離婚に苦しむ人へ

今、苦しんでいるあなたに寄り添って。

変化への歩み

2015-08-30 06:12:13 | 日記
おはようございます。

さて、昨日はちょっと映画を観てきました。

あまり映画館には行かずにDVD派なのですが、

これぞというのだけは観るようにしているんですね。


わたしに会うまでの1600キロ


もう数か月前のことですが、

「wild」 という洋書を買ったときから

日本での上映を楽しみにしていました。

これもプロセスと思うのですが、

ふとスマホを見ていて調べたら今週末だというので、

慌ててチケットをとりました。

行ったら劇場は完売でした。

8/28公開になったばかりでTOHO系だけなのですが、

ぜひおすすめいたします。

ネタばれしてはいけないので、

公式HPで見てほしいのですが、実話です。

主演の女性は、母を亡くし、離婚し、自暴自棄に。。。

自分を変えるために

大自然の1600キロものトレイルを始める ってお話。

グリーフ(喪失)の専門家として観ると、

相当に深い内容なのですが、

きっとあなた自身と重ねてみると、

勇気をもらえるのではないかと思い、急ぎご紹介しました。

やはり
実話だからこそのインパクトでしょうね。

私にはとても大きな気づきと、インパクトがありました。

外出もどうしても辛い・・・

映画館なんて、カップルだらけだし。。。

そんな方もおられるでしょう。

私も辛いとき、人の集まるところに行くのはしんどかった。

日本語の本もアマゾンでありましたので、そちらだけでもどうぞ。

映画と同じタイトルです。

ちなみに、ほとんどカップルはいませんでしたね。

比較的年配の方も多かった。

独りで観て、じっくり考える そんな映画かもしれません。

あなたの何かの気づきにつながれば幸いです。
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これから先どうするか

2015-08-30 00:00:01 | 日記
こんばんわ。

いつも言うことですが、

あなたの未来は確定していません。

苦しんでいる状況では、

もう人生がすべて灰色で終わったようにも感じます。

未来はこれからつくられるわけで、

苦悩していても、いなくても

あなたには、無数の選択枝があります。

だから、世の中では、

引き寄せの法則だとか、

ポジティブシンキングだとか

スピリチュアルな法則だとか

いろいろな方法論?で、がんばろうよ!!とか

あなた次第、考え方次第!というように

仕向けてきます。

もちろん、私自身も苦悩のなかで

いろいろな思想やアイデアをほんとうに真面目に試してきました。

もちろん、どれも正しくもなく、間違ってもいない

そういうふうに感じます。

ただ、

今、私個人の感想としては、

この瞬間の選択ですらも、見えない力で決められている

自分で選択しているように感じてはいても、

強い意志でがんばって、努力して

考え抜いて選択してはいても

結局のところは、

お釈迦様の手の上

神様の計画したとおり。

知らないプロセスが進んでいる。

自分には生涯知ることはできないが、

知らないからといって、そうでないわけではない。

私にとっては、そういうふうに感じています。

これから先の人生に不安を感じない人はいないでしょう。

年をとればとるほどに。

でも、究極的には、

人生とは、その与えられた中で生きるしかない。

トランプのポーカーゲームで例えた人がいました。

「配られたカードで、手を考える。」

あーだったら、こーだったらと考えても

しょうがない。

自分にある手持ちのカードで勝負するしかない。

たとえそれが不利でも、嘆いてもしかたない。

次に配られるカードにかけるしかない。

夢も希望もないような話かもしれませんが、

まるですべてが選択できて、自由になるような思想には

なんだか嘘があるようにしか思えません。

ポジティブなことは素敵ですが、

人間はそう簡単にはいきません。

だからこそ、

配られたカードで行くのだと言う覚悟

割り切りかもしれませんが、

これしかないようにも思えるのです。




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深い孤独・・・

2015-08-28 00:00:01 | 日記
離婚して

一番苦しいことのひとつに、

孤独感がありませんか?

