離婚に苦しむ人へ

今、苦しんでいるあなたに寄り添って。

過活動は悪くもない

2019-01-30 00:00:01 | 日記
ショックの時期を過ぎて、

表面的には、対外的には、

何事もなかったかのように

生活ができるようになってくるときがある。

職場でも、友人などの周囲も、

あなたの離婚のことなど忘れてしまったかのような

そんなタイミングである。

あなた自身も、朝夕の独りの時間には苦しくとも、

それなりに食欲もあり、多少は独りの時間も過ごせるようになってきたとき、

何とかして新しい時間を過ごそうとする。

ありとあらゆる方向性を模索するかもしれない。

私も当時、睡眠こそ十分でなかったが、

そのおかげというべきか、

早朝から活動を開始して、

勉強したり、ジムに行ったり、

毎週のように、ショットバーに通ってみたりと

いろいろと動いた。

とにかく、たくさんの人と会い、学び、動いた。

過活動は、悪いわけではなく、

人間がストレスを避けるための必要なことなのだ。

だからこそ、誰が止めても、動くのを止めない。

いや、止まったら、再び、苦しみや鬱状態に戻りそうで、

止まれないのだ。

自分の頭のなかを、常に何かで独占し、占有し、

動かすことで、現実の苦しみや不安から逃れるのだ。

本当に苦しみの中にいる人に、

現実を直視しろとか、受け入れろというのは無理である。

できるくらいなら、みんなそうしている。

だから、なんでもよいから、対処できる方法ならそれを使えばよい。

過活動だと知りながら、あえて動けばいい。

動いて疲れて、眠れるならそれでいい。

もちろん、過活動をしていると、ふとした瞬間にむなしく感じたり、

反動で落ち込むこともある。

だが、その繰り返しのなかで、

苦しみを避けるための行動から、楽しみや、自分のやりたい方向性が見えたり、

本来の自分自身へとつながることもある。

苦しいとき、他人がそれは良いとかそれはだめとか言っても意味がない。

あなたがやりたいことをやりたいだけしよう。

動きたくなければそれもいい。

いつも言うように、動かないと決めるのも決断なのだから。

他人の言葉ではなく、自分自身と対話してほしいと思う。

結局、答えは自分の中にしかないのです。


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見えない怖さ

2019-01-26 00:00:01 | 日記
苦しみに耐え、

悲しみのなかで耐え、

目にするものすべてが無意味に、そして虚しく感じられる日々。

そんななかで、得体のしれない恐怖が襲ってくるかもしれない。

将来の不安や、過去の想い出などはっきりするものもあれば、

何だか、何がというのでもなく、

明確なものがあるわけでもなく、

ただ、ただ怖いという感覚。

震えて身体が動かなくなるような感覚。

他人に説明するどころか、

自分でもよくわからない怖さ。

多くの人が経験しているかもしれない。

以前にも書いたが、

私は離婚してからずっと、そう何年もの間は、

テレビをつけて、電気もすべてつけて寝ていた。

部屋を暗くすると、吸い込まれていくような

得体のしれない恐怖に、寝るどころか、動悸がして

横になることすらできない状況があった。

それを紛らわすために、アルコールで酔って寝た。

明るさもさることながら、

得体のしれない不安に押しつぶされそうになって、

ゆっくりと布団で横になっていることができなかった。

そのころからだろうか、3時起きになっていた。

もちろん毎日数時間程度の睡眠である。

その名残りかわからないが、

今でも、早起きになっている。

もちろん以前とは違い、早寝早起きだが、朝早く起きる習慣は続いている。

もし、あなたが今、得体のしれない不安や恐れを感じるなら、

けして病気でもないし、おかしいことでもない。

離婚という大きなショックを受けて、

心のバランスが崩れているゆえのことである。

時間はかかるが、変化していくはずだ。

知らない他人は、それぐらいのことでというかもしれないし、

大げさだとかいうかもしれないが、

そんなことはない。

あなたが感じていることは、それがすべてだ。

弱っている自分をみとめてしまうところからはじまる。

だからといって、他人にどうこう言われる必要もないし、

筋合いでもない。

怖くて仕方ない。不安で仕方ない。

だってそれだけのショックなのだから。

ゆっくりと歩いていこう。

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時期がある

