離婚に苦しむ人へ

今、苦しんでいるあなたに寄り添って。

ライフスタイルを考える

2016-06-29 00:00:01 | 日記
いつもいうことだが、

自分の生きる軸とは何か?

このことを真剣に考えているようなひとは

おそらく周囲をみても少ない。

それは、

恋人がいれば、恋人としての役割

親なら親として、

子供として、

会社の肩書

生きているうえで役割から解放されることは

ほとんどない。

だから

みんなその役割こそが

自分の生きる道だと、やるべきことだと勘違いしている

だが、それはどれも正しいが

あなたが生まれてきたミッションではない。

あなたはあなたのための人生を生きるために生まれてきたのであって

役割のためではない。

だから、

リストラされたり、

定年になったり

恋人と別れたり

離婚したり

死別したりと

その役割が突然なくなると

人はうろたえて、自分を見失う。

もちろん、私もそうだから心配はしないでほしい。

ただ、

本来の生きる意味、軸は違う。

何のために生きるのか?

あなたの人生の軸は何か?

そのことを役割ではなく

もっと、もっと深い自分の内面から考えてみてほしい

見えている世界が変化する

世界が変わるのではなくて、

あなたの視野が広がり、視点が変化するのだ

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どうしようか・・・

2016-06-26 00:00:01 | 日記
悲しみも

虚しさも

苦しみも

寂しさも

怒りも

憎しみも

ありとあらゆる感情は

すぐにはなくなりそうもない

どれも解決策もみあたらない

だけど

毎日仕事はしなければならず

食事もしないといけない

いや、何もしたくはないが

ただ生きている

そんな中で

もしあなたのなかに

何かを変えたいと思う気持ちがあるならば

どうしようか・・・と考えてみてほしい

どれもこれも感情は消えてはなくならず

当面はこのままいくしかない

であるならば・・・、どうしようか?

全部、きれいにすっきりできればいいし、

ようやくスタートがきれるならいいが、

実際にはそんな瞬間はなくて

ひとつが解決して、ひとつが新たに出てくる

だから

今の状況を受け入れて

そのうえでどうしようか?