独り家で過ごしている夜、休日、

周囲は家族で、カップルで楽しく過ごしているのを目にする。

テレビでは、あちこちのレジャー施設の宣伝や番組。

会社に行けば、おみやげのお菓子。

同僚との飲み会があれば、

家族や子供の話。

3連休ともなれば、本来は楽しい時間。

でも9食をひとりで食べる。

もちろん料理などする気になれないし、

友人となんて会いたくもない。

もちろん、どれもこれもさびしく感じるでしょう。

でも、何より一番苦しいことは、

そんなことよりも

深い孤独感・・・。

どんなに楽しく友人と飲んでいても、

パートナーほど、自分のことを見てくれて、

心配してくれて、気にかけてくれる存在にはならない。

今日どんなことがあって、楽しいこと、辛いこと、不安なこと

そのどれもを自分のことのように感じて

同じように楽しんだり、悲しんだり、心配してくれる存在。

今日、いつどこで何をしているか心配し気にかけて、

そして無事に帰ってきてくれることを想ってくれる存在。

またその逆に、そう想う相手。

そういう存在を失う悲しみはあまりに大きい。

そして深い。

これはどんなに仲のよい友人でも埋めることのできない深い孤独。

そして、その深い孤独を

誰にも話せない苦しみ。

聴いてくれる友人はいるかもしれない。

でも、話すにも遠慮してしまう。

きっとあなたも今、苦しんでいるでしょう。

そんな想い、ここにコメントしてください。

少なくとも、

私はあなたのその孤独感、不安を

この瞬間に一緒に感じさせてください。

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どうして・・・

2015-08-26 00:00:01 | 日記
人生で、

わからないことが多すぎます。

どうして・・・こういうことになったのか、

もしかすると、いまだに自問しているかもしれませんね。

今回の離婚において、

おそらく

あなたは、特別な悪事をしたわけではないでしょう。

職場や、友人と比較して、

パートナーをないがしろにしすぎたわけでもないでしょう。

もしかすると、

周囲の誰よりも、相手を大切に想い、

その時々を大切に考えて接してきたのかもしれません。

もちろん、完璧なことなどありませんから、

時には大ゲンカもしたでしょうし、

意見が対立したり、

何日も会話を閉ざすようなこともあったかもしれません。

自分の意見や、主張を通すために

言い張ることや、

相手を思いやるゆえに、嘘をついたこともあるかもしれません。

でも、そういうことは、結婚していれば

どこの夫婦でもあることで、

ドラマのようなリア充的な夫婦など、

新婚さんくらいなものでしょう。

だから、後悔はたくさんあるだろうし、

反省もあるだろうけれども、

あなたがこれだけの苦悩をしなければならないようなことは

何一つしていないのだと断言します。

ただ、どうして・・・

この問いは長く続くかもしれません。

答えなどないし、相手次第のことですから

いつまでたっても理解できることはないかもしれません。

ただひとつお伝えしたいことは、

あなたは正当に十分に苦しんでいます。

少なくとも、

苦悩している時点で、あなたはまともです。

そして、さほど外れた生き方はしていない。

少なくとも、人並み以上でしょう。

いくら考えても理解などできません。

どうして・・・

答えは出てきません。

しいて言えば、あなたの相手ゆえに、

この結果となった。

ただそれだけのことであって、

それ以上のことはありません。

あまり自分を責めすぎないように。

そして、追い込まないように。

私はそうあたなに伝えたいと思います。

苦しんているあなたは

十分に、真摯に生きています。
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答えがでない

2015-08-24 00:00:03 | 日記
苦悩にあるとき、

人はあらゆることを問う

自分自身に

神に

相手に

でも、答えが出ることは稀だ。

おそらく正解などない問いなのだろう。


「どうして相手はこうなったのだろう。」

「いつ、どこで、対処を間違えたのだろう」

「今の相手はどんな気持ちでいるのだろう」

「どうして、私だけが、こんなに辛い想いをするのだろう」

「自分の何が悪いというのだろう、何を改善すれば・・・」

無数のなぜ、どうして、何が・・・

もし、ひとつでもわかれば、

何か進めるような気がするのかもしれない。

もしかすると、

何かに押しつぶされそうで、

何かの問いを発していた方が、まだ多少は気がまぎれているのかもしれない。

いずれにしても、

納得できるような答えは出てこない。

そもそも、冷静に考えると当たり前だが、

仮に答えが出ても、正解かどうか確かめることができないことが多い。

苦悩のなかにあって、

答えのない問いを発すること、

そのことが苦悩そのものなのであり、

苦悩しているゆえに、問うのである。

そんなとき、

私たちにできることは、

祈ることであり、

信じることであり、

待つことであり、

変化を起こすことであり、

変化を待つことかもしれない。

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相手の気持ちはわからない

2015-08-22 00:00:01 | 日記
相手の考えていること

気持ち

思考回路

どれもわからない・・・。

別れるとき、

多くの人がそう思うでしょう。

そして、独りになり

多くのことを考えて、

相手の気持ちを推測します。

でも、どこまでいってもわかりません。

いつから相手の気持ちがわからなくなったのだろう・・・

いつからこんな人に変化したのだろう・・・

実は、はじめからわかってなどいなくて、

わかったつもりでいた、

それが正しいかもしれません。

カウンセラーは、相手の想いに共感はしても

同感はできませんし、

相手の想いを推測はできても

わかることはできないのです。

そのことを徹底的にトレーニングされています。

だから安易に、「わかります」とは言いません。

だって、その人の苦しみはその人のものですからね。

あなたのパートナーも自分もお互いに

相手はこう思っているだろう。。。その交換のなかで、

関係していたのです。

それがうまくいっているときは、

なんだかわかっているような気になるのですが、

実はそうわかっているわけでもない。

別れたからわからないのではなくて、

はじめから人間関係というのは、そうなのです。

そして別れて、相手の気持ちを確かめることができない今、

それを確認することも修正することもできない。

考えても答えのないことなのです。


「どうして、相手はこんな決断を下したのだろう・・・」

「子供がいるのに、どうして・・・」

「新築の家を一緒に選んだのに・・・」

「ほかにも選択肢はなかったのか・」

「先日まで一緒に食事して、旅行して。。。」

「先日まで、来年の計画をしていたのに・・・」

もう考えても、どれもこれも答えのないこと。

でも多くの人がこの思考ループにはまります。

それもしょうがないのです。

誰しもが、一度ははまります。

身もふたもないですが、それが人なんです。

どこかで、振り切るしかないのかもしれません。

まあ、たまに考えてもいいのかもしれませんしね。



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甘えたい気持ち

2015-08-20 00:00:01 | 日記
先日、

「さびしい」 そんな想いについて書きましたね。

あなたの心の中にある

「甘えたい」

そんな気持ちに気づいていますか?

