離婚に苦しむ人へ

今、苦しんでいるあなたに寄り添って。

考えても考えなくてもどちらでもいい

2012-06-30 01:00:00 | 日記
離婚をした、または現在進行中のあなたは

とにかくいろいろと考えているだろう。

もちろん、わたしもブログで

内省しようとか

人生について考えよう

ということを言うわけだが、

それだけしていると

ほんとうに抑うつになってしまう。

何も離婚でなくて、ふつうの状況でも考えすぎはよくない。

大したことでもないのに、

もちろん本人には大したことなのだが

考えすぎてしまい、はまっていく。

まるで人生の一大事かのように考えてしまう。

ただいつも言うように、

人生には流れが存在する。

そう言い切るとまるで宗教のようだが、

人生をポジティブシンキングで・・・。

目標を立てて・・・。

時間をマネイジメントして、計画的に、効率よく・・・。

そんなことを言う方が、私からすればよほど宗教的に感じる。

人生というのはそんなもんではないし、

あまりに科学主義的、合理主義的と言わざるをえない。

私が言いたいのは、流れがあるのだから、

流れがよどんでいるときは、待つことも必要ということだ、

たいていは待ちきれないし、その気持ちはよくわかる。

早く新しいパートナーを見つけたいし、

再婚もしたいかもしれない。

淀みで見つけた相手は、やはりうまくいかないのが常である。

人生が流れにのっているとき、

考えると、いい思考が流れ、よいことが起こる。

だが、淀んでいるときは、どうしてもネガティブになりやすい。

しかも一度落ち込むと、立ち直るのに時間がかかる。

だからそんなときは、考えてもいいのだけれど、考えなくてもいい。

大好きなおいしいお酒や食事でもして、やり過ごす方がいい。

必要ならば、日記を書きなぐってもいい。

どうにかしてやり過ごす。

今日は一日、何も考えないと決めてしまう。

もう何もしないと決めてしまう。

死にはしない。それくらいで。

物事を考えてもいいし、考えなくてもいい。

白黒判断ではなく、ときにはグレーも必要だ。

そうやって、結論を先延ばしにしてみたり、隠してみると

またあたらしい一面が見えたりもするのだ。

とにかく、考えるのを意図的にやめてみることも時には必要だ。

そうやって、自分の感情をコントロールできるようになっていく。

そして、そのこと自体も結果的には、

自分の心の内面を見ている訓練になっているし、

客観視できるということになるのだから。



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一時間先は不明

2012-06-28 23:56:44 | 日記
こんばんわ。

あなたが生きている世界は

どれくらい続くと考えていますか>

離婚された方の中にも

結婚式で永遠を近い、

楽しい新婚生活もあり、

もしかすると、子供のご縁もあり。

でも、その幸せな時間も有限であることを知っているでしょう>

人生で起こることは、先が読めない。

絶望すると、その読めないことは

悪いことばかりに思う。

でも

冷静に考えてほしい。

良いことも先がわからないのだ。

あるとき、突然、良き人とめぐりあうかもしれない。

そう、悪いことも突然起こる。

だが、良いことも突然起こる。

それが人生なのだ。

そのことに気づかないといけない。

良いことは、たくさんある、かもしれない。

悪いことも、たくさんある、かもしれない。

結局、人生の1時間先どころか、3分先もわからない。

それが真実であり、現実なのだ。

そのことに本質的に気づいたならば、

あなたが不安に悩むことはなくなるはずだ。

だって、ほんとうにわからないことだから。

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生きる本質を学べ

2012-06-26 01:00:00 | 日記
挑戦的な題名をつけました。

絶望から立ちあがったひとたちは、

言われなければ、そうとはわからないほど

ふつうです。

ふつうですが、

その眼光の奥に、ふつうとは違うものがあります。

でもそれがなんなのかはわかりません。

でも何かが違うという感覚がある。

先日、親しくなった40後半の方で、

お話を聞けば、それは壮絶な闘病生活を経て、

今は、ふつうに家庭を築いている。

聞かないとわかりません。

正直、病気が快復したのも奇跡に近いと思いましたが、

それを切り抜けた精神力というか人間力がすごいと思いました。

離婚は辛い、絶望もする。

でも、命を狙われてはいない。

それだけでも全然マシ。

言い方は適切ではないかもしれないが、異論はないでしょう?

