離婚に苦しむ人へ

今、苦しんでいるあなたに寄り添って。

しょうがない

2014-02-28 20:14:57 | 日記
人生って、わからないですね、、、

最近のニュース見ているだけでも

そう思わざるを得ません。

まだ学生でも、海外でトラブルに巻き込まれたり、

年齢問わずに襲う

災害、リストラ、ストーカー、事故、病気、、、

結婚したかと思うと、新婚旅行中の事故。。。

最後まで寄り添って生きてきても、

介護に苦悩したり、、。

もう切りがないくらいですね。

離婚したとき、

多くの人が想うでしょう。

「私の人生ってなんなんだ。。。。と」

想い描いた、夢を見ていたのとは大違い、

努力もしたり、苦労もしたし、一生懸命生きてきて、、、

それでも、離婚という辛い現実もあり、

さらには、お金のことまで苦しまなくてはいけない。

離婚は、ほんとうに多くのことを変えてしまう。

私はときに想うのです。

「しょうがない・・・」

と。

これはネガティブなわけでも、消極的なわけでもなく、

ある意味で、現実を直視すること。

どんなに努力しても、祈っても、我慢しても、

お金があっても、死ぬ気で働いても、、、

生きていると、

「しょうがないこと。。。。あるんですね。」

どんなに苦しくても、

どんなに悲しくても、

どんなに不条理だと思っても、

他人の人生は生きられない。

自分の人生、

こうであったら。。。という人生ではなく、

今の人生を生きることしかできない。

人生って、長いようで、あっという間だな。。。

そう思います。

どんな風に生きてもいいんじゃないかな。。。と。

どうして、囚われてしまうのだろうと。

もっと、もっと自由に生きてもいいのじゃないかな。

自分が死を前にして、

この与えられた人生を、どう生きたのか?

