離婚に苦しむ人へ

今、苦しんでいるあなたに寄り添って。

予想外は常に起きている

2016-04-28 00:00:01 | 日記
私たちの日常生活を

ゆっくり、丁寧に見てみると

予想外、想定外、意外なことは

常に起きていることに気づけます。

天気予報では

雨の日に注目するあまりに、

晴れの日というのは、あまり記憶に残りません。

予想外のことでも

直接的に自分に関係ないことや、

どうでもよいことは

ほとんと記憶に残りませんが、

起きていないこととは違うとわかるはずです。

日常で、

急いでいる日や、遅れられない日に限って

電車が遅れたり、車が渋滞したり。

ずっと風邪なんかひいていないのに、

ここぞというときに、風邪で予定変更となったり。

今日は自分の予定していた仕事を片付けようとしていたら、

急な会議や来客、トラブルで一日潰れてしまったり。

とにかく、

日常生活ではとにかく予想外だらけです。

ただ私たちは、コントロールしているという感覚がほしいので、

そうでないと不安で人生など生きることがとても怖いので、

そういうことはあまり気にしないようにして、

まるで予想どおりにコントロールできているような

そんな感覚で自分をだましているのかもしれません。

いつも言うことですが、

予想外というのは悪いことだけでなく、良いことにも当てはまるはずで、

けして悲観的なことではありませんね。

予想外の出会いやお誘い、出来事は

たしかに大きなイベントは少ないかもしれませんが、

小さいことにも目を配るとけっこうあるものです。

ただそれは自分が期待していることでなかったり、

大して興味がなかったりするから、素通りしてしまいます。

大きな出来事だけに注目していたら、

人生は退屈になってしまうし、

まあだいたいはそんなに予想外にもならない。。というような。

身の回りに対して、感性を働かせて、

少しずつ現象を取り入れてみる、

そうすると、

苦しい、つらい悲観的な日常から

少しは肯定的な要素を見つけられるかもしれません。
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挑戦者を軽んじる

