離婚に苦しむ人へ

今、苦しんでいるあなたに寄り添って。

コメント

2016-03-31 21:11:57 | 日記
みなさん、

たくさんのコメントありがとうございます。

もっと、どんどん気持ちを出してかまいませんからね。

私もできるだけコメントお返事しようと思いますが、

たくさんいただくと、

もしかすると、コメントが漏れてしまう方もあるかもしれません。

注意深くしていますが、

そういうことがあれば、お手数ですが、ご指摘いただいたり、

再度コメントいただければと思います。

今日一日を耐え抜いて、そして想いを吐き出し、

そしてまた明日へつながるコメント欄になればと思います。
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比較してしまう・・・

2016-03-30 00:00:01 | 日記
プロセスを信じて歩みたい

そう願いつつも、

幸せそうな他人をみると

自分を比較してしまう。

どうして、自分だけ・・・・と。


自分よりも、もっと辛い人はたくさんいるし、

命の危機や、障害に苦しむ人もいるし、

災害やテロで大切な人を失った人もいる。

だから自分なんてまだ大丈夫なほうだと。

でも、結局、苦しみは変わりませんね。

そう思った時点で、比較しちゃっているから、

やっぱり自分自身に目がいってしまう。

もう永遠のジレンマです。

比較しないようにしようって思うと、

もうそれは比較している。

でも、いつもいうことだけど、

みんなそう。

あなただけでなくて、みんな。

じゃあ、どうしたらいいんだろう・・・

正解はないけれど、

ひとつひとつを精一杯していく。

比較してしまうのはしょうがない。

でも、比較してもどうにもならない。

何も変化しない。

他人が幸せで、自分が不幸だとしても、

だけど、それがほんとうの事実だとしても、

コントロールできない。

できることはしている。

それ以外に自分には何ができるんだ・・・

そういう諦めに近いもの。

手放すなんてかっこよくない。あきらめる。

あきらめた先に、何が見えてくるのか・・

そこに飛び込む、勇気がいる。怖い。心配。

だが飛び込んで、潜って、もがいて、

その先に進む。

比較しないのではなくて、

比較してもいいから、

だって、しょうがないじゃないか、どうしようもないじゃないか、

どうしろというのだ。

そのまま進んでいく。

そして、結局、比較しても何も変わらない。意味がないことなんだと気づいていく。

それを繰り替えていく。

そんなこと以外できないのかもしれません。
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虚無の世界

2016-03-27 00:00:01 | 日記
おそらく、

苦しみ続けているあなたは、

何をしても虚しく・・・

どんな言葉も心には届かず・・・

美味しいものも、

人付き合いも、

どんなに欲しいものを買っても、

とにかく、

虚しい・・・、そんな状況かもしれませんね。

そして

苦しい・・・・

ここで、私から一言。

それって、ふつうです、

それくらい苦しいんです。

離婚を経験していない人にはわからないし

到底、理解できないような、深い苦しみなんてす。

だから、それを理解されない苦しみも加わる。

二重に苦しい。

じゃあこれをどうにかできるのかというと、

もう答えはない。

正解もない。

人それぞれが、自分で見つけていくしかない。

だからこそ、並大抵の苦しみではない。

だけど、いつも言うことですが、

みんな、必ず抜け出している。

耐え抜いて、

抜け出す。

まるで、あの苦しみが嘘のように

新しい時間へと進む。

私はカウンセラーとして見てきました。

数年前には信じられないような変化をして、

再び、歩み出す姿を。

だから、信じてください。

必ず、進めます。

再び、あなたを取り戻すことできるはずです。
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流れを感じる

