あなたは、
最近の世界の事件をみていて
何を思うでしょうか?
最近のテレビの報道をみていて
どう思うでしょうか?
もちろん、自分の苦しみのなかで、
精一杯ですから、他人のことなどどうでもよいか、
そんなことに余裕などないと言う方もいるかもしれません。
自分もそれどころではないとも。
たとえば、毎日のニュースは
芸能人の結婚に離婚に、不倫に・・・
児童虐待、サスペンスドラマを越えるような猟奇的な殺人、
介護疲れからの殺人・・・
世界中のテロ事件・・・
そして、
昨年の御嶽山の噴火や、
つい最近のスキーバス事故、
もう切りがありません。
ひとつひとつはたしかに、直接の関係者ではないかもしれない。
でも、それぞれにそれぞれの人生があり、
やりたいことがあり、
家族も恋人もいて、生きていたことは確かなのです。
私がここで言うまでもありませんね。
誰も、明日の朝目が覚めないとは思わない。
家を出て、夜は帰宅できないなどとは思えない。
誰だって、自分の人生が今日で終わるなんて
想いもしない。
明日の人間ドックで、癌が見つかるなんて思いもしない。
予測もできないし、まして全てに覚悟しているなんてできない。
だから、人生は虚しいなんてことを言いたいのではありません。
そういう論調や、宗教はたくさんありますが、
元も子もありません。
先日も書いたように、配られたカードで考えるしかない。
都度、対処するより仕方ない。
今夜、ゆっくり屋根のある家で、あたたかく布団に入れることに感謝したいものです。
ダイエットするほどに食糧に困らない環境に感謝したいものです。
こうやってネットがつかえて、本が読めて
呼吸もできて、排せつもできて、歩けること、見えること
ひとつひとつが最高のもので、どれひとつ無くても
大きな障害となり、不自由です。
悲しみも、不安も苦しみも減りはしませんが、
今あるものに感謝するとはそういうことです。
他人の不幸を見て、自分じゃなくてよかったとか思うことでもありません。
ある意味で人生は平等に、自分にも在り得ることだと気づくべきです。
そうしたら、
今日、この瞬間に、あなたがすべきことが見えてきます。
離婚はたしかに、ものすごい大きな出来事です。
でも、命もあるし、あるものがたくさんあります。
以前も書いたのですが、
「死ぬこと以外は、すべてかすり傷」
ある女性の経営者の言葉ですが、そのとおりだと感じて好きな言葉です。
100歳を超えた聖路加病院の日野原先生も
「死ぬこと以外の苦しみはすべて、死の予行練習みたいなものだ」と言っています。
苦しみ、悲しみ、寂しさ、・・・
それらを忘れるのでも、なかったことにするのでもなく、
それでも、人生を歩むということ。
どう自分が歩めるのか、それを問われているのだと感じます。
偉そうに言う私自身も、できているわけでもないし、
傍目から、傍観者のように、他人事として眺めてもいません。
あなたと同じで日々、苦悩し、悲しみも、苦しみも
いろいろな気持ちを抱えて、
それを噛みしめて生きています。
最近の世界の事件をみていて
何を思うでしょうか?
最近のテレビの報道をみていて
どう思うでしょうか?