男性は、なかなかそんなこと言えないのかもしれません。

いや、女性だって、少し恥ずかしく思うかもしれませんね。

心から信頼する相手だから、

心折れたとき、

仕事から疲れて帰ってきたとき

一日の家事を終えて、ひと休みするとき、

ふとちょっとしたときに

「甘えたい」

そんな気持ちがあるのではないでしょうか。

甘えることは依存することとは違います。

また一応ですが、

依存が悪いのではありません。

人は誰でも依存して生きています。

ただ、自分を見失ってしまうような共依存や、

過剰な依存はよくないでしょう。

ただ、依存は誰でもしているのです。

人にうまく甘えられるってことは、

相手を信頼していないとできません。

実は、うまく甘えることのできない人、たくさんいるのです。

小さいときから、親に甘えることができず、

いつも独りでがんばってきたら、

大人になって、いきなり甘えることは難しいかもしれません。

それでも、結婚して大切な相手には

多かれ少なかれ、甘えたこともあるのではないでしょうか。

何を甘えるというのかは、むずかしいですが、

要するに、自分をさらけ出す、素の自分でいるということでしょうか。

飾らず、そのままの自分で相手に接すること。

さびしさ・・・

これは甘えることのできない そんな気持ちも含まれるのかもしれません。

甘えることは、恥ずかしいことではないのです。

誰だって、甘えたい気持ち、あるはず。

それができないから、

「さびしい・・・」

そして、苦しい。。。

あなたの中にある 甘えたい想い

それはそれでいいのです。

自然なこと。

だからって

安易に、周囲に甘えてみても、虚しかったりします。

甘えるって、相手も自分に甘えてくれて、

お互いに、交換するものです。

心から、甘えられる相手がほしい。

そう願うこと、切望すること、

それはけして悪くないと思いますよ。

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さびしい

2015-08-18 00:00:01 | 日記
ふと、自宅でひとりで過ごす時間

いや、仕事をしていても

何かの集まりに参加していても、

買い物など

日常のなかで、

どんなところでも、

心の中にふと浮かぶこと

「さびしいな・・・」っていう想い。

さっと、拒否してみたり、感じてないふりしたり、

抵抗してみるかもしれない。

だって、気持ちが揺さぶられて、生活していけないから。

もし、あなたが、さびしさを感じないなら、

将来への不安や、虚しさも少しは軽減するかもしれない。

周囲の人には、

自分のことを大切に想い、待ってくれている家があり、人がいる。

たしかに、親や兄弟はいるかもしれない。

ほんとうの意味での独りではないのかもしれない。

ただ、お互いに信頼するパートナーの存在には代えられないもの。

「さびしい・・・」

これしょうがないですよね。

だって、いままでは、パートナーがいた。

想う相手がいた。

いつも気にかける相手がいた。

そして、自分のことをきにかけてくれる相手がいた。

「おはよう」

「おやすみ」

「おつかれさま」

「おいしいね」

「だいじょうぶ?」

こんなお互いの想いがあった。

そんな中で、人は無意識に安心できるのかもしれません。

だから、「さびしい」

しょうがないですよね。

「さびしさ なんて感じない」

そんなのは、ちょっと無理しているのかもしれませんね。

若いころ、恋人がまだ一度もできていないころの独りとは、

今は違う。

パートナーの大切さを知ったのだから、

やはり 「さびしい」

しょうがない。

そんなときは、

「さびしい」 そう素直に言いましょう。

そして、

「それもしょうがない」 と。

みんなそう。

さびしさを感じない人なんて、きっとあまりいない。

二人から独りになるってそういうこと。

大切な人と別れるってそういうこと。

その気持ちを否定するのではなく、

素直に認めて、感じて、涙して、

そしてまた明日からも歩もう。

この「さびしさ」 ほんとうに味わった人なら、

お互いに過剰な依存ではなく、相手を必要とし、

心から大切な存在として相手を想えるはず。

だから、

今は、辛いけど、「さびしい・・・」けれど、

少しずつ、ゆっくり歩もう。






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過去と未来の関係

2015-08-17 00:01:00 | 日記
今回は、

少し質問形式で。

「あなたの過去は、未来にどう影響するだろうか?」

離婚すると、

どうしても、軌道修正したくなります。

まるで離婚なんてなかったかのように

新しい家庭を築き、以前の生活に戻りたい。

多くの周囲と同じような生活がしたい。

離婚したということすら忘れて、

新しいパートナーと生きていきたい。

そんな想いにかられます。

逆に、

過去の出来事に捕らわれすぎれば、

未来も自由はありません。

先日にも書きましたが、

人というのは弱いので、

どうしても、楽な方向にいってしまう。

誰でもそうです。

だからこそ、仏道での出家生活や、インドの行者、

キリストの修道者は、俗世間と違うのでしょう。

日常に生きていれば、

数々の誘惑に勝つことなど不可能でしょう。

そして、

過去をなかったことにはできない。

これが厳然たる事実です。

ただし、朗報は

人生の未来は、これからの出来事であるということ。

少なくとも、過去とは直接的な関係はない。

たしかに、離婚したという事実が未来に影響するようにも感じる。

再婚にも影響するように感じる。

だが、ほんとうは少し違うのではないか。

