離婚に苦しむ人へ

今、苦しんでいるあなたに寄り添って。

それは本当か

2024-05-29 17:25:56 | 日記
何かを思い詰めて、気持ちが落ち込んでいると、
はじめは小さい心配や不安がどんどん大きくなり、
まるでもうすぐ実現しそうなくらいに思えてくる

そうなると、それにかんじがらめになり、
どうにも手がないように思えてくる

「それは本当か?」

自分に対して、こんな簡単な質問でも効果がある。

そして、月並みだけれども深呼吸。

天気が良いなら、少しだけ空を見つめてみる。

夜なら、月の灯りをゆっくりと眺める。

そしてまた、「それはほんとうか?」

心配ごとは実現するかもしれないが、起こらないかもしれない。

よく聞く言葉だが、
「不安の多くは実際には起こらないから大丈夫」
なんていうのは、私はあまり好きではない。
というかあまり慰めにならない気がしている。

100個の不安のうち、ひとつでも起こるかもしれないし、
起こることもあるから不安なのだ。

ただいつも言うように、誰も未来どころか1秒先も知らない。
知ることができない。

だから、自分が今不安なこと、心配していることは

「ほんとうに起こるのだろうか?」

そんな質問を自分にしてみると、

「起こるかもしれないし、起こらないかもしれない、わからない」となる。

じゃあ、できることはやって、
あとはもともと、どうにもできないのだから仕方ないと思えてくる。

プロセス、流れにお任せしようと。

はじめから何もしないとか、あきらめるとかではなくて、
考え得ることはして、もがくならもがいて、あとは仕方ないよね、そういう風だ。

そうやって、物事は過ぎ去っていくように思う。




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長い道のりを歩む

2024-05-18 15:52:29 | 日記
先日、実家に帰ったときに、
偶然にも調停証書を目にしました。
私自身は引っ越しなどがあるので、
当時のまま実家においてあります。

証書を確認して、養育費は20年のうち、あと5年残っています。
日常ではあまり深く考えないようにしていましたが、
ふと長い時間が経っていることも感じました。

以前にも書きましたが、当時から一度も子供とは会えていませんが、
あえて自動振り込みではなく、毎月自ら振り込んでいます。
当時、そう自分で決めたのです。
ちょうど共同親権の法案の話も出ていますが、当時そうであったら
違う人生だったろうなとも思うのが正直なところですが、
結局、国や法律が決めることはその場、その場で変わるのだし、
自分でどうにもできないことなのだとあらためて思いました。

一方で、いつも言うように、
人生に「こうであったら・・・」という、別の人生は存在しません。
今、現在こそがすべてですから、それを否定するのではなく
まず認めて、できれば肯定できたら最高です。

先日、偶然にも、20代、離婚したときも含めて新人のときからお世話になった
当時の上司からメールがありました。それこそ15年ぶりです。
はじめのころのブログに書いていますが、
人生も何もかも見失い、仕事どころではなく、生きることすら苦しかったとき、
言葉では言いつくせないほどお世話になり、当時のお礼をしたいと思っていたのです。
その方も2年前にリタイアされて連絡の手段がありませんでしたが、
人づてに連絡してきてくれたのです。
今月末にお会いできる予定です。

これまでも突然の出会いについて書いてきましたが、
長い時間を経ても、その間まったく音信がなくても
つながる人とはつながっていて、ご縁というものなのだと深く感じました。

そうやって、人生のプロセスが進み、自分にははかり知れないプロセスが働き、
生かされているのだと感じています。

数年前には、新人時代の寮の先輩で一番仲良く、酒を飲み、遊んでいた人が
お互いに、当時とは居住地も勤め先も変わっていたのに、偶然にも同じ町に住むようになり、
再び縁がつながりました。

今年の正月には学生時代の友人が私の連絡先がわからず、20年以上たって、実家に突然訪問してきて
一気に8人と縁が戻りました。

何もかもふつうは考えられないようなことが起こって、縁がつながりました。

人生では予測できないことが、良くも悪くも起こる。
過去も今も、未来も自分の軸で、自分に嘘がない生き方をする。
全力で日々生きていくと、そんな縁をプロセスが運んでくるのかもしれません。

