離婚に苦しむ人へ

今、苦しんでいるあなたに寄り添って。

あなたに向けて

2015-12-31 18:00:00 | 日記
今、あなたに向けて書いています。

辛い一年をほんとうによく乗り切りましたね。

正真正銘、今日で今年が終わります。

あなたにとって、辛い出来事があった時点から、

今日の日は想像もつかないような長旅だったでしょう。

登山はしないかもしれませんが、

世界最高峰のエベレストの頂に立つほどの想いで

歩んできたかもしれません。

それでも、今、この地に立ちました。

大切なことは、

どんな方法でも、どんな状態でも

歩み、進み、ときには立ち止まり、悶絶し、転がり、

のけぞり、尻込みし、後ずさりしながらも、

今、今年最後の一日に差し掛かるまで

耐え抜いたということ。

誰も認めなくても、私があなたを認めます。

その苦しみの深さを知っているから、

心から

「頑張ったね。耐えたね。」 


そして、

新しい一年を一緒に始めましょう。

あなたは独りではありません。

人生はけして楽しいことだけでなく、

思い通りになることだけでもない。

だけど楽しいこともあると信じて

新しい出会いもあると信じて

あなたのプロセスが

あなたをベストな道に連れて行ってくれるのだと信じて

新しい扉をあけましょう。


では、新年、またお会いしましょう。




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自分を認める

2015-12-29 00:00:01 | 日記
今年一年、ほんとうに苦しい毎日でしたね。

離婚の苦しみは人それぞれ、

状況も違うと思います。

離婚が決まった人、離婚後の一年を過ごした人

今から離婚へ向かう人、

でも、この一年、ほんとうに苦しみ抜いてきたことは同じ。

あなたは十分に耐えてきました。

少なくとも、

この年末を迎えるまでの時間、

果てしない時間と思えたでしょうし、

未来が見えていないなかで歩んできたでしょう。

それでも、

今あなたは今年を終えようとしている、

すばらしいことです。

耐えてきた証です。

だからこそ、そのことだけは認めていい。

仕事も、生活も、何もかもすべてがもどかしい時間だったかもしれない。

それでも

ただ耐えてきたこと

そのひとつだけで十分です。

そして、

そのことに勝るものなどないと思うのです。

もう十分に、あなたは認められるだけのことをしてきた。

私はそう思います。

そして、あなた自身でも自分を認めてあげてほしいと思います。


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もとの自分に戻るのではない

2015-12-26 00:00:01 | 日記
苦悩から抜け出そうとするとき、

どうしても、幸せだったとき、そのままの自分に戻りたいと思いがちです。

離婚する前の、結婚していたときの

新婚だったときの幸せな自分に。

でも、離婚という事実を考えたときに

なかったことにはできないし、

経験したあなたは、良くも悪くも変化している。

大切なパートナーを失い、

悲しみや寂しさに苦しむあなたにとって、

目指すのは、

元の自分ではないのです。

いろいろな苦しみを経験し、学び、耐え抜いた

新しい自分へ向かうのです。

それは新婚のときの自分ではなくて、

幸せも、楽しみも、そして苦しみを耐え抜いた自分です。

グリーフでは、

「立ち直る」のではなく、

「折り合いをつける」と考えます。

前回も書いたように

「共存」です。

思い出も、経験も、そのときの悲しみや苦しみもゼロにはならない。

たとえば、癌を抱えながら、耐えながらも、楽しく生きている方が言うように、

「癌とうまく付き合いながら・・」と同じです。

自分の中にある悲しみや辛さ、寂しさ、思い出、これらを抱えながらも

折り合いをつけていく。

これらの想いもずっと同じ強さで内面にあるわけではなく

薄らいだり、変化していきます。

それらを見つめながらも、無視するのではなく、

それでも折り合いをつけていきながら、

少しずつ新しい部分、新しい関係、新しいものに目を向けて

悲しむ時間、寂しい想い、それと楽しめる時間も共存させていく。

時間のかかることだけれども、

はじめに書いたように、

元の何もなかった自分を目指したら、それは難しい。

なかったことにはならないのだから。

経験をして変化していく自分を目指していく。


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イベントに関わらない

2015-12-23 09:39:47 | 日記
さて

これからの季節、クリスマス、年末年始とイベントが続くので

どうしても無駄に苦しさや悲しさを感じてしまいます。

以前にも書いてますが、

専門的な「悲嘆(グリーフ)学」の中では、

「記念日反応」 と言います。

誕生日、結婚記念日、その他のイベントなどで

