離婚に苦しむ人へ

今、苦しんでいるあなたに寄り添って。

あなたは本当に失ったのか?

2013-02-27 21:49:23 | 日記
こんばんわ。

離婚をしたとき、

多くの人が

「家庭を失った・・・」

「幸せな時間を失った・・・」

そんなふうに思ったかもしれません。

たしかに、

「愛する人を失った」

これは間違いないでしょう。

だけれども、

ほんとうに、

「愛する」「愛される」関係だったのか・・・。

そうだ。そうでない。という議論をするつもりはありません。

「失った・・・」

これは

「得ていた」 ものを 「失った」 ということですね。

では、本当に、本当の意味で

あなたが「得たい」と思っていたものを

「得ていたのか?」

そういう質問です。

あなたが結婚することで

「得たかった」 ものは

どのようなことでしょうか?

「生涯ずっと一緒の暮らし」

「両親とも仲良くできる大家族」

「お金がなくてもいいから、
 二人の時間を過ごせる家庭」

「喧嘩をしても、それはそれとして、
 夫婦で障害を乗り越えていく関係」

ほんとうに、

それを「得ることができた」結婚であったら、

どうして、こんなに理不尽で、不条理で

あなたを人生のどん底に突き落とすような
相手なのでしょうか?

「失ったと思っていたものは、

はじめから得ていなかったのかもしれない。

得たと錯覚していただけかもしれない。」

もう一度、今度こそ、錯覚ではなく

ほんとうに「得る」 それを目指しませんか?

それこそは、

まさに信頼できる相手。

それに尽きます。

あなたのこれまでの苦しみのすべてを理解し、

そして、そんなあなたと共に、居たいと言ってくれる相手。

あなたの苦しみを理解し、そしてともに歩んでくれる相手

そんな方がいるはずです。

これを理屈でいうのは難しい。

唯一言えることは、長い歴史の中で、

多くの先人たちが、

再婚し、新しく、すばらしい人生を歩んできたという事実があるのみ。

そこには、理屈はいらないではないか?

あなたがその一員になれるかどうかは、

あなた次第でもあるのだから。




対人関係ですべきことはひとつだけ。

2013-02-21 21:31:52 | 日記
こんばんわ。

本屋さんや、一般向けの心理系のかるーい本を見ると、

「相手を見抜く・・・」

「○○を身につけて・・・」

そんな内容がたくさんありますね。

もちろん、役に立つこともあるし、

使えるなら使ってもいい。

でもそんなことに関係なく

すべきことがひとつあると思いませんか?

**それは信頼できる人間と付き合うこと。**

信頼できる人間は、裏切りません。

信頼できる人間は、相手の過失を許せます。

信頼できる人間は、自分のことも信頼してくれます。

多くの人が勘違いしています。

対人関係スキルを身に着けることは大切です。

アサーショントレーニングも必要です。

もちろん、あなた自身が信頼される人間でなければなりません。

ただ、、、、

あなたの周囲に信頼できない人間がたくさんいたら、

その努力も何にもなりません。

だから、信頼できる人間と一緒にいなければなりません。

そのことが大前提なのです。

信頼できる人といないのに、

相手を必死に信頼しようとしても、

自分を信頼してもらおうとしても、

はじめからそれは成り立ちませんよね。

だから、どんな人間と関わるのかという問題は

一番はじめにして、一番大切なことなのです。

でも、多くの人が、

相手の職業や、地位、学歴、お金、容姿、趣味・・・

目に見えるもので選択してしまいがちです。

なぜなら、目に見えないものは、

信頼するまでに時間がかかるし、勇気も必要。

だから手っ取り早いのは、確実に見えるところからとなってしまう。

どうしたら信頼できる相手を見抜けるか?