2016-03-25 00:00:01 | 日記
最近、

また流れを感じる出来事がいくつかありました。

流れを感じただけですから、

だからどうだということではありません。

この話をするのは意味があります。

ふつうは、こういう内的なことを周囲にもらさないから、

他人の流れを感じることなどできないわけです。

だから、自分にもし流れがあっても、気づけない。

だって、いくら本で読んでも、

実体験がなければ気づけないわけです。

少なくとも、カウンセラーの私はこう感じて、こう行動して、判断したんだという

リアルな、この2016年3月の出来事をお伝えして、

そのリアリティを感じてほしいのです。

そのことで、あなたの流れを感じる助けにしてほしいと考えています。

ちょっとだけ遡りますが、

この3月の中旬には、近隣の10kg登山マラソン大会に出ようとしていました。

それを決意したのが昨年の10月、そして辞退したのが12月。

その時点では、自分のトレーニング状況などを考えての欠場判断でした。

ところがです、年が明けて

1月に入ったら、その登山マラソン日程のところに、ドンピシャで

どうしても今年に受講しなければならない、あとがない心理関係の講習が

予定されていて、案内状が来たのです。

受講しなければならないというのは、個人的理由であって

別にオフィシャルでそうなわけではないのですが、

これは流れなのだと感じて、受講しました。

話はここで終わりません(笑)

受講して全国から200人程度が集まりました。

それだけ全国から来ているから、知人など皆無だと思いました。

ところが、

その中にひとりだけ、昨年の別の講座で同期生だった方がいたのです。

しかも、近隣で、情報交換もしたいし、連絡先が知りたいと思っていた人です。

昨年以来会っていないし、連絡先も知りませんでしたので、びっくりしました。

さらに続きます。

近日、その昨年の講座の同期で同期会をする予定で取り進めていましたが、

その中のひとりと、今回お会いした方はちょっと関係性が良くなかったのですが、

この偶然の出会いをきっかけに、急きょ同期会に参加するというのです。

その方も、関係を修復したいとのこと、

同期会といっても、5人程度ですからある意味で、仲直りの機会でもあるのです。

そして、その近隣の同期生とは、私は当時から関係性は悪くないですから、

当然、縁が再びつながりました。

このように、私だけでなく、その方のプロセスへも影響したのです。

読むのが疲れたかもしれませんが、せっかくなのでもうひとつ。

先日、知人が脳梗塞で倒れたという話をしました。

私はスキーに行くつもりで有給をとってました。

もちろん、スキーキャンセルになりましたが、せっかくなので有給はそのままです。

ところがです。

昔の職場でお世話になった方が、遠くへ転勤ということで、

昔馴染みの職場の方々が集まって、送別会をするという案内がきました。

まさに、その有給の日なのです。

通常の勤務日であれば、平日ですし、遠方なので参加することはほぼ無理でしたが、

何と言っても、私は有給でしかも、予定は空いているのです。

すべてはこんな具合に流れています。

この流れを偶然ということもできるでしょう。

でも、流れを感じて、決断したり、放置したり、流されてみたりするから、

自然とあるがままの方向性にいくのです。

もちろん、うまくいかないこともあるわけですが、それもプロセスだと思えば、

どうということもありません。

それでも流れを感じて動くことの大切さ。

今回は、ここ最近の私の流れを感じた出来事をシェアしました。

参考になるかはわかりませんが、

ぜひ、あなた自身の人生のプロセスを感じてみてください。

そしてコントロールしないで、流れてみてください。

誰でも、制御や安定は望みたい、ですが流れることも大切です。





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人生は経験でしかない

2016-03-23 00:01:00 | 日記
私はカウンセラーとして、

多くの人の人生の転機に出逢う機会が多いので、

どうしても、

人生とは何であるかを考えさせられます。

おそらく、若くして大病をした人、職業としても、医者、看護師、介護士、葬儀関係の方など

人の生死にかかわるひとたちもそうでしょう。

ただし、自分自身の体験もないと

どうしても想像になってしまう。

そして、若輩の私は、

人生は経験でしかないのだという点に、

少なくとも現在はおちついている。

楽しいことも、苦しいことも、

すべては経験で、死という絶対的なものがあり、

その瞬間には、たった独りで向き合い、受け入れ、

それまでのすべてのものを放棄して、死へ向かわねばならない。

そのことは、すべての生きる人の最終的な到達点。

どんなに金持ちになろうとも、

どんなに愛する人がいようとも、

どれだけの名誉や資格を得ようとも、

それらの何一つとして、死を前にして、所有し続けることはできない。

誰もが知っているのに、目をそらすしかできない。

それほどまでに、見たくない事実。

前置きが長いが、、、

ちょっとおもしろい本をご紹介します。

「人生ドラクエ化マニュアル」 ワニブックス

私はゲームはしませんが、それでも小学生時代に遊んで、
今も人気のドラゴンクエストというゲームは知っています。通称ドラクエ。

まさにそれです(笑)

