離婚に苦しむ人へ

今、苦しんでいるあなたに寄り添って。

一日を使い切る

2016-09-29 00:00:02 | 日記
最近、読んだ本で、なるほどというのがありました。

当たり前のように

一日は24時間だとか

一日一生だとか

瞬間を精一杯などと、

私自身も言っています。

ただ、、、

よくよく一日を見てみると

仕事をしている人なら

大体は4つに区分してしている。

無意識にかもしれませんがね。

要するに

寝ている時間

朝起きてから仕事に行くまでの時間

仕事をしている時間

仕事を終えてから寝るまでの時間


主婦だったり、母親だと

そこに子供との時間や

子供が学校に行っている時間なんかでも区切っているかもしれません。

我々は仕事をしている時間と、寝ている時間が

やはり一番時間が長いのが普通でしょうから、

そうすると、それ以外の時間は無意識に付属の時間みたいになってしまいがちです。

でも、ほんとうは、どの1時間にも違いはないし、

大切な24時間という与えられた命の時間なのです。

だから、仕事以外、寝る以外の時間にどれだけ全力で時間を使えるかが

大きな差になるというのです。

言われてみればそうですが、

意識して使うのと意識していないのは大きな差になります。

ちょっと自分の一日の時間を意識してみてくださいね。



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できないって何ですかね?

2016-09-26 00:00:01 | 日記
いつも書いていることですが、

自分の努力や力で、どうにもならないことがあります。

それは自然であったり、

病気であったり、

相手との関係性であったり。

でも、自分自身にできることもたくさんあるわけです。

なのに、多くの人は、無理だと感じたり、

自分にはできないと感じたりしています。

結婚を経験したあなたならわかることと思いますが、

相手がいて、家庭があって、子供がいて・・・

もう無限にあきらめることがあるわけです。

それでも結婚していて、それを大切に思えばこそ、

自分のそんな想いを手放したり、あきらめることも納得できたりもするわけです。

じゃあ、一人の今、その足かせなどあるでしょうか?

そりゃあ、養育費とか、生活とかいろいろあるでしょうが、

実際には結婚しているときほどではありません。

女性の場合はとにかく仕事や子育てで余裕がないかもしれませんね。

でも、あなた自身の夢や、やりたいことをあきらめることなど必要ないのです。

最近話題にしているエベレストを含むセブンサミッツを最年少で登頂された

南谷真鈴さんは、私たちとどれだけ違うのでしょうか?

私はほとんど差がないと感じます。

一点、大きな差は、自分を信じて行動する力と覚悟です。

その一点が大きな違いとなります。

今、あなたが成し遂げたいことは、エベレストを登る、命をかけて挑むことと比較して

どれくらいのことでしょうか?

残念ながら、私が挑戦したいことも、それには到底及びません。

つまり、できないはずがないのです。

限界を作るのは自分とはよく言いますが、

今、あなたがしたいこと、挑戦したいこと、越えたいことは、

歴史上の記録となるようなレベルでしょうか?

おそらくたいていは、そうではないはず。

多くの先人がいたはずです。

それを踏み出せないのは何か?

そう覚悟だけです。行動力だけです。

これは完全に私個人の意見ですから、押し付けるつもりはありませんし、

正解かどうかはわかりません。

私は、挑戦しない、安全、安心な人生など何も生きた意味がないと思っています。

生まれたからには、最高にアクティブで、充実した生き方をしたい

あらゆる感情を感じて、それを感じながら、

自分自身で満足できる生き方をしていく。

だって、後悔したくないじゃないですか?

死ぬときに、やり残したことなんてあったら、それこそ報われません。

与えられた人生で、可能性のあることは全部やりきる。

そしたら、いつ死んでも良いでしょう?

だから、できるときに、動けるときに、

全力を尽くして生きていくこと。

私はそう思いますが、あなたはどう生きたいですか?



