。

ニュースを見ているなかで、原因や犯人捜しはしないでほしいと願いました。

悪意はないと信じていますし、

もし原因がだれか特定の人の過失によるものだとしたら、

そして、その個人が特定されたら、、、、

その方の苦しみを考えました。

どんなことにもミスはあるものだし、起こってしまうこともあります。

残念な出来事だけど、再発は防止する必要があるけれども、

それでも、個人の責任でないことを祈りました。

修復の金額や期間もすごいものですが、

それに関わった大工さんや、すべての方にとって、

人生でもっとも誇りとなる完成品のはずですし、

全力で、いろいろなことを犠牲にして、関わったはず。

その象徴が消えたことは、関わった多くの人にとって、

グリーフという意味において、

相当な深いものだと察します。

だから、必ず、また再建してもらえればと願います。

そして、この記事で伝えたいのは、

まさかということは起こりうるということ、

どんなに気をつけても、どんなに努力したり、心から思っても、

思わぬ方向に転がる可能性があるということ。

そしてその起きたことの大きさに関わらず、

元に戻ることは不可能なこともたくさんあり、

未来へ進むしかないということ。

人生において、過去には戻れない、

だからいつも伝えていること、

配られたカード、手持ちのカードで

どう進むのか、

こうであったらという人生はなく、

今、これ、その瞬間が人生であり、

その先どうするかは、自分で決断するしかないということ。

周囲に相談していい、いや、相談した方がいい。

そしていつもいうとおり、決断を先延ばしも大切である。

決断しないことを決断する。

保留を決断することも必要。

前に進むだけでなく、止まったりしてもいい。

ゆっくりでいい.