影響を受けるのは、自分自身の気持ちであり、新しい相手の気持ちであり、

親や周囲の気持ちなのだ。

養育費があれば、収入的にも影響はたしかに受ける。

仕事や生活環境も影響は受けている。

だが、そんなこと関係なく、新しい生活をしている人もいる。

そしてもうひとつ大切なことがある。

こう言われても、

あなたは、

「そんなふうには思えない。離婚という事実は未来に影響している!!」

「もう未来は、真っ暗で、希望などみえない」

「自分にはもうどうしようもない」

こう反論するかもしれない。

それはそれで間違いではない。

あなたがそう思う限り、それは事実であり、そのとおりなのです。

私が否定するようなことはない。

どんな考え、想いも、あなたが想うことが事実なのです。

あなたがどう考え、どう思い、落ち込み、苦悩し、悲しみ、後悔しても、

それはあなたのあなたがもつ感情、思考だから、

それはすべて間違いでないことは、私は断言する。

それらすべてをあなたが認めた上で、

そこで、私からもうひとつ、あなたに聞いてみたい。

「残りの人生、どうしていきたいですか?」

あなたが生きたいように、生きていくことが

あなたの人生なのです。

誰にも責任はもてないし、保障もない。

誰にも、選択権もない。

ただ、少なくとも、あなた自身は全部でないにしろ、

多少の選択権はあるのです。

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変化する覚悟

2015-08-16 00:01:00 | 日記
人は変化が怖い

とにかく不安なものです。

だから、親と同じような人生や

大多数の人がこれで良いとしているライフスタイル

無意識に、そして意識して

それをまねていく。

離婚して不安なことのひとつに

やはり変化があるでしょう。

現実的なお金、将来、・・・などの不安はもちろんであるが、

それ以上に、自分の環境の変化が怖い。

環境だけでなく、人間関係、仕事、体調・・・

全てに変化がつきもので、

気の休まる暇がない。

だが、

どこかで変化を覚悟しないといけない。

これはもう技術でも知識でもなく

単なる勇気かもしれない。

しかも誰も助けてくれない。

前に進むという勇気。

覚悟したら、楽になるわけでも、

最短距離があるわけでもない。

あなただけが不安で、ほかの人はそうでもないというのではない。

誰もが大きな不安をもちながらも、

一歩を踏み出す。

そこには、人並みはずれた、偉大な勇気しかない。

人生からの問いかけに、応えていくという勇気。

この絶望に対する、私の応えはこれだと返す覚悟。

人は、何かを想いきらなければ、長々と留まるしかない。

その方が楽であるし、不安も少ない。

ただ、そのこと自体が実は人生という時間を削っているということに

気付けたとき、どうしたら良いのか、自ずと自分で答えが出てくる。

だからこそ、絶望に、苦しみに、悲しみに十分に時間を費やし、

全力で向かい、敗れ、苦しみ抜き、道を求める。

このことが決断と覚悟につながっていく。

ただ、覚悟しないのとするのでは

大きく違う。

何が違うか。

前を向く力強さが違う。

離婚という絶望を経験した今、

もはや、死以外や、死ぬことさえも恐怖ではなく、

さらに、それを超えたとき、

人生で恐れることなど何もないと知ることである。

これまでの人生は、周囲の友人と同じような、

まあ大きくは変わらない人生だったのかもしれない。

でも、この経験を経て、

大きく変化したあなたは

今、新しい自分だけの人生を歩んでいることは間違いない。

あなたのオリジナルな人生。

これから先をどうデザインして生きようと

あなたの人生なのだ。



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本気で捉え方を変えてみる

2015-08-15 00:00:01 | 日記
苦しみ、もだえ、絶望し

立つことすらできないとき、

それは悲しむときです。

そして、悲しみ、苦しむ時間に正解なんてないし、

人それぞれの時間がある。

でも、周囲の人はそんなことを待ってはくれない。

だから、

会社に行けば、平然と仕事をせざるをえなくなるし、

家族とあえば、元気になりつつある態度で

心配をかけないようにする。

それでも時間か経過するなかで、

少しずつ考えたり、

将来をイメージする余裕も出てくる。

いろいろな本や、このブログのようなものを読み、

セミナーに参加したり、あたらしい趣味を始めることもあるだろう。

人というのはとても簡単に忘れてしまうし、

環境に適応してしまう。

周囲に好みの異性が現れて、それに夢中になったり、

期待したり。

どれもこれも、対処なのだからそれはそれでいい。

ただ、どこまで本気か? そのことが大切なのです。

この経験を糧にして、どこまで過去のとらえ方、将来への道

それらに真剣に取り組むか?

そこです。

おそらくほとんどの人が再び、過去と同じ道に戻っていく。

楽だから。

そして、苦しみが減り、楽しいこと、希望も増え、

さほど難しいことを考えずとも、生きていけるようになってしまうから。

だから多くの人はそのままなのです。

ちょっと成長するだけでおわってしまう。

あれだけ苦しみを味わったのに。

過去の経験には意味があるとか、

人生には意味があるとか、プロセスを信じるとか・・・

これらを、あいまいに、そして都合よく持ち出しても

あまり効果はないかしれません。

神様を信じてますと言いながら、

自分の欲しいものがあるときだけ

苦しいときだけ、

お祈りしているようでは、

それは神様から見ても身勝手というもの。

要するに、どこまで本気で、人生へのとらえ方を

良い方向へ転換できるのか?

