離婚に苦しむ人へ

今、苦しんでいるあなたに寄り添って。

自分を大切にすることのむずかしさ

2013-06-30 00:01:00 | 日記
こんばんわ。

これまで、

「自分自身で自分を大切にしてください」

「自分自身をいたわってほしい」

そんなメッセージを伝えてきました。

でも、多くの方がそのことはとても難しいと感じているのではないでしょうか。

というのも、

そもそも、

自分に対して、甘やかしている人は、

離婚という一大事においても

そんなに苦しくないので、

このブログを読んでくださる方は、

自分に対して、厳しい目で見るからこそ、

後悔や、虚しさ、相手への怒りもあるのではないでしょうか。

はじめに書いた

「自分自身をいたわる」

これは言葉ほど簡単なことではないのです。

多くの方がこのことができずに悩んでいるというのが事実です。

また自分のことは自分で一番よくわかっているというのも

実は大きな誤解があるのです。

周囲の近い人から、「ほめられる」ことありますね。

でも、自分自身では「そうかな。。。」という感じ。

自分の自己イメージと他人からのイメージが一致していないわけです。

そして、どうしても自分に厳しい人は

自己イメージを優先してしまう。

でも冷静に考えてみると、どちらも正しい。

人は裏表があり、物事もそうです。

どちらもあっていいし、白黒つける問題でもない。

それから、もうひとつ。

自己イメージはとても大切だということです。

今、世の中にある自己啓発と呼ばれるジャンルでも

心理学的にも、このイメージはとても大切なのです。

自己イメージが否定的で、批判的である限り、

物事が好転する可能性は極めて低いと言われています。

何もポジティブで在り続けることが必要なのではなく、

またそれは無理ですが、

日々の生活の中で、自分を肯定的に見ていくことが大切なのです。

これはもちろんこれまでの経験が左右していますが、

自分の努力しかないともいえるのです。

良いことがない習慣を続ける意味を見出すことができるなら、

それでも良いのですが。。。。

意味がないことだとわかれば、止められるということです。

このスキームは、認知行動療法という最新の心理療法、
日本で唯一の保険が適用される心理療法において

自分に良い影響を与えない、いわゆる思い込みに近い自動思考を

矯正する手法としても確立されています。

自分にとっての良いイメージ、肯定的なイメージ。

そして、自分にとっての否定的なイメージ、批判的なイメージ。

それぞれ書き出して、眺めてみましょう。

「私は、とても性格がこまかい」

これは否定的に見えますが、視点を変えれば、

「とても性格が細やかで、敏感であり、丁寧」

そうも言えます。

「私は、なかなか新しいことができない、はじめられない」

これも、

「物事を勢いではなく、よく吟味してする性格」
「そういうあなたが始めることなら、周囲は信頼できる」

など肯定的に受け取れるのです。

この方法を「リフレーミング」といいます。

自分の否定的イメージを肯定的イメージに言い換えてみてください。

これを毎日、唱えるのです。

自己イメージは、成功体験があれば一番良いのですが、

繰り返し繰り返し、自分に刷り込むことも有効です。

もちろん、これまで生きてきたなかで育った否定的イメージは、

数日くらいでは変えられない。

半年から一年かけるくらいの気合が要りますが、

その否定的イメージが、あなたの人生において良い方向へ導かないなら

何としても、変えていきたいところです。

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表面的すぎる

2013-06-29 00:19:21 | 日記
こんばんわ。

最近、テレビを見ていて思うのは、

あまりに世の中が表面的な事柄だけを扱うことです。

政治家が何かを言えば、すぐにテレビや世間が追い詰めて、

○○女子というように、安易なネーミングをつける。

婚活から離活・・・。

なんだか、広告会社の戦略のままに世の中が動かされている。

我々もその多くの情報の中で生きているわけですから、

どうしても染まりやすい。

ある意味で思考をコントロールされているに近い。

朝から晩まで事件や、景気低迷の話。

職場に行けば、リストラから、減給まで話題は事欠かず。

どうして元気が出るだろうか?