通常よりも厳しい精神状態になりやすい。

だけれども、これを避けることもできないし、

避けるようなものでもない。

恋人のいないクリスマスでさえ、

世の中の風潮では、どーのこーのと言いますが、

毎年、里帰りしたり、ワイワイと大勢で過ごしていた人、

旅行などに出かけていた人にとっては

年末年始は、とにかく辛い時期かもしれません。

友人と過ごしても、両親と過ごしても

その悲しさや寂しさは消えてはくれないかもしれませんね。

今年はクリスマスも平日ですから、

日常通りに生活する。

テレビや、街中の華やかなワイワイ事には、関わらない。

ワインやちょっとおしゃれな料理でも用意すると、悲しさも倍増してしまうかもしれまん。

真逆に、純和食にしてしまうくらいがいい。

スーパーに買い物に行くだけで、クリスマスソングやら、カップル、家族であふれて、

気分が落ち込むかもしれませんから、

もう今日のうちに、事前に買っておくくらいでちょうどいい。

クリスマスには関わらない。

年末年始もたしかに今までとは違います、

どうしても寂しさが出てくる、

思い出も出てくる、

これは仕方ないから、放っておくしかない、

で、何をすればいいかというと、

自分の心の中で、何かにけじめをつける機会にしてみる

今年と来年では違うのだと決める。

これは決めるのであって、正しいとか正しくないとか

そうなるとか、ならないとか

そう思えるとか、思えないとかにかかわらず、

自分で決めてしまうことなのです。

ポジティブシンキングでもない。

絶対に、こうするのだという覚悟を決めてしまうことです。

そして年末年始を自分のため、年老いた両親のためにすべてを使う。

今までは、相手や子供との時間にもたくさん費やしてきたでしょう。

でも、今年は、70%くらいを自分のためだけに贅沢に使う。

子供と一緒なら、40%自分、30%子供。

残り30%を親孝行に使う。

離婚すると、どうしても自分の親に対しても、素直になれなかったり、

親からの言葉に傷つくことも多い。

だから別に何かをしてあげられれば一番良いだろうが、

何もしなくても、いつもよりは少しだけ気遣う。食事をする。

元旦から何か新しいことをしてみるのもいい。

いつもいかない場所での初詣。

贅沢に美味しいお酒を飲む。

全部寝るでもいい。

本を読みまくるのもいい。

温泉や近所のスパに一日浸かって、

スパについているマッサージを受けたり、ビール飲んでもいい。

何度も伝えるが、

悲しさや寂しさはどうしたって出てきてしまうから

それと格闘しても難しいし、抑えられるものでもない。

だからそれと共存しながら、今の自分でできるベストな過ごし方をさがすしかない。

日本人にとって、年末年始ほど、気持ちを切り替えるのにベストな時期はない。

あのカウントダウンの前後で

気持ちを切り替えると覚悟する。

もちろん、年が明けても、さびしくないわけではない。

でも、何かが違うと感じられるように、今から準備する時間にする。

今年のことは、今年に置き去りにする。

来年は生まれ変わったつもりで、真っ白な可能性にむけて歩み出す。

そう信じる。

そんな精神論だけなんて・・・と思わないでほしい。

心の切り替えが自分でしかできないのは、

ブログを読んでくれているあなたなら、すでに理解してくれているでしょう。

悲しさ、寂しさ、辛さ。。。きれいにはなくならないし、共存でいい。




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寂しさにあるもの

2015-12-22 00:00:02 | 日記
あなたが苦しんでいるとき

きっと周囲の友人や家族が

あなたを気遣い、助けもくれているでしょう。

でも、それは長くは続かず、

あなたが少しだけ元気を取り戻し、

日常の生活ができだすと、少しずつ周囲も日常に戻っていく。

だが、あなたの心の中は全く整理などできていないし、

朝に夜にと苦しみは続いている。

そして何よりも、

独りでそれに耐えている。

たしかに周囲にその辛さや苦しさを漏らすことは減っているかもしれないが、

けして苦しくないわけでもない。

だが、周囲はまるで何事もなかったかのように

日常に戻っていく。

自分の苦しみ、寂しさ、悲しさ、切なさ・・・

それらの想いを誰も気づかないかのように

まるで無視されているかのようにも感じるかもしれない。

自分はこんなにも苦しんでいるのに

そのことに少しでも気づいてくれて

あたたかい言葉が欲しいのに

気付いてくれない。

だからといって、

そう毎日のように苦しい、寂しいと周囲に漏らすこともできない。

そんなどこにも抜きどころのない想いを抱えていると

どれだけ苦しいことか。

誰かに頼りたい、助けてほしい

自分の辛さに気づいて、あたたかい言葉がほしい

そんな想いはみんな一緒、

あなたが弱いのでもない。

そして抱えきれない想いを周囲に話てもいい

迷惑だなんて思っていない。

逆の立場なら、なんとかしてあげたいと思うでしょう?

