離婚に苦しむ人へ

今、苦しんでいるあなたに寄り添って。

年末に想う・・・

2013-12-31 18:00:10 | 日記
さて、今年最後の日もあとわずか。

年末、新年だと、バカ騒ぎする世の中には、

離婚で苦しまれているあなたは

とてもやりきれない想いもあるかもしれません。

人というのは不思議なもので、
自分が幸せなときには、
年末年始も最高に楽しいものかもしれません。

でも、辛い状況なら一変してしまいます。

年末年始の何が、めでたい のか、
もちろん、昔からの伝統や意味もあるでしょう。

ただそれだけではなく、
あなたにとっての意味はなんでしょうか?

海外では、カウントダウンこそしますが、
特に正月というイベントはないのです。
逆にクリスマス休暇があるのです。
中国のお正月はもう少し先です。

だからお正月というのは、
日本に生まれた我々が意味を与えているというだけのもの。

もちろん、あなた自身が意味を与えてもいい。自由。

ある意味、ただの連休と考えてもいい。

今年一年、いろいろあったと思います。
来年もいろいろあるでしょう。ないはずがない。

世の中では、
災害、犯罪、病気、転勤、リストラ、死・・・

いくつかは身近にもあったことかもしれません。

そんなことを眺めていると、
人はその出来事を受け入れていくしかできないのだと、
つくづく想うのです。

逆に、「受け入れる覚悟」だけあれば十分かもしれません。

「開き直る」「腹をくくる」

何でも良いけれど、

「人と比較する人生を、きっぱり止める」

人並み、世間並みの人生ではなく、
自分自身の人生を生きれば、それが最高だと
心の底から思えるような在り方。

私自身もできていませんが、
そう在りたいと思います。

まあ破天荒な生き方を目指したところで、
社会に暮らしている以上は、まあちょっと違う程度。。。

かもしれません。

無人島や、ホームレスというわけにもいきません。

周囲の人間と全く関わらないというわけにもいきません。

自分自身の気持ちに自由があれば良いし、

幸せだと感じることができたらそれで良いのではないかと思います。

自分自身で十分幸せで、

家族やパートナーがいたら、さらに幸せ。

そんな在り方。

あなたはどんな人生を志しますか?
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周囲に惑わされない

2013-12-30 00:01:00 | 日記
離婚したときに、

辛さのひとつに、

「周囲からの目」というものがないでしょうか。

今の日本では、

婚活ブームに代表されるように、

ある年齢で、
結婚していないと、何か変なのではないか、問題があるのではないか。。

恋人がいないのは、寂しい、孤独 というイメージ。

孤独老人。。。

TVでも、なんでも、幸せな家族というイメージを宣伝。

その反対に、

芸能人に代表されるように、

離婚 なんて大したことないというイメージ。

もはや、マスメディアは、

その都度の目的に応じて、どうにでも言うような時代です。

広告も同じです。

それに踊らされている日本という国は、

あまりに「個」が脆弱な国です。

要するに「集団」「世間」など群れることで

安心する。

自分自身に自信がなくとも、

周囲と同じ、世間並ならば、安心。

これでは、あまりに不安定で、自分の人生でなく、

他人と全く同じ人生を生きていることになります。

不安や寂しさを、隠すために結婚していては、うまくいきません。

本来、自分自身はしっかりした「個人」であり、「自立」しており、

そのうえで、結婚することで、楽しみが2倍になり、悲しみは半分になるのです。

半人前では、足してようやく、1人前。

依存だけの関係となり、依存できなければ、一人前にならない。。。

離婚を機によく考えなければならないのは、

自分という人間は、どういう人生を歩みたいのか?ということ。

離婚した悲しみや、苦しさとは少し離れて、考えてみたいのです。

結婚していないと、寂しいというのはどういうことか?

人並みの人生とは、何を基準にしているのか?

世の中の風潮や、流行は、ほんとうに当てにならない。

では、自分が軸としなければならないものは何か?

どうして、パートナーと一緒に生きていきたいのか?