このことにしっかり気づいてほしい。

世の中は、あまりに表面的、刹那的な事柄ばかりを集めて、

注目されるのだが、、、、。

生きるとは、もっと普遍的なものであって、

大昔も、今も大差ない。

離婚して学ぶことは、

何も辛い経験だけではなくて、

この人生をどう生きていくのか?ということを

ある意味で、今更だが、新しく学ぶ機会なのです。

今までは、周囲や親から聞いてきた人生だったかもしれない。

もう少しは、楽しみや幸せに満ちたものだと感じていたかもしれない。

でも。。。。

実際には、こんなに辛い出来事があったし、

周囲もそう。

だから、すこし、ここで考え方の修正が必要なのです。

この人生という壮大な物語の地図を少し修正していかないと

これ以上は進めないのです。

そして、そのことは自分で勇気をもって書き換えるしかない。

誰もしてくれない。

辛い状況での悲観的なことだけが人生でもないし、

何もしらない能天気なポジティブ思考だけで乗り切れるものでもない。

自分なりの人生とはどういうものであると予想できるのか?

そのために、どう自分の智慧とリソースを使って

航海しようとするのか?

このことは数日で答えがあるようなものではなく、

この離婚という機会を経て、長く考えて進むべきものです。

ただこの離婚を前向きにとらえるならば、

普通はあまり考えもしない、このことに

自分なりの解釈を与えて、続きの人生を生きていくことこそが、

新しい学びを土台にできた人生ではないでしょうか。
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その気持ちは相手のせいでしょうか。

2013-06-24 00:01:00 | 日記
こんにちは。

離婚したとき、

あまりの不条理さや、不合理さ、

非人道的とも思えるやり方に

途方に暮れ、絶望し、

価値観が崩れ、

もはや、何も信じることができないし、

そもそも、自分の人生とは何なのか。。。

そんなことを多くの人が感じることでしょう。

もちろん、

それは喪失体験の直後から数週間、数か月に及ぶ

ショック期と言われる状況では

当然のことです。

仕方のないことです。誰でもそうです。

「相手がこんなことをしなければ。。。」

「相手のせいで。。。」

「自分はこんなにも苦しんでいる。
相手も死ぬほど、苦しめばいい。」

「不公平だ。」

恨み、つらみ、怒り、悲しみ、虚しさ。。。

あまりに自らの対処できるレベルを超えてしまっていて、

相手への強い怒りや、復讐心をギリギリ抑制しているような状態。

これもしょうがないですよね、

だって、それだけの事をされたのだし、
実際、どんな理屈も理論もアドバイスも役に立たず、
辛い毎日なのですから。
また金銭的にも、肉体的にもしんどいのですから、
まさに実害があるわけで、精神的な部分だけではないわけですからね。

だからこそ、死別と同等の苦しみ、ストレスがあると言われているのです。


ただ、この気持ちや、感情を
長い間持ち続けることは、どうでしょうか?

いつも言うように、相手が変化することはありません。
そして他人を変えることもできません。

もし、相手が反省したり、やさしくなったりしたならば、
それは相手が自分でしたのであって、あなたの影響がないとは言えないけれど、
必ずしも、あなたがコントロールしたということではないということです。

『変えることができるのは自分だけです。』

親兄弟でも、他人が変化させることは無理なことです。

少なくとも、

そのような被害者としての感情を持ち続ければ、

身体的にボロボロになります。内臓への負担もすごく、
身体が壊れてしまう可能性があります。

離婚ではありませんが、妻と死別後の男性が
数年以内に心臓系の病気で亡くなる方が、通常よりも有意に
多いのは統計が出ています。

つまり、心の問題が、身体をボロボロにするのです。

もちろん、メンタル的によくないのは当然です。
またせっかく、新しい人間関係の芽が周囲にあっても、
気づけないでしょう。それはそれでなんだか残念ですね。

カウンセリングでは、

「長いこと、被害者温泉に浸かっているようですね。
 そろそろ、あがりませんか?」

そんなユーモア的な表現でクライエントにお伝えする場合があります。
これは以前も書いた「直面化」です。

たしかに、被害者であることは間違いないかもしれませんし、
相手が99%悪いかもしれませんし、そこまでされる必然性はないかもしれません。
だから、相手を許すとか、無かったことにするのではないのです。

