離婚に苦しむ人へ

今、苦しんでいるあなたに寄り添って。

気持ちの浮き沈み

2021-10-31 01:11:11 | 日記
ふつうに生活していても

気持ちの上がり下がりはあるものだと思う

苦しみにあっては、長い時間、気持ちが沈むときも多いかもしれない。

世の中すべてのことに嫌気がさしてきたり、

以前も書いたように、

離婚を機に、突然カラーの景色がモノクロに感じられるようになったかもしれない。

そもそも感情が消えてしまったようになるかもしれない。

もちろん、どうにかして脱しようともがくことが多いが、

たいていはうまくいかない。

もしかすると、ますます落ち込むことのほうが多いかもしれない。

そして、その辛さを否定したくなる。

私自身も、現実逃避したり、アルコールを飲んだり、

とにかくいろいろ試してきたけれど、

そしてそれは一時的に回避できたこともあったけれど、

わかっていることではあるけれども、一時的にすぎなかった。

そんなときに一番大切だと感じるのは

いつも言うことではありますが、

やはり自分に自分でやさしく接することではないかと思います。

苦しいとき、無意識かもしれませんが、やはり自分に厳しいように思えます。

ほんとうの自分はこんなんではない、もっとがんばれる

苦しんでいる自分は本当の姿ではないと。

人によっては、自分を責めていることもあるかもしれません。

カウンセリング的に、少し突っ込んで言うなら、

自分を責めて、こんなつらい思い、苦しい思いをしている。

そして、こんなに苦しんでいるのは、〇〇のせいだ、相手のせいだ、責任だと

裏を返して責めているかもしれない。

自分にやさしくすることは、

甘やかすこととは違うし、

相手の責任や過ちを認めたり、許すこととも違う、

自分の弱さも情けなさも、見苦しさも、そして強さもすべてが

あってよいし、丸ごと自分なんだと認めてあげること。

そんな感じがします。







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比較して不安になる

2021-10-26 10:56:25 | 日記
周囲と比較しないで生きることは難しい

中学、高校、大学とテストの点で優劣がつけられ

社会人になれば、これまた成果を求められ、

誰が昇進したとか、左遷されたとか。

恋人がいるのか、いないのか

結婚しているのか、独身なのか、

年収で中流だとか下流だとか言われる。

違う価値観で生きたくても、

世の中はそうなっていなから、

自分の意志とは関係なく比較されてしまう。

離婚して苦しいことのひとつに、

そんな比較にさらされることがあるかもしれない。

親戚はもちろん、職場や、いろいろな活動で

ある年齢なら、結婚していて当たり前という雰囲気は

今でも根強くあるように思える。

もうそんな古い規範や習慣にとらわれていない人たちもたくさんいるのだが、

古い価値観の人が少しいるだけで、傷ついた心はさらにダメージを受ける。

私たちは、そんな周囲と比較されて、比較して、不安になる。

比較がないなら、不安の多くは生じないかもしれない。

そして、不安になることが悪いのではないことにも気づきたい。

そのうえで、不安の元は何かに目を向けたい。

自分は〇〇のために、今不安になっている。

不安の原因は〇〇だと感じている。

自分は〇〇になることを恐れている。

そうやって、ひとつずつ言葉にしていく。

頭のなかだけで考えているだけ、思うだけではなくて、

しっかりと、明確に言葉にしていくことが大切ではないだろうか。

言語化すると、解決していなくても、不安は小さくなる。

自分の今の位置が見えてくる。

心のなか、頭のなかにある不安を

言葉にして吐き出す。

私はノートに書いていく。

難しく考えず、理屈で固めず、ただただ思いついたことを

愚痴でもなんでも書いていく。ノートに何ページでも書いていく。

書いていくうちに、思考が変化してくる。

一時的にでもすっきりしてくる。

もう自分の心のなかには何もない、ノートに書いていないことはない

それくらい徹底的に書いていく。

当時は、毎日毎日、朝も夜もなく、職場でも書いていた。

今は頻度こそ減っているが、不安や苦しみに襲われたとき、

静かなカフェでゆっくりと自分の気持ちを書いていく。

好みの問題はあるが、

おすすめはあまり自宅で夜に一人でしないほうがいい。

できたら、周囲に人がいる環境の方がいい。

その方が、周囲への意識と、自分の内面への意識のバランスがとれて

良いように思う。

不安になったらぜひやってみてほしい方法です。



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全体をみる

2021-10-12 21:30:26 | 日記
私たちは、目の前の出来事に右往左往する。

毎日、毎日、身の回りで起こることや

結婚や離婚、出会いのような大きな出来事に一喜一憂する。

結婚式の誓いのように、

世の中から刷り込まれ、

まるで真実であるかのようにカモフラージュされたことが

身のまわりにはたくさんあるのかもしれない。

最近だって、コロナ前後では生活が大きく変わってしまった。

世界中で、一年中マスクをしていることや、居酒屋でお酒が飲めないとか、

テレワークや、多くの普通に働いていた人たちの失業。

どれもコロナ前には当たり前のことが、今は違った景色になっている。

日々の出来事で一喜一憂するのが人間というものかもしれないが、

長いようで短い人生を俯瞰してみると、

もっと大切なことが見えてくるように感じます。

旅行して、また来たいと思ったことがどれくらい実現しただろうか。

一年に一度同じ大好きな場所へ旅したとして、

これから先、何回行くことができるだろうか。

大切な誰かや両親と正月や誕生日を祝ったり、クリスマスを過ごしたとして、

あと何回元気に同じ日を迎えることができるだろうか。

単身赴任で月に1度か2度、家族と週末を過ごしたとして、

あと何度過ごせるだろうか。

そうやって、今、自分がしていることについて、残りの人生の時間軸で

考えてみると、あまりに少ないと感じるのではないだろうか。

仮に50歳なら、70歳まで、一年に一度の行事は、たったの20回しかない。

ただ70歳まで病気にならないとも、命が途絶えるともわからないうえにである。

先日、職場で10年一緒だった方が遠方に転勤した。

コロナ前には、けっこう飲みに行った先輩同僚である。

可能性がゼロとは言わないが、親友でもなければ、

この先、二度と関わることがないかもしれない。

そう考えると、

その方との時間は同僚とはいえ、人生で限られた貴重な時間だと思えてくる。

ただ目の前の些末な出来事だけを追っていると、

大きな視点を忘れがちになる。

だが、人生全体の時間軸、自分に残されているであろう時間軸で

物事を見てみると、異なる景色が広がるように思う。

その出来事の価値が大きく変わるのではないだろうか。

それでも価値がないと思うものは、ほんとうに無用かもしれない。

言うはやすしということになるのかもしれないが、

いつも伝えているように、そこへ向かおうとするのと、

全く考えていないのでは大きく違う結果になると思っているのです。


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