離婚に苦しむ人へ

今、苦しんでいるあなたに寄り添って。

いまの自分で相手を知る

2012-08-31 01:00:00 | 日記
離婚して

あなたの傷が癒されたころ

ふたたび新しい人と出逢うかもしれない。

でも、ふとよぎる不安。。。

また同じことにならないだろうか。

裏切られるのが怖い。。。

もう傷つきたくない。。。

だからいっそのこと

もう一度、人を好きになるのは止めよう。。。

もう一人で生きていこう。

最後まで相手を信じるのはやめよう。

そもそも、今回好きになった相手とうまくいくのだろうか

信じて、結婚してもまた離婚することになるのではないか。

ここで、言えることは

それは結婚してみないとわからないことだが、

チェックする方法はあるということ。

新しいパートナーと知り合い、付き合い、交際している中で

あなたがどう変化したか?

という点を考えてほしい。

以前のパートナーと付き合ったとき、

結婚していたときの自分と

新しいパートナーといるときの自分を比べてほしい。

同じ感覚なら、相当にやばい。

自分が素直でいられる。

パートナー以外の友人、両親などの人間関係にも
良い影響が出ている。やさしくなれる。思いやり深くなれるなど。

まるで自分の良いところを引き出してくれている感じがする。

以前よりもずっと楽に関係を続けられる。

相手のことも尊重できていて、
自分のことも尊重してくれていると感じられる。。。

つまり、相手との関係性において、
問題がないならば、自分の良い面が引き出され、悪いところはカバーし合い、
自分とパートナーの関係だけでなく、
それまで困難だった人間関係においても良い影響が出る。

仕事への取組み方や、生活パターン、いろいろな部分を比較してみてほしい。

もし、良い効果が見られるならば
それはとても良い関係性ということができる。

本来、信頼し合い、尊重し合い、成熟した関係性においては
そうであるはずなのだ。

そこに、不安や、心配や、懸念など生じるはずもない。
なぜならば、お互いの信頼性の基盤の上に成り立っていて
それが自然だから、そうなるはずなのだ。

不自然な関係性のときには、
いろいろな部分に無理が生じる。
相手に合わせすぎたり、自分を抑制したり
逆に、相手との見えない、無意識の駆け引きや、取引をしている。

そうすると、そのひずみは、確実に周囲に現われ、生活に現われる。

だから、

新しい人との関係性に不安をもったときには、

自分自身とその周囲をよく見てみるといい。

良き関係かどうかはすぐにわかりますよ。
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好きになる相手は似ている

2012-08-29 01:00:00 | 日記
離婚したとき、

もうこういうタイプとは結婚しない!

そう誓うはずだ。

きっと自分には欠点があって

それがあるがゆえに、

こういう相手を選んでしまった。。。

そう反省もしたはずだ。

でもよく考えてほしい。

落ち着いた雰囲気の好きな人が

いきなり、活発で明朗で、社交的な人間に恋するだろうか?

あなたが何歳で結婚したのかは知らないが、

まあ、20年は最低生きてきて、

そして選んだ相手のはずだ。

だから、恋愛対象を180度別のタイプにすることなど不可能に近い。

まあ、次回も似たような相手を好きになるだろう。

それが普通だと言いたい。

あなたが今回離婚となってしまった原因をよく考えてみてほしい。

よく考えるとは、細かく、細かく分析してみるのだ。
まず、血液型など意味がない。
4タイプしないのだから。。。

じゃあ、年齢は?年上、年下は?
こんなのも、まあ関係ないだろう。

依存傾向がある、ないは?
この辺りは、注意が必要だ。

だけど、多くの人は考え違いをしている。
依存するから良い悪いではない。
人間は依存する生き物だ。依存しない人を見たことがない。
独りで生きているようでも、何かには依存していて
人に依存していないだけ。

自分を見失うような依存はいけない。
また甘えることと、依存は異なる。
逆に、甘えることができないようでは、関係性は続かない。

暴力的態度、言動や、アルコール依存、ギャンブル、浮気などの場合は
まあ考えるまでもなくノーといえる。

要するに、「依存」という単語や、言葉だけで考えるのではなく、
その中身をよく吟味することが大切なのだ。
一対一ではけしてないのだから。

また前回と同じようなタイプに見えても
やはり別な人なのだから、似て非なるものといことも真実。

どこが似ていて、どこが違うのか?
似ている部分は、大丈夫か?違う部分は大丈夫か?