人生は明日どうなるかわからない。

今このときしかない。

そのうえで、明日に希望をもって生きるしかない。

そんなよくわからない生き物が人間。

私は年上の方々を見ていても、あまりに順風な人生を送ってきて、

耐力がない人が多くいるのに驚く。

それはそれで幸せなことだが、人生は最後までそのままでは通せない。

もちろん死という最難関はあるだろうし、

どんなに幸せな夫婦もどちらかが先に逝く。

あなたは離婚をして、辛い経験をしていることは確かだ。

だから、今できるだけ、人生の本質に近ずこう。

本質を見極めるための学びをしよう。

それこそが、今の状況を最大に活用することなのだ。

そうでなければ、何の苦労だろう。

そうでなければ、何の絶望だろう。

そうでなければ、どんな意味があろう。

私は多くの人を見ていて思うのだ。

特に年上の方々を見ていて、

あまりに生きる本質を外している人たちが多いことを。

自分は30歳で望まなくとも気が付いた。

だから気が付かないよりいいと思っている。

今の自分の周囲には、気づいた人たちでいっぱいだ。

今を、この一瞬をどう生きるべきか、

生きるとはどうあるべきか、

そして、人生とは何かを

それぞれの体験から学んだ人たちが周囲にたくさんいる。

私よりもたくさん知っている人たちがいる。

でも、そういう立場に自分が成長しなければ、そういう人が隣にいても気づけない。

それが真実なのだ。

あなたの周囲にもいるのだ。確実に。

それに気づけるように成長しようではないか。

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神を恨め!!

2012-06-24 01:00:00 | 日記
すごい題名ですね(笑)

私に天罰がくだりそうです。

あなたが絶望したとき、

どうして私だけがこんなに辛い想いをするのか?

そう思いませんでしたか??

いつも言うことですが、

人生には流れがあり、

身を任せる。

それでも、天を仰ぎ、自分の人生を呪いたくなる。

それが人間というもの。

生きることは苦である。

ブッタが言ったことです。

苦だと言われても、生きちゃっているんだから仕方ない。

私の対処方法を教えましょう!!

他罰的なのはよくないといつも言いますね。

でも、抜け道があります(笑)

神を恨みましょう!!

神に愚痴を言いましょう!!

私とて、辛いときもあります。

そんなとき、ノートにひたすら、書きます。

「なぜ、神は私にこんな苦悩を与えるのか?」

「神がいるのなら、その存在を示してほしい」

「これが私への神からの導きのしるしでしょうか?」

「神の存在を認めざるを得ないような奇跡を示してほしい。そしたら信じてもいい」(笑)

・・・・・・

とにかく、言いたいこと、どうにかしてほしいこと

ぜーんぶ、神のせい。

これけっこうすっきりするのでしてみてください。

これで誰も傷つきません。

しいていえば、神様が傷つきますが、神様ですから。

これ一週間してみてください。

しつこいくらいに書いてください。

そして、書きながら、神の導きを探してみてください。

目を皿のようにして、

感性を研ぎ澄ませて!!