そこが一番大切なのです。
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正常でないことが、ふつう

2015-08-13 00:00:01 | 日記
恋愛の別れにしても、

離婚にしても、

もちろん、死別にしても

別れというのは、苦しい。

出会わなければ、別れはないのだが、

それにしても

苦しみたくはない。

別れに苦しむとき、

とても自分自身が正常とは思えない。

食事もとれず

仕事もできず

外出することすらできない

睡眠リズムどころか、

十分に眠ることもできず

アルコールを飲み、

薬を飲み、

もはや、いままでの自分とはかけ離れたかのような生活

でも、

すべてが正常な反応

正常ではないことが、ある意味で正常。

そんな状況で、まともな顔をしているなら、

極端に感情を抑圧しているのか、

相当にメンタルが強いのだろう。

多くの人はそんな顔を外では見せない。

だから、他人はみんな強くて

何か自分だけが弱いような気になる。

だが、このブログに寄せてくれているみんなのコメントを読んでみてほしい。

どこに平気な顔をして過ごしている人がいるだろうか。

みんな精一杯で、ボロボロになりながら、

自問自答を繰り返し、

自分を鼓舞しながら、なんとか今日を生きようとしている。

楽な人なんていない。

正常に生活できるような人なんて、ほんとうにいない。

だから、そんなことで落ち込む必要などないし、

人並みなのだと知ってほしい。

人は強くない。

弱さではなく、それが人というものだということ。

不安、悲しみ、恐怖、焦り、怒り、恨み、・・・

そんなマイナスにも思える感情も

誰もがもっている。

けしてあなたの人間性が未熟なわけでも、

性格がねじれているのでもない。

人としてふつうの感情なのだ。

それらの感情を十分に味わうことなしに、

ほんとうに立ち直ることはできない。

絶望や、挫折が、そんなに楽なはずはない。

余裕があるくらいなら、みんな苦しまないし、

一度や二度、絶望してみて、何か簡単に気づけるなら

誰でも喜んで体験してみるだろう。

そんなに楽なものではない。

だから、そこから這い上がってきた人は

真にやさしく、強い。

人は弱いものだということを

ほんとうの意味で知っているのだから。

もしあなたが絶望の淵にいるなら、

ほんとうに優しい、すばらしい人間になるチャンスがある。

これからの人生で

いままでとは違う、精神が成長した人として生きるチャンスがある。

どんな方法でもいいから、

今、この瞬間の苦悩をやり過ごしながら、

もう一度、浮上しよう。

覚悟するのは、その一点だけで十分だ。

今日は、ボロボロでもいいじゃないですか。

明日は、動けなくてもいいじゃないですか。

でも、覚悟だけは軸にして、いつか浮上すると。
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かっこいい耐え方