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自分軸

2016-09-24 00:00:01 | 日記
いつも書いていて、

なんだか曖昧な言葉だと感じて、

今日は、少し 「自分軸」 について

書いてみます。

もちろん、これが正解とも思いませんし、

私なりのとらえ方です。

わがままなこととか、

他人と断絶したりすることではありません。

自分の判断基準を自分の中に求めることです。

親、兄弟、パートナー、友人、職場の人・・

あらゆる関係性のなかで生きていますが、

特に日本では、あまりに相手のことを考えすぎる傾向があるし、

それが思いやりであり、気遣いであると勘違いしています。

思いやることはとても大切ですが、

それで自分自身の気持ちがわからなくなっていくんですね。

親子の問題にしても、恋人にしても、結婚にしても

かなりこのことが影響しているんです。

自分の人生は自分で生きるしかないという中心からずれると

この影響が大きくなってしまう。

その一方で関係性から学ぶこともたくさんあり、

それが成熟につながるわけです。

だから大切なことは、自分を源泉にして生きることです。

以前書いていますが、有名なパールズという心理学者の「ゲシュタルトの祈り」は

そのことを意味していますし、長い時間をかけて、

私自身の考えも、ここに行きつきました。

はじめて知ったときは、なんだか強い違和感があり、好きになれませんでしたが、

深く学んでいくなかで、今ではしっくりきています。

私自身は、この言葉によって、さまざまな関係性の苦悩を

乗り切れてきましたし、手放してきました。

親子、恋人、職場、すべての関係性に対して

長い人生における関係性の真理だと感じます。

あくまで一例であり、
もちろん、共感できないからといって不正解ではないのです。

お伝えしたいのは、
なんであれ、自分自身のなかに、思想の軸をもつことは力になるということです。

ちなみに、ドイツ語です(笑)
WEBで探すと、いろいろな英訳や和訳がありますので、
しっくりくる言葉を探してみると良いかもしれません。



************

Gestalt Prayer
ゲシュタルトの祈り


Ich lebe mein Leben und du lebst dein Leben.

私は私のことをします。

ですから、

あなたはあなたのことをして下さい。

Ich bin nicht auf dieser Welt, um deinen Erwartungen zu entsprechen -

私は、あなたの期待に添うために

生きているのではありません。

und du bist nicht auf dieser Welt, um meinen Erwartungen zu entsprechen.

そして、あなたもまた、

私の期待に添うために生きているのではありません。


ICH BIN ich und DU BIST du -   

あなたはあなた、私は私です。

und wenn wir uns zufallig treffen und finden, dann ist das schon,

私たちの心が、

たまたま触れ合うことがあったのなら、

どんなに素敵なことでしょう。

wenn nicht, dann ist auch das gut so.

でも、もしも心が通わなかったとしても、

それはそれで仕方のないこと。

(私とあなたは、独立した別の存在なのですから)



Frederick Perls
フレデリック・パールズ
(ゲシュタルト療法―その理論と実際)

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寂しさってなんだろうか

2016-09-21 00:00:01 | 日記
人と別れたとき、

そして独りでいるときに感じる寂しさ・・・

これってどんなことなんだろうかと

冷静に考えてみると、

ほんとうにわからない感情です。

考えれば、考えるほどに

どういうものなのだろうかと感じるわけです。

もちろん、心理学的にどうのこうのと解釈はありますが、

寂しさを感じている人にとっては

ほとんど役には立たない。

発達、自立だとか成熟だとか、幼少期の。。。と

いくらでも理論はあるが、役には立たないように感じる。

単にだれかといればよいわけでもなく、

家族がいても、孤独を感じている人はたくさんいます。

だれかに必要とされている感じがほしいのか、

だれかに甘えたいのか

ともに出来事や気持ちを分かり合える関係性がほしいのか

寂しさとは何なのかと・・・。

逆に、独りでいても、寂しさを感じない人はたくさんいるわけです。

自らの意志で、独身を決める人だってたくさんいます。

寂しさを感じることもあるだろうけれども、

とても積極的に充実しているのです。

寂しさを感じないことは、楽ではあるかもしれませんが、

それならそれでよいのでしょうか。

単純に、過去の幸せなときの想い出へのあこがれなのか

なんでしょうか。

寂しさを感じることはとても大切な感情のひとつです。

だから無視することじゃないし、否定することじゃない。

みんな感じるものですから。

寂しさを感じたとき、

この寂しさとは何なのか、少し冷静に客観的に見つめていくと

すこしずつ自分なりの理解ができてくるように思います。

カウンセラーは、苦しんでいる人たちと接するわけで、

自分自身の悲しみや苦しみ、そして寂しさなどを徹底的に見つめる努力をしています。

そこから逃げずに、深く、深く見つめて、本質を感じていき、

感じきる努力をしています。

そしてそこに立ち上がるさまざまな付随する感情をも否定せずに

丁寧に感じていきます。

その感情が出てくるには意味があるからです。

あえて、ボロボロになるまで、感じるようなこともしています。

普通の人は、それに飲み込まれてしまうほどする必要はありませんが、

ある程度、感じて、そして冷静にみていくことが

できるようになると、いろいろなことが見えてくるかもしれません。
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徹底的に悲しむ