必ず、どこかに、神の仕業が訪れます。

自分の期待どおりのこともあれば、逆もある。

でも

「神は示された」 

そう思えることが見つかります。

まるで宗教のように聞こえるかもしれませんが、本当です。

たとえば、好きな片思いの人がいたとします。

ずっと、告白しようか悩んていたとします。

ふと、その子と友達が会話している声が小耳に入ってきて、

「彼氏がね・・・」 とか

「最近、うまくいかなくて・・・」とか。

ただこれにもテクニックが必要です。

感性を研ぎ澄ますことです。

一瞬を見逃さないことです。

恨むなら、神を恨め!!です。

そして、その声に、神は示します。必ず。

あなたの望むこと、望まないことに限らず、

あなたが進むべき道を。

そして最後に注意です。

道が示されたなら、それがどんなに気にくわなくても
それに従うことです。

抵抗しても結果は同じ。

それに素直に従うことで、逆に道はひらきます。



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捨てる勇気

2012-06-22 01:00:00 | 日記
先に紹介した諸冨先生の

あきらめる人生 と同じですが、

物事を捨てる勇気が必要です。

仏教ほど高尚なことではなくても

もうぜーんぶ捨てちゃうんです。

あーしないといけない、

こーしないといけない、

もともとそんなことすべてがうまくいくはずがありません。

でも多くのひとは

生れたときから、そう育てられている

何かを達成すること

何かを得ること

なんか、こうしなければいけないということに

がんじがらめです。

よく考えてみれば大したことではない

よく相手のせいで、こうなった、あーなったという人がいますが、

ほんとうにそうなら、その人は自分の人生は他人に支配されているということです。

自分の人生なのに、他人の行動や、言葉、態度で自分の人生が変わっちゃうということ。

おかしいでしょう?どう考えても。

他人は自分には本来の意味では影響しないんですよ。

自分にいい影響を与えてくれたといいますけれど、

それは自分で選んで、自分にいい影響を与えたのであって

選ばなければ、そうはならないんです。

だからすべては自分で選択しているということに気づきましょう。

なぜ、片思いの恋愛で苦しむのでしょうか?

片思いでも相手のことが好きでしょうがないからだけれど、

それでもいいと自分で選択したということ。

不倫だって大変だと思うけれど、

それもやっぱり自分の選択です。

たとえば、その選択を一切やめてみるとどうでしょうか?

生きていけませんか?

いや、生きています。必ず。

生きるということと、選択することは別のこと。

多くの人が

あーだと、生きれない。

こーだと、生きれない、

そう自分で思っているだけ。

自分の生きているという形はこうだと決めているだけ。

一度そういうのを捨てちゃうと楽ですよ。

もちろん簡単ではないけれども。

だって、しょうがないよね。

まーいっか。

そういう感じで物事をゆるくとらえてみる。

それでも立派に真摯に生きていくことってできるんですよね。

ただみんなそれに気づかないだけ。

そうしよう!!って言っているのではないですよ。

ひとつの物事のとらえ方として、もっと自由にしてほしいって言っているだけです。

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問題を悩みにしないのがコツ

2012-06-20 01:00:00 | 日記
よくコンビニで売られている小冊子PHP

7月号は、

「人生、何度でも立ち上がれる」

劇作家の井上ひさし氏の三女 井上麻矢さんが

書かれたコラムで、なるほどと思ったフレーズがあります。

「何か問題が起こると、人はすぐにその問題を

悩みにすり替えてしまいます。

それをまずやめてみると、世の中がシンプルになります。

悩みにすり替える前に、問題は問題として解決してしまうと、意外に心がすっきりしまいます。」


井上さん、おすすめの方法です。

たしかに、問題 イコール 悩み にしてしまう。

本来、問題はその場で解決できないから問題なのであるし、

だからこそ、悩みになるのだが、

逆転の発想である。

何が何でも、悩みにしないということ。

悩む前に片づけてしまえということ。

そもそも悩みとはなんであろう?

あなたは考えたことがありますか?

自分の力でどうにもならないことは、

悩んでも、不安になっても、もがいても結果は同じ。

精神的な疲労がある分、マイナスだ。

では、逆に、自分の力でどうにかなるのなら、

悩む前に解決策として対処を始めるだろうし、

解決できると思っているのだから、悩まない。

多少、論理展開は荒っぽいのを承知でいうと、

自分の力でどうにもならないことを

どうにかしようとするときに、悩むのだ。

意味がないのに。

だから、自分に何か問題が起きたときに、

そのまま放置せずに、

これは自分で解決できる問題なのか、そうではないのか

そういう判断を下してしまえばいい。

安易に、問題を悩みにしない!