2015-08-12 00:01:00 | 日記
あなたが苦悩するとき、

もうこの一日どころか、この一瞬すらも耐えられないほどの状況であるとき、

あなたは、どんな状態でしょうか。

睡眠がとれず、

満足な食事もできず、

見るものすべてが白黒の世界

周囲の事や人々は、

まるで自分の人生から切り離されたかのような。。。

仕事など手につくわけもなく、

電車に乗ることすら不安で、恐怖。

周囲の人がみんな自分の離婚について知っていて、

あえて黙っているかのように感じる、根拠のない重圧。

思い出のある町や場所に行くなんてとても不可能で、

そもそも人に会うことすら避けて、

深夜や早朝にスーパーに買い出しにゆく。

テレビの音も、何も耳には届かず・・・。

安定剤や睡眠剤、

そして、アルコール。

身体が鉛のように重く、

心臓やら、あちこちが痛く感じ、

ちょっとした拍子に動悸が止まらず。。。

どれかひとつと言わず、いくつも当てはまるのではないでしょうか。

そう、みんなそう。

サラリとかっこよく記者会見なんかする芸能人は見せかけだけ。

ほんとうは、苦しんでいる。人前に出る仕事だから演じているだけ。

そんな離婚はドラマの中だけ。

離婚で苦しまないのは、

すでに新しいパートナーができて別れるとか、

相手に責任を押し付けて、批難しつづけて、

虚偽で塗り固めた人。

これだけ辛くて、苦しくて、悲しくて、虚しくて・・・

かっこよく耐えられるはずがない。

そんな余裕があるなんてありえません。

余裕があるなら、どうしてそうなのか

真剣に考えることが必要かもしれません。

少なくとも、この記事を読んでいるあなたは苦しすぎる状態にあるでしょう。

だから、かっこつける必要もない。

楽勝ムードで周囲に接する必要もない。

簡単に立ち直ったふりをする必要だってない。

みせかけだけ元気を見せる必要もない。

だって、それだけ辛いのだから。

涙すら出てこないくらい辛いかもしれない。

アルコール飲んだっていい。

そんな簡単には依存しないし、元気になれば、大丈夫だから。

安定剤も、今は依存なんかしない。

元気になれば自然に不要になる。

かっこよく耐える必要なんてないんです。

もうボロボロむき出しで、かっこ悪くてもなんでもいい。

それでも、耐え抜いた人の方が、人として素敵だと思いませんか?