大丈夫か?の意味は、
あなたが心から信じるに足りる相手がどうか?だ。

信じることができる相手は、けして裏切りはしない。
どんなにしんどくても、二人で課題を乗り越えることができる。

だから、どんなに話難い内容や、しんどくても
お互いに正面から話し合い、前向きに意見を出し合い、
進めるかどうか?が重要だ。

結婚生活において、ドラマのような理想なことなどありえない。
逆に、独身の方がよほどドラマイメージに近い。
だから、困難があることはすでに前提条件なのが、結婚することなのだ。

困難を共に超えることができない相手と結婚すれば
当然破綻するのは当たり前だと誰でもわかるはず。

もう一度伝えますよ。
困難や苦難や、課題はあるのが人生、結婚生活。
だから、課題や困難から逃げずに、立ち向かうことができる相手かどうか?
ただその一点が究極的に大切なのです。

恋愛中はいくらでもごまかせる。
だが、リアルな結婚生活では、ごまかせない。

簡単にわかる方法がある。
あなたが一番話難いと思うこと、
たとえば、お金がない。。 仕事がない。。転勤、親との同居、介護。。。

相手が一番やりたくないと思うこと、
たとえば、・・・・。

これをカウンセリングでは、「直面化」というのだが、
本人にとって一番越えなければいけない部分を、話すことだ。

これから逃げるようでは、結婚しても同じこと。

どうにかして、対処して、考えて、乗り越えようとする姿勢があり、
自分との関係性も壊れないなら大丈夫だ。

逃げるような人間は、
そんなとき、そういうことを言う相手を非難する。
ひどいやつだという。自分のために言ってくれているとは気づけない。
泣いたり、わめいたり、無視したり、すねてみたり
とにかく、ありとあらゆる手を使って逃げて、相手を非難する。

真実で、大切なことだということに気づけない。
それでも相手は自分のことを信じてくれているとは信じれない。

ある意味で、関係性も壊れる可能性もあるから、
言葉とタイミングは慎重にしてほしいが、
離婚を経験したあなたならば、私の言う意味がわかるはずだ。

そして恋愛中から、課題と直面化できないという
結婚生活においては、一番大きな欠点をもっていたということに気づくはず。

そのことを判断し、二度と間違わないためには、
恋愛中しかない。
それくらいのことで、いま関係性が壊れるようならば、
結婚して壊れるのは当然だから早い方がいい。

怖いし、不安もあるかもしれないが、避けては通れない道だと知ってほしい。


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信じることは難しい

2012-08-26 18:23:04 | 日記
人間関係において

信じることくらい難しいことはない

友人、親友、恋愛、伴侶・・・・。

あなたにとって

信じてると断言できる人間関係が

どれくらいあるだろうか?

ひとつかふたつでもあれば、上出来。

逆にそれ以上は望む必要もないでしょう。

離婚というひとつの事実にぶつかったときに

信じられなくなる対象はふたつ。

ひとつは、

生涯を共に誓った相手のこと。

そしてもうひとつある。

それは、自分自身。

自己価値観が崩壊し、

生きてきた意味を見失い、

絶望にあるとき、

相手もさることながら、

自分自身すらも信じることができなくなる。

なぜなら、ぜったいだと考えていたパートナーは

結婚を決めたときには信じることができないであろうくらいに

豹変してしまい、

自分を敵視し、嫌うこともあるだろう。

まるで無関心となることもあるだろう。

どうしてそんな相手を信じてしまったのか。

まして結婚してしまったのか。。。

自分の価値判断や、人を見る目というやつが未熟ゆえか?