今日もあなたが今を大切に過ごされることを祈っています。








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年齢を重ねるということ

2024-05-06 14:46:02 | 日記
最近、人生という文脈のなかで、
年齢というものについて、あれこれ考えています。

私が離婚してから15年以上たつのですが、
その当時見えていた将来の景色は、今なわけです。

ある程度予想された部分と予想できない部分があるわけで
ずいぶんと時間が経ったなと思う一方で、
再現ドラマが作れそうなくらいに鮮明な記憶もあります。

自分の両親を見ていて、あれこれ通院したり、手術したりして
なんとか毎日を生活していても、できないことも多くなってきています。

そんなとき、ふと過去は戻ってはこないのだと痛感します。
若い人たちと接していて、何事にも大きな期待と希望をもって生きている姿を見て、
もう一度、20代に戻りたいと思うこともあります。

一方で、今、この瞬間は、10年後に戻りたいと願っても
二度と戻れない時間であることを感じざるを得ません。

過去に戻りたいと思うことはあっても、過去に後悔はありません。
なぜなら、その都度、全力で生きてきて、今につながっていると思うからです。
だから、未来に今を後悔しない生き方とは何か。
それを感じて生きる必要があると感じています。

親との時間も限られているので、できる限り、大切な時間を過ごそうと思っています。

人は生まれたときから死へのカウントダウンが始まっていて、
年を重ねると、その残りを考えます。
実際には、残りがどれくらいあるかなんて、誰もわかりませんから、
明日、明後日に、人生最後の時間が来ても良いように生きることが最善でしょうか。

未来への希望を捨ててはおもしろくない。
だからといって、今を我慢だけして、未来に貯蓄しても意味がない。

今を全力で生きる。
これに尽きると思うのです。

あなたが離婚で苦しんでいる今、この時も、うれしくもないし、望まないけれども
あなたの人生における大切な時間であることには変わらない。

あなたが将来、元気になって、楽しい、幸せな時間を送るとしても、
今の時間は今しか生きることができない、二度と戻らない時間。

苦しいけれど、悲しみが深いけれど、
スマートでなくても、かっこよくなくても、ボロボロでも、
今を生きる、その先に歩みを進める道ができている。




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連休のはざま

2024-04-30 10:16:40 | 日記
世の中は、GWに入りました。
テレビでもあちらこちらの観光地の映像が流れます。
能登地震の話は全くと言ってよいほど出てきません。
世の中は物価高で苦しんでいるのに、政治資金の話はあいまいなまま。

連休で浮かれている人たちの影で、どうにもならない孤独や寂しさを抱え、
失ったものに涙し、生活すらままならない人たちがいることを
私は忘れたくないと思っています。

むしろそんな時期だからこそ、思いを馳せたいと思っています。

別に、自分も閉じこもったり、鬱傾向で過ごすというのではなく、
自分のことは自分のこととしたうえで、
苦しんでいる人、悲しみの中にいる人、しんどい人がいることを
しっかりと心に刻むという感じです。

ただいつもお伝えするように、国も会社も弱者のためにあるわけではなく、
時の指導者によってどうにでも変化し、常識というものすら変化していきます。
自分以外のことは、コントロールもできません。

少なくとも私たちは、その変化のなかで生きていくのですから、
周囲の価値観で行動したらどうにもなりません。

世の中や周囲の人の考えではなく、人生を通しての自分の軸が必要になってくると思います。
ただ、軸もその時々の経験でバージョンアップすれば良いので、
変更してはいけないなんてことはありません。
むしろ柔軟に変化できるほうが生きやすいでしょう。

世の中のこと、仕事のこと、生き方そのものが、自分の軸に沿っているのか
外れているのか、修正が必要なのか、立ち止まる必要があるのか、
いつも考えながら生きていく。

その積み重ねが人生になっていくのだろうと思います。
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毎日を見つめる