結婚によって、いろいろなことを学びます。

幸せを実感することもできるかもしれません。

でも、結婚しなくても、同棲でも同じかもしれません。

社会的な制度や保障もあるでしょう。

フランスでは、結婚しているのは1/3と言われます。

でもそれ以外でもちゃんと制度として保障されている。

女性であれば、子供を産みたいという想いと、年齢的な制約も

あるかもしれません。

これらは、正解はないし、人それぞれ。

周囲の常識や慣習ではなく、そんなものは、10年すれば変化します。

国が違えば、正反対です。

人の生き方が、そんな外的なもので大きく変化するならば、

それがほんとうに大切なことと言えるでしょうか?

悲しみの底にあるとき、

そんな余裕はありません。

そもそも自分を見失いがちです。

だから、ゆっくりでもいいです。

ただ、どこかで一度考えてみてもいいのかもしれません。

いや、ある意味で、生涯考えるのかもしれません。

そして、離婚していなければ考えることもなかったことかもしれません。

たしかに、結婚している人の多くは、そんなこと考えもしません。

その上で、ほんとうに大切なことをつかめたら、

きっと周囲に惑わされない、ほんとうの幸せがみつかるのかもしれませんね。

周囲や世間がするからではなく、

自分自身が自信をもって生きていくための

幸せな生き方。



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年末年始の辛さ

2013-12-29 10:12:04 | 日記
こんにちは。

年末年始というのは、

離婚した人にとっては、

ほんとうに辛い時間ではないでしょうか。

新婚のときの楽しさや、

両家でのあいさつ回りなど

人それぞれ、楽しい時間や、嫌だった時間などの

想いがあるでしょう。

TVでは、年越しや、初詣やら、特番が続き、

どうしても想い出されてしまうかもしれません。

駅や街は帰省の家族連れで溢れているし、

行く場所がないと感じるかもしれません。

あなただけではない、

多くの方が、このクリスマスから年末年始と

しんどい思いで耐えてきました。

そんなとき、

自分に自分でご褒美をあげてください。

いつもは気を張ってがんばっているあなたも、

いつもは節約して生活しているあたなも、

激動の一年を、自分なりに精いっぱいがんばって、耐えて、

もがいてきたのだと思います。

何も片付いていないし、

気持ちの整理もつかないし、

まだ離婚が決まらず、宙に浮いたような気持ちの方も、

自分に自分でご褒美あげてほしいのです。

生きていることの辛さや、苦しさを嫌というほど味わい、

絶望という中で耐えてきたんです。

でも、人生にはそれだけではなくて、

楽しみもあるはずです。

喜びもあるはずです。

たとえ、今はそんなこと考えられなくても、

あなたにもそんな時間もあった。

人と交わりたくないときは、

スーパーで最高級の食材を味わってみるとか、

欲しかった物を

思い切って買ってしまうとか、

もう、何もせず、ひたすら寝るとかだらだらと過ごすとか

とにかく、思いっきり、自分に甘くしてみましょう。

今、自分にできる、自分を一番喜ばせることができるのは、

なんでしょうか?

何か、昔から欲しかったものありませんか?