周囲は急がせたりいろいろ言うだろうが、

自分の人生、自分のペースでいくしかない。






最後までわからない

2019-11-20 00:00:01 | 日記
先日もニュースであった

池袋の車事故のニュース。

加害者は、その世界では有名なトップの方。

残念なことに高齢運転で、ブレーキとアクセルの間違い。

レストランに遅刻しそうで焦っていたとも。

その事故で、若いお母さんと子供が亡くなった。

かつて広島の光市で起きた凶悪な事件の本を読んで、最後まで読めなかった記憶がある。

あまりに凄惨で、読み続けることができなかった。その内容を思い出す。

いつのときも、残された人を想うと、言葉がでない。

加害者にも家族も親族もいるであろう。

その年まで、数々の功績をあげ、トップまで行きついた方であるから、

人並み以上の努力もしただろうし、世の中で言えば一握りの成功者であるでしょう。

ある意味で、この素晴らしい功績のなかで、人生を全うできたはずなのです。

でも、80歳を過ぎて、他人の命を奪うなんて考えもしないし、

まさか自分がと思うはずである。

この事件を見るとき、結局、死ぬまでわからないと思うのです。

80歳という年齢を考えれば、40歳などまだ半分だし、

定年しても20年もあるわけで、それまでどれだけ努力したり、真面目に生きても、

結局最後まで人生はわからないと知らされる。

ホームレスの自叙伝的な本を読むと、かつては金融、IT,大手デパートの外商と

数千万円を動かして、豪邸に住み、家族がいた人たちがたくさんいる。

でも自己破産し、家族とは離婚して、今はホームレスである。

それらの本で印象に残る言葉があり、いつも思い出す。

「電車から見る河川敷のホームレスのブルーシートのハウスを見下ろして、

通勤する私たちも、紙一重でしかない。次の瞬間、自分がそこにいるかもしれないと気づくことである。」

そんな言葉である。

離婚したあなたなら理解できるのではないだろうか。

海外では離婚率50%は普通のなかで、

結婚という幸せの時間と、離婚という苦しみの時間は

紙一重なのだと気づいているかもしれない。

良くも悪くも人生は最後までわからない。

わかっているなら、努力も何もする意味がない。

だが、わからないからこそ、自分に今できることを全力でする。

そう、最後の結果は誰も知らない。自分も知らない。

だが、何もしなくても、勝手に変化することもあるだろう。

だから全ては自分の今の選択の連続の先にある。

選択しないのも選択であり、

ほんとうに、最後までわからない。




それでも過ぎていく

2019-11-17 00:00:01 | 日記
最近、とても思うのですが、

自分自身がどんな生活でいようとも、

仕事で大変でも、生活に余裕があってもなくても、

楽しいこと、悲しいこと、苦しいことがあっても、

使い古された言葉のように、

太陽は東から登り、西へ沈む。

日々の天気はコントロールできなくて、

千葉県の方々のように、度重なる台風の被害を受けて

多くを失ってがんばっている方もいる。

東北の震災後の人生が大きく変化した方もたくさんいる。

離婚して苦しみの毎日を送っていても、

世間はラグビーで盛り上がり、来年はオリンピックだと盛り上がる。

要するに、私個人がどういう状況でも

カレンダーは進んでいき、世の中の流れが変化することはなく、

その中で、楽しく幸せな人もいるし、苦しく、悲しみに沈む人も多くいる。

ニノロスやらと結婚のニュースに沸くなかで、

小室さんのように離婚のもめごとがニュースになる人もいる。

大麻や覚せい剤の話題も尽きない。

でも、同じように同じ時代を生きていて、

これだけの差があるということを、

公平とか平等とか叫んでも仕方のないことで、

いつもいうように、今いる場所からどう変化していくのか、どこへ向かうのか

考えれば考えるほどに、それに行きつく。

配られたカードで、最大限の手を出すことしかできない。

心から、今の自分軸で、今の位置を基準に、

動きたい方向へ行くしかないのだと、

日々考えるのです。





人の強さと弱さを知る

2019-11-09 00:00:01 | 日記
離婚をしたことのない人にとって、

その苦しみの程度を知ることはできないだろうと思う。

日々のみんさまのコメントを見ても、

ここまで苦しいとは思わなかったという言葉がたくさんある。

以前の私の職場で離婚したことがある人は周囲にいなかったし、

100人いて数人程度ではないだろうか。

ほんとうに日本人の30%の離婚率というのが信じられないほどの少なさである。

人は誰しも、結婚する前、恋人がいないときは独りであるのだし、

その時間だって、よほどモテモテの方でもないなら、

少なからず経験してきたでしょう。

だが、離婚して独りになるというのはレベルの違う苦しみである。

それは今読んでくれている方に言うまでもなく

経験していることでしょう。

その苦しみに耐えて、乗り越えていく人がいることは

人の強い部分かもしれないし、自分をコントロールできなくなることは弱い部分かもしれない。

最近の話題でいえば、元歌手のTが覚せい剤所持の疑いで4回目となり、捕まった。

野球選手として大成したKが、覚せい剤でボロボロになり、謹慎していたが、

最近トライアルの監督として復帰した。

歌手のAも歌を出したりしている。

Tに関していえば、ダルクで活動したりととてもがんばっていたのに、

やはり薬からの脱却はとても難しいのだということを思い知らされる。

以前書いた、夜まわり先生が、たばこや酒ですらやめられない人が多いなかで、

依存性の強いクスリから抜けることがどれだけ難しいかと言っている。

世間ではいろいろな意見があるが、私は誰も責められないと考えている。

一部を除いては、誰だって、やめたいと思っているだろう。

全てを失った人なら、抜けれるだろうと思うかもしれないが、

クスリは脳まで影響していて、アルコールと同じで意志では勝てない。

これらに愛情があればというのは素人で、愛情すら抑制には役に立たない。

人というのは、ほんとうに強くもあり、弱くもある。

離婚を経験したことで、人の強さと弱さを知り、本当のやさしさや思いやりをもつことが

一番の学びではないだろうか。

そして、今のあなたが、先のいくつかのニュースを見ていて、どう思うか?

以前のあなたなら、どう思うか?

これだけの苦しみと人の弱さ、現実のもろさ、いろいろな価値観の転換があって、

これらをどう思うか?

人は強くもあり弱くもある。

信じられないような強さを見せるときもあれば、

あっけなく敗れることもある。

どちらが正しいとか悪いではなく、人は表裏一体であり、

そのすべてを持つのが人間なのだと気づくのである。

だから、他人はもとより、自分ですら責めることはない。

状況、環境によって、たまたまそうなだけだし、

離婚を経験したように、幸せな結婚式のときには予想もできない結末となることもある。

かつては、愛情があった相互が憎しみあうこともある。

永遠の愛や、変化しないなんてことが、ただの幻想であることも経験した。

今、私が思うことは、

人生や、人間関係、そして価値観について、

ドラマや教科書、世間の言葉ではなく、自分なりに本質を見ていくことが大切だろうと思う。

刹那的、虚無的に、世間と隔絶して生きる選択もあるだろうが、

そうではなく、それらの正しい認識をもとに、ではどう生きたら

自分なりに生きやすいのだろうか?

それを模索していくことが大切だろうと思うのです。

私はカウンセラーである前に、人の強さも弱さも経験した、

だから、私は人間関係において、他人を責めないし、どんなこともあり得ないことはないと思うし、

仕方のないこと・・・、そんなふうに思うことが多い。

そして、それは自分に対してもそうである。