2024-03-28 18:16:08 | 日記
私は人生や、死、生きるということについて

日頃からいろいろと考えたり、思うことが多いですが、

世の中ではそういう人ばかりでもありません。

ただ、離婚はもちろん、災害や病気や事故、

自分ではどうにもならないような出来事に遭遇したときに、

人生とは、生きるとは何かを考えさせられるのではないでしょうか。

最近では、MLBで通訳による詐欺疑惑やら、有名な製薬会社のサプリの被害などと

いきなりとんでもないニュースも目にします。

誰だってそんなことが起こるなんて考えて生きている人はいませんが、

ある日突然、自分の思いもしないことに巻き込まれるのが事実ですし、

実際に目にするわけです。

有名人や、ニュースになるような大きいことは、みんなが知ることになりますが、

身の回りの出来事では、他人の誰も知る由もありませんが、

多くのことが起こっているはずです。

そんななかで、先を見すぎると不安になります。

不安で眠れなくなります。生活が成り立ちません。

過去を考えたり、反省だけしていても、過去はそのままです。

毎日、毎日、同じようなことばかりと思っていると、

突然の出来事に、心も身体もやられてしまいます。

今日は、今日、明日は明日、思い立ったら今から行動する。

以前から書いているように

「一日一生」

今日と明日は全く違う人生だと思っていきる。

今日のことは今日の自分が、明日のことは明日の自分が生きていく。

今日の不安は今日、明日の不安は明日、未来の不安は未来に対処していく。

ただ、ただ目の前に集中する、そんな生き方ができたらいいなと思います。

もちろん、簡単ではないですけれども、

目指すかどうかは、大きな差かなとも思います。

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不安なら、不安でいい

2024-02-29 14:01:48 | 日記
私たちは、毎日のなかでいろいろなものに対して
不安や恐れを感じています。

ささいなレベルから、どうにもならないくらい大きなものまで。

そのおかげで、眠れなかったり、全く落ち着かなくなったり、
過度の飲酒、様々なアディクションにむかったり。

対人関係、仕事、試験、ダイエット、月々の支払、ローン、体調不良、、、
あげたら切りがないほど。

どれも気になるし、ひとつひとつ大変だし、心が乱れます。

ふつうでも不安はたくさんあるのに、離婚やら、それに伴ういろいろな出来事が
重なれば、もう手がつけられないほど混乱するかもしれませんね。

それをなかったことにしたり、無視したりなんてできません。

不安なことの多くは、たいていは起こらないのだから、、、なんて言う文章をよく見ますが、
いくつかは起こることもあるのだから、それが不安なのであって、
私的には、無責任なこと言うなと思ってしまいます。

コントロールできること、できないことを切り分けてみたり、
あらゆる思想や哲学をイメージしてみたり、
瞑想したり、アロマをつかったり、身体を動かしてみたりと
いろいろと試すでしょうが、やっぱり不安は残るし、ゼロにはならない。

だから、人間って、結局、一生、不安と同居していくもんなんだと思う。

そのほうがしっくりくるかもしれません。

いっそのこと、自分は今、とても不安なんだ、メンタルが落ちているんだ、
気持ちが滅入ってるんだ、弱ってるんだと思って認めてあげる。

そして、この状況は必ず変化していく、同じ状況は永久には続かない。
そんな風に思ってみる。

その変化は、そのうち改善するとか、良い方向に行くはずだ!なんて、無責任にポジティブ思考を
無理やり信じようなんてすると余計おかしくなる。

だって悪い方向に転じることだってあるのが現実なんだし、
そんなことなんていくらでもあると、あなたの心は知っているのだから
自分に嘘を信じさせるようなもの。

そうではなくて、単純に、
状況は変化していくのだ、
ひとつひとつ目の前に対処するしかできないのだ、
過去には戻れないし、未来もわからないのだ、と

事実を積み上げていく。
ただそれだけでいい。

私は今、不安で仕方ない。
で、状況はいずれ変化していく。
そのときは、またそのときに喜んだり、不安になればいいと。

今は今の自分、未来は未来の自分が、
そのとき精一杯、対処するしかない。

と思うほうがいい気がします。






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何を見て、何を思うのか

2024-02-17 19:31:15 | 日記
私たちは毎朝起きて、仕事に行き、そしてまた帰宅して寝る
そんなまるで永遠に続くかのような生活を何十年と続けているわけですが、
災害をはじめとして、何一つとして未来を予測できていないわけです。