何もしたくない。買いたくない。

それなら、それで、何もしない。それも一案です。

何かしたいけど、辛くて動けない。。。

それなら、それで、動かずに、寝込む。

それでいいじゃない。

今、自分でできることは、すでに十分がんばっている。

できることは、自分でやっている。

もうこれ以上は、何もできないし、動けない。

それで充分としましょうよ。

それはたしかに、一時しのぎかもしれません。

でも、とにかく、これでもかというくらいに

自分に甘くすることも、あってもいいじゃないですか。

離婚を経験した人にとって、

この時期は、ほんとうにしんどいもので、

しんどくないと、感情を抑圧するのではなくて、

「もう、とてもしんどい、悲しい、苦しい、どうしようもないくらい!!!」

大声で叫んでしまいましょう。

涙しましょう。

それは、もうどうしようもなく・・・。 しょうがないということで

自分の気持ちに嘘つくのではなく、

今、自分はどうしようもなく、落ち込んでいるし、苦しいのだ、、、

あなたが特別に、弱いのではない、誰でも耐えられないような苦しみ。。。

みんなそう。もちろん、悪いことではない。

それを認めて。。。

今の自分に、できるだけの楽しみや喜びを、自ら与えてあげる。

これもとても大切な成長なのだと思います。

少なくとも私は、

あなたが、今このときを必死に耐えていること、

知っています。

だから、気持ちに蓋をせずに、抑え込まずに、

そのままでいいんです。

しょうがないんです。

苦しいんだから。

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反応しすぎない

2013-12-25 21:25:26 | 日記
こんばんわ。

人間というのは、

追い詰められると、あらゆることに過剰に反応してしまいます。

相手の言葉や行動、その他のことに

言外の意味まで推測して。。。

疑心暗鬼 ともいうのでしょうか。

相手が言う言葉に

気持ちが上下乱舞します。

でも、自分の調子が悪いときは、

大抵が過剰反応なのです。

普通の精神状態ならば、

軽く受け流せたり、気にもとめなかったり、

そんなことでも、

最大限にネガティブにとらえがちです。

離婚して、

もうこのまま自分の人生は果てしなく沈んでいくような感覚。

まさに絶望のさらに底。

でも実際はどこかで底に当たる。

人は未知のことは予想できないから怖いし、不安で当たり前。

そこで、いろいろな身の回りのことに対して、

最大限にポジティブにとらえる練習も良いでしょう。

そうは言っても、本質的に落ち込んでいるのだから

最大限と言っても、通常の3割程度かもしれません。

それでもできる限り、ポジティブな視点でとらえることは、

巷のポジティブ思考とは異なります。

安易なポジティブ思考は、事実と向き合わない逃避にもなりますが、

あくまで、事実を認めたうえで、よりポジティブにとらえるということは、
大切なことです。

考えても見てください。

うまくいかないことは、どうしても、うまくいかない。

いつも言うように、

自分でコントロールできないことは、

あなたがどう考えようが、変わらない。

しいていえば、ネガティブにとらえて、良い方向に行くことは

まずないでしょう。

いや、悪循環にはまり、
本来はそうなる必要のないような
不必要なことまで、悪くなってしまう可能性もある。

だから、ネガティブにとらえても、良いことは何もない。

離婚して、絶望の中にいるあなたは、

必要以上に、事実以上に

ネガティブに物事をとらえ、感じてしまっているということに

気づいてほしいと思います。

それは、しょうないのだけれども、

まあ、しょうがないと認めて、受け入れつつ、
できるだけ、できるだけ、視点を変えていきたいものです。

あなたは、自分の思考を自分で選択しているし、

選択できるのだということを想い出しましょう。




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できることは何もない

2013-12-23 00:01:00 | 日記
離婚して絶望の底にあるとき

そして、

それ以外のときにおいても、

それは仕事かもしれないし、

恋愛かもしれないし、

身体のことかもしれない。

ただ、

もう自分には、

何かできることは残されていない。。。

そんなふうに感じることがないですか。

考えられることは全てした。

自分は全力を尽くした

そして今の自分にできることは。。。何もない。

私たちには

自分で何かすれば、変えられることと、

神の采配ともいうべき。。

変えることのできないことがある。

結婚においても、

相手の気持ちや行動は変えることができない。

にも関わらず、まるで変えることができるかのように

相手をコントロールしようとする人が多い。

だが、実際はできない。

人間、手放すということは、そう簡単にできるわけがない。

まして人間関係ならば、

不安や寂しさ、孤独との戦いもある。

だけれども、

結局のところ、

できることなら、すべてする。

そしてできることをすべてやったならば、

もう手を放すしかできない。

身をゆだねるしかできない。。。

そのことが良い方向にいくときもあるだろうし、

絶望へと導かれても、

それでも、できることはないのだから、

ただ耐えるしか、我々にはできないのではないだろうか。

正解や間違いがあるわけではない。

答えがないという苦しみ。。

究極的なところ、

私たちは、自分のことしか選択権がない。

他人の選択や、人生を決める権利などはないし、できないと知る。

結局、

自分に自分自身に誠実に生きていくしかできない。

あやまちや後悔もあれど、

それを批判しても、自己嫌悪してもしょうがない。

それも含めて自分の人生を作っていくしかできないのではないか。
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あなたはずっとあなたです

