離婚に苦しむ人へ

今、苦しんでいるあなたに寄り添って。

極端に振れていく

2018-10-28 00:00:01 | 日記
離婚の苦しみからの立ち直りの時期、

生活も趣向も、あらゆるものが極端に振れた。

人と一切会わなくなかったり、

だから、職場の懇親会も欠席したし、

送別会ですら出なくなった。

休日は、読書ばかりしたり、

運動ばかりしたり、

そうかと思えば、手当たり次第にほしいものを全部買った。

高級ウィスキーにはまって、バーに通ったこともあった。

極端にダイエットしてみたり、

あらゆる健康食品やらサプリを試してみたり。

毎日3時起きになったり。

幸せで安定した生活のときには、

いろいろなことがバランスできるものだが、

苦しいとき、辛いときは

何かに没頭したり、集中していないと

すぐに苦しみに覆われて、動けなくなってしまう。

過活動はその意味で、人間の防御本能のひとつでもある。

もしあなたが、今、極端な方向へ動いていたり、

何かに集中していても心配はいらない。

時間をかけてその振り子は小さくなり、またバランスする。

一番大切なのは、振り子が外れないようにしておくこと。

そうすれば、いつか、リズムを取り戻せるだろう。

行動も、感情も、性格も、あまりに大きく振り子が振れると

心配に襲われるだろう。

どうしてこうなってしまったのか・・・とか、

これが本来の自分の姿なのか・・・とか、

悩みだす。

ただ、今までしたことがなかったことをしていたり、

これまでは考えられないような自分であっても、

今は苦しみに耐えている時期であって、定常ではないのだと気づいて、

心配しすぎないようにしよう。

そんなとき、糸につながれた錘の振り子を思い出そう。

今は大きく振れていても、いづれ振り幅は小さくなっていく。


何の差か

2018-10-21 00:00:01 | 日記
世の中には、自分の思うとおりに、

周囲や物事をコントロールしたい人がいる。

一方で、淡々と、自分の軸で動じない人もいる。

ちょっとしたことで、慌てふためく人もいるが、

腹が座っている人もいる。

まだ入社したてのとき、昔の上司に言われたことがある。

修羅場を潜り抜けた経験の差だと。

人生においても同じ。

人は生まれたときから死へ向かい、

一歩たりとも、死から遠ざかることはない。

時間とともに、死へ近づく、

誰もが知りながら、どうにもできないし、

考えていたらやってられないから、

見ないようにして生きている。

だが、末期の宣告や、難病、事故、、、

嫌がおうにも向き合うことになる。

それが人生というものだろう。

いつもいうが、命を奪われない点を除けば、

離婚というのはほんとうに厳しい試練だと思う。

経験していない人には想像もつかないレベルで

人間をボロボロにして、変革するだけのインパクトがある。

だが、その苦しみを抜けた先には、大きな変化がある。

いや、変化しなければ、抜けられないというのが本当のところだろう。

以前も書いたが、変化した人は変化した人がわかる。

未成熟な人はどんなに偉い肩書があろうが、お金があろうが、

これまたわかるのである。

人それぞれに、人生のステージがあり、

変化をして人生を終える人もいるし、そうでない人もいるだろう。

だが、離婚の苦しみに耐えて、耐えて、越えてきた人は

きっと新たな自分を見つけるだろうし、

人生のとらえ方もちがってくるはずである。

もしあなたが、今現在はそんな気持ちにはなれないとか

私にはできないと思っても、それはそれでいい。

誰しも、そんな過程も経てきているから。

あるべきところに、導かれる。

私がいつも思う軸である。

たとえ、今が混とんとしていようとも、自分の想いどおりでなくとも、

それでも何か人智を越えた力、プロセスが

あるべきところへいざなってくれている。

宗教でもなく、スピリチュアル、自己啓発でもなく、

人生の指針のような感じであろうか。

離婚の苦しみから10年以上たっても、

当時感じて、耐え抜いた軸や思想はゆるがない。

あなたにとって、未来まであなたの助けになるものを見つけてほしい。

この苦しみの底で、何かあなたの大切なものを探してほしい。


プロセスが動くとき

2018-10-14 00:00:01 | 日記
プロセスについては、

以前にもたくさん書いていますので

そちらを見返していただきたいのですが、

このプロセスというのは、

目に見えないわけです。

もちろん、そんなものを信じないとか

あるわけないという考えも否定しません。

私自身が別に証拠もあるわけでもないし、

そういう考えを提唱する人がいるということだけです。

また呼び方もそれぞれでしょう。

宗教では違う呼び方でしょうし、

どちらかというと、心理学的な呼び方かもしれません。

おそらく、普通に生活している人は考えないかもしれません。

逆に、運命の人に出会った人はどうか。

偶然に、奇跡的に、〇〇がなければ・・・、

出会うことができた。。。そんな風に考えるでしょう。

人間は良いことは自分に都合よく考えるし、

望まないことは、そうは考えにくい。

でも、プロセスは常に動いていて、

自分が気づけるときもそうでないときも

変わらずに動いている。

あるとき突然にプロセスが顔を出して、気づけるときもあるし、

全く動きのないように想えるときもある。

苦しみの深くに沈むとき、

悲しみの闇が消えないとき、

何年も耐えていると、このプロセスが動いていないかのように想える。

だけど、きっとあなたのプロセスは動いているし、

あなたのあるべきところへ導いている。

少なくとも、私自身はそう信じて生きてきた。

その先には望むこともあるし、望まないこともあるが、

かといって、自分の手で変えられることは少なく、

どちらにしろ、望まないことも起きる。

だから、私は手放して、プロセスに任せて生きる軸を選んだ。

諦めるのとも、努力をしないのとも違うし、

やりたいことをしないのとも違う。