晴天の霹靂、まさか、、、

そんなことも、まさに突然やってくることを知っています。

離婚だって、結婚式の日に思い描く人はいないでしょうが、
自分の身に起きれば、「まさか・・・」と多くの人が思うでしょう。
とはいえ、日本だって35%の離婚率で2019年には20万9000件という数ですから、
もはや、「まさか。。」というレベルですらないのかもしれません。

まさか・・、そんなことはそうそうないのではないでしょうか。
自分の身に起こるはずがないなんて思っているほうが、すこしずれているようにさえ思います。
世の中の出来事をみれば、それはすぐ目の前の出来事で、誰にでも起こることだと気づきます。
そんな時代に生きていて、
今の世界で起こるつらい出来事を見て、何を思うのか、何も思わないのか、、
他人事のように思う人もいれば、自分自身に置き換えて思う人もいるでしょう。

何をどう感じるか、そこには大きな違いがでてきます。

私は目に触れた事に対して、できるだけ深く感じようとしています。
同情や同調ではなく、共感です。
カウンセラーは訓練でこれを学びます。
同調してしまえば、自分が壊れてしまいますが、
共感できなければカウンセリングはできません。

また物事をニュートラルな位置で見るように努力しています。
右でも左でもなく、正解でも不正解でもなく、
中立というのとはちょっと違って、物事、事実をただまっすぐ見る感じでしょうか。
これもまたカウンセラーは教育されるのですが、
普通の生活でも大いに役立つように思います。

自分自身のことでニュートラルになるのは難しいですが、
それでもそうあるように努めることはできます。
世の中の出来事を他人事としてスルーしたり、見なかったことにせず、
共感してみる。

その過程で何か大切なことを学べる気がしています。

いつもニュートラルな位置に努めると、
心が穏やかになるような気もします。

結果的に、自分の心と対話することになります。
今の自分はどう感じているのか、楽しいのか、うれしいのか、
苦しいのか、つらいのか、泣きたいのか、
つかれているのか、休みたいのか、
自分を否定せずに、ありのままに素直に見つめられるようになります。

あなたが今夜もゆっっくり休めますように。



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きりがない

2024-01-29 16:45:37 | 日記
離婚という人生でも最大レベルの苦難は
時として、その人の人生を破壊してしまうものにもなるし、
新たな人生への扉を開くきっかけにもなります。

この私も、そんな大きな出来事を経験し、乗り越えてきましたが、
20年たった今の日常で、まるで仙人のように、さとり者のように、
どんなことでも受け流したり、苦悩しないかといえば、そんなことはありません。
日々、喜んだり、悲しんだり、楽しかったり、苦しかったり、
ストレスで眠れない日や、お酒に頼る日すらあります。

一方でブログでも書いているように、
流れに身を任せているときもあるように思います。

そう、20年前、10年前よりも少しだけ、メンタルは強くなった気もすれば、
結局あまり変わらないなと思うときもあります。

性格なんてものは簡単に変わりません。
生涯、根本は変化しないのかもしれません。
身もふたもないように聞こえるかもしれませんが。

最近思うのは、人間はどこから生まれて、どこへ消えていくのかという
根源的な問いを持ち続けているからこそ、
不安は常につきまとっているのかもしれないと。

先日の天災もそうだし、飛行機事故もそうです。
ほんとうに明日どころか、今晩のことすらわかりません。
誰一人として、自分の未来は知らないのです。
考えだしたらきりがないし、どうにもならないから
考えないようにしているだけです。

幸せ、楽しみ、喜び、悲しみ、苦しみ、不安、

すべて人に与えられた感情ですから、おそらく最後まで
そのあいだをウロウロしながら、いくのでしょう。

そう割り切ってしまえば、それが人生のルールなのだと思えてさえきます。
テレビゲームでもカードゲームでも、ゲームのルールに文句を言っても始まりません。
以前も書きましたが、障害物レースで、障害物があるからと言って怒る人はいません。
たぶん、人生は壮大な障害物レースなんでしょう。