元そこの若い社員の著者が書いた本です。

元というのは、すでに題名のとおり、人生をゲーム化するために会社を辞めています。

ただ、、中身で言っていることは、

多くの本に書いてあることで、新しくはない。でもまともです。

なぜ今回紹介しようかと思ったかといえば、

その当たり前のことが、すっと、頭に入ってくるからです。

ゲームをしたことのある方ならなおさらです。

特に、面白いことがあります。

ゲームでは、敵と戦って、勝ったときだけ、「経験値」というポイントが上がり、

レベルが上がりますが、負けると何もありません。

ですが、人生では、

敵と戦うだけで、勝ち負けに関係なく、「経験値」があがり、レベルアップします。

これはすごいことだと思うのです。

あまり書くとネタばれして、本がつまらなくなりますが、

もう一つだけ、許してください。

はじめに私が書いたことも、書いてあります。

本によれば、

テレビゲームならば、自分が進んだところまで保存しておけます。

たとえ、万が一ゲームオーバーになっても、

保存したところからやり直せます。

しかし、人生ではゲームオーバー、つまり死はすべてをクリアしてしまいます。

しかも、いつゲームオーバーになるかは、わからないし、

ゲームの進行状況や、経験値、その他すべてのものに関係なく、

突然、ゲームオーバーになるという圧倒的に不条理なルールが存在しています。

さて、この人生というゲームとは何なのか、

題名はちょっとふざけ気味ですが、

圧倒的なリアリティのあるゲームをプレーしている私たちは

どう生きたらいいのか。

ものすごく考えさせられるし、

かなり新しい視点が入ると思います。

書いてあることは、知っていることばかり、

でも、これを作者の視点でとらえてみると、

あれ??じゃあ、生きるとはどういうことなのかと

ふと混乱し、そして気づくのです。

作者が言っていることは正しいし、

我々が生きている世界の本質とは、

世間の価値とはずれていることを。

堅苦しい本も良いですが、

たまには、こういう本もわかりやすくて、学ぶ要素がたくさんあるので、

アマゾンの中古でいいので、ちょっといかがでしょうか。



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考えない

2016-03-22 00:01:00 | 日記
苦しいときは

考えても、考えても


うまくいかない。

こうなってほしいと祈っても

そうはならない。

何かをしたいと計画しても

それもうまくいかない。

だから、

もう深く考えるのをやめてしまう。

今日一日に集中する、

多くても明日くらいまでしか考えない。

ちょっと欲を出して、週末までしか考えない。

先日も書いていますが、

計画したって、もともとそのとおりの保障なんてない。

ただでさえ苦しいときは、

その計画どおりにいかないことが

余計にしんどい。

コントロールできない感じが余計に増幅されて

自分で自分を追い詰めてしまう。

だから、

朝起きたら、

今日どうするか、

今日をどう生きるか

今日すべきことはなにか

もうそれだけ。

行きあたりばったりのようにも思えるけれど、

ほんとうはそれが今を生きるということでもある。

いつもいうように

明日のことは明日の自分が何とかする。

今日のことは今日の自分が何とかする。

どんなにしんどい一日も

これまで乗り越えてきたはず。

ボロボロになりながらも

乗り越えてきたはず。

だから、今日だけがんばる。

明日は明日の自分にまかせてしまう。

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放置する

2016-03-19 00:00:01 | 日記
苦しいとき、

もがいているとき

どうにかして、抜け出したい。

みんなそう思います。

あれも、これも思い通りにいかず

いらだち、あせり・・・

でも、どうにもならない・・・

どうしていいのかわからない

私が個人的に至った結論ではありますが、

もう放置するしかない。

バンザイして、降参するしかない。

もうどうしようもない・・・

駄目だこれは・・・