その場で解決の対処がうてればそうすればいいし、

無理なら、あきらめてしまおう。

あきらめなくても、たいていの場合は結果は同じだ。

問題を悩みにしない。

それでいいのではないだろうか。
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どうしてこんなに自殺者が多いのか

2012-06-18 04:57:48 | 日記
年間3万人を超える自殺者が出ているこの国は

だいぶ異常だと気づいているだろうか。

実は先進国では断トツの数字なのである。

単純に計算してほしい。

一日で約80人が自死していることになる。

24時間でさらに割ると、一時間に3人だ。

自殺完遂できない場合も多くあるから

実際に行為におよぶ人はこの倍どころではない。

まさにおどろく数字だ。

最近は、就活自殺が増加している。

就活で挫折し、自殺する人が増えているとうのである。

さらに、婚活後のうつである。

婚活してもなかなか結婚できない。

しまいには、どうせ私なんかダメなんだと、自己否定に陥る。

だれからも認めてもらえない経験を自ら繰り返せば

自己価値観が低下するのは当然なのだが、

世の中は気づかないし、マスコミはあおる。


よく耳にするのは、

死ぬくらいならなんでもできる

死ぬ気持ちならこれくらいは。。。

というものだろう。

でも、死を選ぶ人にとっては、死の方が楽なのである。

絶望とは、

死を意識することであろうと思う。

生れてから、死ぬということは知ってはいても、

なぜ生きているのかと問うことは稀である。

幸せ絶頂なときは、

生きていて良かった。

まさにこのために生きていた。

そう思うだろう。

でも、絶望したとき、人は自分が生れた意味、

生きる意味、

どうしてこんな辛い想いをしながら、生きてかなければならないのか

そうはじめて問う。

そこに抵抗し、もがくほど辛い。そのことに早く気づいてほしい。

もがくのでも、抵抗するのでもなく、

あきらめて、生きていくのが正解だ。

あきらめるとは、希望を捨てるとか、努力しないということとは違う。

そのことは、私のブログを過去から読んでいる方には伝わるだろう。

悟りのような高尚なことでもない。

絶望を経験していないこれまでの人生と

経験したこれからの人生を価値観を変更、修正して生きていくことである。

ただ残念なことに、絶望し、自殺される方がこれだけ多い

その家族や友人を考えれば、

いつだれの身に起きても不思議ではないが、

世間の人をみていると、まるで他人事のようだ。

自殺がいいとか悪いとか考えてもしょうがない。

あなたに考えてほしいと思うのは、

絶望するのは、人生のイベントだと知ること、

誰でもからなず一度ある大きなイベントだということ。

はじめての絶望が死の宣告であるかもしれないし、

離婚かもしれないし、

身近なひとの死かもしれないし、リストラかもしれない。

絶望のどん底において、自殺する、しないは、何がその差を生むのか?という点だ。

もちろん、多くのことが影響するのだが、

今回は自分自身について考えてほしい。

あえて、偉そうに、悟ったように言うのを許していただきたいが、

「人生を見切る」 

これである。

正しい現実、人生をしっかりと直視することだ。

目を片時も離さずに、直視し、けして後ずさりしないことだ。

どんなに重い一歩も、1センチでもつま先を前に出すことである。

1センチ出せたら、もう1センチである。少しずつ、休憩しながら。

人生を見切ったら、希望がないと思うかもしれない。

だから自殺するのだと。

そうではない。

この世に生まれた意味を知るということだ。

意味はひとそれぞれ違う。意味などないこともあるかもしれない。

そのことがまた意味である。

悟りをひらいたチベットのヨガ行者も、僧侶も、イエスもブッダも自らの死を選んでいない。

あえて死を選ぶ必要性がないということだ。

いつか死を迎えるときまで、

この世に生まれた束の間の生を生き切るということしか我々にはできないと知ることだ。

働くことも、遊ぶことも、子孫を残すことも

すべては人間が創りだした幻想にすぎない。

現実は現実ではない。

ひとが見たいように、見ているだけにすぎない。

わたしが見るところ、これらのことに気づけるかどうかは年齢ではない。

わたしのところへ相談に来られる方は60歳を超える方もたくさんいる。

30代の私に人生の意味を聞きに来られるのだから、不思議といえば不思議なことである。

つまり、年齢ではないということ。

どれだけ自分の人生と格闘して、這い上がったかということ。

そしてそこから伝える言葉だけが、人の心の奥に浸み込んで、癒す力を生み出すということ。

私などもまだまだわかっていないが、より学びを重ねて、

自分だけの生まれてきた意味を見出して生きていきたいと思う。