苦悩を超えていない人には、想像できない。

どんなに熱意があっても、誠実でも、がんばっても

どこまでいっても、むずかしい。

親や子供を亡くしたことのない人に、

その苦悩の深さがわからないのと同じ。

苦悩を乗り越えた人にしかわからない想いがある。

ただ耐え抜く。かっこ悪くても、耐え抜く。

必要なのは、経験や能力ではなくて、覚悟と決意、信じること。

それ以外に、この想像を絶する苦悩を乗り越える方法などあるだろうか。

そんな方法があれば、みんないくらでもお金を出すだろう。

どんな方法を使ってでも、耐えてみせる。それだけかもしれない。











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ひとりではできないこともある

2015-08-11 00:01:00 | 日記
離婚後に

新しいパートナーを求める想いは多くの人がもつものでしょう。

その新しいプロセスでは、

喜びもあり、失恋のような悲しみもあり、

出逢いと別れもあることでしょう。

少なくとも、あなたは、恋愛がいつも結婚というゴールにならないことは、

これまで幾度も経験してることだろうし、

理解もしているでしょう。

それでも、離婚を経験し、

いろいろな苦悩を乗り越え、

そして新しい人生をめざして

ふたたび、人を愛するということを

勇気を出して、踏み出したとき、

もしかすると、

はやく幸せな家庭を築きたい

女性なら子供がほしい

再び・・・という想いが募り、

焦りとともに、喜び、期待をもつ。

でも必ずしも結婚というゴールに結びつかないこともある。

そんなことは百も承知しているが、やはり落胆する。

昔の恋愛以上に落ち込む。

そんな経験もあるかもしれない。

以前にも書いたように

結婚しなければ、離婚はしないが、

そこまで親密な関係になったからこその

苦悩だし、絶望だし、学びなのです。

友人関係や、ちょっとした恋愛レベルでは

そこまで深い感情をもつこともないし、苦悩もない。

関係性の深さに応じて、学びの深さも変化していく。

離婚して、再び歩み出したからといって、

すぐに理想の人格になれるわけでもなく、

あなたが学ぶべきことがなくなったわけでもない。

もしそのプロセスで新しい恋人と出会うことができたなら、

次のステージというだけのこと。

離婚の苦しみを超えて、少なくとも

ひとりで学べることは学び、また新たな学びへと進むということ。

先ほども書いたように、人間関係は、深い関係性の中でしか

なかなか本当の学びはできない。

次の恋人とゴールできないからといって、

それは悲しく、虚しさもあるには違いないかもしれないが、

失敗だと感じる必要はない。

新しい学びで、あなたは成長しつつあるのだ。

告白して、ふられたからといって、断じて失敗などではない。

一歩踏み出しているのだから、進んでいる。

自分が完全に内省し終わるまで、

自分が理想の内面や外面を整えるまで

それまで新しいパートナーを求めないと決めつけるのも

あまり望ましくないように感じる。

先にもいったように、自らの成長には

他者との関係性のなかでしか学べないことがあるのだから。

そしてそれを学ばない限り、次へ進めないこともある。

もちろん、極度の依存や、自身の虚しい、さびしい感情を埋めるだけの関係性は

避けた方が良いだろう。

いままで以上に、その部分は厳しく自分で内面を確認し、精査しないといけない。

だが、臆病になりすぎたり、慎重になりすぎていては

これもまた極端だ。

そして、離婚後に大きく下がってしまう自己肯定感。

下がりきった自己肯定感のまま、接点がもてる相手は、やはり同じ性質の相手である確率が高い。

無理やり、以前とは違う性格の相手を求めたところで、それは形だけにすぎない。

つまり、供依存の関係に陥りやすい。

なぜなら、相手に求めているものが大きすぎるからだ。

次の一歩で気を付けること、

何度離婚していようとも、

子供がいようが、

収入はなんであれ、

年齢にかかわらず、