生きていくって、楽じゃない、
楽しみも悲しみも、不安もぜんぶある。
そう割り切るのが一番、楽な気もしてきます。







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何なのだろう

2024-01-20 18:02:31 | 日記
今回の能登地震の映像を見ていて、

元旦という、心あらたに楽しいひとときに家族や友人を
亡くした方々の声を聴いていると、
ほんとうに言葉が出ません。
天災では、恨んだり、憎しむ相手すら見つからない。

毎日、心が苦しくなります。

羽田での事故でも海保機で亡くなった若い方は、
昨年結婚されて、式をこれからということでした。
そんな不幸があるだろうかと。

災害に限らず、いろいろな事件の度に
人生ではどうしてこんなにひどいことが起こるのだろうと
考えさせられます。

そんなとき、
どんな理屈も、慰めも、崇高な哲学も役には立たないと思うのです。
そのうち癒されるとか、時薬なんていう言葉も無意味に感じてしまいます。
言葉が出ません。

いつも書いているように、
自分で選んで生まれてきたわけでもないし、
どの国のどの地域、その家庭に生まれるのか、
私たちのそもそものスタートからわからないうえに、
いつ人生が終わるのかも知らない。

海外の紛争地域や戦争地域の方だって、そんな人生を望んでたはずはないでしょう。
そのときに、そこにいたというだけで、大切な人を失い、自らの命すら失う人生。

そんなことに思いをはせると、人生とはどう生きるものなのか、
その本質とは何なのか、何を大切にしないといけないのか。

収入がないと生きていけないから、仕事をするのか、
ほしいものを購入する物欲とは何か、
何かの目標とかその達成とは何か。
そもそも結婚とか離婚とは何か。

いろいろなことを考えさせられます。

もちろん、私のなかに答えはありませんが、
そんなことを考えながら、歩んでいくのが人生なんだろうとも思ったりします。

少なくとも、今、目の前にある、自分に与えられた状況に感謝して
一歩ずつ歩むことこそ、大切にしようと思うこのごろです。

今日もあなたが、ゆっくりできますように。




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プロセスは動いている

2024-01-11 06:00:37 | 日記
この正月に、びっくりするような出来事がありました。

以前から書いているように、20年前に離婚したタイミングから
多くの関係性を清算してきました。
特に意図的というわけでもなく、関係性の薄い人とは自然に離れてしまいました。

一方で、新しい人たちとも出会いました。

この正月に、プロセスは突然動きました。
実家でゆっくりしていたところ、
夕方、突然、学生時代の友人が訪ねてきました。

もともと趣味のスキーでほんとうに仲良く、
お互いの実家は車で15分程度の距離で、お互いの実家の場所も知っていましたが、
就職して勤務地も遠くなりで疎遠になってました。
この20年近くメールすらしてない状態でした。

しかも携帯の番号が変わったタイミングで、10年以上連絡しなかった人には
特に連絡もしませんでしたから、連絡が切れた状態でした。

友人によれば、連絡がつかなかったし、学生時代の誰も連絡先を知らなかったとのことで、
私と連絡をとるために、この正月にわざわざ訪ねてきてくれたのです。
逆の立場なら、なかなか勇気のいることだったろうと思います。
20年もたって、実家がまだあるかも、まして本人がいるかもわからないのですから。
学生時代のLINEグループを作ったとのことで、
当時仲の良かった8人と、いきなりつながることができました。

私自身は特に関係性を復活させたいとか、させたくないとかを考えていませんでしたが、
プロセスによって、20年たって再び関係性が復活しました。
当時は20代、それが50歳を前にして人生のルートに、旧知の友人が再び戻ってきたのです。

プロセスは本人の意思とは関係なく、常に動いていて
適切なタイミングで、適切に働きかけてくるように感じています。
自分の望むことも望まないこともです。
私がこの20年で得たことは、自分のプロセスに身を任せ、プロセスからの働きかけを感じ取り、
流れにのることです。流れに逆らっても意味がないことを体感してきました。