そんなふうに、もう何も信じられない状態へとなる。

信じることは難しく、一度信じれなくなると

もう一度、自分自身や、

好きになった新しい相手を信じることができるように

なるのは、相当に難しいと言わざるをえない。

もう、相手の気持ちが二度と信じられない。

人間自体が信じられない。

自分自身の価値判断が信じられない。

そんな気持ちになることも多いはずだ。

だが、

ここでよく考えてみてほしい。

信じることは、たしかに難しい。

でも信じずに、前に進むことなどできるだろうか?

ここは、論理的に考えてもらいたい。

相手を、自分を信じずに、

信じたふりをしながら、これから先の人生を歩んだとして、

それでほんとうに幸せになれると、あなたは思うことができますか?

私にはどうしても、人を信じずに

まともな、イキイキとした人生を歩めるとは思えない。

たしかに再び、裏切られる可能性もあるし、

傷つくこともあるだろう。

だが、傷つくことを恐れ、裏切りを恐れ、

真の人生を生きることをあきらめるよりは、

再び、自分のことも、相手のことも信じて

生きていくほうが、よりよいような気がするがどうだろうか?

あなたがどちらを選んでも、それは自由だが、

いつもいうように、

あなた自身がどう生きたいか?



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人には3パターンあります

2012-08-22 01:00:00 | 日記
こんばんわ。

人には、3パターンあります。

相手の想いを感じ取れるかどうかという点についてです。

以前のあなたのパートナーはどんな人だったろうか?

そして、あなた自身はどうだったろうか?

一番いいのは、
心から相手のことを思いやれるひと。
時には、自分のことよりも相手のことを考えることができる人。

けして、相手に依存するとか、自分自身を生きていないのとは違う。

本当に自立して、心からやさしい人はそうなんです。

自分自身がしっかりあるけれど、
それと同等かそれ以上に、相手のことも考えることができる人。

そんな人間はけして人を裏切りはしない。

相手に間違いを犯す権利も与えるし、許すやさしさも持っている。

だから一緒にいても、お互いに楽にいることができる。
双方に相手の自由を認めながらも、相手への思いやりも欠かすことがなく、
自分と同じように相手のことも大切にしている。

これでうまくいかないはずがない。

2番目は、
ある程度は、相手のことを考えることができるひと。

多くの人が当てはまるし、
最近は自分中心の生き方も、本質を離れて流行っているから
多いのかもしれない。

でも、軸足は自分が主。

状況が自分にとって都合が良かったり、気分が良いときは
相手にもやさしくふるまえるし、思いやることもできる。

もしあなた自身がわりとしっかりしていても
こういう相手には心を許しやすい。

でも、こういうタイプの人は
自立していない。

人間としての成熟度が不足しているので、
本人も悪気はないし、気づいてもいないが、
いざというときは自分をとる。

そのときに、相手のことを思いやるゆとりはなくなる。

だからある意味で、利己主義な行動にでやすい。

そうしないと自分自身が守れないと思っているから。

でも、本当は1番目に紹介したような人こそが
自分を一番大切にしているし、
相手にも大切にされるのだということに
いつまでたっても気づけない。


3番目は、
全く相手のことが考えられないひと。

2番目と同じで、自分が軸足に見えるが、
こういうタイプの人は、
そもそも、軸足がない。

だから、興味のあること、その場の雰囲気、勢い

楽しいこと、自分にとって快適なところを好む。

つまり、

状況によってコロコロと変わる。

付き合ったり、結婚したては誰でも楽しいし、ウキウキする。

だから、上機嫌だし、一見すると、

自分に尽くしてくれるような感じもする。

だが、あくまで軸足がないから、

周囲の状況や、自分が追い込まれると

あっという間に変化していく。

それは相手からすれば、急変のようにも見える。

一番わかりやすい例は、

アルコール依存や、親への依存、また物への依存など

依存傾向が強い。

つまり、自分が楽な方へ常に動くのだ。

日常生活で見ていると、実は見抜きやすいものだが、
恋愛をしているとどうしても見落としてしまいやすい。

なんせ、そのときは一番楽しい相手でもあるのだ。
つまり、盛り上がりやすい。

見抜くポイントは、

その人がいう言葉や行動がどれくらい長続きしているか?である。
思いつきが多かったり、方針がコロコロと変化したり、
相手の言動によって動きやすい場合は注意。

2番目、3番目に共通していえるのは、
相手のことを本当に大切に考えることができる人は
軽率な言動や、行動はしない。
そのことが相手をどれだけ傷つけるかを知っているから。