そしてここにコメントしてくれてもいい。

少なくとも、ここに集まる方はあなたの苦しみを知っているのだから。

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大切な人との別れ

2015-12-19 10:18:50 | 日記
どれだけ大切にしていても、

どれだけ想いを強くしていても、

壊れてしまう縁がある。

なぜだか明快な答えなどないし、わからない。

離婚はもちろん、恋人との別れや、伴侶との死別

子供に先立たれるなど、人生ではほんとうにたくさんの別れがある。

真面目に考えたり、向き合っていたら、

とてもではないが生きていくことなどできないのかもしれません。

先日、ニュースで奥様を亡くされたご主人が

20歳をすぎた娘二人と自殺を図ったものがありました。

ご主人だけが助かりましたが、残念なことに娘さんはなくなりました。

大切な相手だからこそ、死別の苦しみは図り知れず、

誰も非難することなどできません。

また老々介護での事件も毎日のように耳にしますね。

大切ゆえにおこることでしょう。

そして、大切な相手がそばにいない苦しみというのは

誰もが人生で味わうものですが、

それでも当事者は、苦悶する。

今、あなたが苦しんでいる苦しみをわかってはあげられないかもしれないが、

そして、その苦しみからの抜け道を教えることなどできないが、

少なくとも、

今、あなたが苦しんでいるという、

そして毎日耐えているのだということを

私は心に留めています。

苦しさに耐えているあなたの存在を

少なくとも、感じています。

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縁に託す

2015-12-09 00:02:35 | 日記
日本語には、

「ご縁」という素敵な言葉がありますね。

今の時代のように

スピリチュアルブームでの

ソウルメイトだとかそういう言葉がないときから

この「ご縁」という言葉はありました。

あなたの人生でも

そのときはとても親しくしていた友人で

今は全く消息すらもわからないような方がいるのではないでしょうか。

私にも、大学や高校、就職してからも

ほんとうに仲良く、一緒にいた友人たちも

今となっては、まったくつながりのない方がいます。

その一方で、会って、別れて、また会う、そんな人もいるでしょう。

なんのために出会ったのかわからないような人もいる。

でもたしかにその一瞬、自分の人生で交差したような人。

恋人として一緒に過ごせた人も

結婚して離婚した相手も、

縁なくして、この広い世界で出逢うことなどなかったし、

まして友人以上に深い関係になることなどないでしょう。

そして、それは自分自身で制御できたようなことでもない。

いくら大切で愛する恋人でも縁なく、ゴールできない人もいる。

世の中でたくさんあるブログやSNSのなかで、

このブログで接することも縁に違いありません。

そんなあなたの人生をとりまく「ご縁」を深く、深く感じてみてください。

たしかに今、深く傷つき、苦しい。

悲しみに押しつぶされ、誰かに支えてほしい、そんな想いもあるでしょう。

でも、あなたの人生には、無数の「ご縁」が働いてきました。

そのことは、神を信じなくとも、人生の真実などわからなくとも、

事実として知ることができるのではないでしょうか。

死ぬまで、この「ご縁」はあなたに作用しつづけていく。

もちろん良いことばかりでないことも離婚という経験をしたなら、

十二分に知っているでしょう。

この「ご縁」、プロセスに託すことしか私たちにはできないのです。

それはみんなそうなんです。

苦しみにあるからこそ、このプロセスを信じる、

幸せならそんなことを考えずとも生きていけます。

悲しみが深いからこそ、自分の力は及ばないことを知っているからこそ、

ご縁、そしてプロセスを信じて待つことで

一歩、一歩、今日も一日を進んでいく。

あなたも、私も。



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他人には、あなたはわからない

2015-12-07 00:00:05 | 日記
先日、今の職場で

40代後半くらいの女性の方と雑談していたとき、

なるほどなぁ。。。とあらためて思ったことがありました。

今の職場ではまだ3年ほどですし、

さほどプライベートを細かに話すわけでもないので、

当然なのですが、

私自身はいろいろな資格も取りましたし、

職場で、元気、アクティブという印象でもないのでしょうが、

まあアウトドア派や、スポーツ派には見えなかったらしいのです。

でも実際は、インドアもいろいろしますが、

その辺の人たちよりもはるかにアウトドア派であり、スポーツ派。

しかも趣味の域を超えるレベルで。

だから、とてもびっくりされていました。

毎日話をして、席はとなりです。

でもわからないのです。知らないのです。

みんなそうです。

他人のことなど、そこまで注意していないし、

親しいようでわかってなどいない。

それが現実です。

カウンセラーはトレーニングしてますから、

ものすごく細かいところを感じます。

ほんとうにちょっとした目線や、声のトーン、服装、アクセサリーやお化粧の濃淡

お酒の飲み方や、食事の内容、量といったレベルまで

日常で人と接していて目に入るものすべてから情報をとる癖があります。