2019-01-20 00:00:01 | 日記
人生では、それぞれに時期、タイミングがあるように感じる。

どんなにがんばってもどうにもならないときもあれば、

大して努力もせずに、うまくいくときもある。

どこまで続くのだろうという苦悩と悲しみに沈むときがあれば、

こんなに幸せで良いのだろうかと感じるときもある。

離婚を経験したあなたは、

きっとその両方を経験してきたのではないだろうか。

先日、東京のお台場へ仕事で行くために、

モノレールに乗っていたとき、

ショッピング街を眺めていると、20代のときの出会いやデートを

思い出した。後のパートナーである。

ひとつひとつがかなり鮮明であったが、

テレビを見ているかのような感覚でもある。

全く予期しない場所で、当時もっとも毛嫌いして、顔を見たくない上司と出くわし、

不意に声をかけられた。やはり鮮明に嫌な気持ちが戻ってきた。

結婚当時、北関東に住んでいて、もう二度と戻ることはないと

その地を離れて、10年以上経ち、最近当時の家の最寄りの駅に仕事で行った。

人生はことごとく、自分ではコントロールできないタイミングで

意図しない方向へ導かれる。

私はいつもその導きの意味を考える。

当時の自分と今の自分を比べてみて、

心の内をのぞいてみる。

偶然といえば、それだけであるが、

意味があると思えばそうなる。

どちらが正しいとか、そういうことではなく、

どう意味付けするか、そのこと自体がその人のプロセスだと思う。

何も感じなければ、それはそれ、何かを感じればそれも良い。

いつもいうように、私は人生においてプロセスを大切にしているし、

流れを感じて生きている。

苦しきときは、何もかもが負のスパイラルに見えるし、

どうにもならないくらいにもがくしかできない。

だが、それが人生の一部でしかないということに気づけるのは

ずっと時間がたってからのことなのだと、

当時はわからなかったことが、少しずつ見えてくるようです。



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目標を変えていく

2019-01-15 00:00:01 | 日記
何度かお話していますが、

離婚したときに、多くの人が自分の価値観、生きる軸が崩壊する。

生まれてから、親や学校や社会で学んできた

これが正しいとか、こうした方が良いとか

さらには、自分の人生はこうありたいとか、

20歳、30歳、40歳と節目で考えてきただろうか。

あなたは結婚したからこそ、離婚もあったのであって、

当たり前だが、結婚できないと悩む人にとって、

離婚ということは起き得ない。

それに紆余曲折あったとしても、

大切な人と出会えたのだから、

その時点では、幸せを感じたに違いない。

結婚式で離婚を考える人など多くはないはず。

子供が生まれたときに、将来離婚するとは思いもよらない。

だが、現実は非情にも、離婚という事実が突き付けられた。

動揺し、混乱し、悲しみに落ち、絶望の淵で耐えてきているに違いない。

私も、あらゆる目標を失い、理想からはかけ離れ、

周囲とも生きる世界が違ってしまったと感じた。

30年以上も当たり前と思ってきた自分の価値観が否定され、崩れた。

自分が離婚するような生き方をしたとは、到底思えなかった。

だが、やはり現実は起きた。

結局、その事実と現実を受け入れ、そして理想を捨てるのに、10年以上かかった。

何度も理想の人生に戻そうと試みた。

30年かけて築いてきた自分の価値観を捨てることは容易ではない。

いつもいうように、もがきながら歩み、スマートでも、かっこよくもなく、

数々の失敗もしながら、時が進み、何度も何度も目標を変化させ、

その度に挫折して、新たな生き方を模索して、そして今がある。

離婚後の10年以上の期間でも、

残念なことはたくさんある、後悔はしていないが、こうすればよかったのではないかと

思い返すこともたくさんある。涙が出るような苦しみもいくつもあった。

最近、いつも思うことがある。

やはり過去は変えられない。

失敗したことも、変えられない。

今、この瞬間から先をどう生きるかだけだと。

昨日失敗したら、今日から何か変化すればいいし、

新しい目標へ進めばいい。

今日も失敗したら、明日からである。

ゴールはみんな同じ、死ぬときには、すべてが無であって、

あの世には何一つ持っていけない。

残るのは、自分がどう生きて、何をしてきたか、

それを自分自身がどう思うかだけ。

他人がどう感じようと、どう思っても、

自分自身に嘘はつけない。

他人がどう賛美してくれようが、慰めてくれても、