2016-04-25 00:00:01 | 日記
前回の記事で

モンベルの辰野さんのお話をしました。

辰野さんがもうひとつ、書いておられます。

それは日本には、挑戦者が育たないと。



何か結果が出れば、大騒ぎして

時代のスターとなりますが、

結果が出る前は、ほとんど話題にもなりません。

ノーベル賞を見ればすぐにわかります。

受賞しそうになれば、大騒ぎしますが、

それまでは全く話題にすらならない。

STAP細胞の小保方さんのときもそうです。

上司の自殺まで周囲やマスコミが追い込んでいる。

それなのに、そのことは完全にほったらかしてしまった。

結果的には、つい先日、海外の研究者が小保方さんと同じ方法で

STAP細胞を証明しました。

論文作成など、たしかに問題はたくさんあるから仕方ない面はありますが、

それでも完全に集団リンチ状態で、本質からずれて、社会的に抹殺していく風潮。

新しいことに挑戦すれば、当然失敗することの方が多いし、

完璧にもいかない。欠点や弱点を言えば、いくらでも突くことは可能でしょう。

失敗すれば、準備が足りないとか、浅はかだとか、能力もないのに・・・と。

そして最後は自殺したり、ボロボロになるまで精神的に追い込んでいくようなことをする。

だから、日本社会では、昔から村八分という言葉があるように、

集団にいるしかない、和を大切にするというよりも、和を乱したら、自分が抹殺されてしまう不安がある。

だから、人と同じ人生、同じ行動、同じようにしか生きることもできない。

離婚も同じような風潮があります。

昔ほどではないけれども、まだまだ日本では後ろめたい気持ちが残ります。

結婚という挑戦をしたのにです。

そこへ一歩を踏み出したことがすごいことではないでしょうか。

結果的には、継続はしなかったかもしれませんが、

世間の目や立場などにおびえて、夫婦や家族として機能していないのに、

形だけの結婚生活をしている人がどれだけ多くいるでしょうか。

望もうが、望まなくても、離婚も新しい人生への挑戦じゃないですか。

これがどれだけ、苦しく、悲しく、虚しく、辛く、厳しいことなのか知っているあなたなら、

人生に、生きることに、未来への挑戦だと明確に断言できるのではないでしょうか。

ひとりで子供を育てていくことだって、相当な挑戦です。

自分の枠内の安定領域だけで生きている人よりも

数十倍もの努力と挑戦を日々続けているのです。

周囲があなたをどんな目で見たり、言っても

そんな周囲よりも、強く、必死に、全力で生きていることは間違いないのです。

枠から飛び出して、挑戦しないなら失敗もしません。

だけど、そんなの人生じゃあありません。

人生に挑戦していく。

受け身だと苦しい、余計にしんどい。

苦しいし、辛いし、ボロボロだし、お金もないし、将来も見えないし、

どうしていいかわからない、

けれど、挑戦していく気持ち。

これだけは他人がどうこうできない。

自分の心の底から湧き出てくる力。

その力が湧き出てくるまでは、ゆっくり悲しんでいい。待っていい。

立ち止まっていい。

その時間が絶対に必要。

そして自分の奥底に挑戦のともしびが見えたら、

大切にして、しっかり大きな火にしていこう。

それまでは、ゆっくりと、ゆっくりとで大丈夫。

みんなそうだから。




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今しかないと思ったら

2016-04-23 00:00:01 | 日記
先日、ある本を読みました。

「モンベル7つの決断」辰野勇

モンベル mont・bell  良く見かけるアウトドアメーカーです。

この辰野さんは、すでに会長ですが創始者で
若いころには、日本でもトップレベルのクライマーで、
28歳で起業して会社を作ったのです。

日本のアウトドアや登山学校などの先駆けであり、
日本のアウトドアブランドとしても先駆者です。

前置きはこの辺にして、

気付いたことと、良いことが書いてあったので共有したいと思います。

常々そう思ってますが、
この本で、辰野さんが28歳で資本金ゼロで会社を設立したときの想いを書いています。

親から200万借りて、通帳残高を見せて、役所で登記して、すぐに引き出して親に返したという話。

つまり実際の資本金はゼロ円。

当然28歳の若者にお金を貸してくれる当てもない。

お金はあとで貯めればなんとかなる。
でも、時間とタイミングは、後悔しても取り返せない。
だから無理してでも、このタイミングで起業したのだと。


いつも私が言うことでもありますが、

自分の人生の残り時間など誰にもわからない。