だから、1番目のようなタイプの相手では、
距離が縮まるには多少の時間が必要だ。
逆にいうと、それくらいをしっかりと待つことができて、
相手との関係を大切にできるくらいでなければならない。

いうまでもなく、
2番目、3番目の人を避けられるように
あなた自身が成熟して、1番目のような人と関係ができるように
なってほしいと思う。
いつもいうように、
パートナーは自分の鏡やパズルのようだから、
似たもの同士、補うもの同士、正反対同士で近づきやすい。

自分が成熟していないと、成熟した人と付き合うことはできませんよ。




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あなたがどう生きたいか?それだけ

2012-08-20 20:42:21 | 日記
こんばんわ。

あなたは、今、どう生きたいか?

離婚を言い出す側も
言われた側も

あなたがどちらかはわからない。

でも、あなた自身はどう生きたいか?

それを覚悟してしているだろうか?

離婚は芸能人が、にこやかに記者会見しているのを

傍からみるほど、楽じゃない。

当人たちはもちろん、

その両親や、子供までを巻き込むのだ。

だから、言い出す側にはその全責任がある。

これは明確であり、

どんな言い訳も通じない。

それを覚悟して、自分の人生で背負い込むことを覚悟することだ。

ただし、言われた側も責任がある。

少なくとも、そういう相手と結婚を決意し実行した点において

最低限の責任があるし、

原因の主な点が言われた側にあり、倫理的な責任がある場合もあるだろう。

今や、離婚は世の中でふつうになり、

特別珍しくもない。

だが、辛い経験に違いないし、

多くの人間の人生を狂わせてきたことも事実。

だから、どちらも離婚を手段にしてはいけない。

現実の夫婦の課題や、嫁姑の問題から逃げるような手段にするのは

単に、逃げているだけにすぎない。

自分自身がどう生きたいか?

自分の人生をどうしたいか?

そこについて真剣に考えた結果、

先ほどの責任と覚悟を背負うくらいの意気込みがあれば

どちらにしてもいいだろう。

自分の人生は、自分の人生ではあるけれど、

結婚した以上、周囲の人生も巻き込んでいるということを

多くの人が忘れている。

あまりに利己主義に、離婚する権利を正当化しすぎる風潮には

私は反対です。

自分だけの人生を生きたいなら、

はじめから結婚などする必要もないし、するべきではない。

それなら、だれも文句は言わない。

少なくとも、パートナーとの人生を選んだ時点で

もはや自分だけの人生を選択している人とは

本質的に異なるのだから。

その点をよく考えてみる必要がある。

とはいえ、

いまできることは、

自分の人生をどう生きたいか?

その一点を真剣に考えてみてほしい。

自ずと、自分のするべき行動が見えてくるはずです。

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信じる以外にできない

2012-08-18 01:00:00 | 日記
あなたができることは

自分の人生を信じることだけです。

どんなに辛くても、絶望しても

それ以外にできることは何もない。

いや、それだけできれば生きていける。

でも、多くの人はそのことができない。

もちろん、わたしもそうでした。

それはなぜか??