被害者温泉には、だれもが一度は入るかもしれませんし、
自分が好きで選んで入ったわけでもなく、抵抗できなかったかもしれない。

でも、そこにずっと浸かっているのかどうするのかは、
自分で決めることができますし、
逆にいえば、ほかの誰にも強制されているわけではありません。

カウンセリングを受ける方で、はじめは多くの方が、
何か良いアドバイスや、自分を救ってくれるのではないか、
魔法があるのではないかと期待します。

でも、結局自分で決断できない人は、いくら通っても
改善しないのです。なぜなら、自分の気づきと、決断以外に
抜ける方法はないからという単純な理由です。

その気づきが得られるように、サポートしているのがカウンセラーですが、
気づきを得ようとしないならば、得られるはずもありませんね。

『あなたの感情は自分で決めているのであって、
 他人が決めているのではない。
 自分も他人をコントロールできないが、
 他人も自分をコントロールできない。』

このシンプルな原則が腑に落ちていれば、

あなたの感情は自分次第なのだと気づくはずです。

もちろん、理屈と実際できることは違うでしょう。
だから、ショック期には難しい。それはしょうがないし、
いつも言うように、やり過ごしていくしか方法はない。
何とか目の前のことをひとつずつ、こなして日々を過ごすしかない。

決断のときは、人によりバラバラです。
一か月でできる人もいれば、2年かかる人もいる。
ただそれを決めるのは、自分しかない。





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グリーフの身体症状

2013-06-20 00:01:00 | 日記
離婚は、喪失体験です。

心理学の調査によれば、

死別の次に、ストレスの大きいものです。

人生で起こることで、堂々の第2位。

さて、これだけの大事件ですから、

身体に変調がないはずはありません。

眠れない、

早朝覚醒

食欲不振

身体が重くて動けない

頭痛

吐き気

このあたりまでは
何となくわかるかもしれません。

さらに、

アレルギー反応 も出ます。

これまで平気だった食べ物や動物
製品など、突然にアレルギーが出ることもあります。

腹痛

腰痛



喉の閉塞感

胸が苦しい

肺が苦しい

呼吸が浅くなる

身体とあちこちが鈍く痛む

要するに、身体症状がありとあらゆる形で
出る可能性があります。

心と身体は一体なので、バランスが崩れているのだから
当然です。

不安な時期だから
大きな病気や、不治の病ではないか・・・

自分は異常なのではないか・・・・

精神疾患のせいかもしれない・・・

もうとにかく不安になるし、余計に心配です。

まず、身体症状があれば、

心療内科で診察してください。

血液検査や尿検査、レントゲンなど
必要な検査もしっかり受けてください。

身体的な異常がないかを知ることは重要です。

その上で、異常なければ、心に起因する可能性がありますから
睡眠導入剤や、抗不安薬 などの処方は有効です。

そもそも、よく眠れないこと自体が
様々な症状を引き起こしている場合があります。

人は緊張したり、悩みがあると、
身体が硬直して、丸まる傾向があります。

猫背で、うつむいている姿勢が、内臓を圧迫したり
血液の流れを阻害している可能性もあります。

実は、身体の調子がよくなると、
心も前向きになることも知られています。

心の調整はすぐには難しい。
だから、せめて体調だけでも気を付けるようにしてほしい。
それはグリーフプロセスで大切なことです。
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奇跡はいつも起きている

2013-06-17 00:00:01 | 日記
世の中の人は

「奇跡」 という言葉から

どのような印象を受けているのでしょうか?