2016-09-18 00:00:01 | 日記
多くの人が

悲しむのを途中でやめてしまいます。

周囲からいい加減に立ち直るように言われたり、

なんだ、かんだと

ほんとうにその感情を感じきれずに

中途半端で進んでしまいます。

もちろん、だれでも悲しみや苦しみを

長い間感じるのはうれしくないわけですが、

適当に切り上げないほうがいい。

じわじわと長期的にダメージを受けるから。

虚しさや悲しさ、

憎しみや怒り

どんな気持ちもしっかりと感じるほうがいい。

いつも言うような底着きですが、

どこかで先に進むのだという覚悟が出てくるまで。

もちろん、それで体調を崩すこともあるし、

ボロボロになるかもしれない。

そうなっても、

やはりどこかで、もう上に向こうという状態が出てくる。

すべては自分の内面との対話です。

自分のほんとうの状態を感じて

さて、どうしようかなということです。

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何を感じるかです

2016-09-15 00:00:01 | 日記
毎日を生活していて、

なんの変化もない日常だと感じているかもしれません。

でもそれは

あなたが変化を感じていないだけかもしれません。

ほんとうは、

今日と昨日の体調は違うだろうし、

皮膚の状態も

あちらこちらが同じではないはずです。

おおざっぱには、

たしかに朝起きて、会社いって、帰ってきて・・

となってしまいますが、

それは雑な生き方です。

人生を見ていません。

何も、友人となったり、恋人になったりすることが

関係性ではありません。

街で見かける人や、電車で隣り合う方との

けして言葉を交わさないものでも

人生で出会う関係性です。

だって、だれかが持っていた、おしゃれなカバンや服装

髪型、そんなの見ても

あー、それいいな、こんな着こなしもあるんだ、

とか思いながら、ほしいものが増えたり、

次回の買い物で参考にしてみたり、

かなり無意識に影響されていることは多いですよね。

私は登山をしますけれども、

登山中、道をすれ違うときには、

譲ってもらったり、待ってもらったりして、


「こんにちは」

「ありがとうございます」

そんな会話があります。

でも顔を上げずに言葉だけの人もいるし、

返事をしない方もいます。


せっかく登山をしていて、

イライラしていたり、

仕事の話をしているような人までいろいろです。

一方で、お互いに目を合わせて、

素敵な笑顔で答えてくれる人もいます。

見ず知らず、二度と会わないでしょう、その方との

人生における一瞬の交差です。

すべては物事から、出来事から自分がどう感じたいか、どう感じるかです。

そのひとつを心にとめるだけで、

日常も大きく違ってくるはずです。

今日の一日、そんなことを心に留めて生活してみませんか。

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虚しいに決まっている

2016-09-12 00:00:01 | 日記
すこし挑戦的な題名をつけました。

離婚をはじめとして、

失恋しても

リストラされても

死別にしても

とにかく、

何かの喪失体験をすると

多くの人が虚しさを感じます。

人生そのものに対する虚しさです。

自分の生きてきた過去すべてに対する虚しさです。

国も、学校も、周囲も

そんな虚しさを覆いかくして、

未来ある、将来ある、活力と希望のある人生という

絵空事を描いて、押し付けてきますね。

絵空事という意味は、希望とか活力とか

それらは人生の一面であって

もっと多面的であることを無視しているということです。

そしてなによりも、幸せというのは

あくまで主観であって、どう考えても

苦しい人だっているわけです。

少なくとも今現在、幸せ絶頂の人や、安定している人からは、

そんなに悲観的に考えなくてもと言われそうです。

ですが、ほんとうにそうでしょうか?

いつもいうことですが、

私たちだれ一人として、

生まれるときも、死ぬ時も

そしてその間の人生も自分でコントロールした人はいないのです。

そしてこれだけ苦しんでいる人生が何なのか、だれもわからないのです。

虚しくないという人は、どうしてでしょうか?

単に、鈍感か、抑圧しているだけでしょうか?

冷静に、客観的に、論理的に考えれば、

消えてなくなる死という事実が必ずあるのに、

日々、喜んだり、悲しんだり、何なのでしょうか?

全ての所有物はあの世には持っていけないというのに、

お金を貯めて、たくさんの洋服やら、何やらを買い。

これらを真面目に考えていて、

ほんとうにむなしさを感じたことがないというなら、悟りか、相当な鈍感です。

だから、もともと人生とは、はじまりが勝手に決まっていて、

なぜか期限の知らされない死を抱えながら、

しかも喜んだり、悲しんだり、苦しんでいるものなのです。

虚しさを感じてもあたりまえじゃないですか?