ただその一点のみが、もっとも重要なんだと知っている。

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心が折れる

2014-02-22 22:58:08 | 日記
あなたもようやく、

このブログにたどり着いたのかもしれない。。

離婚して、、、辛さに打ちひしがれて、

もがき、苦しみ、

ようやくなんとかパソコンや携帯にも手をのばせた。


そんな感じかもしれない。

がんばって、がんばって、

耐えて、耐えて、

耐えれていないけれど、苦しんで、

もう駄目だ、、、

どうしようもなく苦しい。。

人は、強くもあり、弱くもある。

孤独というのは、やはり人は苦手である。

ここには、あなたと同じではないけれども、

離婚して苦しみ、毎日を耐えている人たちが集う。

ふと自分を見失いそうになったときに戻る場所。

耐え抜いた者が、過去の自分の耐えた強さを再認識する場所。

人は、かなり頑張れるものだが、

やはりどこかで心が折れる。

まるで動けなくなる。

ポキっと音がするくらいに、一瞬で身動きできなくなることもある。

それくらい辛いし、耐えがたい苦しみだ。

あなたはそれでも耐えているのだから、

それだけで十分だと思う。

今、このブログにたどり着いた。

それだけで、十分にがんばっているのだ。

何か行動したからこそ、辿り着いた。

心が折れても、骨折と同じだ。

少しの間は、休みも必要。

心の骨をつながないといけないが、

時間もいる。

周囲の助けも必要かもしれない。

心が折れた。。。

もう無理だ。。。これまでだ。。。

そう感じたら、迷わずに、休むときだ。

あなたの思考は、たえず回転しているだろう。

どうして、、、、どうしたら、、、

後悔、苦しみ、悲しみ、挫折、恨み、怒り、、、

思考も感情も途切れるときはない。

眠れないかもしれないが、

24時間ずっとこの調子のはずだ。。。

そこまで人は強くないし、耐えられない。

だから、休憩もしよう。

思考も休憩、身体も休む。

これまで十分に耐えてきたのだから、

少しくらい休んでもいいじゃないか。

自分に自分で許可をだそう。

それは弱さでもないし、負けでもない。

休憩して、また力を貯めよう。

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しんどいよね

2014-02-18 00:01:00 | 日記
離婚しても

辛くないなんて、嘘。

悲しくないなんて、大嘘。

人との出会いは、人生そのものなのだから、

出会いも別れも、最重要なことなのに、

多くの人がその大切さに気づいていない。

離婚はしんどいんですよね。

そう、しんどいんです。

最近、多くの人と接していて思うのです。

心に傷がない人なんていないし、

辛いことがない人もいない。

もしそうでないなら、

気づこうとしないだけかもしれません。

心の底から、

今、しんどいんだ。

苦しいんだ。

辛いんだ。

悲しいんだ。

男女も年齢も関係なく、

自分はそうなんだと認めて、叫ぼう。

気が狂いそうなほど、苦しいのだと。

今、すでにおかしいのかもしれないのだと。

全然、平気じゃないんです。

強がることも必要ないし、

自分を誤魔化すことも必要ない。


今、自分はとてもつもなく苦しいのだと

それをまず認めるところからがはじまり。

何も恥ずかしいことでもない。

弱いわけでもない。

みんなそう。

耐えられないほどの苦しみなんだから。

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その悲しみが将来の強さに変わる

2014-02-15 00:01:00 | 日記
今のあなたは、絶望しているかもしれない。

哀しみの底で、打ちひしがれているかもしれない。

怒りと、憎しみの頂きにあるかもしれない。

これから先の不安でいっぱいかもしれない。


いつも言うようであるが、

これは 離婚 という大きな喪失体験があったのだから

しょうがないことである。

誰にとってもそうであって、

あなたが特に弱いわけでも、人間的な未熟さでもない。

程度の差はあれ、体験に付随するものだ。


離婚によって、失うものは多い。

長い苦しみの日々が続くであろう。

ただ、この悲しみは、

将来、必ず、あなたの強さになる。

強さというのは、人間力ということ。

考えてもみてほしい。

がんの闘病生活や、伴侶や子供との死別、

手足、視力、聴覚などを失うような身体的な障害

こんな極限の状態とは比較できないかもしれないが、

離婚というのは、

人生で経験する極大の苦しみの一つであることには変わりない。

うれしい話ではないが、

ある意味で、命の危険なく。。。

経験する、極大の試練であり、とても貴重な体験ではある。

そこから、這い上がった後のあなたには、

普通に安穏と生活している人が得ることのできないような

学びをするだろう。

教科書に載っていたり、他人から聞けるようなことではない。

自分自身で身に染みて経験する気づきだ。

今はわからないが、

あなたの力になっている。

あなたの人間力になっている。

それを正面から受け止めて、受け入れて、学ぶことで

あなたの人間としての輝きが増す。

乗り越えた先で、再び試練はいくらでもある。

人生での試練は避けられない。

だが、そこでは腹の座りが違う。覚悟が違う。

普通の人たちとは比較にならないほどの

ある意味で、絶望から這い上がってきた意地と、プライドかもしれない。

そんな力が、あなたの次の試練を乗り越えるための力となる。


あなたの優しさ、思いやり、愛情になる。


安穏と過ごしてきた人と同じでたまるか!!というような強い意志。


大丈夫、

今日の悲しみは、またひとつ、あなたの成熟につながっている。

あなたが悲しみを、ひとつひとつ、乗り越えることは、

幸せな将来への貯金のようである。

必ず、あなたの力となる。
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どう苦しみに耐えるかの意思

2014-02-13 00:01:00 | 日記
離婚で

打ちひしがれて、ボロボロになり、

もう駄目だ、、、、

自分はこれまでか。。。


そこまでボロボロになりながらも、

ふとどこかで、自分の内面にある

小さいときから、

ずっとあなたを支えてきた何かがある。。。

親から叱られて孤独になったとき、

受験での不安

部活動での苦しさ

失恋したとき

病気で入院したとき

これまでの人生で、苦しみの中にあるときに

あなたを支えてくれた


目には見えないし、話したこともないけれど

確実にあなたの中にいると、、、確信できる

自分だけが確信できる何か。

この離婚という最大の苦しみにも

そのあなたの中の何か、何者かが、、、

確かに、必死にもがいて、耐えている。

そして行く道を探している。

今日は、定期購読している「致知(ちち)」という月刊雑誌の
中で、紹介されていた詩を紹介しようと思う。

理論ではなく、それぞれの生き方が書いてある
珍しい雑誌だ。ネットでしか買えないのかもしれないが。。。
フェイスブックもあるので、見出しだけでもどうぞ。

*****

茨木のり子 「苦しみの日々 哀しみの日々」

============

苦しみの日々

哀しみの日々

それはひとを少しは深くするだろう

わずか五ミリくらいではあろうけれど

さなかには心臓も凍結

息をするのさえ難しいほどだが
なんとか通り抜けたとき 初めて気付く

あれは自らを養うに足る時間であったと

少しずつ 少しずつ深くなってゆけば

やがては解るようになるだろう
人の痛みも 柘榴(ざくろ)んおような傷口も

わかったとてどうなるものでもないけれど
(わからないよりはいいだろう)

