このブログでは、
プロセスや流れという概念を書いてきました。
苦しみ抜いた当時も、今でも
一貫して私のなかで大切な思想です。
もちろん、どんなときでも、どんな状況でも
そんな綺麗ごとのように、プロセスや流れを意識できたり
身を任せられるなんてことはなくて、
都度、脱線したり、もがいたりもします。
それでも、やはりこのプロセスや流れというものを思い出し、
最後には、任せるのです。
はじめからできたら、ヨガ行者や修行僧のようで良いのかもしれませんが、
なかなかそんなふうにはいきません。
世の中のビジネス書や自己啓発本では、決断というと
なんだかかっこよく、積極的でかつ、能動的に書いてあるものがあります。
でも、私自身は、決断も流れのなかのひとつとしてとらえています。
いくつかの選択肢があったり、方向性があって、
あれこれ考えて、合理的に、効率的に選択して、決断したとしても、
実際には、大きなプロセスの流れの一コマにしかすぎず、
自分がその決断に至ったことすらも、プロセスであると考えているのです。
昔聞いたことがあるかもしれませんが、
「何をやっても、お釈迦様の手の平の上」というような表現がありますが、
自分の行動や決断すらも、所詮はプロセスの一部だと思うのです。
そこで、よりプロセスを意識することができれば、一番自然な流れに乗ることができるように思うのです。
川の上流に、川の流れに逆行して、舟をこぐことはできません。
一時的、少しはできるでしょうが、長くは続きません。
川が下流から上流へ流れるなんてことはありません。
物は上から下に落ちます。逆はありません。
上が良くて、下が悪いとかではなくて、
物事は流れに沿って、向かうべき方向に向かう。
とてもシンプルなことなのです。
これはあきらめるとか、何をしてもいいという解釈ではなくて、
努力すること、もがくこと、怒ること、さぼること、
あがくこと、悲しむこと、喜ぶこと
全部がプロセスの流れの一部だと思えると、
少しだけ気持ちが楽になりませんか。
苦しみのなかで、離婚の前後で、とにかく自分でなんとかしなければと頑張る、
もがいたり、押したり、引いたりしてみる。
それって、自分の判断、行動、決断で何とかできるはず、したい、
そんな気持ちからです。私だって同じようにしました。
でも、ほんとうは全部プロセスの一部、流れ、向かうべき方向へ向かう。
もし復縁したならばそれも流れの一部なのでしょう。
このブログの読者ならわかるように、結局はどうにもできないことの方が多いし、
いつも言う通り、他人はコントロールできないし、するものでもない。
責任をもてるのは、誰もが、自分の人生だけです。
親でも子どもでも例外はなく、すべての人が自分の人生だけ生きることができるのです。
人生の流れはわかりません。
だから確実な今だけに集中するのです。
一日一生 とは、そういうことでないのかなと思うのです。
明日のことは、明日の自分に任せて、
明日の悩みは、きっと明日の自分がなんとかします。
今日のあなたが明日の自分の分まで苦しまなくていい。
今日は今日の自分が精一杯生きて、明日の自分に引きつぐのです。
この梅雨どき、気分も晴れないことも多いでしょうが、
今日の自分を大切にしてあげてほしいと思います。
それができるのは、あなた自身だけなので。
プロセスや流れという概念を書いてきました。
苦しみ抜いた当時も、今でも
一貫して私のなかで大切な思想です。
もちろん、どんなときでも、どんな状況でも
そんな綺麗ごとのように、プロセスや流れを意識できたり
身を任せられるなんてことはなくて、
都度、脱線したり、もがいたりもします。
それでも、やはりこのプロセスや流れというものを思い出し、
最後には、任せるのです。
はじめからできたら、ヨガ行者や修行僧のようで良いのかもしれませんが、
なかなかそんなふうにはいきません。
世の中のビジネス書や自己啓発本では、決断というと
なんだかかっこよく、積極的でかつ、能動的に書いてあるものがあります。
でも、私自身は、決断も流れのなかのひとつとしてとらえています。
いくつかの選択肢があったり、方向性があって、
あれこれ考えて、合理的に、効率的に選択して、決断したとしても、
実際には、大きなプロセスの流れの一コマにしかすぎず、
自分がその決断に至ったことすらも、プロセスであると考えているのです。
昔聞いたことがあるかもしれませんが、
「何をやっても、お釈迦様の手の平の上」というような表現がありますが、
自分の行動や決断すらも、所詮はプロセスの一部だと思うのです。
そこで、よりプロセスを意識することができれば、一番自然な流れに乗ることができるように思うのです。
川の上流に、川の流れに逆行して、舟をこぐことはできません。
一時的、少しはできるでしょうが、長くは続きません。
川が下流から上流へ流れるなんてことはありません。
物は上から下に落ちます。逆はありません。
上が良くて、下が悪いとかではなくて、
物事は流れに沿って、向かうべき方向に向かう。
とてもシンプルなことなのです。
これはあきらめるとか、何をしてもいいという解釈ではなくて、
努力すること、もがくこと、怒ること、さぼること、
あがくこと、悲しむこと、喜ぶこと
全部がプロセスの流れの一部だと思えると、
少しだけ気持ちが楽になりませんか。
苦しみのなかで、離婚の前後で、とにかく自分でなんとかしなければと頑張る、
もがいたり、押したり、引いたりしてみる。
それって、自分の判断、行動、決断で何とかできるはず、したい、
そんな気持ちからです。私だって同じようにしました。
でも、ほんとうは全部プロセスの一部、流れ、向かうべき方向へ向かう。
もし復縁したならばそれも流れの一部なのでしょう。
このブログの読者ならわかるように、結局はどうにもできないことの方が多いし、
いつも言う通り、他人はコントロールできないし、するものでもない。
責任をもてるのは、誰もが、自分の人生だけです。
親でも子どもでも例外はなく、すべての人が自分の人生だけ生きることができるのです。
人生の流れはわかりません。
だから確実な今だけに集中するのです。
一日一生 とは、そういうことでないのかなと思うのです。
明日のことは、明日の自分に任せて、
明日の悩みは、きっと明日の自分がなんとかします。
今日のあなたが明日の自分の分まで苦しまなくていい。
今日は今日の自分が精一杯生きて、明日の自分に引きつぐのです。
この梅雨どき、気分も晴れないことも多いでしょうが、
今日の自分を大切にしてあげてほしいと思います。
それができるのは、あなた自身だけなので。