絶望が足りてないから。

ほんとうに、人間が絶望したとき、

もはや自分すらも信じることができない。

しかし、ただ生きているという一点において

唯一救われる。

自分の人生を信じることしかできないのだという

普遍の事実に気づいて、

ほんとうに腹の底に落ちた時、

人は力強く立ち上がるのだ。

もう何ものにも動じない、強さを持ち、

真実の人生を歩み始める。

今日も、~ホワイトウルフの教え ハート出版~

から素敵な詩を贈ります。

==========
あなたは、もっと

自分の人生を

信じなくてはいけません。

しかしそれは、

良いと思われることだけを信じろ、

ということではありません。

好ましくないように見えることも含めて

人生そのものを信じなさい、

ということなのです。

自分の人生を信じない限り、

常に不安と心配が

消え去らないでしょう。



いずれにしても

起こることは起こるし、

起こらないことは

起こらないのだから、

起こるか起こらないかを心配したり

恐れたりするよりも、

今やるべきことをし、

何がどうなっても

そのとき適切に対応できるよう

準備しておけば

それでよろしい。
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いそがない

2012-08-16 01:00:00 | 日記
今日は、詩を紹介します。

離婚した直後、悲嘆にくれて動けなくなり。。。

少し元気が出てくると、

今度は猛烈に何かを捜し求め、動き出す。

そして、なかなか前に進めず、変化もなく、

成長できない自分にいらだち、

そして落胆する。

その過程で何度も挫折し、絶望し、あきらめかける。

それを日々、いや一日の中で、1時間ごとに繰り返すような日々。

それは誰もが経験する立ち直りへのプロセス。

そんなあなたへ、今日はこの詩を贈ります。

==========
急がない。

成長するのを急がない。

春が来て

草木の芽生えがあるように、

厳しい冬があるように、

すべてのものに

しかるべきペースと

プロセスがある。

その途中を

とばしたり、

はしょったり、

早めたりは、

誰もできない。

しかし自然は、決して

その営みを止めない。

必ず春が来る。

そして花も咲く。


~ホワイトウルフの教え~ ハート出版


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辛い時こそ、良質なものに触れてほしい

2012-08-14 01:00:00 | 日記
離婚して、

ほんとうに毎日が死ぬほどつらいとき、

どうしても何とか抜け出したい、救いがほしい

巷の安易なスピリチュアル本、自己啓発本も、

救いになります。

飛びつきます。

それはそれでしょうがない。

私もそうでした。

でも、どこかのタイミングで

気づいてほしい

そこには答えがないことを。

人生を本質的に立て直したいと思うあなたにとって

大切なことは

本物に触れること

そう、いい加減なものではなく、

良質の本、セミナー、人と接すること

少なくとも、私のブログで紹介する本は

安心いただいて大丈夫。

読んでもらえばその意味もわかると思います。

本との出会いはまさに人生が一変するほどのもの。

そして、本物の人との出会いは

やはりあなたに最高の気づきを提供する。

人生で大切なことは、

本物とどれだけ出逢えるか?

それこそが、あなたの人生を左右する。

でも、大切なことを伝えておかなければなりません。

それは、

あなた自身が良質かつ本質を目指していなければならない。

安易に、楽に、目の前だけを考えて

癒されたい、救われたい、助かりたい

そして、他罰的な考えのもとに生きている限りは、

本質とは出会えない。

いや、正確には出逢えていて、

きわめて、接近し、いや、接していても気づけない。

他罰的な人にとって大切かつ真実は、

自分を肯定のみしてくれる人だから

それ以外は、敵かつ、偽物に見える。

だからこそ、

あなた自身の気持ちや考えの状態で

本物を選び取れるか、偽物に依存してしまうかが決まる。

常に、あなた自身の心にフォーカスしてください。

あなたが本物と接するためには、

あなた自身が本当にそれを目指す必要があるのです。

それはけして楽な道ではなく、

険しく、辛い道でしょうが、

確実な道であり、真実であり、価値ある生き方です。
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知識は最低限のツールです