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一足先に人生を知ること

2012-06-16 04:26:27 | 日記
離婚をした直後や

それに囚われている状態では、

そのマイナス面にしか目がいってないであろう

自分を責めて、反省し

相手を責めて、恨む

先に紹介した諸冨先生の著書にも書いてあるが、

人生は思い通りにならないことの方が多い。

そのことに今、気づけたことはすばらしい点のひとつである。

今という意味は、少なくとも死ぬときでない、まだ人生が残ってる今という意味である。

わたしの周囲でも、

20-30代であることもあるだろうが、

結婚や、出産の喜びの報告も多いし、

仕事や夢で、希望や可能性を追求している人も多い。

実は40代でもそういう人がまだまだ多い。

それ自体は喜ばしいことだし、良いと思うのだが、

本当の意味で、人生を生きているとは言えないと思うのだ。

震災を見て、心うたれる人は多いだろうが、

自分が被災者でなければ、TVの中のことのようかもしれない。

TVでの通り魔殺人を聞いてもやはり他人事だ。

人間とはそういうもので自分にふりかからなければ気づけないのだ。

だから多くの人が

「まさか自分が・・・・」

という言葉を絶望のなかでつぶやく。

逆におかしいと思わないのがおかしいのだ。

なぜ自分だけは、光輝く理想の人生、希望どおりの人生がおくれると思っていたのだろうか。

どうして自分は辛い出来事に遭遇しないと思っていたのだろうか。

ただの錯覚だし、勘違いだし、過剰なポジティブ思考だし、

世間の広告にだまされているにすぎない。

人生では自分の希望することもあるし、そうでないことも起こる。

そして多くのことをあきらめていくのが人生のひとつの真実でもある。

希望に燃え、幸せの絶頂にある人は、

その真実から目を背けたいし、耐えられないから

そういう人の話を聞いても、ネガティブだとか、深刻すぎるとか、病んでいると笑うが、

私からすれば、逆にかわいそうに映る。

人間は希望や期待だけの人生を送ることはできない。そんな人は聞いたことがない。

挫折を知らず、40、50代ではじめて挫折し、自殺を選ぶ人も多い。

毎年3万人以上が自殺するなど、どう考えても異常であろう。

少なくとも死を前にして、はじめて人生の意味に気づくかもしれない。

でも死を前にして気づいても、もう何もできない。

だから、今気づいたら、すぐに修正するのだ。

自分の人生をやり直そう、

正確には、これまでの人生も経験であり、その土台の上に、新しい人生を築くのだ。

離婚をしてもそのことまで気づけない人もいる。

他罰的な人はそうだ。

ほんとうの意味で、絶望を受け止めてはいない。

どこかに、相手さえ違えばと、希望を抱いているのが深層心理だ。

離婚の理由はひとつではないはずだ。

相手と自分、それを取り巻く周囲、すべてが複雑にからみあい、

けしてひとつの理由に断定などできないが

人間は何か理由があると安心できるから、てっとり早く見つけて断定する。

でもそれは、人生の真実を見たくない拒否であり、事実に目を向けていない。

人生を生きるとは、こういう辛いこともあるし、

自分ではどうにもできないこともある。

自分に原因の主があるにせよ、相手にあるにせよ、

いずれにしてもこの結果を受け止めて生きるしかない。

そして、それが生きるということの本質であると知ったときからが

ほんとうの人生である。

このブログをせっかく読んでくれているのだから、

しっかりとそのことを認識してほしいと思う。

そしてその上で、

人生を悲観し、他人を排除し、恨み、妬み、過ごしていくのではなく、

自分というもの、自分の人生というものを肯定して生きていくこと。

認めて生きていくということ。

自分の中心でがっちりとした不動の強い軸を作り、

生きていくことが大切ではないだろうか。

それを決断し実行できるかどうかは、あなた次第である。

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あきらめる人生

2012-06-14 05:55:55 | 日記
今日は、さらっとおすすめ本です。

「人生を半分あきらめて生きる」 諸冨祥彦 幻冬舎新書

とてもいい内容です。

私の尊敬するカウンセラーでもあるのですが、

諸冨先生は、明治大学教授にして、臨床もしているカウンセラー

実はわたしも先生の本を読んでこの世界に入ったようなものです。

100冊を超える著書があり、

内容はどれも充実している。

もちろん、この新刊も、けして世捨て人的なことを書いているのではない。

おそらく、私がブログに書いてあることも

先生の影響をたぶんに受けているので、より理解できると思う。

そして、じぶんを認めるということ、その大切さを学べると思う。

