離婚に苦しむ人へ

今、苦しんでいるあなたに寄り添って。

それは本当か

2024-05-29 17:25:56 | 日記
何かを思い詰めて、気持ちが落ち込んでいると、
はじめは小さい心配や不安がどんどん大きくなり、
まるでもうすぐ実現しそうなくらいに思えてくる

そうなると、それにかんじがらめになり、
どうにも手がないように思えてくる

「それは本当か?」

自分に対して、こんな簡単な質問でも効果がある。

そして、月並みだけれども深呼吸。

天気が良いなら、少しだけ空を見つめてみる。

夜なら、月の灯りをゆっくりと眺める。

そしてまた、「それはほんとうか?」

心配ごとは実現するかもしれないが、起こらないかもしれない。

よく聞く言葉だが、
「不安の多くは実際には起こらないから大丈夫」
なんていうのは、私はあまり好きではない。
というかあまり慰めにならない気がしている。

100個の不安のうち、ひとつでも起こるかもしれないし、
起こることもあるから不安なのだ。

ただいつも言うように、誰も未来どころか1秒先も知らない。
知ることができない。

だから、自分が今不安なこと、心配していることは

「ほんとうに起こるのだろうか?」

そんな質問を自分にしてみると、

「起こるかもしれないし、起こらないかもしれない、わからない」となる。

じゃあ、できることはやって、
あとはもともと、どうにもできないのだから仕方ないと思えてくる。

プロセス、流れにお任せしようと。

はじめから何もしないとか、あきらめるとかではなくて、
考え得ることはして、もがくならもがいて、あとは仕方ないよね、そういう風だ。

そうやって、物事は過ぎ去っていくように思う。





長い道のりを歩む

2024-05-18 15:52:29 | 日記
先日、実家に帰ったときに、
偶然にも調停証書を目にしました。
私自身は引っ越しなどがあるので、
当時のまま実家においてあります。

証書を確認して、養育費は20年のうち、あと5年残っています。
日常ではあまり深く考えないようにしていましたが、
ふと長い時間が経っていることも感じました。

以前にも書きましたが、当時から一度も子供とは会えていませんが、
あえて自動振り込みではなく、毎月自ら振り込んでいます。
当時、そう自分で決めたのです。
ちょうど共同親権の法案の話も出ていますが、当時そうであったら
違う人生だったろうなとも思うのが正直なところですが、
結局、国や法律が決めることはその場、その場で変わるのだし、
自分でどうにもできないことなのだとあらためて思いました。

一方で、いつも言うように、
人生に「こうであったら・・・」という、別の人生は存在しません。
今、現在こそがすべてですから、それを否定するのではなく
まず認めて、できれば肯定できたら最高です。

先日、偶然にも、20代、離婚したときも含めて新人のときからお世話になった
当時の上司からメールがありました。それこそ15年ぶりです。
はじめのころのブログに書いていますが、
人生も何もかも見失い、仕事どころではなく、生きることすら苦しかったとき、
言葉では言いつくせないほどお世話になり、当時のお礼をしたいと思っていたのです。
その方も2年前にリタイアされて連絡の手段がありませんでしたが、
人づてに連絡してきてくれたのです。
今月末にお会いできる予定です。

これまでも突然の出会いについて書いてきましたが、
長い時間を経ても、その間まったく音信がなくても
つながる人とはつながっていて、ご縁というものなのだと深く感じました。

そうやって、人生のプロセスが進み、自分にははかり知れないプロセスが働き、
生かされているのだと感じています。

数年前には、新人時代の寮の先輩で一番仲良く、酒を飲み、遊んでいた人が
お互いに、当時とは居住地も勤め先も変わっていたのに、偶然にも同じ町に住むようになり、
再び縁がつながりました。

今年の正月には学生時代の友人が私の連絡先がわからず、20年以上たって、実家に突然訪問してきて
一気に8人と縁が戻りました。

何もかもふつうは考えられないようなことが起こって、縁がつながりました。

人生では予測できないことが、良くも悪くも起こる。
過去も今も、未来も自分の軸で、自分に嘘がない生き方をする。
全力で日々生きていくと、そんな縁をプロセスが運んでくるのかもしれません。

今日もあなたが今を大切に過ごされることを祈っています。









年齢を重ねるということ

2024-05-06 14:46:02 | 日記
最近、人生という文脈のなかで、
年齢というものについて、あれこれ考えています。

私が離婚してから15年以上たつのですが、
その当時見えていた将来の景色は、今なわけです。

ある程度予想された部分と予想できない部分があるわけで
ずいぶんと時間が経ったなと思う一方で、
再現ドラマが作れそうなくらいに鮮明な記憶もあります。

自分の両親を見ていて、あれこれ通院したり、手術したりして
なんとか毎日を生活していても、できないことも多くなってきています。

そんなとき、ふと過去は戻ってはこないのだと痛感します。
若い人たちと接していて、何事にも大きな期待と希望をもって生きている姿を見て、
もう一度、20代に戻りたいと思うこともあります。

一方で、今、この瞬間は、10年後に戻りたいと願っても
二度と戻れない時間であることを感じざるを得ません。

過去に戻りたいと思うことはあっても、過去に後悔はありません。
なぜなら、その都度、全力で生きてきて、今につながっていると思うからです。
だから、未来に今を後悔しない生き方とは何か。
それを感じて生きる必要があると感じています。

親との時間も限られているので、できる限り、大切な時間を過ごそうと思っています。

人は生まれたときから死へのカウントダウンが始まっていて、
年を重ねると、その残りを考えます。
実際には、残りがどれくらいあるかなんて、誰もわかりませんから、
明日、明後日に、人生最後の時間が来ても良いように生きることが最善でしょうか。

未来への希望を捨ててはおもしろくない。
だからといって、今を我慢だけして、未来に貯蓄しても意味がない。

今を全力で生きる。
これに尽きると思うのです。

あなたが離婚で苦しんでいる今、この時も、うれしくもないし、望まないけれども
あなたの人生における大切な時間であることには変わらない。

あなたが将来、元気になって、楽しい、幸せな時間を送るとしても、
今の時間は今しか生きることができない、二度と戻らない時間。

苦しいけれど、悲しみが深いけれど、
スマートでなくても、かっこよくなくても、ボロボロでも、
今を生きる、その先に歩みを進める道ができている。