2012-08-12 01:11:11 | 日記
人生のなかで

学ぶことは大切です。

本でも、セミナーでも、人からでも。

なぜなら、

自分が人生で体験できることはわずかで、

その体験だけから学べることも結果的には限られています。

しかし、

多くの人の経験を知ることができれば、

より自分の人生に活かすことができるはず。

しかし、

勘違いしている人がいます。

知識があること

知っていること

それを論理的に扱うこと

そういうことに重きを置いている人たちです。

わたしたちは、人生を生き切ること、

自分の使命を果たすこと

それがこの世に生まれたときからの目的です。

であれば、そこに最大限、得られた知識を活用することが

一番の目的なはず。

知識を活用して、トライして、失敗して、また学ぶ。

そしてその繰り返しから体験して学んだときに

はじめて知識が、知恵に変わります。

だから知識はただのツールにすぎない。

たくさん知識があることがえらいのでも、かしこいのもない。

もちろん、学ぶことをしないことは、そのツールすらも持たないことだから

すでに論外です。

でも多くの人がそうであることは残念なことです。

そして、学んでも、自分で実践しなければ、やはり同じこと。

私はカウンセラーですから、

いろいろな思想や、スキルを学び、人にも話します。

でも自分がそれを実践せずに、

クライアントが私と接して、

話していることと違うなら、何の信憑性もないでしょう。

すべてが一致してはじめて、そのことに真実味があり、

自分もそれを目指してみようと思うはず。

そして、知識が知恵に変わり、人に影響を与えることができる。

だから、いつも自分の言動や態度、生き方に注意しています。

知識を得た上で、それを自分の生活、人生に反映していく。

そのことが一番大切なことです。

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本物の関係性は本物に触れないとわからない

2012-08-10 01:00:00 | 日記
人間関係において

どうしても表面的な関係しかできない人がいます。

というよりも、非常に多いのです。

深い人間関係というのは、

自分が裸になるくらいに内面をさらけ出さないとなれません。

自分自身を肯定していればそれができますが、

否定していたら、とても無理です。怖いですから。

そして相手にそれを否定されるのが恐怖になりますから。

偽物の、安いものしか見ていない人は

本物があっても、その価値がわかりません。

もちろん、だれでも疑って結婚はしません。

その都度、一生懸命に相手との関係を考えて結婚します。

おそらく多くの人がそうです。

でも、どうしてか離婚してしまう。。。

なぜか?

ただの錯覚だからです。

一時的な感情の起伏や、雰囲気・・・・。

そういうものに流されていて、本質が見えていないのです。

本物の人間関係は、

会った瞬間にお互いにわかります。

理屈ではなくそうです。

別に恋愛だけに限らず、男女問わず、そうなのです。

そしてそういう関係は、深いところで結びつくので、

不安や、恐れなどがありません。

まして、崩れることなどないのです。

どうしても本物の関係性が得られないのか?

それはあなた自身がそれにふさわしい状態にいないからです。

先ほども言いましたが、本物の相手は本物が見えます。

偽物は見えます。

だから本物でない人に近づきはしません。

自分自身を磨くことでしか本物への道などありません。

それがわかるのに、努力しないのだとしたら、

自分を磨くことができないとしたら、

そのままあなたの人間関係が変わることはないでしょう。


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かけひきする関係性

2012-08-08 01:00:00 | 日記
こんばんわ。

結婚生活がうまくいかないパターンのひとつとして、

お互いに依存関係にある場合、

つまり共依存 という関係があります。

どちらかが依存しているのならば、まだしも

お互いに依存している状態です。

依存している場合でわかりやすいのは、

相手の気をひこうとするのです。

しかも無意識にしているからどうしようもない。

わがままを言うとか

すねてみる くらいならかわいいものですが、

一見するとそれが依存によるものだと気づかないのです。

詳しくはアダルトチルドレン関連の書籍を参考にしてもらうと良くわかります。

自分自身で自分の存在価値が認めれていない、肯定できていないので、

相手の行動、言動によってそれを確認したい無意識が働きます。

本来は自分で自分を認めれていれば、そんな必要はないのですが。。。

もし相手が自分のことを肯定してくれないと、

当然のように相手を非難します。まさに他罰的な人はこの典型です。

そしてこれがお互いに、かけひきのような状態になります。

ですから、どこかきっちりした人間関係にならない。

上っ面の関係性にしかならないんですね。

どちらも成熟していないので、

まるで子供どおしのようです。

依存していない人間というのは、

相手の言動や行動に左右されません。

基準が自分自身にあるから、影響をうけません。

相手の良いところも悪いところも認めることができます。

そして相手の過ちを認めて、許すこともできます。

しかし、相手の承認が得たい依存の強いひとは、

自分を肯定してくれる人だけを認めます。

だから、叱られたり、注意されれば、当然嫌います。

嫌うどころか、憎悪にすらなります。

自分で自分のことを肯定できないということは

それぐらい根の深い大問題なんです。

じゃあ、どうしたらいいか?