苦しみに負けて

哀しみにひしがれて

とげとげのサボテンと化してしまうのは

ごめんである

受け止めるしかない

折々のちいさな棘や病でさえも

はしゃぎや 浮かれのなかには

自己省察の要素は皆無なのだから

*******


何ミリ成長できるのかは

物事によるだろし、人によるだろう。

わずかな事でも大きな気づきとなることもあるし、

離婚しても、病気になっても

死別しようとも、何も気が付けない人もたくさんいる。

だが。。。

私は、この一文が気になる。

「とげとげのサボテンと化してしまうのは

ごめんである」

そう、「ごめんである」 ここに覚悟がある。

どんな苦難を受けようとも

人としての道をまっすぐに歩き、

自分を見失わないこと。

たしかに相手はひどいし、冷酷だし、あまりの仕打ちだ。

とてつもなく、苦しい時間だ。

だが、、、

最後は、どう自分がこれから先、生きていくのか、

どういう人間であろうとするのか、

自分という人間性をどこまで高めて、成長させることができるのか、

人間は、いずれ死ぬ。

だが、どう生きるかだけは、自分で選択できる。

それは生きた時間に関係なく、自分の心持ちである。


今は、苦しいし、絶望し、ボロボロで、

何の道も見えない。

けれど、

ここで、あきらめるのはごめんだ!