何もしないとか、あきらめるとかではなく、
できることはして、努力して、もがいて、時には手放して、
流れに身を任せる生き方。

人生ってそんな感じなのかなと日々感じています。








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先のことはわからない

2024-01-08 07:00:00 | 日記
2024年は、元旦から地震、飛行機事故と
思いもしない始まりとなりました。

これによって、大切な命が失われ、
愛する人を失った方が多く出てしまいました。

以前にも書いていますが、
私自身も2011年3月の東日本大震災では、震度6を経験し、
命こそ救われましたが、大変な時期を過ごしました。

もしかしたら、この記事を読まれている方にも
被害にあわれた方もいるかもしれません。

良いことも、悪いことも、未来はわからないのだと痛感します。

離婚して、未来を悲観するのは仕方ないことです。
現実とは思えない出来事に遭遇し、これまでの自分の人生の価値観が大きく揺らいでしまったのだから。

これもまたいつも書いていることですが、
離婚してから、私もほぼ20年となりますが、
当時、今の状況を想像はできなかったし、何とか生きていることもすごいことです。
生きているというか、生かされていると思っています。

つらいことだけでなく、たくさんの喜びや幸せも経験してきて今があります。

良いことも悪いことも、1秒先はわからないということを
本質的に腑に落ちたら、きっと生き方が変わるでしょう。

今、この瞬間に、食べること、息をすること、仕事、対人関係、やりたいこと、すべきでないこと、
あらゆることは、未来永劫でなく、いつどこで失うのかわからないと知り、
だからこそ全力で選択する、そんな生き方になるのかもしれません。

今日もあなたなりの一日を過ごせますように。

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身体をいたわる

2024-01-04 07:00:00 | 日記
悲しみや苦しみのなかで生活していると、

こころはもちろん、身体がボロボロになっているのではないでしょうか。

これまでも書いていますが、

気持ちを紛らわすのに、お酒を飲んだり、無理をして仕事ばかりしたり、

睡眠も十分でなかったり、食生活も整わなかったりしてないでしょうか。

グリーフ(喪失体験)の状態では、身体のあらゆるところで不調を感じます。

皮膚トラブルや、頭痛、腹痛、下痢、、、、とにかくあちこちが不調なこともあります。

もちろん、医者で検査してもらうことも大切です、それで何もないなら、

極度のストレス状態からくるものかもしれません。

日々を整えることを心がけたいところです。

苦しみのなかで、簡単ではないですが、
少しでも身体によい食事、睡眠、できればウォーキングとかジムとか。

こころと身体は両輪ですから、身体がボロボロではこころの回復も時間がかかります。

まずはこの新年、身体を整えてみませんか。

そろそろお仕事始めの方もいると思います。

ゆっくりと日常に戻って、身体に良い生活を心がけてみましょう。



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ゆっくりと

2024-01-01 08:00:00 | 日記
新年となりました。

ゆっくりとでいいです。

無理しないことが大切です。

悲しみも苦しみも、抜け出すには時間が必要。

これまで多くの人が経験して、乗り越えてきました。

乗り越え方も、かかる時間も、人それぞれ。

周囲が何を言っても、あなただけはあなたの味方でいてあげましょう。

あんまり自分に厳しくしないでほしいです。
十分に傷ついて、苦しんで、悲しんできているはずですから。

今日一日、自分を大切にしてあげてほしいです。

少しずつ、ゆっくりと、あなたなりの日常をはじめましょう。

急いで元気になることも、明るくする必要もありません、
誰でも悲しみのなかで、そんなことできません。

親戚やら友人の前では、取り繕うこともあるかもしれませんが、
そんなふうにがんばっている自分にやさしくしてあげてほしいのです。

今年一年、あなたはあなた自身の一番の味方です。

今日もゆっくり、歩みましょう。

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少しのきっかけ

2023-12-31 10:30:00 | 日記
前回書きましたが、
この年末年始、あなたなりの時間をゆっくり過ごせると良いなと思っています。

もし、少しだけ力が出るなら、何か変わりたいと思えるなら、
この年末年始をそのきっかけにするのに良い機会です。
こころが疲れているとき、無理に自分に圧力をかけると
余計に疲労してしまいます。