ただ、自分にはどうにもできないこともあるし、

自分が気づかないところで、プロセスが動いていると感じて、

生きていくという軸なのです。

もがくのをやめる

2018-10-11 00:00:01 | 日記
離婚の苦しみのなかで、

ほんとうにたくさんもがきました。

全力で、全身全霊で、がんばり、耐えました。

自分の苦しみ、悲しみはもちろん、

復縁できないかとか、子供とのことや、

ありとあらゆることに対して、もがきました。

でも、先日も書いたように

「疲れた・・・・」

「もう十分だ・・・」

その想いに達したとき、

もがくのを止めました。

積極的な諦め

自らを解放するために、

手放しました。

そこからが、スタートでした。

とはいえ、手放すまで何年もかかったことは

これまでも書いている通りだし、

けしてスマートでカッコイイ、見本になるようなものでもありません。

行ったり、来たり、

四方八方に動きながら、

ときには、後退したり、動けなかったり、

その繰り返しのなかで、

これでいいな・・・・・、そう思えるときまで

耐えました。

ゆっくりとでいいのです。

はじめはうまくいかなくても。

いつもいう、あなたが目指す方向や軸を決めて、

いや、探しながらで良いから、動いてみましょう。

動けないときは、目だけ、心だけそちらに向けてみましょう。


変化を恐れない

2018-10-08 00:00:01 | 日記
私が離婚してから変化したことに

価値観の変化があります。

これについては、過去にもたくさん書いています。

たとえば、高校から理系で

企業の研究者になるくらいに

テクノロジーとサイエンスを追いかけて、

新しい商品への開発や、探求が楽しかった若いときがありました。

でも、今では全く興味もなくなりました。

残業もたくさんして、勉強もたくさんして

職場の仲間と飲みに行ったりするのも楽しかったし、

研究リーダーをしたりと、そしてその高みを目指した若い時代が

ありました。

でも、今はどうでも良いというか、興味がありません。

なぜみんなそんなに会社の利益のために働いているのか、

少なくとも日本では、会社が利益が出たところで、

大した給料UPも見込めません。

日本の通勤では、一日2時間も残業すれば、自分の時間はほとんどないでしょう。

以前から言っていることですが、

時間の使い方に変化がありました。

自分にとって大切なこと、大切な人との時間を過ごすことに

集中します。

それ以外ののことはもちろん社交上、避けられないこと以外は

しません。

人生で重要なことが何かを考え、優先を変えました。

でも、当然ですが、私の価値観が変化しても

周囲は変わりません。

周囲は同じ価値観で動いているのです。

当然、合わなくなります。

であれば、結局、自分と価値観を共有できる人たちとともに

動くしかないわけです。

自分と同じ価値観の人たちの群れを探して、そちらに動くのです。

そして、もうひとつ。

自分の変化を恐れないでください。

人間は、今までのところにいる方が楽です。

変化すれば不安定になります。

周囲からの抵抗もあるでしょう。

変化しない方が楽というのは、何も苦しんでいない人はそうですが、

離婚という絶望的な苦しみを経験してきたなら、

きっと変化していかなければ、越えていけないと

自ら気づけるかもしれません。

変化した方がよほど楽になるかもしれません。

変化して、たとえ一時的には不安定かもしれませんが、

またその変化した先があらたな基礎になっていくのです。

変化すべきだと言っているわけではなく、

もし、その必要性に気づいたなら、

恐れないで変化してほしいということです。




ぜんぶ止める

2018-10-05 00:00:01 | 日記
日々、いろいろなことに耐えて、耐えて、

頑張っていると、

心も身体も疲れきってしまう。

そのことにも気づけないようなほどに

苦しみに耐えていることもある。

がんばるのを全部、いったん止めてみる。

もう心を解放してしまう。

ダメな自分でいいやとあきらめてしまう。

365日すべてをがんばることなんてできない。

耐え続けるなんてことはできない。

だから今日はもういい、今週はもういい。

がんばっていること全部停止。

ダメな自分のままでいく。

そんなときがあってもいい。

そんな自分もあっていい。

あなたが今、苦しみに耐えて、

何かしなければ・・・、

もっとがんばらないと・・・・

そんなことを想っているかもしれない。

でも、いったん停止してもいい。

自分を甘やかしてもいい。

だって、いつもがんばっているのだから。

それはあなた自身が知っている。


疲れる

2018-10-02 00:00:01 | 日記
ボロボロになり、

上がったり、下がったりする気持ちや

どうにもならないむなしい想いや、

絶望感、、

そして、どうにもできない自分自身に

疲れたとき、

もうどうでもいい、

世の中のあらゆることに興味が失せ

自暴自棄となりそうな自分を必死に抑えながら、

日々、朝を迎えて、夜まで過ごす。

疲れた・・・。

そんな自分や生活に飽きた。

その想い、心からのため息。

私も経験したから、ほんとうにそうだという想いが伝わってくる。

もういいや、そこから始まったかもしれない。

自分の生きたいように生きよう。

世の中の価値観とは違う軸で生きよう。

やりたいこと全部しよう。

新しい自分に変わろう。

絶望からの一歩。

変化の一歩。

恐れることは何もない。

地獄のような日々を越えてきたのだから、

何でも挑戦できるし、これ以上の不安や恐怖などあろうか。

そんな想いで、乗り越えてきたように思う。

そうはいっても、もちろん現実には不安や懸念もたくさんあった。

でも、あのときのような苦しみは一度もない。

疲れた・・・、。

そこが始まりの一歩だったかもしれない。

もう抜け出そう。もういいや。

そこから一歩ずつ。