真実を知るのは自分のみ。

結婚したか、離婚したか、その事実すら死を前にしては

無意味に感じるだろう。

今、私が思うのは、やりたいことはすべてやっていく、

自分で限界を作らないこと、制限しないこと、

常識に囚われて、世間に同調するような生き方はしないこと。

それが今の軸である。

なんだ、偉そうにとか、元気だからそんなことが言えると思うかもしれない。

ただ、私があなたと同じではないにしても、

苦しみや悲しみに耐えてきた事実だけは消えない。

その悲しみと挫折と苦悩の上に、今、この自分があることは

単純な事実なのです。

あなたにどうしてほしいとか、こうするべきということはいつもないのです。

ひとりの生き方を聞いて、そしてあなた自身がどう生きるかを決めていく。

あなたなりに、歩んでほしいと願っています。

そして、いつものように、応援しています。




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ただ、ただ自分なりの歩みを

2019-01-09 00:00:01 | 日記
今日は、少し違うお話を。

UTMB

ウルトラ・トレイル・デュ・モンブラン

フランス、シャモニーを拠点として、

モンブランという山の周囲100マイル(170km)の山岳地帯を

走り抜ける世界最高峰のトレイルランニングレースです。

フルマラソン42kmですから、4回分を休まず、寝ずに、山岳地帯を走るもの。

なんだそんな話かと言わずに、少し読み続けてもらえればと。

世界のトップ選手が集うレースで、最近は日本人もたくさん参加しています。

日本でもUTMF (富士山バージョン)100マイルレースが毎年開催されているのですが、

いずれにしても、人間の限界を超えたレースです。

経験の少ない選手は、ライバルや、タイムを競って、自分の限界を超えたスピードで

進みます。でも、優勝したり上位に入る選手は、自分のリズムで、自分の内面と会話して

淡々と進みます。結果として上位に入るのです。

事前に計算したペースや、戦略も完全にはうまくいきません。

世界のトップ選手ですら予想外の体調不良やトラブルでリタイヤします。

最年長では60歳近い人もいます。

ガンなどの病気を乗り越えて参加する人もいます。

ただその方々の一人一人の人生での課題、目標があって、参加していることが

よくわかります。趣味程度で参加できるようなものではないし、

亡くなる方もいるくらいの過酷なものです。

プロ選手が20時間程度で完走するのとは違い、一般の人は、丸2日以上かかりますから、しかも睡眠をとれない状況で、

その壮大な過酷な距離、環境を克服して

何か見えてくる世界があると言います。

そして戦っているのは自分自身。

人生も結局は、他人との比較や競争ではなく、自分自身だと思うのです。

自分の内面と対話し、戦い、和解し、支えあい、そして人生を完走する。

このレースに出ている人たちはみんな言います。

血のにじむような練習をして、さまざまな課題を克服してレースに参加し、

さらに、血のきじむようなレースを、自らの選択として戦う。

人生は短い、不可能と思えることに挑戦したいと。

離婚はたしかに、望まず、自ら選択したとは言えない人が多いかもしれません。

でも、今あなたは、人生というレースで、血のにじむような苦しみと悲しみに耐え、

ありとあらゆる方法で戦い、時には立ち止まり、後ずさりし、逃避し、

這いながらも、一歩ずつ歩もうとしている。

見るべきは、他人でも、他人の人生でも、世間がいう理想の人生でもないし、

決まりきった人生でもありません。

どんな形でもあなたなりの道があるはずです。

少なくとも、この私自身もそうです。

今、理想としたものかどうかは別にしても、

自分なりの人生を歩んでいます。

もちろん、できなかったこと、理想から外れたことは無数にあります。

それでも、次々と新たなものに挑戦し、達成するために努力し、

その過程では涙し、自分自身に苛立ち、腹立ち、落胆しながら、

自分のための人生を歩むために日々がんばっています、

新年だからというつもりはないですが、

何か、今までまるで無理だと感じていたようなこと

考えもしなかったようなもの、

そんなものに挑戦していくことで、離婚の苦しみを抜けていくことができることも

あるかもしれないと思います。

少なくとも、私は10年以上、そうやって挑戦し続けてきて、

たくさんの挫折もあったけれども、気づいたら

心も身体も強くなっていました。

何かのヒントになれば幸いです。