自分のこころの声をていねいに聴いてみて、
どんなこころの声も否定せずに受け入れて、

「わたし、今、どうしたいかな」
「わたしに、ちょっとだけの力が残っているかな」

「今はまだしんどい、動くだけでもしんどい」
「ゆっくりと身体を休めたい」
「わたしには、もう少し時間が必要だな」

こころの声に丁寧に耳を傾けて、従いましょう。

それでも、
「ちょっとだけ進みたいな」
「来年は変化したいな」
「この年末年始をきっかけにしたいな」
そんな感じがあるでしょうか。

昔から日本人の私たちは、新年の抱負を宣言したり、目標を定める習慣がありますよね。
私自身で考えると、不思議なことに年初に目標を立てない年は、
なんとなく過ぎてしまいます。
大したこともせず、だらだらと、流されてしまいます。

あえて目標をたてない年もありましたが、
やはりなんとなく時間が過ぎていくなというのが実感です。

一方でしっかりと目標や方針を定めると、意外と半分くらいは達成できていることに
年末に気づきます。

大きなことでも小さなことでも良いですが、
今までやりたくてもしてこなかったことや、気になってたこと、
とにかく全く新しいことを目標にするとよさそうです。

できてもできなくても、その一歩を踏み出すと
離婚で失われた、自分への自信や信頼が戻ってくるような気がします。

新しいパートナーを見つけたい も良いのですが、
離婚というのは関係性の出来事ですし、まだ心が傷ついている状況では
あまり良い関係性とはならず、依存に近いものになることもあります。
相手も依存を無意識に求める人とお近づきになりがちです。

パートナーが見つかるかは自分でコントロールできないので、
それはプロセスに任せておきましょう。

それよりも、自分でコントロールできることがいいですね。
そんなことを無心でやっていると、ふと気になる異性が現れることもあるのではないでしょうか。
これまでの私の実体験でも、新しいことに挑戦したとき、
これまでの人生では出会わなかった人たちと出会い、自分も変化したように思います。
きっとそこには、新しく変化したあなたに合った人たちがいるでしょうし、
同じ価値観をもった異性も現れるでしょう。

この年末年始、少しの力があるなら、少しの一歩を踏み出すのも悪くないかもしれまえん。
一方で、退職したり、引っ越したり、あまりに大きな決断もしないほうがいいですね。

では、また年始に。


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今年も年末がきました

2023-12-29 09:12:25 | 日記
今年も年末がきました。

昨日で仕事納めの方も、年末年始と仕事をする方と
いろいろでしょうか。

私も年内の仕事が終わり、少しだけ日々のストレスフルな生活から解放されています。

毎年書いていることですが、
離婚で苦しんでいる人にとって、
一年のなかでも12月は一番しんどい時期かもしれません。

クリスマスから始まって、世の中はワイワイムード。
テレビをつければ帰省やら旅行の様子や、お祝い番組みがたくさん。

悲しみと苦しみのなかで日々を過ごしているとき、
そんな世間の雰囲気は感じたくないかもしれません。
テレビを消して、街には出ずに家で過ごすと、
余計に孤独を感じるかもしれません。

子供がいれば、自宅にこもるわけにもいかない人もいるでしょう。

親戚に会うのだって、とてもつらい時間。
いつもは楽しい実家に帰っても、親との関係もしんどいかもしれません。

当時の私も、こころを凍結させたかのような時間を過ごしました。
どうしようもない不安と孤独に押しつぶされそうになりながら、
お酒を朝から飲んでやり過ごすような時間。

あなたけでなくて、みんなしんどい時期です。
これが正解なんて過ごし方もないし、おすすめなんてありません。

私が当時、こころを凍結して思っていたのは、クリスマスも、年始も何もかも、
世の中のことであって、他人のことであって、
自分にとっては、ただの日常の連続だと。
ただの連休で、私の大好きなお酒やらおつまみもスーパーに溢れ、
自分なりの時間を過ごそうということ。

実家に帰っても、スーパー銭湯に午前から行って、風呂入って、酒飲んで、読書して、
そんな時間も過ごしました。

一方で、もし少しの前向きな気持ちがあるなら、
年末年始を使って、少しだけの変化を自分に課すこともできるかもしれません。

それは次回に。

ゆっくりと、少しでも身体と心の休まる年末年始を過ごせますように。




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