テレビであるような

ミラクルで、予想もしないような

生死の彷徨いからの、目覚め

病気の克服

偏差値○○から△△大学へ現役合格

・・

もちろん、

それらは奇跡です。

だから、あなたも「奇跡」が

自分に起こらないかを祈るでしょう。

離婚したとき、神に祈ったかもしれません。

特別、普段、宗教などなくても、
だれでもいいから、救ってほしいという想いで。

さて、ここで少し考えていただきたいことがあります。

今朝、あなたが息をして起きることができたのは
当然でしょうか?

今日一日を、無事故で過ごせたことは
当たり前のことですか?

今日、お風呂で倒れずに無事に
入浴が終えられたことは当然ですか?

今日、ランチで食中毒に合わなかったのは
当然ですか?

生れてから一度も、心臓が止まらずに
動いてくれていることは当たり前でしょうか?

多くの人は、

何も考えずに、日々を過ごしていますが、

この大震災や、突然のガンの宣告、

交通事故や、犯罪への巻き込まれ、食中毒、熱射病、、、、

駅での階段の躓き、包丁で指を切る。。。

日常で、自分以外の周囲を見渡せば、
これだけ毎日あちこちで事件があるのです。

どうして、自分だけが今日一日を生きていられることを

「当然」

と言えるのでしょうか?

たしかに予防的なことを実践しているかもしれませんし、
確率は低いかもしれません、

でも、そのことと、

「当然」 なのは違いますね。

「奇跡」は実は毎日起きているかもしれません。

あなたが気づくよりも先に
苦難が降りかかるより先に

奇跡が起きて、何の変化もなく、過ぎ去っているだけかもしれません。

あなたは気づけないだけかもしれません。

たしかに、あなたが期待したことは起きていないかもしれません。

「奇跡が起きて、離婚が回避できないか・・・・」

それは起きなかったかもしれません。

ただ、奇跡の連続で生かされているのかもしれませんね。

絶対そうだ!

そう言っているのではないのです。
私は、宗教者ではないですから、ひとつの視点の提供です。

物事は、色々な角度から見ることができ、
私たちは一面的な部分しか見ていないということです。

そして、今回お話したようなことは

「確実だと知る」ということはできないわけですが、

それが「ない」とも言えないわけです。

離婚して、色々なことを考えると思いますが、

こういうように人生について、生きるということについて

多面的に見ていく、そのうえで、自分の生き方を決めていく

そんなことも大切なことではないかと思うのです。
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折り合いをつける