その方が現実的であるようも思う。

なにかできることをひとつ。

せめて食事だけでも大切にしよう

睡眠だけは十分にとろう

お風呂だけはゆっくり入ろう

好きなことだけはしよう

とにかく

今の状況は状況として

そのうえに、新たな行動をとるのです

もちろん、

動けないのに、無理することはないし、

がんばることでもないのはいつもいうのと同じ

できるならすればいいが、

できないならそれで罪悪感をもつこともない

ゆっくりと

それぞれのペースがあるから。

今、動けないでも

いずれそのようなときもくるから。

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自分がわからない

2016-06-23 00:00:01 | 日記
別れという辛さをあじわうとき

その苦しみのなかで

自分とはどういう人間なんだろうと

考えさせられる

思っていた自分とは

あきらかにちがう

行動も

心も

なにもかもが

自分とは思えないような

幸せなときは

調子にのっていたのかもしれない・・・

自分はメンタルがものすごく弱いのかもしれない・・

本来は

自分はものすごく嫌なやつで、性格がねじ曲がっているのかもしれない・・・

なんて卑劣なんだ。。

なんて自立していないんだ。。

なんて依存しているんだ。。。

たいていは、否定的なことばかりが浮かんでくるかもしれない

ある意味で正しい部分もあるのかもしれないが、

多くは正しくない。

そもそも

人間は品行方正でもないし、完全な善でもない。

程度の差はあれ

様々な面をもつのが人間なのだから、

驚くに値しない

もし自分が離婚くらい、こんなことで・・・

と思うようなら、

自分を過大評価しているか

離婚を過少評価しているのかもしれない。

逆に、これくらいなら大丈夫だと思うなら、

喪失というものを過少評価しているかもしれないし

自分の本当の悲しみを抑圧しているかもしれない

ほんとうの自分はわからない

何がほんとうで、ちがうのかも。

ただ大切なことは

喪失で悲しんでいるときに、

何かを思いこまないことだ。

たいていは過大にしろ、過少にしろ間違っているだろうから。

ここで思いこんでしまうと

将来にまで影響してしまうかもしれない。

だから

メモでもしておいて

ほんとうに立ち直ったときに

もっと冷静になれたときに

あらためて自分というものを再点検してみるのだ

苦しみにもがくとき

たいていの認知はゆがんでいる

そのときは当然、冷静だとか客観的だとか合理的だとか

理路整然と思えるのだが、

やはり実際はゆがんでいる

それは抜け出してはじめてわかることだから

今はただそうなのだ、判断しない、思いこまない、

そのことが一番大切です。
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比べる領域を広げる

2016-06-20 00:00:01 | 日記
他人と比較してもしょうがないとか。

自分は自分とか。

世間を無視するとか。

私も言うことも多いし、

多くのひとがいう。

だが、それはあくまで方向性であって

私自身が完全にできているわけでもなく、

いつもいうように

物事の方向性ということ。

矢印がどこに向かうかということ。

この人間社会で生きていれば

人と人の関係性は切れないわけだから

比較しないというのは不可能

不可能なことをできないと悩んでも

永久に悩むことになり、

達成できない。

私もそうだが、

比較する相手が身近すぎるのはひとつの問題ではないでしょうか。

これまで出会った人、

友人、職場、親族。。。

最大限広げても、

テレビに見る人という具合。

そして人は情報を取捨選択しているから、

実際の日本ではホームレスの方もたくさんいるし、

病気で苦しむ人も

震災で被災された方もいる。

けれど、自分より幸せそうな人しか目に入らない。

少なくとも、目指すのはそちらの方向。

それは仕方ないとしても

もっと視野を広げてみるのは良い方法かもしれない。

情報をもっと広げていく。

今はSNSが広がり、フェイスブックも、インスタグラムなどのツールもあるし、

もちろんネットがある。

最近目からウロコだったのだが、私自身は

フェイスブックでは友人としかつながらない、

直接会った人とだけである。

情報漏えいやリスクが高いから。

そしてカウンセラーという職業がら、

私生活をカバーする必要がある。

だが、インスタグラム(写真とコメントだけのもの)では、

世界中に解放している、

あえてコメントも英語で書いている。