たしかに、ローンや、子供の教育、子育て、会社の立場・・・

たくさんの制約はあります。

多額の借金をしてでもという話でもない。

けれど、今の自分にできること、今しかできないと感じていること

それを今せずには、後悔するはず。

離婚した今だからこそ、

いずれ再婚するにしても、一人の今だからこそです。

もちろん、子育て中の方もいるでしょう、

離婚して生活がギリギリな方も多いでしょう。

だいぶ以前にも書いてますが、離婚当時、

私は引っ越すお金すらないくらいで、弟に借りました。

引っ越しやさんもつかえず、友人に軽トラで運んでもらいました。

大手企業の管理職でありながら、調停や弁護士費用、そもそも子供が生れたばかり、

引っ越したばかりの離婚でしたので、お金が底をついてました。

それでも、通信教育で心理学を学びはじめ、コーチングを学びはじめました。

もうギリギリの生活。月末の請求書が恐ろしいときを過ごしました。

でも、生き延びた。

そしてあの時、はじめたからこそ、今のカウンセラーである私がいると感じています。

自分に最大限の投資をしたのです。

人と比較する必要はありません。

あなたがしたいこと、やりたいこと、

今しなければ後悔するだろうことを

全力で向かいましょう。

このことの本質は、

今を生きるということです。

もちろん、リスク管理は必要ですが、

その上で、最大限生きてやる。

きっと自分が後から今を思い返したときに

後悔のない人生の道となるはず。

次回は、このモンベルの本からもうひとつご紹介します。


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今日が人生のはじまり

2016-04-20 00:00:01 | 日記
たしかに

私たちは、人生を長いこと歩んできました。

過去を振り返ると

ほんとうにたくさんのことがありました。

だからといって

その人生を再び歩み直すことはできない。

なんとも当たり前だけれども

厳然たる強いインパクト。

苦悩にあるとき

将来が不安でこわくて、どうしようもない。

結婚していたらいたで心配がなくなるわけではない。

愛するパートナーの健康や、子供の成長

会社での将来や収入、家のローン

親の介護・・・

悩みや心配の方向性が違うだけで

不安はなくなることはない。

離婚して独りになったとき、

不安は自分に向けられる。

だが、いくら不安になっても、

何をしても、方向性がかわるだけで永遠になくなるなんてことはない。

ただ少しでもこの苦しみが和らげばと思う。

少しでも毎日に幸せを感じられればと思う。

よく考えてみると、

今日は人生のスタート日である。

過去が戻らないことを冷静に受け止めれば、

今日の朝が、いつでもスタートの日。

ここから前には人生があるが、後ろにはない。

苦悩しながら、ただ一日をやりすごしても

全力で幸せを感じられても、

結局、自分で生きることのできる人生の日めくりカレンダーは

一日、一日と減っていく。

終末期のように、余命を宣告はされていないから、

なんとなくまだだいぶ日数が残されているように感じるのだが、

余命は減っていることに間違いはない。

病気という形ですぐに余命がわかるわけではないが、

あと何日生きることができるのかはわからない。

今日が人生のはじまり。

どう生きてもあなたの自由だ。

生きられる日数は限られている。

たとえ昨日までは、自己嫌悪に陥るようなことばかりで

不安や苦悩の毎日でも、

今日から人生が始まるのだと考えれば、

そんなの関係ないのだ。

だって、今日生まれたての人生を歩むと考えてみれば。

たしかに現実的には過去からの引き継ぎ事項もある。

簡単にはそうも思えない。

だけど、それ以外の部分では今日からスタートする。

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流されてよいこともある

2016-04-17 00:01:01 | 日記
先日書いた流されるということ、

よいこともたくさんあるのです。

先日書いたように

私は中学高校生のときから

理系科目が得意で、大学では当然のように理系を目指し、

将来は研究者になろうと努力しました。

大学院にも進学して、

憧れの企業で研究者となりました。

たしかに、離婚は苦しく、悲しく、

良かったとは思いませんが、

結果的には、

心理学を学び、コーチングを学び、

グリーフケアを学び、そしてカウンセラーになるという

想像もできないような人生を歩むことになるわけです。