だから、人生とは、あらためて考えてみれば

こういう前提の上にあるものですから、

じゃあ、どうするか?ということなのです。

私が言いたいのは、幸せも、喜びも、怒りも憎しみも

虚しさも悲しみも絶望も、、、

すべての感情を感じるのが人生というものであって、

どれが良い悪いもないし、どれかを感じないなら

抑圧しているだけでしょう。

今、幸せ絶頂の人だって、肉親やパートナーとの死別を経験するでしょうし、

自らの病を受け入れざるを得ないような絶望的な経験だってあるのです。

だから、そのときどきの感情を受け入れるしかありません。

どれが間違っているのではなく、

どんな感情も、生きていればあるべき、感じるべき感情です。

それをそのまま受け入れることが

一番の解放でもあるのです。
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想いを出すのが必要というわけではない

2016-09-07 00:00:01 | 日記
いつも想いを自由に出してほしいと書いています。

出したい想いを出せないことは

ほんとうに苦しいことですね。

でも、あまりに苦しいとき

あまりにむなしいとき

そんな想いすら出てこないことがよくあります。

感情が出てこない、

正確には抑圧することで耐えているんですね。

以前、書いたことがありますが、

私が涙が流せたのは少なくとも3年以上たってからでした。

人は

想いを出さないことで

耐えていることもあるし、自分の心を守っていることもあるのです。

だから、想いを出したいときはだしていい、

想いが出せないからって駄目なわけではないんです。

想いをぜんぶ出してしまって、コントロール不能に陥ることもあるので

カウンセリングでも無理に想いを吐き出させる方法は

リスクのある方法です。

一番大切なことは、

今の自分でありたいようにあること。

ぐちゃぐちゃで、なんだかわからないということも

そのままでいいんです。

それがいまの想いということなんですから。

そして、人によっては論理的に客観的に考えることで

乗り越える人もあります。

それはそれで耐える方法なんですね。

苦しいとき、耐えているとき、

今のあなたの行動や状況はそれに耐えることのできる

あなたなりの方法なんです。

だからそれはそれで大切なことなんです。

それぞれでそれは違う方法なんです。

間違いなく、あなたはあなたの全身全霊でもって

今の苦難を耐えようとしているはずです。

周囲が何と言おうと、

教科書どおりでなくても

あなたのすべてを動員して耐えいているはずです。

だからそれをこうでなくてはいけないとか、

こういう状態でないとおかしいとか、

こうするべきだということに向かうのではなくて、

まず、現時点で全力で自分は耐えているし

がんばっているし、やっていると認めてあげてください。

まず、自分を承認しないとはじまりません。

それは他人との比較ではなくて、

自分自身との対話です。





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いかに本質にとどまれるか

2016-09-04 00:00:01 | 日記
あなたは
今、ものすごく苦しい状況にあって、

たしかに私のブログや言葉に共感することもあるかもしれない。

なるほどと思って、実践するかもしれない。

でも、多くの人が、その苦しみを乗り越えると忘れてしまう。

どんなに苦しい離婚を経験しても、

のたうちまわるような苦悩を経験して

絶望をさまようことがあっても、

数年後、新しいパートナーが見つかり、

新しい生活となり、

苦しみは減り、

希望も見えてくると、忘れてしまう。

忘れることが悪いのではない。

ただ、本質的に元に戻ってしまう人がたくさんいる。

どれだけ自分が苦しかったのか、

絶望したのか、

人生の本質を見てきたのか、忘れてしまう・・・


今、きっとこれを読んでいるあなたは、

自分はそんなことなく、

けして忘れないし、これを経験にして生きていくと

いうかもしれないが、

かなりの確率で忘れていく

それぐらいに、幸せな時間というのは強い力がある。

忘れちゃいけないのでもないし、忘れていい。

幸せになってほしい。

だが、いつも言うことだが、

人生の本質はいつも同じである。

真理は変わらない。

絶望した自分をけして忘れず、それでも

過去を忘れて、幸せに向かう。

過去は忘れてもいいけれど、本質は忘れてはいけない。

私自身はカウンセラーだから、常に苦しみ、悲しむ人と接するがゆえに、

忘れることはないし、常に思い出させられる。

だが、ふつうの生活をしているあなたは、

次第に日常にもどっていく。

だからこそ、本質を忘れないようにしてほしいと思うのです。

それが、幸せをつかむ道になるのだから。
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