それはまさに、あなたが信頼される人間になることです。

そのための学びの過程で、

相手のどこを見れば、信頼できるのかを学べるでしょう。

どんなところが嘘、偽りなのかを学べるでしょう。

そして、それはすぐには見つけられない。

失敗したくはないけれど、

やはりトライ & エラー です。

痛い目を見ることもその経験のひとつかもしれません。

良いのです。

最後の最後に、

信頼できる人を見つけることができれば。

それまでにたくさん失敗してもいい。

ちゃんと自分が成長できればね。




さよならの処方箋

2013-02-18 00:01:00 | 日記
こんばんは。

さて今日は、久しぶりに本を紹介しましょう。

「さよならの処方箋」
 別れを乗り越え、たしかな愛をつかむ方法  ダフニ・ローズ・キングマ
                      大和書房

結婚・家族関係セラピストの著者はロサンゼルスに25年診療所をかまえる
この分野の専門家。

いつも私がお伝えしているように、

人生の出来事には意味があり、

そして、この辛い別れにも意味がある。

そこから何を学び、自分を成長させることができるのか。

それをまさに、

多くの先人の苦悩の言葉とともに解説してくれています。

これを読めば、

あなたがすべきこと、歩む道は見えてくるでしょう。

そして、

あなたひとりがこの道を歩むのではなく、

本になるほどに、多くの方に共通した感情や、行動があることにも

気づけるでしょう。

そのことは、あなたに勇気をあたえてくれるでしょう。

さらに、この辛い別れの現実に

意味を見出すことができるでしょうし、

自分の将来を再び、肯定的に見ることができるようになるでしょう。

まだまだ日本には、離婚に対するメンタルのケアは少ないというか

ないに等しい。

しかし、心理学的には死別の次にストレス負荷となるライフイベントに

位置づけられていて、

さらには、自己成長のためには重要な意味があり、

成長するチャンスであると同時に、

そこに生涯囚われたならば、人生を台無しにもしかねないイベントであるのです。

だからこそ、

少なくとも、

このブログに出逢ったあなたには、

再び、自分らしい人生を歩んでいただきたい。

そう切に願わざるをえないのです。


束縛と思いやり

2013-02-17 00:01:00 | 日記
こんばんわ。

恋人でも夫婦でも、親子でも

「束縛」

これが多い。

では、少し勉強して、

「束縛はいけない、やめよう」

「その人の自由にさせよう」

「相手が求めることと、自分が求めることは違う」

「好意の押し売りはいけない」

などなど、中途半端な考えをもちやすい。

もちろん、だれ一人として

他人から束縛されて良いことはない。

だが、相手が束縛しているのか?

本当に、思いやりからなのか?

その差がわからない人が多い。

さらに難しいのは、

「思いやり」「相手のことを想って」

の行動が、

実は、自分自身の不安や恐れの回避行動(専門的には、防衛機制)

である場合があるので、要注意。

この防衛機制は、専門家でないとなかなか本人で気づくことはできないし、

専門家でも自分のことになると、・・・・というくらいわからない。

ある意味で、防衛機制などない!!という人はいないともいえる。

少なくとも、

相手が、自分への思いやりからの行動、発言なら、

それを素直に、そしてあたたかい感謝の気持ちで受けることが

やはりあたたかい人と言えるのではないだろうか。

そして、もうひとつ。

束縛しないということは、

相手を信頼するということにもつながる。

つまり、そうしてもらった人も

信頼されるに足りる行動でなければならない。

単に束縛されず、自由に生きたいなら、

独りで生きればいい。

何もパートナーを傷つける必要も権利もない。

少なくとも、あなたは相手に思いやりでふれよう。

そしてそれを大切に受け止めてくれる相手を選ぼう。


「想い」のキャッチボール

2013-02-15 00:01:00 | 日記
こんばんわ。

さて、先日書いた「想い」

どうして一番大切で、身近なはずのパートナーと

すれ違うのでしょうか?

真剣に考えてください。

深く、深く考えてみてください。

*****

*****

*****


前回も書きましたが、
自分だけの利己的な主張や、
単なる感情の勢いでのことは、論外ですからね。

たとえば、ちょっと極端ですが、

せっかくの休みに二人で買い物を予定していたとしましょう。

でも、直前になって、相手が

「ちょっと行きたくない。。。。」そう伝えてきたとしましょう。

すぐさま、あなたは「どうして?」と聞くでしょう。

「・・・・」

理由がわからないし、相手は言わないし。。。。(ここまでの時間は、1分程度)

イライラしてくるかもしれません。

ここで、相手の「想い」を感じることができる感性があるかどうか?