2013-06-15 00:01:00 | 日記
こんばんわ。

グリーフでは、

「折り合いをつける」

という言い方をします。

死別で亡くなった相手は帰りません。

だから、元の状況になるのは不可能です。

元の自分に立ち直ることも難しいですよね、

相手は居ないのですから。

離婚も同じです。

幸せだったときは、戻らず、

相手も戻らない。。。

だから、同じ状況に戻ろうとすることは無理があります。

つまり、気持ちが同じ状況には戻れないのです。

向かう方向は違うのです。

新しい自分、環境を受け入れて、

その状況と自分の感情の折り合いをつけていく作業なのです。

失った悲しみや、

大切な思い出を捨てることはできません。

完全に忘却することもできません。

そして、この離婚という事実、

それにまつわる、色々な出来事を

忘れることはできないし、その必要はありません。

そんなことも人生であったのだと、

自分の人生で折り合いをつけていくこと

このことこそが、

グリーフプロセスなのです。

辛いし、思い出すし、後悔もする。。。

でも、それでも、

何とか、どうにか、新しい人生に、環境に、

適応していく

感情の折り合いをつけていく。。。

そんなプロセスです。
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きっかけを作る

2013-06-14 00:00:01 | 日記
こんばんわ。

前回に続いて、

立ち直りのコツをお伝えします。

離婚した後というのは

いろいろなことに対処しなければいけないですね。

役所から、転居までたくさんあります。

もちろん、精神的につらいときに

立ち直るも何もありません。

ただ、ただやり過ごすだけが精一杯。

とにかく、毎日を必死に耐えることしかできない。

喪失の痛みは、一か月程度で癒えるようなものではなく、

時間がかかるのです。

誰もが、不眠、早朝覚醒、食欲不振、アルコール依存、・・・

集中力がない、仕事ができない、布団から出れない

恐くて人前に出れない、電車に乗れない。

もうとにかく、病気以外で、
考えうるあらゆる最悪な状況です。

でも、少しずつ自分を客観的に見れるようになり、

喪失の事実を受け入れることができるようになり、

一日の中で、1時間でも心が落ち着く時間ができ、

仕事も少しずつペースを取り戻す頃、。。。。

何かの「きっかけ」が、あなたを立ち直りのプロセスに乗せます。

久しぶりに私のことを話しましょうか。

私は、調停中の1年は苦しかった。
離婚が確定しないのに、婚姻費用でお金が底をつき、
弁護士費用の支払いも控えています。
精神的にも、金銭的にも底です。
離婚が成立しないのですから、心に整理のつけようもなく、
どうにもならない状況でした。

だけど、調停開始の半年後に、空の財布を、さらに空にして、

陽当たりの良い、新築のアパートに引っ越しました。

いつか元に戻れるかもしれないという幻想のような妄想のような
受け入れられない状態から、
現実を受け入れて、歩き出そうと決めた瞬間です。

転居のために、戸建て借家の家財すべてを捨てました。
それは精神的にも体力的にも血のにじむような作業であり、
仕事が終わってからの深夜に作業し、
ゴミ集積場に何十往復もしました。

残りの半年の調停もしんどかったけれど、

確実に立ち直り出し、新しい将来へ動き出しました。

心が動き出しました。

転職する、スポーツジムにいく、新しい趣味をはじめる

何でも良いのですが、

自分で何かの「きっかけ」を作ることは重要です。

それはあなたが「きっかけにする!」そう決めることです。

決断することです。

あなた以外に決断できる人はいません。

もちろん、大きな決断はおすすめはできません。

だけど、すべては自分の感情、心が指示するとおりに
動くしか、我々にはできませんよね。

決断は勇気が必要であり、不安もあります。

それでも決断以外に、することなどあるでしょうか?

よく考えてみてほしいのです。

他人の責任、他人の指示、アドバイス、意見。。。

そんなものに、自分の人生の決定権を渡して、委託して

あなたは平気でしょうか。

今がそのときかどうかはわかりません。

それも含めて、自分で決断すること

それが自分の人生を「切り開く」ということ。

切り開くのが楽なんて、誰も言ってないし、教わっていないはず。

そう、しんどいんですよ、ぜったいに。

だからといって、止めるわけにもいかない。。。そう思うのです。

そこに、人生の大きな流れ、潮流があるのです。

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辛いことはつらい。だけれども・・・。

2013-06-11 22:10:33 | 日記
こんばんわ。

今日は、少し、どう立ち直るのか?ということを
強調して書いていきます。
読んでいて、まだ自分の段階ではないと思う方は
読まなくてもいいし、そういうものかと思ってもらえればよいので
ご安心してくださいね。

特に離婚した直後の方は、流し読みで構いません。


離婚することは
とても辛い出来事であることは明確ですね。

経験した人なら、これに異論はないでしょう。

そして喪失の体験ですから、
数日で元気になるようなものではないことも事実です。
自己肯定感が大きく下がり、自信はなくなり、
人生に対する見方や価値も変化するかもしれません。

お金もなく、将来への希望もなく、
どうにでもなればいいというような絶望感。

子供に会えないという辛さ、、、。

とても辛いし、不条理だし、不合理です。

人間がこのような苦しみに耐えることができるのか?

そう神を呪いたくなるような心境でしょう。

たしかに、相手が99%以上悪いかもしれません。

自分にはどうしようもなかったかもしれません。

*******

ここで、少し落ち着いて、冷静に考えてみることも重要です。

(*ただし、客観的になれる状態の人だけ)

つまり、上に書いたようなことは事実だし、真実だし、
嘘偽りはない。

たしかに、被害者だといえるような状況かもしれません。

だけれども。。。 それがどうだというのでしょうか?