2013-12-14 08:45:10 | 日記
こんにちは。

離婚を経験した人は

そして、特にこのブログを読んで下さったあなたは、

相手や、相手の親族から、強い批判や、非難を受けたり、

もしかすると、ご両親からも様々なことを言われ、

友人たちも、いろいろ言い、

自分自身も、訳が分からなくなり、

これまで生きてきた自分の価値観が崩れ去った瞬間を

経験したのではないでしょうか。

何が正しくて、何が間違いなのか、、、

どこで自分の判断に間違いが生じたのか、、

相手のどこがおかしくて、自分のどこがおかしいのか。。。


ほんとうに、

もう何もかもが信じられなくなり、

何もかもに自信がなくなる。。。

そもそも、自分の価値観は、生き方はどうなのだろうか。。。

本来、生きていれば、40歳を過ぎるくらいから、

誰でもが自分の生き方を見直す時期があるものですが、

離婚という一大危機によって、それを経験している部分があります。

こんな経験を1年も2年も経験し、

それが過ぎさって、忘れている時期になっても、

なにかふとした瞬間に、

重要な判断が必要な局面では、

その自分の判断に揺らぎが起こり、影響するかもしれない。

そんなときにでも、

今苦しいときにでも、

しっかりと認識してほしいことがあるのです。

「あなたは、あなたである」

とても当たり前でありながら、忘れてしまう。

離婚という辛い経験をしたあなたは、

もちろん、二度とこんな経験はしたくないと思うだろう。

新しいパートナーと出会っても、この想いは続く。。。

以前の恋愛なら、付き合えば、別れることもあるのは当然だし、

辛いけど、耐えれたはず。

だけど、離婚という最大級の辛い経験をした後の恋愛では、

そもそも別れるということが苦しくなる。

だから、その強い心の痛みを避けるように、

相手に依存が強まったり、相手に無意識に完全に合わせていくようになりがち。

だけど、相手との境界があいまいとなれば、

自分自身は消失し、相手と同調し、埋もれていく、

共依存という関係にも発展していくのです。

これは、無意識のうちに、相手をコントロールしようとする意識にもつながり、

どんどんと苦しい関係になっていく。

だが、カウンセリングをしている私でさえ、

自分自身の無意識のコントロールに気づくのは、至難であり、

気づいても回避するのは難しい。

無意識ゆえのコントロールはやっかいなのです。


「私は、私である」

そのままのあなたを認めてくれる、

そのままを受け入れてくれる相手を探さないといけない。

そうでないと、相手に尽くして、相手に合わせすぎた結果として

また辛い経験が待っている。

これは何も強い利己主義でいるとか、我儘にするとか

相手に合わせないということではない。

相手と自分の境界、心の距離をしっかりと保つことが大切なのです。

心が通じ合わないとか、寄り添わないということではない。

相手の人間性を尊重し、価値観を尊重し、

そして自分を尊重する。

このことがとても大切なのです。

「あなたはずっとあなたであり、あなたで在り続ける」

折りに触れて想い出してほしい。

離婚しようが、結婚しようが、

どんな状況でも、

生れてからずっと、あなたはあなたである。
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すべきことはひとつ

2013-12-12 22:51:10 | 日記
こんばんわ。

人生に絶望したとき、

自分自身がこれまで生きてきた価値観や常識、習慣

ありとあらゆるものが崩れ去る。

自分自身のことでさえも、

信じることができなくなる。

そんなときでも、

あなたが忘れてはならないことがある。

それは、

あなたの人生は

あなたしか生きることができないという

当たり前だけれども、大切なこと。

これにはとても深い意味がある。

世の中の周囲の人は、

調停の民生委員や、

裁判官、

親せきのおじさん、

弁護士、友人・・・・

誰が悪い、こっちが悪い、あっちが悪い、

これが正しいし、これが常識なんだ。

だが、

この人生を歩むのは、あなたである。

そして、100年後には確実に

人生の幕が下りる。

そのとき、後悔するも、満足するも

他人ではなく、あなた自身なのだ。

だから、

今、ひとつひとつの決断や結果は

すべて自分自身でするしかない。

そうでなかったら、後悔すると思わないか?