自分の想いだけにとらわれて、相手の「想い」を受け取り損ねていないか?

相手が理由もなく、ドタキャンしてくるような人ではない。

そして、理由もなく、理由を言わないような人ではない。

そう信じているなら、

そう信じられるような日々を過ごしているなら、

「体調悪いの?」

「仕事が残っているの?」

そうやって、相手の「想い」へ心を近づけることができるかもしれない。

さらには、何も理由を聞かずに

「そうしよう。」 その一言で了解できるかもしれない。

相手の「想い」を受け取り、そして伝え返すには、

相互に心から相手の人間性を丸ごと信じていないとできない。

もちろん、自分の想いは大切だが、
相手の想いも同等に大切にしていないとできない。

無意識にでも、心に上下関係があってはできない。

どこかに相手を否定したり、非難する部分があったら、
それが出てしまう。

多くの人が、パートナーでさえも心の底から信じれていない。

だから、言い争いになるし、疑うことになる。

そして、自分の正当性や、論理性、合理性を主張し合う。

ここまで読んでいただいてわかると思うのだが、

結局のところ、それは結婚する以前の問題。

結婚する前に、どこまで相手のことを信じていることができたか?という問題。

そしてそれだけではないことに気づいてほしい。

相手もどこまで自分を信じてくれているのか?という問題なのだ。

このどちらも欠けても、ダメなことは自明。

ほんとうに、幸せになりたいなら、

100%相互に信じあえる関係を築いていくことなのだ。

たとえばはじめは100%でなくても、
二人で問題を乗り越えていくことで、100%に近づける。

いつも言うことになってしまうが、
結局のところ、他責にせずに、問題や課題と正面から立ち向かい、
越えていく覚悟をもっているカップルにしか、
これはできないのだ。

だからそういう相手といないなら、これはできるはずもない。

「想い」これが大切

2013-02-13 00:01:00 | 日記
こんばんわ。

今日は、

「想い」 について。


たとえば、
あなたは相手からプレゼントをもらって

「ありがとう」

そう言うでしょう。きっと。

で、その言葉。。。

どこまで相手の「想い」を感じて発言していますか?


たとえば、
「今日、早く帰ってきてほしい」

相手のあなたへの「想い」を感じていますか?

逆に、相手の立場なら、

ちゃんと伝わるように伝えていますか?

相手がどんな気持ちで

あなたに伝えているのか?

そして

あなたは相手にどんな気持ちを伝えているのか?

そのすべてに共通するのは「想い」なのです。

人によっては、

自分の感情のはけ口として、

ただの自分だけの主張としてもあるかもしれません。

その時点で、もうそれはコミュニケーションではありませんから論外。

相手が何を伝えたくて、どんな想いを持って、

あなたに対して行動したのか、言葉を発しているのか、

そのことを感じ取れているでしょうか。

良好な関係とは、

その「想い」のキャッチボールのようなもの。

次回は、どうしてそのキャッチボールができないのか?

それをお伝えします。


本質を問うこと

2013-02-10 17:30:59 | 日記
こんばんわ。

人というのは

どうしても目先にとらわれる。
そのこと自体は諦めるより仕方ない。

特に、自分には不都合な事実や環境、

うまくいかないとき

つらくしんどいとき

そんなときには、より目の前の事柄に右往左往する。

多くの人が結婚したいという

では、その結婚とは何か?

どこまで真剣に考えている人がいるだろうか?

日本では、成人すれば自由に結婚できる。

役所に届けを出す。

会社でも補助がでるかもしれない。

まるで当たり前のように結婚式をして、ハネムーンへ行き、

次は子供。。。

生れて、小学生、中学生、高校、大学、就職と

まるでレールの上を滑るのと何が違うのか?

すべてが形式化され、習慣化して

あまりに本質が見えていない。

日本を少し離れれば、結婚という考え方も大きく違う。

アメリカでも、フランスでも。

今度は離婚するときはどうだろうか?