これからの生涯、被害者として生きていくのも良いでしょうし、

不条理、不合理だと言い続けるのも良いでしょう。

だけれど、自分でこれからの人生を選択する力もあることを
思い出してください。

これまでの人生で他人の最終選択で動いてきたことがあるのでしょうか?

どんなに他人の指示や、アドバイスがあっても
最後は必ず自身が判断しているはずなのです。
それが不本意でもそうなのです。

それだけ自分の判断というのは重いし、大切なのです。

つまり、自分自身の人生は自分自身で判断するしかできないのです。

もう駄目だと思うのも自由だし、
もう限界と判断するのも自由です。

そう叫びたいだけ叫ぶことは良いことです。
感情を抑圧するべきではないのですからね。

ただ、最後はどこかで自分で決断するしか
前に進めないというのも
絶対的な事実です。

カウンセラーの用語では、
「直面化」と言います。
クライアントにとっては、とてもしんどい状況です。

だけど、これを最後は乗り越えてはじめて、立ち直ることができるのです。
だから本当のカウンセラーは、
クライアントの状況と時期を見て、「ズバッ!」と言います。
クライアントが最も向き合えていない、逃げていることを
突きつけます。

クライアントは当然はじめは、被害者として
反発します。それでも、最後は直面化しないとどうしようもないということに
気づきます。カウンセラーも負けません。

なぜなら、それを乗り越えた先にしか
道が開けないと知っていて、必ず乗り越えてくれると信じているからです。

甘い言葉だけを言い続けるのは、占い師と、にわかスピリチュアルな人だけです。
巷の本やセミナーはそんなのがとても多いのです。

あなたがどこで決断し、立ちあがるべきなのか
それも自分で判断することです。

だけど、ひとつだけヒントをお伝えします。

***
苦悩を十分味わい尽くしたとき、

「もうこんな状況でいたくない!!」

「もうたくさんだ。苦悩はしたくない!!」

そう思えたときかもしれません。

苦悩していた方が楽なら、まだそのときではないかもしれません。

苦悩するより、立ち上がる方が楽だと思えたとき、
もう後戻りすることはないでしょう。





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青空や星空を見る

2013-06-08 00:01:00 | 日記
こんばんわ。

辛いと、

どうしても猫背になり、うつむき、

ため息しか出ず、

ひたすら暗い闇に落ちていく。。。

みんなそんな経験をしているでしょう。

一番辛いときはできないでしょうけれど、

少しだけ余裕がでてきたら、

青空や、星空を見上げてみてください。

流れる雲や、星の輝き。。。

人間が住む地球は、

日常の会社生活や、人間関係、

目の前の借金や、生活苦、

そんな狭い世界に生きているのが人間ではないのだと

気づかされます。

近所の自然に触れてみましょう。

心と身体は一体です。

食事できずに、睡眠できずに、

頭は悩みでグルグルしていて、

身体は縮まり、呼吸が浅く。。。

どうして、これで心が軽くなるでしょうか。

心を一気に元気にするなんて無理です。

悩みや、苦しみは目の前にあり、

今日、明日で解決するわけではないことは明白だから

落ち込んで当たりまえです。

だから、せめて、身体が動かせるくらいに

なってきたら、身体を少しでも動かしてみる。

角度を変えて、場所や環境を変えてみる。

これは大切なことです。

そうしているうちに、

心にも良い影響が出てきます。

まあ、どうにも身体が動かせないときは

それも大切な身体からのサインですから、

ゆっくりと横たわって、休養。これも大切。

動けるときに、動けるだけ。

食べれるときに、食べれるだけ。

眠れるときに、眠れるだけ。

すべては、身体のサインどおりにするだけ。

大丈夫。

喪失による悲嘆のプロセスは

誰にでも平等に、確実に動いているのです。

一見すると動いていないように感じても、

進んでいるのです。

あせらないことです。

でも、プロセスは進んでいます。
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言葉を簡単に使わない

2013-06-06 00:01:00 | 日記
こんばんわ。

私も含めて、

人は言葉というものを、あまりに簡単に使いすぎてしまう。

言葉は、言霊というように、

人を幸せにもするし、深く傷つけることもある。

離婚したとき、

確かに苦しいし、辛いし、絶望的だという。

私もそう感じてる。

だが、ちょっと考えてみてほしい。

何が苦しいのか?
そもそも、苦しいとはどういう状況なのか?
胸が痛いのか、頭が重いのか、なんなのか?
でもそれは症状なのではないか?