そう開き直るしかない、

全力尽くして、

最大限やって、

考えて、苦しんで、悩んで、もがいて・・・

もうやれることは全てやって

周囲にもさんざん助けを求めて

たくさんわけわからなくなって

わけわからないことをたくさんして、失敗して・・

もうしょうがない。

それでも、どうにもならないし、

答えがみつからないし、救われない・・・

神なんてどこにもいない。。。

プロセスなんてどうでもいいし、

どうなってもいい。

そんな状況になったら、とにかく

もう放置。

手放すなんてかっこいいものじゃなくて、

ほったらかす。

もう一切をやめる。

神様、もう勝手にしてよ、どうにでもしてくれ・・・

そんな感じ。

それで答えが見つかるかもしれないし、だめかもしれない。

もっと泥沼かもしれない・・・

それでも、

だって、どうしようもないんだから。

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やはり先はわからない・・・

2016-03-15 00:00:01 | 日記
先日、知人が脳梗塞で入院しました。

なんとか命は大丈夫だったものの、

平衡感覚が狂ってしまい。

リハビリ中です。

メールや電話ができるので、

安心はしましたが。

重度ではないとは思うのですが、

1月くらいの健康診断では、良い数値でまだまだ元気だと言っていたくらいでした。

もちろん年齢は50を越えて、いろいろなリスクはありますが、

そうはいってもそんなに高齢でもないわけです。

そして何よりも、その方は倒れる前の週にはスキーをしていましたし、

今月末に私もご一緒する予定にもしていました。

運動、特にスキーのようなバランス感覚が重要なスポーツで

平衡感覚が崩れるなんてことはとても厳しくなるかもしれないわけです。

だから、その方の心情も思うと、悔しさも深いかもしれません。

そして何よりも、日常で、脳梗塞への不安も常に残る可能性もあるわけです。

元気いっぱいのその方の日常からは、だれも想像もつかない、今の状況・・・・

そして、ふと思うのです。

未来を思い描くことも、

期待して努力することも大切、

だけど、それは現時点を満喫することを犠牲にしてまで

忍耐することでもないのではないかと。

刹那的に生きることを目指すのではないけれども、

今できることは、すぐにやったほうがいいんだと。

時間や、お金、状況が許す限り、多少の無理をしても

将来取り返せると思えるくらいのレベルなら、

今すべきことを後回しにしないほうがいい、

そう、つくづく思うんです。

偏った意見かもしれませんが、

会社で遅くまで残業している人たちを見ると、

いつ気づくのだろう・・・と悲しくなります。

家族とすごす時間、自分の人生を楽しむ時間、

本を読んだり、新しい経験がたくさんできるのに、

生活のためとはいえど、人生の残り時間が未知数なのに

どこまですればよいのだろうと。。。

朝でも夜でも24時間は同じなのですから、

全力で使い切ったほうがいいのではないでしょうか。

苦しみが深いとき、そんなことすらもどうでもいいという心境です、

無理に動くように推奨もしていません、

それを承知のうえで、やはり、

ただ、この機会に、

真剣に人生の時間と自分の人生について考えてみることは

悪くないことです。

しかも世間の常識や慣例など無視して、

自分が生れてきて、そして死んでいく

事実はそこにしかないことをベースにして、

どう生きていきたいのか、

どう行動したいのか、

誰と過ごしたいのか、

何を我慢すべきなのかと。

結婚とか離婚とか、そういう枠ではなく、

一個人として、人生を旅するものとして、

どう在りたいのか、

どこへ向かいたいのか、

真剣に考えてみたいものです。

自分史上、最大限に生きてみる。

けしてこれまでも中途半端や適当に生きてきたわけではないとは思います、

それでも、

24時間を48時間にしてしまうくらい

自分自身を生きてみる。

むずかしいけれど、

そう在りたいものだとも思うのです。
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フランス人的な生き方