やはり紙一枚の仕事だ。

今では、メールや電話だけで、会って話し合うことすらせずに

離婚する人たちが急増している。

こんなことが、本来の結婚の意義だろうか?

あなたが結婚した理由はなんだろうか?

ひとりで寂しかった?

相手と一緒に居たかった、恋愛の延長で。

そして、相手が望んでいたものはなんだろうか?

それは一致していただろうか?表面的ではなく、深い部分において。

恋愛なら、表面的に楽しければよいかもしれない。

ただ生涯一緒となれば、相手も自分も先のことはわからない。

リストラされるかもしれないし、病気になるかもしれない。

親だって、介護が必要かもしれない。

相手の人生を丸ごと引き受ける。その覚悟。

個人的に楽しく、愉快に、充実したいなら、

別に結婚することはないのではないか?

生涯独身、恋愛はする。そんなこともありでしょう。
いや、そういう人が増えてもいる。

だからこそ、

あなたが再婚したいなら、

何を求めるのか?

したい意味は何か?

それが自分の寂しさや、虚しさ、悲しさの埋め合わせではいけない。

結婚することで、自分のアイデンティティーが確立されるようなら

それも違う。

どうして、自分は結婚して、離婚に至り、

そして、どうして再婚したいのか?

その理由はしっかりと考えたいところ。

いつも言うけれども、

自己否定や、自己嫌悪は

問題を棚上げして、目をそらすだけの、ただの逃避でしかない。

そうではなくて、対処を考えることが必要であって、
落ち込むことはしょうがないけれども、
対処にはならない。

そして、考えるのは、自分に余裕があるときだけ。

落ち込むとき、苦しいときに

さらに追い詰める必要は絶対にない。

どこかで自分で考えればよいのです。

わー!!と叫んでもいいのです

2013-02-06 22:11:20 | 日記
こんばんわ。

あまりに自分を抑えていると

気づかないうちに、心がボロボロになってしまいます。

辛いときほど、

なんとか理性で抑えたい。

抑えなければならない。

そんな気持ちもあるのではないでしょうか。

色々な本を読んで、話を聞いて、

あーでもない、こーでもないと格闘しつつも、

ギリギリで理性を保とうとする。

社会人として働いていたりすれば

どうしてもそうせざるを得ない。

でも、やはり時には解放することも大切です。

カラオケでも

限界までお酒を飲んでも、

大声で叫んでも、

他人に迷惑かけないなら、

何してもいいのではないでしょうか。

それはそれとして、感情を解放することも

自分をコントロールすることのひとつです。

よく自己啓発系にあるものに、

感謝、ありがとう、・・・

今を大切に・・・

人間なんて、そんなに立派なものではないのだと

割り切って、

たまには羽目を外してもいいではないですか。

それでもちゃんと明日になったら

また頑張れば。

何事もバランスなのです。

極端に自分を抑えないでください。

自分を解放できることも

大切なストレス対処です。


しんどい状況も、それはそれ

2013-02-04 00:01:00 | 日記
こんばんわ。

離婚して、

とてつもなく辛い状況にあるでしょう。

こんなに辛いとは思わなかった。。。。

多くの方はそう言います。

経験しなくてはわからない辛さがあるんです。

だから、その辛さはそのままでいいんですよ。

辛いのだから、辛い。

苦しいから、苦しむ。

絶望している。

ぜんぶ、あなたのその感情に不正解はない。

*****************

泣いてはいけない。

弱音は吐かない。

立ち直らなければならない。

新しく、強くならないといけない。

努力しなければいけない。

がんばらないといけない。

甘えてはいけない。

*****************

さらには、

絶望なんかしていられない。

無理してでも、笑顔で。。。

食事もしないといけない。

睡眠がたりなくなってはいけない。

*****************
私たちは、これまでの人生で

こうやって無意識に、育ってきた。

だから、離婚したときにも

この無意識の行動パターンを目指す。

いや、周囲もそう仕向ける。

でも、人生でも死別の次の重大事と言われる離婚を

経験したあなたにそんな気力はない。。。

だから当然、あるべき姿と、今の自分のギャップに苦しむ。

でも、ふと考えてみてほしい。

「今のあなたの状況で、そのままで良いのだとしたら??」

「その感情を無理に、今すぐにどうにか修正しなくて良いとしたら?」

「特に、今すぐ、がんばる必要も、笑顔を見せる必要がないとしたら?」

さて、あなたはどうすればいいのだろうか??