それは、もはや極限まで追い詰められた先に

自分の奥底から出る 無意識の叫び。

まずは、ゆっくり悲しもう、休もう。

それからでいい。

あせらないことだ。


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人生は、けして見逃さない

2014-02-11 00:01:00 | 日記
離婚したとき、

自分がこんなに苦しんでいるのに、

どうして相手は、のうのうと生きているのだろう。。

どうして相手は、楽しそうに新しい生活をはじめるのだろう。

どうして。どうして。。。私だけ・・・・。


そんな想いがないだろうか。

あなた相手は、あなたほどには、苦しんでいないどころか、

何だかすっきりして、新しい生活をはじめていないだろうか。

そんな様子を感じれば、

いっそのこと、殺してやりたい。

何とかして、罰を与えたい。

自分以上の苦しみを与えてやりたい。

サスペンスドラマにもなりそうな妄想をしたことがないだろうか。

こんな恨み、憎しみを強く感じたことはないだろうか。


それでも、何とか理性ギリギリのところで耐えているのではないだろうか。


いつもいうように、相手と同レベルで争うことは無意味で、虚しい。


もちろん、そんなことをしてはならいないのは言うまでもない。

たしかに、相手は今は何も感じていないか、

勝利すら感じているかもしれない。

自分にこそ正義があるように感じているかもしれない。

だが。。。。

これは真実だが、

人生はそんなに甘くない。

自分自身はもとより、親、友人を誤魔化せても

最後には責任は自分に戻ってくるのである。

どんなに自分を誤魔化せても、ほんとうの自分は知っている。

無意識レベルの自分には、わかっているのである。

人生のどこかで、かならず帳尻が合わせられる。

昔の言葉で言えば、「お天道様はみているのである」

結果としてどうなるか。。。

結局は、その人の人生はうまくいかなくなる。

必ず、再び、悪い方に転がっていく。

人生では、乗り越えるべき課題がある。

気付くべき学びがある。

それを学ぶことができなければ、何度でも似たような問題が起こる。

あなたは、自分の至らない点に気づき、学び、変化しよう。

これだけ苦しんだのだ。充分、傷ついたのだ。

今は、楽しそうにしている相手にも、

相手の人生が、けしてそれを見逃したりはしない。

どこかで気づかされるときがくる。

あなたはもう今、そのチャンスを得た。

だから変わればいい。気づけばいい。

相手のことは、「お天道様」に任せよう。

人智を超えた大きな力に任せよう。

あなたは、あなたの人生のための学びをすればいいのだ。

あなたが、相手に罰を与えなくても、

いつか必ず、相手にも問題に向き合わざるを得ないときがくる。

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自分の人生に責任をもつ

2014-02-09 19:23:09 | 日記
「自分の人生に責任をもつ」


これは、いつも私が伝えていることです。

自分の人生に対して、主体的に生きるということです。

誰かのせいにしたり、回避せずに。

でも。。。。


離婚したとき、

相手のことを責めたり、恨んだり、憎んだり、、、

これは当然あるわけです。

もちろん正当な理由もあるでしょう。

だからそれがいけないということではないのです。

誰だって、相手からひどい仕打ちを受ければ、怒り、腹が立ち

仕返しもしたい。

相手にも自分と同じような、いやそれ以上の苦しみを味あわせたい。

さらには、相手に対して、

どうしてもっと人生や家族や、思い出を大切にしないのか、

どうして、こんな簡単に長い年月を台無しにできるのか、

それで後悔しないのか。

私の将来はどうするのだ、相手の将来もどうするのだ、子供はどうするのだ。。。。

どうしてそんなに、人生を軽率に生きるのだ、判断するのだ、

耐えることができないのだ、

解決へ向けて努力できないのだ。。。

そんな気持ちがあって、当然です。

ただ。。。

ここで、
ひとつだけ原則を想い出してください。

はじめの言葉です。

「自分の人生に責任をもつ」

つまり、自分の人生については、自分で決める権利がある。

ということ。

逆にいえば、

「自分以外の人生に責任はもてない」 ということになる。

つまり、自分以外の人生については、私が決める権利はない。

ということになる。

そう、あなたの相手がどんなに軽率で、いい加減な判断をしようと、

生き方をしようと、あなたにも決める権利がない。

相手は相手の人生を自分で決めて生きる権利がある。

だが、ここで、もうひとつ大切なことを言いたい。

もうひとつ付け加える。

「ただし、他人に害を与えないこと、他人を巻き込まないこと」 が大原則。

結婚とは、自分だけでなく、相手も、場合により子供も、

そして親も巻き込むことである。

本来、相手は結婚するような成熟さが不足していたとしかいえない。

相手の人生は、たしかに自分のものだが、

それならば、周囲を巻き込んではならないではないか。

それは子供のすることだ。

巻き込んだ以上、誠心誠意尽くすというのが、人の道。

とはいえ、

これで、もはや、相手の人生に責任を負う必要、

ましてや、罪悪感など不要だということが理解できるはずです。 

十分に相手に誠心誠意尽くしたなら、それでもう十分すぎる。

もうこれ以上、相手の将来にも、人生にも責任も、負債もない。

あなたはあなたの人生の舵をとる。

他人の人生の舵まで握る余裕などない。人生は想ったよりも、短い。

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あなたは、十分苦しんでいる

2014-02-09 00:01:00 | 日記
離婚した後で、

悲しみ、苦しみ、絶望、。。。。


そんな想いと同時に、

もっと何かできたのではないか。

自分が至らなかったから、離婚になったのではないか。

どうして、もっと相手を大切にできなかったのか。

相手にどうして、あんなことを言ってしまったのか。

どうして、あんな態度で。。。

後悔や、反省、罪悪感までも感じていないだろうか。


これらの感情は、

誰しもが感じることであって、特別ではない。

そして、この感情から逃れることは、

時間もかかることもある。

そして、何よりも知ってほしいことは、

あなたが罪悪感や後悔をしているからといって、

ほんとうに、あなたが悪いということではないということである。