人生においては、わからないこと、理解できないこと

どうにもできないことがたくさんあり、

それに翻弄されていては、幸せにはなれない。

結婚しようが、こどもができなくても

それでも、自分の人生を認めて、

生きていくことしか私たちにはできない。

そのことを痛切にそして明快に理解できる一冊だ。

離婚というとてもつらい経験をしたあなたには

どうしても読んでほしい一冊。
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いまこの瞬間を生きるコツ

2012-06-13 07:00:00 | 日記
今、このときを大切に、

いまを、この一瞬を生きるって

よくいうけど、むずかしいですよね。

ここで実験してみてください。

上座仏教では、ヴァッサーナ瞑想ともいいますが、

今、自分の行動のすべても実況中継してみてください。

たとえば、歩いているとき、

「右足、左足、右手、左手、右足、左足・・・」

ご飯食べているとき、

「ちゃわんをつかむ、もつ、もちあげる」
「箸をとる、ひろげる、米をつかむ、口へはこぶ」
「口に米を入れる、かむ、かむ、かむ、のみこむ。」
「味噌汁のお椀をもつ、口へはこぶ。・・・」

こういう具合に、すべての動作をできるだけこまかく

意識し、実況中継をするつもりで、集中する。

あなたはそれ以外のことを考えることができるだろうか?

たぶん、できない。

その感覚こそが、今に集中するということ。

だれもが、自分の好きなことには、時間を忘れて行動できる。

だか、長続きはしない。

今、この時を生きるとは、まさにすべての行動に集中することだ。

それができたら、

昨日を反省する時間も、後悔する時間もないし、

明日を、1時間後の将来に思い悩む時間もない。

すべての意識は、この瞬間に注がれる。

どのみち、1時間後どころか、10分後すらも

自分の想い通りにならない。

どんなに計画していようとも、

10分後に大地震が来るかもしれず。

一度寝入ってしまえば、朝がくるとは限らない。

1分後に脳梗塞になるかもしれない。

それは確率だけのことだからだ。

そうなら、やはり、この一瞬を全力で生きるしか

できないのだ。

もちろん、ブッタでもないのだから、完璧にはできない。

ただ、それを目標にすることに意味がある。

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安易に理由を見つけるな

2012-06-11 01:41:46 | 日記
私が毎日のように繰り返す

「他罰的な考え方」

あなたの周囲の人の会話を注意深く聞いてみくてください。

かなりの人の会話に

この、他人のせいにする!!という考え方が

染みわたっていることに気づくでしょう。

人間というのは

自分を責め続けるほど強くはありません。

よく、「自分が悪い・・」と繰り返していて

さも自分がいけなんだ!というような素振りをしている方がいますが、

これは結局は、自分を甘やかしているだけで

自分に本当の意味で厳しいわけではないんですね。

そうすることで、自分を防御している反応なんです。

どうして他罰的になりやすいかわかりますか?

なぜなら、理由が簡単に見つけられるからです。

しかも、とても理屈に合っていて、合理的で

とてつもなく、正しく思える理由です。

どうしてか?

他人ごとだから。

もし反対にそれが自分のことだとしたら、

逆に必死にそうでない理由を探すのでは?

だから、自分以外の人のせいにして、

それが120%正しい原因だと思い込むことなんか簡単です。

周囲の人に、「どう考えても相手が悪いよね??」

そう聞いて、「そうだ、そうだ」という意見だけを拾い上げます。

でも結論ははじめから決まっている。

相手が悪いということです。

もちろん、そういう場合もあるでしょうし、

自分を責めなさい!というのでもない。

でも、人というのは、事実をそうとらえて、

理由を簡単に見つけやすいのだと知ることです。

そのうえで、やはり自分がただしいのだと思えばそれはそれでよし。

そこをしっかりと思考できるか?それが大切なのです。

安易に、物事の原因を決めてはいけません。

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やりすごすしかないときもある

2012-06-10 01:00:00 | 日記
いつも、現実と向き合って、

課題と向き合って、

そうでないと、越えられない

そう伝えていますよね。

でも、ほんとうに辛いとき、

やりすごしてください。

一度、逃げてください。

離婚後というのは、

もうこれはジェットコースターのように

感情の波が上がったり、下がったりと

ものすごく激しい。

たとえば、こんなことはないでしょうか?