すべきことはひとつだけである。

自分の心に従うことのみ。

言うや易く、行うは難し だが、

それでも、すべきことはひとつということは

変わらない。

完全にできなくとも、心に刻みたい。

自分の人生は自分で決める。

意見は聞くが、自分で決める。

そして責任も自分で受け持つ。

他人との比較や、世間や慣習との比較ではなく、

自分自身がどう生きて、どういう人生としたいか。

失敗してもしょうがない。

後悔してもしょうがない。

一番後悔するのは、

他人の人生を歩んだときである。

今、この瞬間は、どんなに良さそうな人生を歩んでいる人でも、

自分の人生を歩まねば、後悔する。

自分の人生を歩もう。

いいじゃないですか、

人生80年。

全力で、我武者羅に、一生懸命、自分を信じて生きてみよう。

そして、しんどい今は、その充電時期。

今、動かなくてもいい。

何もできなくてもいい。

毎日、泣いていい。

大丈夫、

ちゃんと、あなたの人生の道に戻れるから。
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簡単じゃない

2013-12-10 00:01:00 | 日記
つらいとき、

人は誰でも、何かにすがりたくなる。

特に、命の危機や、喪失体験をしたときは、

まさに自分の人生の根幹がゆらぐのだから、

それは、一大事。

そんなとき、

巷で流行る スピリチュアルや占い、宗教でさえも、

今の苦しみを少しでも和らぐならと、

藁にもすがる思いで、救いを求める。

すべてが悪いわけでもないし、

もちろん自由意思だが、

なかには、弊害のあるものもあるから注意してほしい。

だが、苦しいとき、それは周囲がどんなに意見しても

理解することなどできない。

苦しすぎて、本来の警戒心が薄れている。

苦しみから抜けるための安易な方法はない。

本やセミナーを受けて、パッと明日から楽になるわけではない。

情報は大切で、知らないと使えない。

だが、それ以上のものではないのだ。

離婚した直後は苦しいから、
とにかく逃げていい。

そうせざるを得ないし、
直面して、つぶれるよりは、
現実逃避も大歓迎。

苦しみの大きさゆえに、
とても現実を直視することなどできないかもしれない。。。

ただ、それでも、どこかのタイミングで苦しみと向き合わない限り、

苦しみの先には行けないというのも一面だ。

ちなみに、私自身は
カウンセラーとしてのトレーニングも積み、
その過程では自己と向き合い、苦悩もしてきた。

心理学的、精神医学的な知識を基に、
クライエントの状況を見立てることもできる。

しかし! なのです。

正直、私も、自分自身というものですら、
よくわかっていない。。。

全部理解したり、わかるほど、人間の心というのは単純ではない。

言われてみれば、とても当たり前のことだが、

世の中の人は、相手のこと、伴侶のこと、恋人のこと、親のこと、

そして、自分自身のことを、

一番よくわかっていると思っている、

意識的に、そして無意識に。

だから相手に物事を指図したり、

相手を無意識にコントロールしようとしたり、

不平不満を言う。

人間関係も、結婚も、

簡単で誰でも、ちゃんとできているように見えて、

多くができていない。

みんな微妙なバランスでいるのが真実。
明日は我が身だということに気づいていない。

だからあわてない方がいい。

離婚という苦しみを経験したのだから、
何かを学んでほしいと思う。

幸せな人生をこれからおくるためにも。

でも、

慌てて、何か自分が大きく変化したり、転換したり、
成熟したり、
そんなことはなかなか難しい。

ゆっくりと進むしか、

一歩一歩進むしかない。

辛いから、そこから抜け出したくて、

焦る気持ち、将来が不安な気持ちは痛いほどわかる。

だが、結局は

一歩。。。一歩。。。

休んで、、、

一歩。。。

自分に言い聞かせながらである。
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身も心も壊れそうな・・・

