離婚に苦しむ人へ

今、苦しんでいるあなたに寄り添って。

変えられない

2018-07-29 00:00:01 | 日記
離婚で学んだことで

大きなことは、他人は変えられない という

当たり前ながら、多くの人がそうは振舞っていない事実

親は子供に

恋人は相手に

夫婦も相手に

自分の価値観や、社会の常識や世間などという言葉や

礼儀として相手に求める

このあたりまでなら、ふつうに気づけるかもしれないが、

一番たちが悪いのは、

相手のため、あなたのためというようなこと。

心理学的には、それは相手のためではなく

回りまわって、自分のためである。

さらには、自分自身で満たされない想いや

幼少期から未解決なことなどが重なり、

それが巡りめぐって、相手のためというような

もっともらしい巧妙な表面によって覆われて、コミュニケーションに反映する。

もちろん、すべてがそうだとか、必ずというような

ゼロか百というような白黒ではないし、難しい部分があるが、

かなりのコミュニケーションでは、こういった裏の側面がある。

だが、本質的に相手は変えられない。

以前も話した ゲシュタルトの祈りにあるように

相手は自分のためではなく、相手自身のための人生であり

責任である。相手の人生の責任もとれないし、義務もない。

変えられるのは自分のことのみだという基本を軸にすれば、

相手に押し付けることもない。

もちろん、あーしてほしい、こーしてほしい

こうであったら、うれしいと要望も注意もなんでもしてもおかしいことではない。

けれど、それを強制したり、そうしてくれないからといって

怒るようなことでもないのだ。

もしほんとうに我慢できないのであれば、それは仕方ないし、

そういう相手として認めることが重要だ。

他人は変えられない。

難しくて、理解しても実践し難い、

それでも大切なことです。

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世間の枠から出る

2018-07-23 00:00:01 | 日記
これまでも何度も書いていますので

もういいよと思うかもしれません。

でも、とても大切なことなので

今回も書いてみます。

私自身も変化していることもあるので、

時々で、ニュアンスが異なることもあるでしょうが、

それはそれで何かの気づきになるのではないかと思います。

離婚の苦しみとは何か・・・

それぞれいろいろあると思います。

私自身で考えてみると、

離婚という事実そのもの、子供との離別

思い描いた未来の喪失、想い出の喪失、

自分の人生価値観の崩壊

調停や弁護士費用、婚姻費用、養育費による金銭負担、

会社や親族、友人関係における世間体、

友人の喪失

自分で言うのも変ですが、

もともと、非常に前向きで、努力も怠らず、社交的で、明るい私が、

離婚を機に、全く別人のように変化してしまいました。


私のなかでは、世間体というものを振り切るのに何年も要しました。

ほんとうに苦しさがありました。そして子供と会えない苦しみはそれ以上で、

それを手放すのには、時間がかかりました。

もちろん、現在は価値観を変化しながらも、自分らしさは取り戻していますが、

当時は、ボロボロになりました。

これらの苦しみ、悲しみ、虚しさ、憎しみ、怒り・・・

それを越えていくには、世間の価値観に染まっていては不可能です。

お気づきのように、この日本では、中学、高校、大学と進み、

就職して、30歳までに結婚して、子供がいて、家や車を買って、

40歳では課長になって、60歳で定年する。

平日は働き、週末は家族との時間、、、、

最近でこそ、LGBTや、事実婚という言葉も聞かれていますが、

海外と比べてみれば、わずかでしょう。

この価値観の社会で生きている限り、離婚してシングルならば、

世間の枠に入れません。そしてこの価値観が幸せの定義ならば、

結婚して子供がいて。。。とならない限り、幸せにはなれません。

離婚という事実は変えることができません。

ではどうしたらいいのか、

それは自分の価値観を変化させ、もっと柔軟に、しなやかに

もっと大きな視点で、多角的にみていくことが大切になります。

世界でみれば、シリアやその他の紛争地域を見れば、

私たちはどれだけ幸せな生活か、

日本の戦時中、特攻に子供を送り出す親のことを考えたら、

どれだけ平和か。

最近の豪雨災害を見ても、私たちの生活は、突然の変化と隣り合わせです。

そもそも、今現在、屋根があるところに居られるだけ、パソコンやスマホが使えるだけで

この日本の国内だけを考えても十分に恵まれています。

世間の一般的な幸せや価値ではなく、自分自身の価値を創出しないと

どこまでいっても世間の共通枠から出られない。

最近、はあちゅうさんという慶応卒、電通と経た

ブロガーさんがAV男優さんと一緒になり

話題となりました。

元マッキンゼーで経済評論家の勝間和代さんが、同性婚をしました。

勝間さんは離婚も経験しているし、成人の子供もいます。

以前では公になることもなかったでしょうが、

一部では大きく変化しだしています。

そこまで極端でなくても、自分自身の価値観で生きる人たちも増えているわけです。

あなたがどれだけ世間の枠から出て自分の価値を作り出していくのか

苦しみを越えていくのに、とても大切な要素だと思うのです。


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苦しみとは何か

2018-07-20 00:00:01 | 日記
私自身、絶望の淵で

苦しみ、悲しみ、虚しさ・・

ありとあらゆる感情について

悩んできた。

仏教を学び、キリスト教を学び、

スピリチュアルもたくさん知って。

自己啓発ものだって、相当にやってきた。

そして今でも考えている。

屁理屈や、適当な模範や、理想論も