これは、自分の意志といえばそうもなりますが、

少なくとも、離婚前までの主体性とは異なります。

離婚前までは、

ある意味で自分の希望、自分の望みを目指しての行動で

選択です。

そしてそこから目指すものは、やはりその延長線にあるわけです。

なかなかレールから外れることは自分の意志では難しい。

そこで、大きなライフイベントに襲われたことで、

ある意味で、自分が立ち直り、再び人生に意味を見出すために

その過程で、自然に流されていったところが現在なわけです。

つまり、流されることがなければ、こうはなっていないことは明確です。

流されるなかで、たしかに自分で考えたり、意思決定した部分はありますが、

どちらかというと、この方向へ流れているという感覚を大切にして

選択しているのです。

そうすると、自然と心理系への大学入学への道が開かえれたり、

カウンセラーへの道が開かれる。そこに気付いていく。

ひとつの扉が開かれると、また関連した扉が開いていく。

もちろん、閉じていくものもある。

流れを感じて、自分で選択しているという感覚すら曖昧な状況で

そこに流れていく。

けして悪いことではなく、

予期しない新しい可能性へと導かれていくという楽しみも感じていく。

流されるということと、感じることはセットかもしれない。

少なくとも、考えること、思考することは流されるプロセスでは

あまりうまく働かないようにも思われるのです。

苦しいなかで、あなたの流れを感じてみてください。

明確なものではないでしょう、それでも、もやっとした感覚で

流れを感じてみましょう。
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流され、流されていく

2016-04-15 00:00:01 | 日記
いつもプロセスを大事にすることを

お話ししていますが、

それと同時に、流されていくことの大切さも

お伝えしていると思います。

流されると聞くと、

一般的には、意志が弱かったり、主体性がないような

あまり良い意味には使われないかもしれませんが、

私がいう「流される」は、主体的に選択した結果として

自分の意志で「流される」ということです。

いつもいうことですが、

努力をしないことでもないし、

悪あがきをしないことでもないし、

とにかく、できることはすべてやってみて、

それが正解か不正解かもわからなくてもやってみて、

そのうえで天命に任せるようなことです。

ある意味で、あなたが主体的に「流される」と決めなくても、

結局できることは、それ以上はなく、

コントロールできないことです。

ただ大きく違うのは、

単に「流されている」というのと、

「流される」ことを自己決断しているのは意味が違いますよね。

ただ、そこまでは

とにかく、自分で納得できるレベルまでやらないと難しいかもしれません。

人生がどこへ向かうのか、

自分はどこに流されていくのか、

この先への不安や恐れ、

様々なものがあるけれども、

その一方では、

先日も書いたように、

まるで思いもしないような職業についたり、

まるで想像できないような環境にいることも

あるわけです。

あなたが「流される」ことをどうとらえるか、

そこが一番大切かもしれません。
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最近で一番すごい人

2016-04-12 00:00:01 | 日記
今日は、ちょっと普段の人生論?とは少しだけ離れて、

私が最近お会いした方で、なんともすごい人の話をします。

苦しみや、悲しみにあるとき、

どうしても、ある方向性だけに話題は偏り、思考も偏ります。

しょうがないんです。

緊急事態ですから。

ただ、他人からの強制的な情報でも、

多少違う話題というものを入れることで

また新しい気付きがあるものです。

日常の苦しみを離れて、今日は少し違う世界を感じたり、見てみてください。

もちろん、望まなければ、読む必要はありませんよ。

興味があれば読んでみてください。

さて、本題。


南谷真鈴(みなみや まりん)さんという女性です。

グーグルで調べればすぐに出てきますから、

興味があれば写真も含めてみてみてください。

登山をしない人は聞いたこともないでしょう。

私も実は知りませんでしが、登山が趣味なので、

ふとしたきっかけでトークショーに出かけました。

19歳の早稲田大学1年生の女性です。

ご両親のお仕事の関係で香港やらマレーシアやらを渡り歩いてきた帰国子女。

英語、中国語、日本語を話します。