難しいけれど簡単です。

自分自身の内面を徹底的に見つめることです。

逃げるのを今すぐやめる決意をして立ち向かうことです。

自分の内面の明るいところも、暗いところも認めることです。

それこそが大切な自分を知るということになるのです。
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どこまで自分の内面を見つめ続けられるか?

2012-08-04 20:24:17 | 日記
最近、思ったことがあります。

誰でも、どんな人でも、

後悔したり、苦しんだり、悩んだり、

記憶に残ってしまう嫌なことや、

いろいろなことがある。

そんなとき、

いつも言うように、

人生の課題から逃げて来たのか?

それとも、しっかり向き合って、苦しんできたのか?

その違いは大きいと思いました。

よく、今を認めようとか、

今、そのままでいいとか、

あなたはそのままで完全だとか

そんなお気楽なメッセージが

流行りの本やセミナーでは言われていますが、

もちろん、「言葉」としては正しいのだが、

本質を理解しておいてほしい。

今を肯定するには、

過去を肯定できなければならない。

なぜなら、今というこの瞬間は

過去の積み重ねなのであって、

いきなり、今この瞬間に存在しているわけではない。

同時に、今の積み重ねが未来である。

あたりまえのことだが。

人生の課題から逃げ続けてきた人が

どうして、幸せな未来が期待できようか?

それはあまりに自分勝手というものでしょう。

もちろん、過ちや反省はあって当然、

ない人などどこにもいない。

でも、どこかの時点で気づいて、修正し、

成長しなければ、その先にしあわせはない。

それは一時的な逃避であり、快楽でしかない。

離婚にもいろいろな原因がある。

相手が99%悪いかもしれない。

でも結婚したという事実は、二人の間でされたはず。

少なくとも、今の現代の日本では。

だから1%といえど責任はある。

だから、その1%をしっかり深く反省すればいい。

何も自分の価値観を崩したり、まして生きる価値がないと
思う必要などない。

でも、ちゃんと内省して進むこと。

その先にしか幸せな人生はやってこない。

いつもいうように、

一時的に逃避するのはしょうがない。

誰だって、逃げたしたい辛さがある。

でも必ず戻ると決意して、逃げること。



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信じても信じなくてもいい

2012-08-03 01:53:10 | 日記
こんばんわ。

あなたは自分の人生をどれくらい信じているだろうか?

唐突な質問ではあるが、とても大切なのです。

よく本や有名な人たちが、

自分の人生を信じようとか

人生に間違いはないとか

そういうようなことをいう。

言っている本人もさることながら、

あなたはどこまで信じているだろうか?

たいていはあまり信じていない。。。

いや、信じようとしても、信じきれない。。。

つまり、どうあがいても信じれないのだ。。。

でも安心してほしい、それがふつうだということ。

だが、ここで私が肝心なことを言おうと思う。

あなたが自分の人生を信じていても

信じていなくても。。。

いずれの場合でも、人生はなるようになるということ。

あなた生れることをコントロールできなかったように。

あなたが死ぬことをコントロールできなかったように。

人生をコントロールすることなどできない。

ある程度の努力で、アプローチや、わずかな方向転換は可能だが、

本質的には無理である。

だからこそ、

あなたは自分の人生を信じる方がいい。

だって、信じて心が穏やかならば、より恵まれた結果を手にするだろうから。

とても乱暴で、突き放したような言い方だけれども、

自分でどこかで信じて生き切るか、信じずに生きるかを決断したほうが懸命というものだ。

少なくとも

私は自分の人生を信じている。

あるべきところに在り、起こり得ることは必然であり、

自分に必要なことであると。

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