そしていくつかの情報を立体的に組み合わせて仮説を作り

その仮説をもとに再び感じていきます。

でもふつうはそんなこと気づきもしないことが多いのです。

何が言いたいのかというと、

人生を生きていて、他人などの言葉や価値観などに

大きな意味などないし、振り回されることなどないということです。

どのみち、あなたの人生に生涯寄り添って責任をとることもないし、

誰もがそんな余裕などありません。

あなたはあなたの思ったように、あなたの信じる道を歩むしかないのです。

自己責任という言葉が私は好きではありません。

借り物の言葉ですが、

「自分が源泉」

この言葉がいい。

良くも悪くも、すべては自分が源であり、

責任ありなしとかそういう次元ではなく、そんなことはどうでもよく

いつもいう主体性です。

なんかプロセスと主体性は少し違うのではないか?

そんなふうに感じる人もいるかもしれません。

プロセスはたしかにコントロールできない部分を含みますが、

朝食や夕食のメニューや、着る洋服は少なくとも選べるでしょうし、

大きな意味でのプロセスは働いているとは思いますが、

ぜんぶが神さま任せでもないでしょう。

今日一日の生き方ひとつも自分が源泉だと思えば、

周囲の意見や動向は、ただのオマケみたいなもの。

冷静に考えたら簡単です、

もしかしたら、あなたは明日の朝は死んでいるかもしれない。

今日一日しかないかもしれない。

なのに、無駄に残業する時間などないし、

やりたくないことをする暇もない。

自分の道を生きるとはこのことを極限で気づいて生きることなんだと思うのです。

いつも言うことなのですが、

私は理想論や、机上の空論を言うつもりもないのです。

あなたがどう生きていきたいのか、

それは悲しみのなかにあっても、生きていることにはかわりません。

人生という大切な時間を削っていることは間違いありません。

だからこそ、できる範囲で最大限生きる。

最高の輝きでなくても、にぶい光でもいい。

どんよりしていてもいい。

それでも主体的に生きたい、そう思うのです。
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ちょっとだけ良かった

2015-12-05 00:00:01 | 日記
「ちょっとだけ良かった」

こんなのを探してみましょう

毎日、苦しい連続

心はボロボロで

睡眠もとれずに身体も疲労

仕事に行くのもしんどい

そんななかでも

少しだけ良いことを探してみたい。

大きな楽しみはないかもしれません。

人生全体が灰色に見えているとき

どんなことにも後ろ向きとなるし、

何も感じない。

いや、感じないのではなく

感じるのが怖いから自分でシャットアウトしているかもしれない。

でもひとつでも生活のなかで

一日のなかで、

わずかでもいいので、無理やりにでも探してみる。

体重がちょっと減ってた。

おいしいコーヒーが飲めた

お店で並ばなくてすんだ

仕事がはやくおわった

週末に予定ができた

お月様がきれい

お風呂にゆっくり入れた

洗濯物が全部乾いた

心配事がひとつ片付いた

それで十分です。

でも大切なことです。

苦しいとき、こんな考え方でさえ難しいのもわかります。

だけれども、

やはりこの苦しみの底で、今を生き抜くうえで、

これまでとは違うアプローチが重要だからです。

もちろんこのことでなくてもいいのです。
自分なりでいいのです。

苦しみの海におぼれている自分を

少しだけ浮かせてあげることができるのは

誰でもない、あなた自身なのです。

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ボロボロでいい

2015-12-02 00:00:09 | 日記
苦しいとき、

つらいとき、

悲しみに落ち込むとき

もちろんその状況から脱したいという強い想いがあるでしょうが、

それと同時に、

こんな状況ではダメだとか、

もっとちゃんとしなければとか

そんな気持ちもあるかもしれません。

両親に対してとか

友人、会社の人・・・

周囲に対しても、

そして何よりも自分自身にも。

でも、

そうはいっても

ちゃんとできないし、

ボロボロになっているのは

それだけ苦しい、苦しんでいるから。

しょうがないじゃないですか、

いいじゃないですか、

人生でそんな半年、一年があっても。

人間は、そんなにかっこよく生きれないし、

ドラマのようにはいかないのですから。

それだけ苦しんでいて

ボロボロでどこがカッコ悪いのでしょう。

何が悪いのでしょう、

どうしてちゃんとしないとならないのでしょう。

耐えているだけで十分

きっとなんとか仕事もしたり、

なんとか生活もしたり、

少しは勉強したり

運動してみたり

とにかく、自分なりにひとつでも、ふたつでも

耐えながらも、苦しみながらも

何かしているでしょう。

それで十分じゃないですか。

幸せで、元気で、輝いているときほど

同じようにはいかない。

何もかも全部完全にはいかない。

だから、

ボロボロでいい、

耐えているだけで十分にあなたはがんばっています。

カッコ悪くていい。

がんばっているんだから、

十分にやっている。


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