感じるだけであって、事実ではない。

あなたも、薄々は気づいているかもしれないが、

相手にそんな感情はない。またはほとんどない。

あったら、もっとやさしさや、人間的な想いや、行動ができる。

離婚直後は、感情的にも冷静さがないから、しょうがないとしても、

本質的な優しさや態度というのは、その人から無くなるはずがない。

あなた自身を考えてみれば、よくわかる。

離婚しても、どんなにひどい仕打ちを受けたとしても、

あなたに、相手のような冷淡な態度がとれるだろうか。。。。

そうでないから、苦しんでいる。

しかし、、、あなたの相手はどうだろうか。。。

答えを聞くまでもない。

だからこそ、あなたには納得しがたいこともあるし、

理不尽さや、不条理さが残るのではないだろうか。

理由があって、十分にお互いに話す時間があり、

お互いの将来のために、考えてきたならば、

納得できないながらも、不合理さはないのではないか。


だから、今、これだけ苦しんでいるのだ。


もう、あなたは十分すぎるほど苦しんでいる。

離婚はたしかに、片方だけが100%悪いことは少ない。

だけど、あなたは、十分苦しんでいるのだ。それで充分なんです。

少なくとも、それだけの痛手は十分受けた。

だから、あなたは罪悪感を持つ必要はない。

たしかに、もっとできたこともあったかもしれないし、

もうすこし態度も変化できたかもしれない。

完全ということはないのだから、どうしてもそういう気持ちが残るのは

しょうがないではないか。

でも、それは相手も同じことである。

あなたがひとりで責任を感じることはないのです。

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・・・を夢みる生活

2014-02-07 00:01:00 | 日記
こんばんわ。

あなたは、離婚を経験して

今、とても辛いと思う。

ちょっとそこから離れて

一緒に想い出してみてほしい。

もちろん、辛いなら、やめていい。

あなたが恋人もいないころ、

つまり中学生のころか?

恋人が欲しいと切望した時期があったろう。

もしかしたら、「性」に関心が出始めたころかもしれない。

高校受験のとき、大学受験のとき、就職活動のとき、、、

いつもこれを乗り切ればと、、、がんばってきたかもしれない。

社会人になり、

恋人ができたら、

今度は、結婚を夢見たかもしれない。

結婚したらしたで、

子供が欲しいと思ったかもしれないし、

マイホームが欲しいと思ったかもしれない。

幸せな老後を夢見たかもしれない。。

こうやって考えていくと、

私たちというのは、いつまでたっても満足しないものみたいだ。

次から次へと夢は広がり、目標ができる。

離婚した今となっては、

この苦しみから解放されて。。。と思うだろう。

そして、新しい恋人ができれば

またもとの「夢の追いかけ」コースだ。

何なのだろう?

考えたことがあるだろうか?

夢がなければ、たしかに味気ない。

だが、欲は尽きることはない。それが私たちなのだ。

私自身の実感としても、終わりがないと思う。

だから現実を味わえとか、満足しろとか言うつもりもないし、

そんなことはできない。

夢みたってしょうがないとか、

人生は虚しいのだ。。とかいうつもりもない。

ある意味で逆説的だが、

人生を夢みることを続ける限り、続いていくのだ。

それはどんな状況でも、困難な状況でも、

こうであったらいいのに。。。という想いこそが、

生きていく原動力になることは、

これまでのあなたの人生を想い出せば、反対する人はいないだろう。

最近、iPS細胞と並ぶ大きなバイオの発見をされた理化学研究所の小保方さんも

いつも実験をやめたいと思っていたが、

今日一日だけ続けよう

その想いをただ、ひたすら続けてきたからこそ、この偉大な成果につながったと。

いつも紹介するカウンセラーの諸富先生は

「とりあえず5年の生き方」ということを提唱する。

なんなら、1年先くらいでもいいではないか。

ちょっとだけ夢みていく。

私は、辛いとき、通販で、物を買う。

大した買い物ではないが、

だいたい1週間先とか、2週間先に届くのだ。

それを楽しみにして、そこまで何とかがんばるのだ。

たとえば、半年先のセミナーの予約をするのだ。

音楽が好きなら、ライブの予定もいいだろう。

自分がコントロールできることで、

自分に楽しみを予約するのだ。

旅行の計画も良い。

たしかに、苦しいとき、

夢も希望も感じられない。

それでも、自分に何かご褒美をあげてほしい。

これまでの人生で、ずっとそうしてきたように、

今こそ、その力を活用してほしい。
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悩むか、悩まぬか

2014-02-05 00:01:00 | 日記
こんばんわ。

離婚して苦しいとき、

もちろん、悩むというよりは、苦しいという感じ。

悩むというよりは、悲しいという感じ。

正直、悩んでいるというよりは、

もう心がボロボロ過ぎて、悩む耐力もない状態。

いつもいうように、

悲しみを悲しみと感じ、涙を流し、

動けないなら、動かず。。。

それでいい。しょうがない。

無理やり問題と向き合ったり、

自分自身の内省をしたら、余計に苦しくなってしまう。

だから、なんとか、やり過ごす。

決断しない。

真正面から向き合わない。

逃げて回避する。

それでいい。

たしかに、離婚は、一人の問題ではない場合が多い。

だからといって、

自分ひとりが悪く、責任を負うものでもない。

いや、苦しみに耐えているあなたは、

もしかすると5%程度の責任かもしれない。

そもそも、

人生でゆっくり向き合うことはたくさんあるし、大切だ。

だけど、その時期は、自ずとわかるから安心してほしい。

離婚して、心がズタズタになった今は、

自分を甘やかしていい。

甘やかすというよりは、自分を大切にするということ。

それだけできれば、もう十分に、あなたのするべきことはしている。

悲しいから、泣いていい。

苦しいから、動けなくてしょうない。

そんな、いきなりふつうなんて無理。

誰だってそう。

あなたが特別に弱いわけではない。


新刊で、エッセンスが凝縮されていて良い本です。

「悩みぬく意味」諸富祥彦  幻冬舎新書

後半は、かなり本格的で、最新のカウンセリングテクニックも、
一般の人でもできるようなワークが取り入れられています。
巻末に「気づきと学びの・・・」という研究会アドレスも記載されている。