ポジティブ思考も、無意味だ。

人が苦しみの底にいるときに、

周囲ができることなどない。

苦しみとはなんだろうか。

苦しみのなかでも、自分を失わない人もいる。

苦しみにつぶされていく人もいる。

この世のものとは思えないような苦しみを背負う人もいる。

これだけ苦しむ人がいるのに、

特効薬はできないし、

人類史上、解決できたためしがない。

哲学者も、宗教者も、もちろん普通の人たちも

苦しみから逃れることができずに、

苦しんできている。

苦しみは人それぞれ違う。

大きさも形も違う。

だた苦しんでいるという点においては共通である。

そして、私も苦しんできたというのも事実である。

苦しんできた人はやさしい。

人として成熟している。

別に私は哲学的な結論を出そうと思っていない。

この苦しみの意味を探そうという人もいる。

下手なスピリチュアル本には、意味があるとも書いてある。

意味があると思えるならば、それも救いであるし、

そうは思えないというならば、それもいい。

答えの出ない問いに

苦しむこともまた,苦しみ。

私たちが生きていくなかで

多くのことが理解できないし、納得もできない。

いつも言うようにコントロールできるのはごくわずかで

たいていの重要なことはコントロールできない。

仏教では苦ということについて

多くが説かれている。

それくらいに人生とは切り離せないものということでもある。

苦から逃れようとしても逃れられないのならば、

やはり大いなる人智を越えた何かに身をゆだね、

できることに集中して成し、

未来が見えないのであれば、

今、自分の立ち位置に集中し、

そうやって全力で生ききる、一日一生 という考えが

やはり大切に思えてくる。






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感情は抑えない

2018-07-08 00:00:01 | 日記
私たちは生きてきたなかで

本音を言うことができなくなってきました。

社交性や、共調、和、そんな言葉とともに、

場を乱すことや、相手の気持ちを害するようなことを

いうことができなくなりました。

社会に生きている以上、必要なこともありますが、

なぜか、自分独りであったり、自分自身のことについても

感情を抑えるようになっていないでしょうか。

怒りを感じたり、恨みを感じたり、

悲しみや苦しみを、表情に出すこともできなくなったりして、

心の中に抑圧していないでしょうか。

以前にも書いたのですが、私自身は、

ある日突然に、仕事に出かけたきりで、

生き別れた子供のことを想うと、あまりの不条理さに

涙も流すこともできず、その悲しみの深さに

感情を出すことにずいぶんと時間がかかりました。

3年くらいしたときに、少しだけ涙を流せたという記憶があります。

出せる感情は出してください。

どんなネガティブな感情でも良いのです。

私は相手やその親に対する殺意すら強く感じたり、

人生全体を破壊したいとさえ思ったこともありました。

そんなひとつずつの感情や想い、そして、涙を受け止めて、

認めていくしか、その先へは進めません。

決して恥ずかしいことでも、あなただけがそうなのでもありません。

みんな体験してきたから、知っている。

そしてその先に、きっと自分のいろんな想いをすこしだけ認めて

しょうがない・・、どうにもできない・・・、という感じで、

積極的とは言えないような、境地に至ることも知っています。

感情が出せないなら、無理しなくていい。

時間がかかるのです。

感情が出せるなら、人前でなくても、

独りのときにでも良いから、出していきましょう。

抑えることで、立ち止まっていることができるときも

あるでしょう。

だから無理はしてはだめ。

自然のままに任せてほしいと思います。
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変化の兆し

2018-07-04 00:00:01 | 日記
苦しみのなかで、

どうしたら立ち直れるのだろう。。

いつ抜け出せるのだろう。。

誰しもがそう願い、もがいていると思う。

暗闇のトンネルに閉じ込められたように

世界がすべて灰色の色のない世界に見え、

テレビも、他人の声も、

職場も友人関係も何もかもがどうでもよく

隔離されたかのような日常。

私の経験では、悲しみ、苦しみ、それらの疲れ果てたとき、

ようやく、もうここから動こう、

そう思えたときがあった。

それはある日突然ではなく、数か月かけて、少しずつ変化していた。

ただ、もう十分に苦しんで、もがいて

暗闇にいた結果、もうどうでもいいや、好きにしよう、

次に進もう、そう思えるときがきた。

前向きに、抜け出そうとか、立ち上がろう、

折り合いをつけよう、・・・そんな感じではなかった。

悲しみの海の底に打ち付けられ、縛られ、苦しみ、もがき、

その反動で

自動的に浮上し始めたような感じ。

ひとつの変化が起きたら、それがゆっくりとまた数か月、数年かけて

連鎖して変化していく、気づいたら大きく舵をきって変化していた。

その変化はゆっくりだが確実であった。

その間も、再び沈むことも、動けなくなるときもあったが、

それでも全体的には変化していった。

いつもいうように、ゆっくりとです。

抜け出そうとか、立ち直ろうとか、そういう気力すらなくなるくらいに、

悲しみの底に沈んだとき、天に任せて、あらゆることを手放したとき、

軽くなって浮き上がるのかもしれない。

浮き上がるには、それだけの時間がかかる。

もう十分苦しんだ、悲しんだ、これ以上はたくさんだ。

すべてに、疲れた。。。

もう留まりたくないし、この状態は嫌だ、

そう思い出したとき、変化は近いのではないだろうか。

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