世界中の方々がアクセスしてくる。

この日本にいながら、今日、今、この瞬間に世界の人々の動きがわかる。

私はアウトドアが好きだから、世界の景色やそれを楽しむ人との交流ができる。

海外留学や旅行をしなくても

日々、世界の広さと自分の狭さを感じることができるのだ、

一番は、同じこの瞬間にそういうひとがいるという事実だ。

すべてが幸せでもないだろうし、問題や苦悩は抱えているだろう、

育ちも何もかも違うが、この瞬間生きていることだけが同じ。

その圧倒的なリアリティーが違う。

テレビはたしかにリアルだが、加工された情報。

番組が意図した情報だからちょっと劣る。

比較することをやめれないなら

少なくともそこに束縛されるなら、

束縛される世界を限りなく広くしてしまう。

世界標準で比較してしまう。

この効果は大きいと最近感じている。

職場や友人との比較など無意味で、

人生の生き方のモデルでも標準でもないと知る。

いつもいうように

辛さも悲しみも虚しさも

どれひとつとして消えてはくれないが、

それでも効果があると思う。

狭い世界にとらわれなくなる。

一度広がった視野は狭くはできない。

それはまるで小さい子供が歩けるようになり、

自転車にのり、電車に乗り、車に乗れるように大人になるように

行動範囲、視野が広がって、その世界を知れば

後戻りはできないのと同じかもしれない。

比較するなら、

世界と比較してしまおう。

同じ人間なんだし、同じ時間を生きているのだから。

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恐れるとかたまる

2016-06-18 00:00:01 | 日記
毎日、毎日、

将来が不安で、不安で

さびしくて、苦しくて

切なくて、むなしくて。

そんな時間を長くすごしているでしょう。

それでも

どうにもできない不安。

捨てられない虚しさ

悲しみ

寂しさ

人の反応って不思議なもので

恐れると

余計に身体も心も固まる。

高いところにいくと

たいていは足がすくんでしまうでしょう。

発表の前は誰でも緊張して身体が固くなるでしょう。

あまりに

不安に思いすぎると

もう何もできなくなってしまう。

固まってしまうと、

本来よりもずっとずっとできなくなる。

ほんとうはもう少しできるし、動けるのに

本来の自分の力がでない。

だからといっても

不安を手放すなんて簡単にはできない。

なぜなら、不安というのも

人間の防衛本能なのだから必要なことなのだから。

だから

できることは

ずっとひとつのことに固着しないことだけ

不安を少しの間だけでも遠のける。

悩むことから少しだけ離れる。

そうやって

少しずつ

ほんとうにちょっとずつ歩むしかない。
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捨てる

2016-06-16 00:00:01 | 日記
捨てる 

この言葉を聞いて

どう感じるでしょうか。

期待や希望を捨てるというと

なんだか刹那的でもの悲しい。

要らないものを捨てるのは

なんとなく前向き。

プライドを捨てるってのも

わりといい感じ。

思いこみを捨てるのも悪くない。

人生はどこかで荷物を組み替えることが必要かもしれません。

必要なもの、不要なもの

望むもの、望まないもの

そして、

大切な人との別れのように

望まないけれども

手放さなければならないものもあるでしょう

捨てても

また拾えるようにしておいてもいい

一度捨ててみる

再婚したい

恋人がほしい

○○であってほしい

一回捨ててみる

ほんとうはパートナーがほしいけれども

かといって、

願ったらすぐに叶うようなことでもないなら、

ちょっとその想いを捨ててしまう

また気が向いたら拾ってもいい。

捨てたふりしてみる。

物事は硬直するとよくない

こうでなければならいとかたまると

まあたいていはどうにもならない

まな板の鯉になってみる

どちらにしても

自分のコントロールできないことなら

結局は

お釈迦さまの手のひらにいるにすぎないのだから

同じこと。

コントロールできるくらいなら

とうの昔にうまくいっているし

願いは叶っている。

今までの方法でうまくいかないときは、

方向性や方針を変えてみる

いつだって

また同じ方向に向けるのだから。
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人生って・・・

2016-06-14 00:00:01 | 日記
最近、

海老蔵さんの奥様の小林麻央さんが