プロのカウンセラーと、一般の人が混在して、
楽しく学べる丸2日のセミナーだ。
もし、気になるワークや考え方があれば、そこで学ぶことができる。
直接、先生と会話もできる。
少し元気が出たら、新しいきっかけとして、
参加してみるのもよいかもしれない。
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世の中の人は知らない

2014-02-02 00:01:00 | 日記
こんばんわ。

離婚したとき、多くの方が感じるでしょう。

「どうして、私が。。。」

「これまで、あれほど楽しい時間を過ごし、夢見てきたのに。。。」

「自分が生涯を共にしようと決めた相手の手の平を反したような態度に
唖然とし、絶望し、虚しく感じ、、、、信じがたい。。。」

「どうして、・・・」


今までは、両家で一緒にいろいろな行事をしてきたかもしれません。
子供を中心にして、楽しい時間もあったかもしれません。

でも、離婚するときは、なぜか敵と味方に分かれ、、、
とても常識では考えられない様な態度。。。

自分の両親でさえも、今まで接してきた両親とは違うと感じるかもしれません。

とにかく、

ほんとうに、わからないことばかりです。

今までの自分の常識、生き方にはないことだらけです。

自分が生きてきた価値観そのものを揺るがす、いや崩れ去るような出来事です。

たとえば、自分の両親や親友ならば、
相手のことを、「我が強い」「素直さがない」「常識がない」・・・

いろいろな表現をするでしょう。

もちろん、相手や相手の親からも、あなたも言われることでしょう。

ただ、、、、、

それはあまり正確ではないかもしれない。

私は当時は、相手の変化の意味が知りたくて、
心理学、精神医学、カウンセリング、自己啓発・・とたくさんのことを学びました。

病的なパターンもあるし、そこまでではないこともある。

常識、当たり前とは、、、そもそも何か。。。 

生きるとは何か。。。

全てがわかるはずはありませんが、自分なりの答えを出す作業でした。

自分で納得して先に進むための作業でした。

そしてこれも、グリーフワーク(悲嘆回復)なのだとも知りました。

「グリーフ」という言葉に出逢ったのは、

離婚してから数年後でした。そして自分の状況や、反応、態度のすべてが
一瞬のうちに理解できて、ほっと安心感すら感じたことを覚えています。

未だに知らない人がほとんどです。

離婚して、あまりに不誠実な態度や、常識を逸脱した態度、考えは、
やはりある意味で、病的であることが少なくありません。

相手やその家族は、知ることもありません。
そして伝えても意味がないでしょう。

パーソナリティーがしっかりと育っている人は、
やはり困難や、課題に対しても、誠実に対処するものです。
どこかで人間としての温かみや、やさしさもあるものです。

芸能人や、会社の重役などを見ていると、
かなり病的な方がいます。
それは地位や人気とは関係ありません。
いや、ある意味で、そういう場合にこそ、
カリスマ的な惹きつける要素があることも。

病的な部分は、本人が自覚して、治療しないと無理です。

世の中の人が、あれこれ言うことは
正しいこともあるし、間違っていることもあります。
あくまで、専門的でない一般論です。

本質は、自分のパーソナリティーや相手のパーソナリティー
そして、その特徴を把握しないと見えてきません。

誰も、成熟しきった人などいないし、問題のない人を見たことがありません。

歴史上の偉大な心理学者やセラピストも、作家も
それぞれに問題を抱えていました。
いや、まさにそれこそが源となり、大成したのです。

良い悪いではなく、物事を正確に把握し、
本質を見なくてはなりません。

そしてそれは生きている間、ずっと続く作業であり、
離婚しようがしまいが、本来はするべきことでもあるけれど、
多くの人はそうは、生きていない。

離婚を機に、その本質を見つめる重要性に気づかされた。

だから今、あなたは苦しんでいるのかもしれません。





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