2016-03-13 00:00:01 | 日記
今日は久しぶりに書籍のご紹介です。


・パリジェンヌ流 今を楽しむ!自分革命  ドラ・トーザン 河出文庫 660円

・フランス人は「ママより女」 ドラ・トーザン 小学館文庫 580円


一時期、けっこう書店でも平積みしていましたから、

ご存じの方もあるでしょうが、

NHKのフランス語講座などでも見かけた彼女の本です。

題名は女性ですが、男性にもおすすめです。

ご存じのように、フランスでは結婚がすべてではないどころか、

日本でいうところの事実婚の方が多いくらいです。

にも関わらず、出生率は増加して、高い数値をキープしています。

フランスでは離婚率は50%以上ですから、良くも悪くも

結婚という形自体にあまり意味をもたないでしょう。

社会制度の違いは影響としてあることは事実ですが。

さて、ドラさんは、日本が大好きで、日本とフランスの架け橋 になることをミッションとして

活動されています。そしてドラさん自体は、結婚もしていません。

その彼女が見る日本人の価値観は少しおかしいのではないかと提言しています。

だからといって、日本文化を否定しているわけではありませんから、ご安心を。

先日も少し書きましたが、

学校を出て、就職して、結婚して、子供を産んで、育てて・・・

それが人生のすべてですか?と。

フランス人は、

ヴァケーション(余暇)のために仕事をしているくらいだと言っています。

最低2週間連続で休暇をとるそうです。

人生を楽しむことを第一に考えているのだといいます。

ふと、25歳で私が入社したときに、

周囲に言っていた言葉

「遊ぶ時間ができないようなら、そういう仕事はしない」

「サラリーマンは60歳まで土日含めた休日の数、時間はすでに計算できる。
 土日しか自由な時間がなくて、楽しめないような人生なんて、つまらない。
 だから、平日でも、最大限楽しみたい。」

だから体力の続く限り、やりたいことをしていました。

日本に育ってきた私たちは、忍耐や、努力という言葉でこれまで生きてきましたし、

日本的な習慣が根強いです。

たとえば、同性愛についても最近ようやくという感じで、あまりに世界的な流れからは遅いでしょう。

私たちは毎日テレビやら、周囲からいろいろな話を聴かされて

それがさも当たり前で、人生の真実かのように、唯一な生き方のように錯覚して、

それから外れる生き方は間違っていると思い込まされます。

日本の社会が、集団から外れることを認めない文化ですから当然です。

違うものは排除するのが日本で、島国文化が色濃く残っています。

ドラさんが日本のテレビで芸能人の結婚インタビューで、違和感があると、書いてます。

女性は「旦那さんのために、おいしい料理ができるように練習します。」

のようなお決まりフレーズがありますね。

もちろん、パートナーとの食事は楽しいし、大切な人へ想いを込めた料理も素敵ですが、

判で押したような解答だと。それが一番正しい、適切なコメントだというかのようだと。

日本文化の良いところもあるのを前提としても、

この日本の価値観から少し離れたほうが、生きやすいかもしれません。

ドラさんの言うことがすべてではないし、どれが正解とは言えませんが、

あなた自身の人生をどう生きるのかを考えるときに、

一度違う考え方、視点を自分の中に入れてみてから考えても悪くはありません。



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安定がそんなに大切か?

2016-03-11 00:00:01 | 日記
世間一般の人たちと話していると、

人生の目的は

安定した生活

安定した収入

安定した家族

安定した仕事

そして、

安全な人間関係

安全な行動

安全な判断

安全な選択

・・・・

もう切りがないくらい、

安全、安定、ノーリスクに向かうわけです。

ここから先は、ほんとうに個人の考え方ですから、

どれが正解でもありません。

もちろん、

不安定が良いとは言えませんが、

あまりに強烈にノーリスクを指向すると、

人生どうなんでしょう。

最低限の収入がないと生きていけません。

そのためには仕事も必要かもしれません。

安全な判断をしたほうが、リスクはないでしょう。

ただです・・・・

泣いて笑っても、

あなたの人生はあと数十年で終わります。

生まれ変わることもあるかもしれませんが、

それは今のあなたではないかもしれません。

つまり一度だけの人生です。

離婚して、私が強く思ったことですが、

人生は経験がすべてだと感じています。

うれしいことも、楽しいことも、つらいことも

苦しいことも、すべては経験です。

逆にいうと、経験でしかないのだともいえるでしょう。

うまくいくことも、失敗と感じることも

これもすべて経験です。

テレビや、あなたの周囲がいうように、

安全、安定な人生というものがどこまで真実でしょうか?