では、苦しいという感情はなんなのか?

もうわけがわからない哲学のようですが、、、

言いたいのは、

自分が感情や、言葉の意味するところを

本質的に問い詰めていくと、

答えが出なくても、

気づきがでてきます。

有名なニーチェは、
「苦悩そのものが問題なのではなく、何のために苦しむのか
わからない、苦しみの意味がわからないことが苦悩だ」

と言っています。

そのことに意味があれば、苦悩にも耐えられるのですが、

どうして自分だけが。

どうしてこんな。。。

いつも自分の問いを見直してみれば、

なぜ。。。

どうして。。。

どうしたら。。。

すべては意味を問うていることに気づける。

じゃあ、その意味は、どうしたらわかるのか。

実はそのときにわかれば素晴らしいですが、

たいていはそのずっと後にならないとわからないというのは

私の実感です。

だから、何か意味があるのだと信じるだけしかできない。

そしてこれも私の実感ですが、

意味は自分の見えない先にすでにあって、
そこでじっと、自分に発見されるのを待っている。

ビクトール・フランクルがいうように、

人間が人生の意味を問うのではなく、
人生が人間に意味を問うているのだと。
毎日、そのことに答えていくのが生きることなのだと。

まさに、意味を問うているうちは、進みません。

今、自分が在る状態に対する
自分なりの答えを天、宇宙、神、なんでもいいですけれど、
大いなる人智を超えたものに返していくうちに、
見えてくるのです。

そうしたら、
世の中のことがあまりに表面的で、一面的で、短絡的なことを
しているかわかるはずです。
そして、そういう世界に生きているということにも意味がある。

言葉を発するとき、

それは何なのか?考えてみてください。
あなたは、宇宙に何を問われているのか?と。
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執着を手放す意味