そのあたりまではよくあること。

ただここからです。

世界の7大陸最高峰の登頂記録へと進んでいるのです。

マナスル8000m峰登頂を日本最年少、世界女性最年少記録更新というレベルで達成。

ちなみにご存じ、富士山は4000mありません。

7大陸制覇まで、あとエベレストを残すのみ。

そしてすでに南極点への到達を達成していて、

エベレスト登頂、その後に北極点到達を制覇すると、

世界女性最年少 グランドスラム達成という偉業を成そうという方です。

大学の学生寮で生活しながら、ご自身でスポンサー企業を探してのエベレスト挑戦です。

ご両親からの資金援助もなし。完全に自立、自己責任でやってるのです。

ちなみに、すでにネパール入りしていて、予定どおりならば5月中旬に登頂成功の偉業が

報道されるはず。無事に成功されるのを祈っています。

週5日の厳しいトレーニングをしての挑戦です。

ただそんな彼女も数年前には八ヶ岳でニュースにもなっているのですが、

高校生のときに、200mを滑落して、奇跡的に命が助かった経験をしています。

ふつうは死んでるレベルの滑落です。

ふつうに聞くと、もうその時点で、登山やめるか、リスクあるものはしなくなるのが凡人。

ただ彼女はそこから、7大陸制覇へ歩みだしています。自分の目標だからです。

ちなみに、最近エベレスト関連の映画が2本ありました。

エベレスト3Dと、エベレスト神々の山嶺では阿部寛さんと、岡田さん。

いずれも見た人はわかりますが、

他の山とは圧倒的にレベルが違うところです。

8000mを超えると、酸素ボンベなしではほぼ呼吸できません。

そして、脳や肺、心臓にものすごい負荷がかかり、

一流の登山家といえど、高所病で命を落とします。

そしてひとたび天候が崩れれば、マイナス70度の世界、

人が生存できる確率は限りなく低くなっていく。

エベレストで8400mを超えたあたりは、デスゾーンと呼ばれ、

人にとって、死が必然であって、生が偶然のような領域で

頂上はさらに上にあります。

8000m以上では遺体の回収が不可能かつ、細菌すら繁殖しないので、

ミイラ化してそのまま、現在もたくさんの登山家が埋もれているそうです。

世界トップレベルのクライマーが命を落としています。

我々には想像できない世界です。

最近では、栗城さんが凍傷で9本の指を切断していて、

たとえ登頂できても、下山できなかったり、命はあっても凍傷などで五体満足な保証はない。

つまり、もう別格なところですし、

そのことを一番知っているにも関わらず、挑戦できてしまう。

このことに驚くしかありません。

そして、普段の写真を見るとわかるでしょうが、ふつうのかわいい、きっと人気のある女子大生ですが

圧倒的な強さと自立があるのです。

自己責任でそこに飛び込む。

人が自分の人生を生きるとは、このようなことだと感じました。

他人のルートではなく、自分自身の人生を生きるということを

ふつうにしている方です。

もはや世界最高峰のエベレストへの挑戦は、無鉄砲やら、無知やらのレベルとは違います。

そして、これまでの実績やトレーニングを知れば、

当然の挑戦かもしれません。

30キロのウエイトを背負って、ランニングマシーンで走るのですから

ふつうのレベルのトレーニングではない。

同じ時間を生きていながら、ここまで挑戦できる人と、そして命をかけてやり遂げようという意志と、

なんとなく、会社に行き、家族と過ごして、安泰、安定な人生を歩みたい人と

何が違うのか、どれが正しいのか、いろいろ考えます。

ただ、彼女の話を聞いて、挑戦を知って、思ったことは、

人はいつか死ぬから、粗末にはしてはいけないけれども、

人並み、コピーしたような人生を送ることには意味がない。

それは自分の人生とはいえないし、きっと後悔する。そんな感じがしています。

離婚することだって、それを乗り越えることだって、

登山ではないけれども、人生の大きな山です、

それを登りきっていく、大変だけど、強さになる。

そう思います。

最後に、真鈴さんが、元気に素敵な笑顔で世界記録をひっさげて帰国する日を楽しみにしています。

そして、仮にうまくいかなくても、元気に戻ってきてほしいなと思います。



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人って強くない

2016-04-10 00:00:01 | 日記
最近、立て続けに、

ASKAやら、清原と覚せい剤で逮捕されました。

少し前には、酒井法子さんや、田代まさしさんも。

そのことを肯定はしません。

ただ、

あなたはどう感じましたか?