誰でも苦しい想いも、悲しみも辛さも味わいたくはありません。

しかし人生というものが、

生れること、死ぬことは自分で制御不能な、このプロセスにおいて、

わずか80年足らずの時間において、

経験することを差し置いて、

日々変わらない、変化のない、

そして我慢したり、忍耐する人生というのはどうでしょうか?

いつも言うことですが、

あなたの残りの人生の時間は、だれも知りません。

明日かもしれないし、あと50年あるかもしれません。

いつまで、どこまで忍耐を続けるんでしょうか。

自分の残りの人生の時間がわかるとき、

たとえば、余命を宣告されるまで、

忍耐を続けて、そこから解放しますか?

おそらくそのときは間に合いません。

別に刹那的な生き方を推奨しているわけではありません。

何事もバランスです。

自分が向いている方向を、ちょっと考えなおしてみる。

軌道修正してみる。

どう生きていきたいのか。



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偶然にイエスという

2016-03-08 00:00:01 | 日記
あなたの目の前では

毎日、さまざまな出来事が起きているでしょう。

朝起きて、食事をして、顔を洗って、

洋服を選んで、

電車の時刻をみて、出勤する。

お昼は何しようか、

夕食はどうしようか、

。。。。

週末は、自宅にいようか、買い物に行こうか

友人と会おうか。。。

よく言われるように、

人生は選択の連続です。

生活すべてが選択ですね。

では、そこに偶然の要素というのはどれくらいあるのだろうかと

考えてみます。

電車に乗ろうとしたら、事故で遅れているとか、

今日のランチは、パスタにしようと思っていたのに、

同僚にランチに誘われて、結局、和食になってしまったとか、

今日は、仕事が終わったらまっすぐに帰るつもりだったけれども、

居酒屋の半額の看板が目に入り、結局遅くまで飲んできたなんてのも。

選択といえば、そうですが、偶然の要素があるわけです。

今日に限って、財布を忘れたとか

今日に限って、傘を忘れてきたとか、

もう数えきれないくらいの偶然もあるということがわかります。

たしかに多くのことを自分で選択しているのだけれども、

自分では予測もできないような偶然と言われるようなことも多くあるのだと。

人生は偶然はなく、必然だとも言う人もいるし、

プロセスとも考えられます。

偶然と言われるものを、あなたがどうとらえても良いのですが、

とにかく、実はこの偶然に対する、あなたの態度が一番重要なのです。

心が硬くなっていると、

この偶然をひろうことができない可能性があるのです。

苦しいとき、つらいとき、ただでさえ手一杯ですから、

こんな偶然に振り回されていたら、気持ちがもちません。

ですから、

自分の余力と相談しなければなりませんが、

自分のまわりにある偶然に「イエス」という態度が大切ではないかと思うのです。

柔軟な気持ち、オープンな心、

ガチガチにコントロールした生活は、安定はしているでしょうが、

偶然の入り込む余地がありません、

神様は無理やりこじ開けるのかもしれません。

ふとした出来事の流れに、身を任せてみることも必要かもしれません。

この偶然との出会いによって、

予期しない方向へと私たちは導かれていくのだとも思います。

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囚われの心

2016-03-06 00:00:01 | 日記
最近、自分自身がふと経験したことをシェアしてみます。

聞いてしまえば、

そりゃあ、そうだ。と思うようなことではありますが。

つい先日まで、ずっと考えていた・・・というか

囚われていた事がありました。

囚われていた・・・と書いてますが、

ポジティブなことでも、ネガティブなことでもありません。

囚われると書くと、なんだかマイナスイメージかもしれませんが、

要するに、あることが気になって仕方ない、頭から離れないという感じ。

でとにかく、あることにずっと、心を囚われていました。

どれくらいかというと、

考えない日はないくらいです。

ところがです。

ある偶然の出来事で、

別のことに心が囚われました。

つまり、これまで毎日心が囚われていた目先が変化しました。