2013-12-07 11:41:55 | 日記
こんにちは。


離婚して苦しいとき、

誰もが身も心も砕け散りそうな・・・

そんなときがあったのではないでしょうか。

頭ごと、もぎとってほしいような・・・

いっそのこと、

自分自身まるごと、どうにもならないような・・・

何か得体のしれない暗闇に吸い込まれるような・・・

こんな経験は

あなただけがしているのではないかもしれません。

多くの人が経験してきました。

そして、離婚直後だけではなく、

当時のことを、ふと想い出したり、

ふと街中を歩いていて、

夜ひとりでいて、

自分の心の琴線に触れたとき、

仕事や人間関係で疲れてボロボロとなったとき

人生がうまくいかないと感じたとき、

そんないろいろな機会で

程度の差はあるけれども、

この頭も身体もどうにかしてほしい。。。

そんなときがあるものです。

この苦しさは、

理論や理屈でどうにかできるものでもなく、

カウンセリングで救われるようなものでもない。

なにか、もう、人生の本質とも思えるような

歴史の中で多くの人たちが苦悩してきたような

生きるということの本質的な、逃れることのできないような

苦しみかもしれません。

多くの思想家、哲学者、宗教者、心理学者、社会学者・・・

歴史上のあらゆる人々がこのことを考えてきました。

何か真実がないものかと。。

でも結局は、どれが真実かはわからない。

幸せそうな他人を見ると、

どうして自分だけがこんな苦悩をもつのかと思ってしまいますが、

人生トータルで見ればそうでもないのかもしれない。

では、どう対処すればいいのか。。。。

残念ながら、もちろん、私にも答えはありません。

おそらく、人それぞれで違うのでしょうね。

ただ、アルコールに頼ることは違うでしょうね。

一時的な急性の回避としては、悪くもないのではないかと

個人的には思います。

覚せい剤などよりははるかにマシでしょう。

ただ、経験も含めていえば、本質的には、より苦しくなる。

酔いから覚めれば、その空虚感はよりいっそうとなる。

それが嫌で、アルコールを飲み続ければ
当然依存症で、自分では抜けれなくなる。

だから、あくまで程度問題。

先日、ふと目にした言葉がありました。

なるほどと思ったのですが、

「わからないなら、耐えろ!」

誰の言葉かわかりません、

テキトウな言葉なのかもしれませんが、

ある意味で、変に説得力があった。

無責任で、厳しく、冷淡な響きもありますが、

本質的でもあるとも感じました。

結局我々は、
仏教でいう 「生老病死(しょうろうびょうし)」

このどれひとつも

何もわからないし、コントロールできないのだから、

「愛別離苦(あいべつりく)」

の苦しみも、ただもがき、苦しみ耐えるしか、

できないのかもしれません。

その苦しみのなかにも、

何か人のやさしさや、思いやり、あたたかさを感じることができれば、

ボロボロになりながらも、耐えてゆけるのかもしれません。

まあ、耐えなくてもいいから、

ボロボロになりながら、毎日を過ごしていく。。。

それもまた生きていくということなのかもしれないですね。

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それでも朝はくる

2013-12-04 20:25:00 | 日記
こんばんわ。

離婚して、

苦しいとき、

どうにも自分が壊れそうな

気が振れてしまいそうな、

心がばらばらに砕けそうな

そんな夜が毎晩続くかもしれません。

自分がどこに向かえばいいのか、

自分の判断や価値など

これまで生きてきたなかで

自分が確実だと思っていたもの。。。

それがいとも簡単に崩れていく。

一睡もできずに朝を迎える。

これで一日の仕事ができるのだろうかと

這うようにして職場へ行き、

何一つとして、できずに定時で帰宅する。

食事も、風呂もなにもかも

どうでもいいし、動けない、

そんな夜でも、

朝が来る。

そう、ただ朝が来るだけ。

だからといって、何も解決しないし、

苦しみは昼間に持ち越すだけ。。

でも、それでも、

何も仕事できなくても

毎日を生きのびていく。

それしかできないし、それで十分。

あなたは、苦しむということを全力でしている。

それでいい。

それでしょうがない。

無理しないでいい。

そんな日々でもいいじゃないですか。

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