もちろん、自分の苦しみのなかで、
精一杯ですから、他人のことなどどうでもよいか、
そんなことに余裕などないと言う方もいるかもしれません。
自分もそれどころではないとも。
たとえば、毎日のニュースは
芸能人の結婚に離婚に、不倫に・・・
児童虐待、サスペンスドラマを越えるような猟奇的な殺人、
介護疲れからの殺人・・・
世界中のテロ事件・・・
そして、
昨年の御嶽山の噴火や、
つい最近のスキーバス事故、
もう切りがありません。
ひとつひとつはたしかに、直接の関係者ではないかもしれない。
でも、それぞれにそれぞれの人生があり、
やりたいことがあり、
家族も恋人もいて、生きていたことは確かなのです。
私がここで言うまでもありませんね。
誰も、明日の朝目が覚めないとは思わない。
家を出て、夜は帰宅できないなどとは思えない。
誰だって、自分の人生が今日で終わるなんて
想いもしない。
明日の人間ドックで、癌が見つかるなんて思いもしない。
予測もできないし、まして全てに覚悟しているなんてできない。
だから、人生は虚しいなんてことを言いたいのではありません。
そういう論調や、宗教はたくさんありますが、
元も子もありません。
先日も書いたように、配られたカードで考えるしかない。
都度、対処するより仕方ない。
今夜、ゆっくり屋根のある家で、あたたかく布団に入れることに感謝したいものです。
ダイエットするほどに食糧に困らない環境に感謝したいものです。
こうやってネットがつかえて、本が読めて
呼吸もできて、排せつもできて、歩けること、見えること
ひとつひとつが最高のもので、どれひとつ無くても
大きな障害となり、不自由です。
悲しみも、不安も苦しみも減りはしませんが、
今あるものに感謝するとはそういうことです。
他人の不幸を見て、自分じゃなくてよかったとか思うことでもありません。
ある意味で人生は平等に、自分にも在り得ることだと気づくべきです。
そうしたら、
今日、この瞬間に、あなたがすべきことが見えてきます。
離婚はたしかに、ものすごい大きな出来事です。
でも、命もあるし、あるものがたくさんあります。
以前も書いたのですが、
「死ぬこと以外は、すべてかすり傷」
ある女性の経営者の言葉ですが、そのとおりだと感じて好きな言葉です。
100歳を超えた聖路加病院の日野原先生も
「死ぬこと以外の苦しみはすべて、死の予行練習みたいなものだ」と言っています。
苦しみ、悲しみ、寂しさ、・・・
それらを忘れるのでも、なかったことにするのでもなく、
それでも、人生を歩むということ。
どう自分が歩めるのか、それを問われているのだと感じます。
偉そうに言う私自身も、できているわけでもないし、
傍目から、傍観者のように、他人事として眺めてもいません。
あなたと同じで日々、苦悩し、悲しみも、苦しみも
いろいろな気持ちを抱えて、
それを噛みしめて生きています。
今日はなぜか
私は元夫に捨てられたのだ
こんなに外に出て行く気力がないのに45歳でこの先人生のパートナーは見つかるのか
という思いに捉われています
今は次男の養育が優先ですがいずれ巣立っていくでしょう…両親を看取る時私は耐えられるのか…
孤独でも生きていけると思いたいけど…
なかなかまっすぐに回復へ進めません…
現状や将来への不安・・・
気持ちがどうしても揺れ動きますね。
回復へまっすぐ進みたいけれども
焦っても、なかなかそうもいかない。。。
なんだろう・・・そんな感じでしょうか。
子供の前では、耐えるしかない部分も
あるでしょう・・・。ほんとうにつらいですね。
一歩、一歩ですね。
良い思い出というと旅行ばかりですね…日常は気性の激しい相手の顔色を窺っていたことも多かった…でもあんなに良い時もあったのに…こんなに無常を知った今、無常と知りつつ何かを一生懸命することに意味はあるのでしょうか?
将来を考えても仕方ないけれど…1人になるのが怖いのです…私はまた伴侶に出会えるのでしょうか?結婚という形でなくてもかまわないけれど、安心して側にいられる相手が欲しいですね…
少しずつだけど終わりつつあります。
離婚までの三カ月で疲れたからか?以外と淡々と過ごしてます。
また、ここから別の人生が始まると思うと少しドキドキしたりもしますが、生きていこうと思います。
良い思い出ほど心に残り、
そして思い出すと苦しくなりますうね。
無常・・・、良いことも悪いことも。
一生懸命する意味があるのだろうか。。。
そんな想いもあるんですね。
そして、安心して一緒に居られる相手がほしい。
ひとりが怖く感じられるんですね。
そして、
その気持ちってとても大切に感じます。
心を閉ざすことなく、そういう相手を求める気持ち、
大切ですね。
ひとつずつ進んでいるんですね。
そして、これからの時間にドキドキも感じる。
いろいろな想いが出たり入ったりするでしょうが、
一歩一歩、ご自身の範囲で大丈夫。
応援しています。