自分は正しい道を歩み、人として成長していて、

それを認めてくれる相手を求めているのだという

確固とした自己肯定感。

恥じることもない。

あなたの雰囲気、発言、行動、それらに強い肯定感が感じられたら、

自ずと、あなたの魅力は輝くはず。

そして、いつも言う、類は友を呼ぶ。

もし、自分のことを認めてあげることができないなら、

ほんとうの相手が認めてくれるはずはないのではないでしょうか。

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導かれる(2)

2015-08-10 00:00:01 | 日記
さて、今回は、

プロセスというものについて、

感覚的なものを話します。

なぜ感覚的か?

当然、論理的なものではないし、

先にも書いたように

あなたが生きていくうえで、

どちらに一票を投じるか、それだけの問題だからです。


どんな言葉が一番しっくりくるのか・・・

「余儀なくされる」

「導かれる」

こんな感じでしょうか。

良いことも悪いことも含まれます。

もちろん、悪いことは起きないように努力もするし、回避しようともする。

それでも、回避できないことがある。

別に努力ぜずに祈ればいいとか、何もしなくてもいいということではない。

目の前に、食費もないような生活をしている人がいるとする。

食べ物が与えられますように・・ そう祈ったところで、何も起こらない。

あなたが食べ物を分けてあげたらいい。

目の前で、怪我をして、血を流している人がいるとする。

傷が癒えますようにと、神様に祈っても、何も起こらない。

あなたが手当をしてあげないといけない。

良い大学に合格するようにと祈っても、

勉強しなければ合格しない。

素敵なパートナーと出逢いたいと願っても、

ずっと家の中にいるなら、出逢うことはない。

あなたがとる行動すべてに意味があり、プロセスが働いている。

あなたの行動そのものこそが、プロセスなのである。

どんなに素晴らしい関係性でも、続かないこともある。

どんなに健康的な生活をしていても、病気になることもある。

そんななかで、

あなたの人生を振り返ったとき、

パートナーとの出会い、別れはもちろん、

中学、高校、大学・・・就職

いろいろなシーンで

鍵、転換点ともいえる出会いや、物事があったのではないでしょうか。

あのとき、あの集まりに行かなかったら、

あのとき、あの人で出逢わなければ

。。。

いくつかの場面が想い出されるでしょう。


何かに興味をもったら、偶然に同じ趣味の方と出会うとか、

あのとき、いつもと違う行動をしたおかげで、事故にあわなくて済んだとか。

もちろん、論理的に考察することもできるかもしれません。

そういう理解が正しいこともあるかもしれません。

ただ、やはり、何かに導かれている。

そんな感覚。

大きな出来事は、頻繁には起こらない。

だけど、大きな出来事は、私たちが導かれていることを忘れないように

ごくたまに起こる。

それを支えに、日常でも導かれているのだと信じて生きる。

今日、何もないから、残念には想う。がっかりする。

でもひとつひとつのことが、意味があるのだと信じる。

もうひとつ重要なことは、

別れのとき、

相手にもプロセスがあるのだ。

相手もその出来事を通して、何かを感じ、変化する。

それはあなたの望むような変化でもないし、良くも悪くもである。

自分自身だけではなくて、関係する人みんなにプロセスは働く。

そのプロセスが密接に関連して進んでいる。

ある心理学者は、これをプロセスシステムと呼んだ。

そして、大切なことは、論理的には解決できないことだ。

ある意味で直観でなされる。

直観を軽視してはいけません。

直観と、あてずっぽうな感覚とは違う、

直観を信じるとは、あなたのプロセスを信じることにつながる。

苦しいときほど、直観は冴える。

あなたが向かう方向を信じてみよう。

今日何も起こらずとも、意味がある。
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