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自分の心と対話する

2019-01-06 00:00:01 | 日記
明日から仕事がはじまるという人も多いだろう。

今日に限らないが、

できれば毎日夜でも良いし、

週末だけでも良いから、

自分の心を静かに見つめる時間をつくってほしい。

もちろん、瞑想したりできるなら一番良いが、

お風呂の時間でもいい。

私は、カフェで手帳に万年筆で、心に浮かぶことをとめどなく書いていく。

そうするといつの間にか、心が落ち着き、整理される。

ついついすべきことに追われてしまい、

時間があればスマホやテレビを見てしまいがちになるが、

10分でも、いや20分くらいはそんな時間が持てればベストである。

自分のことは自分で一番よくわかっているようで、

実はあまりわかっていない。

自分の心、内面との対話をする時間はほんとうに大切である。

苦しみ、悲しみも含めて、どんな想い、感情も否定せずに、

それに意見したり、逆に肯定もせず、

ただ、ただありのままにその感情を受け止めていくだけでいい。

私は苦しかったとき、

間接照明だけにして、静かにゆっくりとウイスキーのグラスの音を聞きながら、

ぼんやりと時間を過ごすことが癒しとなった。

あなたなりの方法で良いと思うが、

ゆっくりと自分自身と対話する時間を作ってほしい。

涙が出てきたら、それもいい。受け止めてあげよう。

あなたは十分に耐えているから。

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周囲に合わせない

2019-01-03 00:00:01 | 日記
私も離婚する前は、大なり小なり

周囲に合わせることを大切にしてきた。

仕事でもプライべートでも。

だが、離婚を機にそれを止めた。

基本的に、自分がどうしたいかだけで動く。

そうはいっても社会人だから

どうしても付き合いや、周囲に合わせることも必要なときもあるが、

極力、自分自身の判断で動く。

この日本では、「和」という耳障りの良い言葉で

同調や協調性を強制する。必要ないというのではなく、

それにカモフラージュして強制する文化がある。

世間などというのはまさにその中心である。

以前流行った「空気を読むKY」などというのも

まさに日本ならではだろうか。

そんな社会では、結婚していることが普通で、そうではないと普通でなくなってしまう。

先日も他人の会話を聞いていて呆れてしまったが、

45歳くらいの同僚の会話を聞いていて、

独身のその方に、別の方は、結婚相手を探してやれというのである。

飲み会の席での気楽な会話かもしれないが、

今時、セクハラで訴えられるような内容で愕然としたが、

それ以上に、40歳すぎて、独身なら、パートナーがいないと決めつけているわけだが、

実際にはその方には、彼女がいるのを私は知っているが、単に結婚しないつもりなのか、

現時点でしていないというだけだ。

だが、だれもその可能性には気づかない。周囲もそうだと思い込んでいるのである。

極端かもしれないが、日本の世間の感覚というのは多かれ少なかれそういうのが多い。

そんな周囲の目を気にして生きていても、自分らしくは生きられない。

せいぜい、他人と同じような人生となるだけである。

もちろんそれを望むなら否定もしないし、止めないが、

離婚という苦しみを耐えているなら、耐えきるなら、

もっと常識にとらわれない人生でも良いのではないか。

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さてと

2019-01-01 00:00:01 | 日記
さて、また新しい年となりました。

耐えているあなたに

おめでとうは言いません。

あえて、お伝えするとすれば、

「よく耐えてますね。どれだけ悲しみや苦しみが深いことか。。。

ほんとうに、ほんとうに、よくやっています。」

そんな想いです。


年が明けようが、世の中がどうであれ、

淡々と一歩、一歩ではないでしょうか。

急な変化もないだろうし、そんなに動けないでしょう。

だからいいじゃないですか。自分なりで。

カッコイイ目標も必要ないし、

大きなチャレンジなんてしなくていい。

いつも言うように、

この大きな悲しみに耐えていることがすでに、大きなこと。

自分の心のなかに、少しだけでも変化が見えたりすれば上出来。

その小さなものをゆっくりと、育てていけばいい。

ゆっくりと一歩ずつです。


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