乳がんで闘病中との衝撃的なニュースがありました。

昨日は、フロリダのナイトクラブで50人もの方が

一瞬で銃によって亡くなりました。

毎日のようにシリア難民がボートが沈んで亡くなっています。

なんでしょうね、人生っていうのは。

そんな言葉が出てきます。

幸せな時間が崩れていく離婚も

大切な人との別れも

そして突然の人生の終わりも

何もかもが突然すぎますね。

その反対に

出会いや、幸せな出来事も

突然なことが多い。

予測して、計画してなんてことはふつうない。

これほど不可思議で、得体のしれないものはないのではないかと

思うほどに、人生というのは予測不能。

南海トラフ地震の予兆などと言われて

30年以内の確率。。。とか言われますが、

ふつうに生きていると、

私は遭遇する可能性が極めて高い。

そのときどこにいるかなんてわからない

この人生というものを

どう捉えるのかは自由です。

不確かな未来よりも、今、一瞬を無駄にしない。

ほんとうに、

一瞬、一瞬を丁寧にする。

今日が最後だと思えば、

無駄に残業するなんてしない

食べたいものを我慢するなんてしない

アルコールで酔いつぶれて寝てしまうなんてしない

勉強だけして遊びを後回しにもしない

今この瞬間に一番大切だと思うことをする

仮に明日の朝起きることができたら

おまけの人生。

おまけの一日。

最後の一日まで、これを繰り返してゆけば、

仮にほんとうに今日が最後でも

後悔しないだろう。

もちろん、苦しいことも、悲しいことも

寂しいことも、泣きたいこともたくさんあって

それもしょうがない。

生きているからしょうがない。

それも当然だと受け取る。

そうやって、一日、一日なんだと。
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無理なときは無理

2016-06-11 00:01:00 | 日記
幸せなときは

なんでもできる

少なくとも

なんでもできるように感じる

あなたの人生において

そんなときもあったはず

苦悩のどん底にいるとき

なにもできない

虚しさや

絶望や

悲しみや

痛みに

動けない

おかしいところなんてない

喪失というのは

だから苦しい

幸せなときと同じように

生活するも、ふるまうのも

仕事するのも、人と接するのも

そんなの無理

それだけ苦しいんだから

だから仕方ない

元気なら

幸せなら

なんでもできる

でも今はそうじゃないなら

できなくてしょうがない

人間そう強くない

幸せのなかにいる人たちは

そのことを忘れちゃっている

だけど

ひとたび同じ状況になれば

そう大きな差はない

みんな崩れおちる

たまには強い人もいるかもしれない

でもふつう、平均はみんな同じ

苦しいときは

無理なものは無理でしょう

みんなね。
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当たり前

2016-06-08 00:00:01 | 日記
離婚して

苦しみ、悲しみ、恨み、憎しみ、怒り、

絶望、虚無・・

あらゆる感情を味わうが、

いつもいうように、

これは多くの人がそうであって、

誤解を恐れずに言うならば、

カウンセリングの教科書にあるぐらいに、

一般的なことでもある。

もちろん、個人でその程度も、期間も、状況も違うのだけれども、

多くの人がこういう感情を味わう。

そして、

あらゆるカウンセリングテクニックがあるが、

もちろん少しは楽になることもあるが、

特効薬がないことも、これまた一般的なのだ。

眠れないなら、不安なら・・、

薬で対処する。これも別にふつうのことで、

風邪をひいたら、風邪薬を飲み、

お腹が痛くなったら、胃腸薬をのみ、

筋肉痛なら、湿布をはるのと同じ。

私の周囲にもいるが、

心療内科に行くなんて、まるで自分が精神的に負けたかのように思う人がたくさんいる。

薬を飲むなんていうと、もう重症かのように感じる人もいる。

だが、知っている人なら、当たり前で、ふつうのことだと思っている。

あまりに知らないのだ。

海外ではカウンセリングに行くなんて、ほんとうに当たり前。

今日は、

だから当たり前だと切り捨てたいのではありません。

この当たり前の感情を無視したり、感じないようにすること自体が

不自然だということを言いたいのです。

大切な人を失って、

生活が大きく変わり、

人生の先行きが見えなくなり、

想像と異なっているのに、

不安でないわけがない、

さびしくないわけがない、

むなしくないわけがない。

そう思いませんか?