私は、やっぱり人って、強くないよなぁ。。。って思いました。

その道で成功している人たち。

偶然だけで成功できるようなレベルではない人たち。

人一倍努力して、がんばって、耐えてきた人たち。

理由や背景はいろいろでしょうが、

人ってそこまで強くない。

自分が越えられないような課題、苦しみにぶつかったときに、

ふと魔がさすというか、深みにはまる。

誰でもそういうリスクがあるけれども、

テレビでは、まあ倫理上もあるでしょうが、

まるで自分たちには考えられないとでも言いたい風潮でコメントする人が多いけれども、

みんな隣り合わせだと気付いていない。

人生って簡単じゃない。

だから、60歳でも70歳でも自殺する人がたくさんいる。

人ってそんなに強い存在じゃなくて、

誰しも、限界に達すると、

もう自己崩壊もいいところで、ボロボロになって、

そこに多少お金があると、覚せい剤かもしれないし、

お金がないと、アルコールかもしれない。

今までは理性で抑制してきたかもしれないけれど、

抑制できないレベルのストレスがかかると、

盗撮してみたりする。

別にもともとおかしな人なんじゃなくて、

誰でも内在的には、いろいろあるけれども、

理性で抑えているけれども、

誰でも、いつでも自己破滅的な状態になることはありうる。

もう一度言いますが、

犯罪を肯定するわけではありません。

ただ、

あなたが今どれだけの状況にあろうとも、

絶対的な苦悩のなかで、理性を保っていられる人など

そうはいないということ。

ほんとうにぎりぎりで理性を保っているはずです。

逆にいえば、理性を楽々に、余裕で保てるレベルなら、

絶望的ではないともいえるかもしれません。

自己破滅的になるレベルだからこそ、絶望的ともいえる。

だから、自分が弱いとか、人間的に未熟だとか、

そんなこと思う必要はないのです。

耐えられる人なんてそういない。

人間っていうのは、そういうものなんだということ。
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自分がわからない