とにかく、家にいては気が滅入る。
だから、友達と飲みに行ったり、遊ぶ。
そのときは、忘れて楽しい。

でも家に帰宅すれば現実に直面し、
気分は一気にダウン。

これはもうどうしようもない、落ち込み。

また、ある時は、仕事の合間にふと気が抜けた瞬間、

電車に揺られているときの、ある瞬間、

いろんなタイミングで、予期せずに

不安が、孤独が、寂しさが押し寄せる。

まるで不意打ちのように。

対処しようにも、完全に心がさらわれて無理。

そんなときは、とにかくやりすごすしかない。

どういう方法がいいとか悪いとかではない。

今、この瞬間の苦しみから逃れるために

一瞬やりすごすしかない。

それは人それぞれだし、うまくいくパターンがいずれ見つかる。

少なくとも、このブログを読んでくれているあなたは

課題と向き合う大切さは、しっかり理解しているはずだから、

また戻ってこれる。

2,3日、落ち込んで、また戻ってくる

その繰り返しだ。

私の経験では、1年くらいは続くと思う。

少しずつ頻度は落ちるが、落ちるときは一気に落ちてやはり苦しい。

そんなときは、お酒を飲んで、寝てしまうか。

寝れないなら、徹夜して映画でも、ネットでもなんでもいい。

とにかくそのときをやり過ごす。

実は、これは、カウンセリング的には、抑うつにならないための

対処でもある。

どうにもならないときに、内省をはじめてはどんどんおちこむし、

どうせまともな答えは出てこないから

どんどんネガティブになるだけ。

そんなときはやり過ごして、

ゆっくりあとで考えればいい。

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自分は鏡です

2012-06-08 01:00:00 | 日記
以前、流行った本で

「鏡の法則」というのがありましたよね。

離婚して、自分は再婚できるだろうか。。。

新しい恋人が見つかるだろうか。。。

不安でしょうがないと思います。

慌てて、人との交流を増やしてみたり、

飲み会に参加してみたり、

SNSで友達をさがしてみたり。。。

みんな誰でも、もがくと思います。

ただよく考えてもみてください。

あなたはどういう相手を求めていますか?

自分のことを理解してくれる人

やさしく、あたたかく包み込んでくれる人

人間的に成熟した人

・・・

そういうあなたは、

他罰的な人、

自分を磨いていない人

心にあたたかさのない人

を選ぶことはありませんよね?

相手があなたを見る視点も同じですよね!!

あなたが求める相手と同じように

あなた自身がそうでないと、どう考えても選んでもらえませんね。

人間的に成熟すればするほど、
そうでない人はよくわかります。

だから、もしあなたがそうでないなら、近づいても来ません。
交流したいとすらも思いません。

つまり、
今、あなたが理想としている人と巡り合いたいならば、

あなた自身がそういう成長をして、
そのような生き方をしていなければなりません。

依存している人には、依存する人が、

一時の感情で盛り上がる人には、そういう人が

楽しさだけを求める人には、同じ人が 近づいてきます。

まさに、「類は友をよぶ」 そのままです。

だからあなたの周囲にいる人をよくみてください。

それが、今のあなたでもあります。

あなたの周囲によい人がいれば、やはりよい人が集まります。

あなたが努力すれば、努力している人が集まります。

自分の経験、苦悩を心を開いて発信すればそれに共感する人が
集まります。

私自身が常に肝に銘じていることがあります。

カウンセラーとして、たくさんの人と接し、
このブログも含めて、発信していくなかで、
自分がそういう人間でなければ、何の説得力もありません。

いくら言葉や知識で、

「かならず立ち直れる!」そう言っても

私という人間と接した相手が、

私の人間性に共感できないなら、机上の空論にすぎません。

だから、常に自分はどうなのか?それを問い続けて修正しています。

あなたが巡り合いたいような人間に

あなた自身がなる必要があります。

そう考えれば、自然にあなたのとるべき道は決まるはずです。

それは世間でどうだとか、周囲の友達がこうだとかではなく、
自分の内面にある、自分しかわからない価値観です。


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高島さんの裁判おかしいでしょう?