相手が不条理なこと、不合理なことをして

自分がこれだけ傷ついたのに、

怒りや恨みがあってふつうです。

だから、あなたが感じるものは

すべて当たり前なのであって、

それを避けることもないし、消すこともない。

そういう状況でふつうなのですから。

世の中には、

「失感症」

という症状があって、

感じることができなくなるものがあります。

これはこれで人にとってものすごく辛いわけです。

本来はその状況で感じるはずのものを感じることができないのですから。

離婚という状況、

大切な人を失った状況において、

苦しいし、不安だし、むなしいし、悲しいし、寂しいし、

誰かに支えてほしいし、あたたかい言葉がほしいし、

人のぬくもりが欲しい。

全部、どれも感じていいんです。

あなたが感じるままに、いいのです。

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放置する

2016-06-06 00:00:01 | 日記
物事は

即断即決、

なんでも白黒つけた方が良いような気もするが、

実際にはそうもいかない。

カウンセリングをしていて

よく言うことなのだが、

白と黒の間、灰色をつくりましょうと。

右が左か、○×、100%か0%ではなくて、

その間はいくらでもできる。

そして、どれだけ考えても

決断できないときもある。

判断できないときもある。

そんなときは

放置してしまいましょう。

ほったらかすのも一つの決断です。

今は、放置すると決断するのです。

いずれどこかで判断は必要かもしれないが、

今はまだ機ではない、

流れではない。

だからひとまず、横に置いておく。

そういうことも時には必要。

いつもいうように、

苦しいとき、

理想の人生、幸せとは言い難い。

だが、ひとまず、

悲しみ、苦しみ、辛さを

一時間でも、二時間でも

ちょっとでもいいから、横に放置してみる。

絶望しているとき

とてもできるようなことではないが、

慢性的な感情に苦しんでいるときは

こういうのも有効かもしれない。

寂しさ、苦しさ、悲しみを横において、

ひとまず美味しい食事をしてみる。

ひとまず大好きな趣味に没頭してみる。

そして、また悲しめばいいし、苦しむ時間があっていい。

物事をひとまとめにするのではなくて、

あえて、ブツ切りにして、細かくして

分けてみる。

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どうせわからない

2016-06-04 00:00:01 | 日記
世の中のビジネス本には、

決断力や、意志力、

そしてToDoリストから、時間術、効率、効果・・・

そんな言葉が飽きるほど書いてある。

たしかに

仕事ではそういうことも大切な面はあるが、

人生はそうはいかない。

予定したとおりに生きる人生なんて、

幸せでも不幸でも、どちらにしろない。

予定どおり○○才で寿命なんてのもないし、

そもそも、予定どおりに生まれてこない。

そういう意味では、子どもを授かることすら制御はできない。

だからいつもいうことだが、

生れるときも、死ぬときも

予定どおりにもいかないし、コントロールなどできていない。

病気もそうだ、

どんなに鍛えぬいたアスリートでも、

癌にかかって、若くして亡くなることもよくある。

誰よりも、運動し、食事を考え、生活リズムを考えているようなアスリートでさえも。

イケメンでも、美女でも、そうでなくても

そういうことに全く関係なく、物ごとは起きる。

だから、どうせわからない。

わかった風にしたり、

まるでコントロールできたり、

自分の努力だ、力だと言っているような人は、

怖いのである、不安なのである。

人生の事実を正面から見据えたならば、

コントロールできるなどとは思えるはずがないし、

論理的に、科学的にもそうだということが

ふつうは理解できる。

だが、それだと不安で生きていくのが辛いから、

みんな知らないふりをする。

そのうち、知らないふりをしていることすら忘れて、

信じ込むのだが、

震災や、自分自身の出来事で、思い出させられるのです。

テレビでも、なんでもインタビューされて、

「まさか・・・」

「自分にも・・・」

こんな言葉は聞き飽きるくらいだが、

ほんとうは全く逆であると思うのだ。

「自分には起こってほしくないけれど。。。

 起こってもおかしくはない。」

 
 自分には関係ないと思っていることの方が

「まさか・・・」 である。

結局わからない。

投げやりに生きることではなくて、

その場、その場を真剣に生きるしかない。

来年に先延ばしして、後悔しないなら良いけれども、

後悔するなら、すぐすればいい。

人生はどうなるかわからない。

最後までわからない。

良い意味でも、悪い意味でも、

わからない。

このことの真実の意味が、深く、深く心に染みわたると、

自ずと、どう生きればいいか見えてくる。




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やり残したことはないか

2016-06-02 00:00:01 | 日記
いつもいうことだが、

自分の人生でやり残したことを

考えて生活している人がどれだけいるだろうか?

先日、スイスのマッターホルン という山のDVDを観ていたとき、

登山はもちろんだが、ツェルマットという麓の街の様子、

そこに世界中から訪れて、トレッキングを楽しむ人々の映像があった。

私にとっても、

素敵なすばらしい場所だし、一度は行ってみたい場所だ。

じゃあ、いつ行くのか?

マッターホルンの登頂は厳しいとしても、

周囲をトレッキングできるくらいの体力があるうちでなければ意味がない。

ふと、そこに行くために行動したこの人たち(映像の)と、自分との違いは何か?と考えた。

最近流行りで、東京オリンピックに追加種目となるかもしれない

ボルダリングというインドアで人工壁を登る競技がある。

昔からやってみたかったが、はまるのがわかっているし、

インドアだけでは我慢できずに、外の岩壁も登りたくなるだろうし、

そうなれば、きっと床では死ねないと思い、避けてきた。

だが、やはりやってみずに、死ねないと思い、

インドアではあるが、挑戦してみたら、やはり楽しい。

多少の怪我はあるだろうが、他のスポーツと比較しても、

危険性はほとんどない。

やはりやってみないとわからないものだと、あらためて知った。

これもやはり機が熟すというか、内面からどうしてもやりたいという想いや

タイミングがあって、きっと昔でも、将来でもない、今なのだと感じるのである。

いつも言うことだが、人生はすべてが経験だと思う。

結婚、離婚、子育て、そして調停でさえも。

日頃、周囲の人たちと接していて、

楽しいことも、そうでないことも含めて

圧倒的に私の経験数が多いと感じる。

逆にいえば、周囲はあまりに狭い範囲でしか生きていない。

人間、安定してしまえば、非常に楽であって、そこからはみ出したくはない。

私だって、離婚するまでも、

圧倒的な多趣味を、しかも素人以上のレベルで実践してきたが、

人生、生活全般については、安定したいと思ってきた。

だから、絶対つぶれないであろう会社にも就職した。

私は、毎日のように考えている。

この生活、この行動、このタイミングでいいのかと。

人生をどう生きぬくのか、

他人との比較でない、自分だけの人生をどう生きていくのかと。







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