それまでは、どうしても囚われから離れられない事から、

一瞬にして、それとは別のものに囚われたのです。

これまで囚われていたことを忘れたわけではないのですが、

圧倒的に新しい別のことに気がいっているのです。

とても不思議な感覚です。

あまり良い例ではありませんが、

たとえば、

多くの人が、会社や恋愛やお金や、いろいろなことで悩んでいて、

そこからなかなか抜け出せないわけですが、

不治の病を宣告されたり、天災で住むところがないなどの状況になれば、

それどころではないわけです。

以前にも書いてますが、

シリアのようにたくさんの人が命をかけて海を渡るような状況で

今日を生きるために、必死に戦う人たちは、

私たちのように平和に日本で暮らしている人とは

悩んでいる質が全然違うでしょう。

私は以前自分が苦しんでいるなかで、自分の母親から、

「あなたには、悩んでいる、落ち込んでいる余裕がある、時間もある・・・、
 それは生きることのために必死にならなくてもよいからだ・・・」

そう言われたのを覚えています。

シリアの難民を見ていて、心からそのことは納得します。

かすり傷が痛いと思っているときに、

手足を骨折でもしたら、かすり傷なんて大したことではなくなるし、

痛さも感じなくなるかもしれません。

では、気持ちをどこかにそらせば良いのかというと、

自分で積極的にすると、なかなかうまくいかないから難しいのです。

一瞬で心を奪われるくらいの強い吸引力がないと

なかなか難しいのです。

じゃあ、どうすれば良いのだ?と言われてしまい、

私が解決策をもっているわけではないのですが、

心を囚われていることというのは、

要するにそういう質のものなのだということに気づくわけです。

では、どのように心を向けたら少しでも楽になるのだろうか・・・

そこはまだまだこれからなのですが、

あなたの解決策のひとつのヒントになればと。

カウンセラーですから、知識としては知っているし、

事例も知っているわけですし、実体験もなくもないですが、

最近、ふと「アハ体験」をしたので、記事にしてみました。


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ちょっとした変化を見逃さない

2016-03-02 00:00:01 | 日記
苦しいとき

そこから一気に抜け出したいと思うのが常

いきなり新しいパートナーができたらいいのにとか、

悲しみのどん底から、元気になれたらいいのにとか、

仕事、生活、趣味、交友・・・

どれもこれも

無意識的にかもしれないけれど、

大きな変化ばかりに目がいきやすい

そうなると、

そんな大きな変化はなかなかないから、

なんだかあまり変化していないような・・・

ずっと同じところのような・・・

そんな感覚に陥る。

でも、

ほんとうにそうなのか、

自分の周囲をよくみてみてほしいのです。

ずっと何も変わってないでしょうか。

何か少しでも新しく、変化していることはないでしょうか。

たとえば、

あたしいパートナーがすぐにはできなくても、

異性との会話が増えたとか、

あたらしい異性の友達ができたとか、

その異性だって、独身というわけでなく、

既婚者だって、なんだってとにかく

今まで関わらなかった人との関係性ができたなら、

それはそれで変化です。

そういうことが、もちろん毎日でなくても、

点と点をつないでいくと

ある方向性が見えてくるかもしれません。

周囲の人が自分に向けてくる感情、言葉、いろいろなものから

自分が導かれている方向性を感じたいものです。

周囲からの言葉で共通していることはなんでしょうか?

周囲の反応で似ていることはどんなことでしょうか?

それらを丁寧に集めていくと

自分の向かうべき方向性を示していることがあるかもしれません。

たとえば、何かで知り合った異性に

ちょっとだけ心ひかれたならば、

これまで別れた相手だけに集中していた気持ちに少しだけ変化があったということ、

たとえ一瞬でも。

あっ、そんなことを思える自分もいるんだと気づけるかどうか。

自分のまわりの小さな変化を集めてみましょう。

それらが指し示すものは何でしょうか?

ちょっと謎解きするゲーム感覚でしてみましょう。

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