2012-06-05 22:40:35 | 日記
こんばんわ。

最近、見ていて不思議ではないですか?

高島政信さんと、美元さんの裁判。

全く意見が違うように見える。。。

そんなことありえません。

なぜなら、同じ環境で生活しているから

認知の仕方は違えど、事実はひとつだけ。

もちろん正しいとか、間違いではないんです。

どちらもおそらく正しいことを言っていません。

なぜなら、これは裁判だから。

「意見がかみ合っていませんねぇ」

というテレビの解説は的が外れているんですね。

離婚は、もちろん協議離婚からはじまり、

調停となり、調停には、離婚調停と、円満調停があり、

そこでも決着しなければ、裁判となる。

今日、テレビでも言ってましたが、

子どももいないし、お金でもめているのでもないのに、
裁判までいくのは珍しいのです。

それにDVテープが出てくるあたりが相当に激しい。

もう完全に勝つか負けるかしか、双方にはありません。

これで円満にもう一度夫婦なんてことはありえません。

しかも、どういう結論になっても、お互いに相当傷ついているし

心はボロボロです。

もう双方の弁護士の完全な戦略のうちなのです。
どう発言し、どう装い、どういう戦略で臨めば
最終的に自分にとって良いかの。

離婚裁判とはこういうものです。

だからそんなのしないほうがいい。

どうせ裁判官は、ただの役人で、他人です。
自分の人生とは関係がないんです。

だから、どちらかが、執着を捨てるのです。

まあ、この場合は、奥様の方ですね。
自分がどんだけ正しくても、相手のことを好きでも
相手が嫌だというのだから、しょうがないんです。

もちろん、相手は、メンタルの病気かもしれないし、
一時的なことかもしれない。

でもしょうがないんです。

少なくとも今は。

あなたが奥様の状況で、仮に、ほんとうに自分が正しくて、
執着を捨てられるでしょうか?

かなり辛いと思います。

でも、この執着を手放すところからはじまります。

どんなに苦しくても、辛くても、不可能に思えても、

手放すことでしか。進めないときがあります。

私がいつもいう、執着を手放すとは、
物事の善悪、価値判断を超えなければできません。

自分が仮に120%正しいと思っても、
その上で手放す勇気のことなのです。

それができるかできないか、
成熟への差となるでしょう。

善悪、正誤、利損、そんな次元には

執着を手放すことはできません。

どんなに悔しくても、不条理でも、不合理でも

それでも手放す。

ただし、執着を手放すことは

自分が負けるとか、責任あるということとは違う。

成熟への、唯一の道です。
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ほんとに平気ですか?

2012-06-05 22:29:22 | 日記
こんばんわ。

どうして芸能人は、

離婚記者会見で、「円満に・・・・」「前向きに・・・」

「お互いを尊重して・・・」

いつもいうように

そうなら、離婚はしないのです。

それだけ十分に成熟した大人なら、

一度は愛して結婚したのなら、それを維持していく能力もあるはず。

たしかに、最近は離婚もふつうになり、

今日も誰かが電車で言ってました。

「バツのひとつやふたつ。。。」と。

だから、離婚した人は必死に

「わたし楽勝です!」

「大したことありません」

「これからいくらでも・・・」

の雰囲気でがんばらないといけなくなってしまう。

ほんとうは、死にたいほどしんどいのに。

ほんとうは、もう何もかも無気力で、食事もできないし、寝れないし、

対人不安なのに。。。

いいんですよ。

もっと、素直に自分の感情を出して。

辛い、辛い、悲しい、寂しい、不安だ。。。。

いくらでもあるでしょう。

それがふつうだし、そうなんだから。

人前で、いかにも、問題ない。平気だ。

のようなこと見せなくてもいいんですよ。

人前でかっこつけることありません。

どうせ、他人です。

人はみんな自分にしか興味ありません。

それ以外はおまけです。

みんな自分の人生で手一杯です。

だからあなたはあなたなりに、もがいて苦しんで

叫べばいいんですよ!

その方がずっと、ずっと楽ですよね。

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