2016-04-08 00:00:01 | 日記
他人の気持ちなんてわからない・・・

そういわれることはよくあります。

そして、

自分の気持ちもわからない。。。

気持ちどころか、

自分という存在がわからなくなる、

普段、幸せなときというのは、

そんなことを考えなくてもいいし、

ある程度、自分の存在を大切に思ってくれている

パートナーとともに過ごすわけだから

あまり深くシビアに考えなくても問題ない。

ただ・・・・

大切な存在から切り離されて、

そして孤独を強く感じているとき、

苦しんで、悲しみに暮れるとき、

そして将来への不安を感じて、

現在の立ち位置すらもわからないとき、

自分の存在があやふやだということに気付く。

自分とはこういう人間だとか、性格だとか、

そういうことを理解しているつもりだったとしても、

どうにもならないくらい、

あやふやだということに気付く。

本当の自分とは、もしかするとこうなのではないか・・・

もしかすると自分が思っている自分は偽物で、

本来はこうなのではないか・・・

苦悩にあるときには、

感覚のずれも引き起こしやすいから、

周囲に対する態度や、行動、

いろいろなところで、

本来の元気な自分なら理性が働いてしないようなことでも、

ふと失敗したと感じるような行動をしてしまいがち。

そうなると、もう自己が崩壊していく。

自分が自分だと思っていたものは何だったのか、

これが自分の本性なのか・・・

どうにもならない。

ただ、これは、あなただけのことではなくて、

人間とはそういう存在だということなのであって、

特別おかしいわけでもない。

だから心理学では、自己や自我、無意識といった領域に対して

様々な理論も考察もあるのだ。

すぐに、どうにもなるわけではないけれども、

人ってそういうものなんだと知るところからはじまる。

自分のことをわかっている人なんてそういるわけもない。

それでいいのです。

まして苦悩にあるとき、

その感覚がより増幅されてしまうのは仕方ない。

いかに自分という存在が

周囲からの目や規定のなかで、役割を得ているのか、

存在しているのかということに気付く。

気付くことは悪いことではない。

そして生きていく限りにおいて、

他人と関わらず、単独で存在はできないわけだから

いろいろな自分があっていいのだ。

それこそが自分だということ。


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やりたいことをする

2016-04-05 00:00:01 | 日記
自分の人生を振り返ることがあるでしょうか。

過去を見ないというのは、時に正しく、

時に間違いにもなる。

過去のとらえ方こそが重要なのだ。

過去は少なくとも、自分の人生であり、

決断の結果である。

20歳を迎えたとき、

30歳が想像できただろうか、

40歳が想像できただろうか。

近い3年後の姿すら想像できていなかったと

痛感する。

その場、その場で必死に答えを探して、

目の前のことに全力で向かい、

やりたい趣味に没頭したり、

彼女と楽しい時間を過ごしたり、

ふとしたことで、

大学院まで行ってみたり、

順当に会社に入り、

そして、結婚して、子供もできて、

それでも一瞬にして失う。

誰が調停で裁判所に立つ自分を想像できたろう。

耐えて、もがいて、耐え抜いて

カウンセラーにもなった。

バリバリの理系研究者として、

そのトップを目指してがんばっていた自分が

カウンセラーになるなどとは、

少なくとも20代では頭の片隅にもなかった。

そんな職業すら知らないし、会ったこともない。

一年、一年、必死に生きて、

全力で考えて、行動して、苦しんでもきた。

だが、、、

自分の人生を無駄にしたと思うような時間の過ごし方はしていないと

断言できる。

幸せなときも、苦悩のときも、

常に、自分史上で最大限の生き方をしてきた。

もう一度、過去のある時点に戻っても、

そう大きくは違わないと思う。

今の状況、状態は結果であって、単なる事実なのだ。

だから、自分を否定するような要素というものは、

ゼロとは言わないけれども、限りなく少ない。

妥協せず、常に全力で駆け抜けてきたのだから、

これ以上はできないのだと、自分でわかる。

という私も、失意のどん底で、怒り、恨み、悲しみ、罪悪感、孤独、虚しさ、

ありとあらゆる感情に苦しんできた。

ただし、数年、5年もたってくると、

そのすべてが真実というわけでもないということに

気づいてくる。

だから大丈夫。

今を全力で、自分でできるだけのことをしていれば、

その事実が積み重なったものを、

将来見ることができる。

たとえ、寝込んでいても、仕事にならなくても、

それはそれで、今全力であなたはがんばっている。

生きているだけで十分、

生きていれば、過去の自分の人生を振り返ることができる。

そして元気になったら、未来を創造することもできる。

何もできなくてもしょうがない。

それだけ苦しいんだから。

誰も理解してくれなくても、

経験した人はみんな知っている。

あなたがどれだけ苦しんでいるのか。

そして、もうひとつ知っている。

時間は人それぞれだが、

この苦しみには出口があることも知っている。

そして、自分の人生がまったく予想もできないような

展開をしていくことも知っている。

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思考をとめる

2016-04-02 00:00:01 | 日記
私たちは

朝起きてから、一日ずっと、あれこれ考えている。

幸せなときは、

その時々で、楽しいとか、幸せだとか、

そんな感覚重視の状況もけっこうあるものだが、

苦しいときは、

その感情を好まないから、

とにかく、あーだ、こーだといろいろと考える。

その思考を止めてしまいたくても、

無視したくても

どうにもなりませんよね。

思考なんてコントロールできない。

ただ、おもしろいことに

人っていうのは、

同時に二つのことは考えられない。

だからもう、何かに集中していく。

私はDVDで映画の中に入っていく。

本を読むのだと、どうしても途中で思考がじゃまする。

勉強だって、ふと気づけば、ぼうっとして思考しちゃっている。

だから、もう考える時間などないように、

DVDの世界に入り込んでいく。

そうすると、少しの時間だけは思考が止まっている。

正確には、止まっていることに気づかない。

これがなぜかテレビだとうまくいかない。

DVDのようにぎゅっと凝縮された感じが良いのかもしれない。

もちろん、人それぞれだが、

自分なりにどうしたら、考えることを中断できるのが探してみてほしい。

苦しいとき、

あまりに色々と思考が動きすぎて、

ほんとうに疲れてしまう。

一日でちょっとだけでもいいから

頭を解放してあげてほしい。

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