2013-06-04 00:01:00 | 日記
こんにちは。

最近、みなさんのコメントを読んでいて
誤解されているように感じるので
少し書こうと思います。

「流れに任せる」
「執着を手放す」
「オールを手放す」

私は色々な言葉で伝えているかもしれません。

人生には、
自分の努力や、お金、その他のことで
何とかできることがあります。

その一方で
病気や、天災などを含めて
自分の力ではどうにもできないこともあるはずです。

コントロールできないことに
いくら努力しても、それはやはりどうにもならない。
どうにかなると思うから、はじめは
もちろん、ジタバタします。

しかしどこかで気づくことは必要です。
これはもうジタバタしてもどうにもならないことなんだと。
自分で制御できるレベルではないのだと。

だから
自分の力が及ぶ限りは、最大限すればいいのです。
そうでなければ、それがどうにかできることなのか、
そうでないのかはわかりませんからね。

私たちは、修行僧でも悟りを開いたヨガ行者でもありません。
いきなりできるはずがありません。
できないからと言って嘆く必要も、落ち込むことなどもないのです。

物理的に、何かを手放すとか、捨てるだけの意味ではなく、
精神的に束縛から解放されることを意味しているのです。

執着を手放すとは、
精神的な解放なんです。

実際、お金や家がゼロになるなら、生活できない。
それは執着ではなくて、衣食住という最低限のことを守る
ある意味で生存のためです。

仏教では、
生存のために不要なものを手放すといいます。
それが出家です。
肩書きや、無駄なアクセサリーや洋服も、豪華な食事も
生きるという視点では不要ですね。

重視してほしいのは、
ご自身の気持ちです、感情です。

他人がどういうかではなく、
自分自身がどうしたら、気持ちが楽になるのかということです。

手放したら楽なら、そうすればいいし、
手放さないほうが楽なら、そうすればいい。

こうしなければいけないということは、
この世の中にひとつもありません。
あると思うのは、世の中の慣習と、自分の主観によって
思い込んでいるだけなのです。

この人生をどう生きるかは、
あなた自身が決めることができる権利だし、義務ですらあります。

いつも、いつも自分の感情と対話することです。
いつも、答えはあなた自身の中にあります。

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同じ時と想いを共有する

2013-06-02 19:09:15 | 日記
こんばんわ。

このブログには、毎日100人以上の方が
読まれています。

あなたの周囲にそれだけの離婚された方が
一同に会するときはないでしょう。
それゆえに、大切な場であると感じています。

男女の差や、年齢の差、子供がいるかいないか、
お金に余裕があるかないかなど、

色々な違いはあるけれど、

人として、別れの辛さは同じです。

そして、重要なことは、

このブログを継続して読まれている方は、

「どうしようもなく、苦しんでいる」 ということ。

相手の責任だけを主張して
自己逃避だけしている人

目の前の表面的なことだけしか見えずに
判断、行動している人

そのような方々は、読んでいない。。。ということです。

ここにいる、今を共有している仲間は、

相手を大切に想い、

もちろん、自分の過ちもあるかもしれませんが、

結婚、離婚の重要さを考え、生き方を考え、周囲への影響も考え、

その中で、とてつもない絶望感、無力感、悲しみに

苦悩しているということ。

あなたは、今、ひとりで苦悩しているのではありません。

少なくとも、この日本で、今、この瞬間に

仕事を懸命にこなしながら、

お金を絞り出しながら、

眠ることもできず、食欲もなく、

お酒を浴びるほど飲み、薬も飲みながら、

耐えている人が、いるという事実。

そして、途方に暮れるような、

暗闇の中を、もがき、葛藤し、ボロボロになりながら、

耐え抜いてきた多くの先人もいるという事実。

あなたには、今は見えないかもしれない、

信じることができないかもしれない。

絶壁の向こうに、たしかにある道を歩む日が来ると

私は確信しています。

その新しい道は、あなたが見つけて、歩み出すまで

そこにずっと在り続ける。
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流れゆき

2013-06-02 00:01:00 | 日記
こんばんわ

「人生は、その最高の状態において、
 流れゆき、変化していくプロセスである。
 人生には、固定されたものは何一つない。」

カール・ロジャース
 

人は流れに身を任せているとき、
最高の状態にあると気づかされる。

 *引用:ひとり悩むあなたを支える言葉 諸富祥彦 すばる舎


カウンセリングを学べは、はじめに習い、全ての基礎となる
パーソン・センタードア・プローチの創始者であり、
偉大なセラピストであるロジャースの言葉です。

実は、この言葉にあるような在り方に
いつ出会ったのか、思い出せません。

でも、離婚して立ち直る過程です。
1年にも及ぶ調停をしていたときかもしれません。

スピリチュアルな本で出逢ったのかもしれません。

ただ、ある時に、実感として、腑に落ちるように
そのことを強く感じたのです。

当時は、積極的に流れに身を任すという感覚ではなく、

どうにもならない現実に、手を放すしかない。。。
そんなであったかもしれません。
そうするしか方法がなく、私に選択肢はなかったような。。

でも、すべてを手放した瞬間に

とても、爽やかで、自由な自分がいたのです。
なんだ、何にしがみついていたのだろう。
何を恐れていたんだろう。

3日間食事をしなければ、一応お腹も空く。
3日間、一睡もしないことはない。。。

人間とは、これでいいのだと、思えた瞬間でした。

努力や、何かをすることで改善できるならすべきでしょう。
でも、もうどうにもならないなら、
ジタバタした結果としては、結局、そこに落ち着く。
ジタバタしてみて、納得することも大切なんですね。

私はもう、ジタバタせずに、はじめから手を放します。
その方がうまく流れていくから。
宇宙の采配は、人には知ることなど不可能です。
重力を人間が作り出しているものではないとの同様に。


コメント (5)
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