そう、そのときの感情を、そのまま味わえばいい。

とてもシンプルなことなのだ。

多くの人が自分の感情を、望むべき、期待される感情に修正しようとしている。

だが、それは不可能というものだ。

すべきことは、そうではない。

今の感情をしっかりと、味わうこと。

もちろん、味わいたくないこともわかるが、

それ以外にすべきことは何もないのだ。

悲しいなら、悲しめばいい。

苦しいなら、苦しむしかない。

絶望したら、絶望し尽くせばいい。

あまり自分の感情を抑制しないことが大切なのだ。

自分の今の状態で、できることを精一杯していればいいのだ。

何もできないなら、何もできないという状況を精一杯しよう。

それもその状況にいるあなたの役割だ。

ただ、ただシンプルに自分のあるがままにいればいい。

喪失の悲しみは、自然のプロセスに従って癒されていく。

それは離婚をして、苦悩し、絶望した数えきれない先輩たちが

身をもって経験し、立ち直ってきた歴史がある。

不本意かもしれないが、

あなたもその先輩、先人となる日がくる。

それはあなたが信じようが、信じまいが、
どちらでもかまわないが、

やはり真実のプロセスなのだ。




大きな視点でとらえてみましょう

2013-02-02 00:01:00 | 日記
こんばんわ。

電車やバスの中で話を聴いていると

みんな、あまりに視点が狭いのです。

それは、きっと職場でも同じでしょうし、

友人たちも同じでしょう。

家族のこと、子供のこと、仕事のこと、恋愛、、、

学校、アルバイト、結婚、離婚、・・・。

あらゆる自分の周辺のことに対して、

自分の経験と知識だけを頼りに話しています。

その正反対の視点はもたない。

自分の視点から少しだけは広げてみるのだけれど、

私から見ると、あまりに狭い。

この日本で、そしてあなたが生れて育った家庭、地域、学校、友人たち

そして恋人たち。。。

それは、あまりに狭い世界です。

地球には、毎日食べるものもなく、医療もない国に

生れた子供たちがいる。

同じ日本だけで考えても、

戦前や、戦時中は今とは大きく違うはず。

もちろん、江戸時代も。

特攻隊で若くして亡くなった大勢の若者や、送り出してきた親。

今も日本以外の多くの国では徴兵制があり、

若者は戦争に行っている。お隣の韓国もだ。

だから、あなたが○○なはずだとか、こうでなければならないとか、

そんなことは、とてもではないが、

世界中共有できるものではない。

この簡単な例だけ考えても

あなたの考えている世界、価値観があまりに頼りないということが

わかるのではないだろうか。

それは私にとっても同じこと。

だから、こうしないといけないとは言わないし、

このブログの価値観がすべてではない。もちろん。

人が何のために生きるのか?

生きるとはどういうことなのか?

苦悩することの意味は?

そのすべては、人類に不変であるはずでしょう?

答えを探すのではない。どうせ見つからない。

かつて見つけた人などいない。

多くの偉人、哲人が苦悩してきた。

答えを見つけることではなく、
どんなことでも、アリなのだという感覚。

今あなたの周囲で色々言う人たちは
あまりに知らないのだということ。

あまりに価値観が狭いのだということに気づこう。

どんなことでもアリ。それが人生だと気づくこと。

そんな限りなく大きな視点に立てたとき、

はじめて、自分の離婚というこの事態がなんなのか?ということに

気づけるのだ。

そしてこの離婚ということに対して、

あーだ、こーだという人たちなど相手にする必要もないのだという

ことに気づけるだろう。

そんなことで、あなたの人間性が決まるものではないのだから。