離婚に苦しむ人へ

今、苦しんでいるあなたに寄り添って。

もともと得ていなかったのかもしれない

2019-05-28 00:00:01 | 日記
以前にも書いていますが、

私が調停中の自分の弁護士と話をしていて、

10年以上たった今でも言われて覚えていることがあります。

「得ていたと思っていたが、もともと得ていなかったのかもしれない」

哲学的な話をたくさんしたことを覚えています。

離婚を経験した人なら、多くの方が「喪失感」に苦しんでいることと思います。

喪失感 とは何か・・・

つまり、得ていたものを失うということですね。

それは、パートナーそのものであったり、

パートナーからの愛情であったり、

将来の夢、計画、想い・・・。

では、その得ていたというのは、ほんとうに得ていたのだろうかと。

パートナー自体や、その愛情を、真に得ていたのだとしたら、

失うとき、相手の死であったりするならわかりますが、

調停までして失うというのは、ほんとうに得ていたと言えるだろうか?と。

もしかすると、ほんとうに得ていたのではなく、

そんなふうに錯覚していただけかもしれません。

ここが重要ですが、

もし仮に初めから得ていなかったのだとすれば、

失った、失ったと日々苦しんでいる苦しみは何か?と。

得ていないのならば、失ってない。

失っていないなら、何に苦しんでいるのか?と。

得ていなかった愛情を失ったと思い込んで、苦しんでいるのはなぜか?と。

もちろん、真実とは何かを断定することはできないから、

あくまで哲学的思考としてお話しているのですが、

そう考えると、むなしくもあるし、残念にも思いますけれども、

結婚というのは、そもそも人間が作った制度で、

結婚しようがしまいが、先日書いたように事実婚でも、

親子でなくても、親子以上の絆もあるわけで、

ほんとうの意味で心が通じているというのは

形ではないということがわかるはずです。

もちろん、屁理屈だと思うかもしれませんし、

そう思い込もうとしているだけだと言うかもしれません。

過去を否定しているようにも感じるかもしれません。

ただ、いつも言うように、離婚という事実は変わりません。

だから、その事実をどう捉えていくのかという点のみ

自分自身でコントロールできることですから、

それをどう扱おうと、真実がどうであろうと、

自分が立ち直り、再び自分を取り戻すためなら、

誰にも迷惑をかけませんよね。

今日は少し哲学的なことを書きましたが、

自分の価値観や、常識、慣習を一度崩していくという作業は、

当たり前だと思っていることをひとつずつ丁寧に考え、

どういうことなのか?と問い続けていくことで

少しずつ進むのだと思います。











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視野を広げる

2019-05-25 00:00:01 | 日記
題名だけ見ると、

道徳か?とも感じるかもしれません。

また上から目線のお説教かとも。

今、直面している「離婚」

もちろん、理屈抜きにして苦しい、悲しいということは

これまでたくさん書いているとおり、

みんながコメントしているとおりに、

想像を超えて苦しい。

私たちは日本人で、海外から見てくれている方もいますが、

多くはこの日本にいる。

いつも言うように、フランスは日本でいう事実婚はたくさんいるし、

海外は同性婚もどんどん進んでいる。

世界では親権は両親ともにあるというのが主流。

最近のハリウッド俳優のように、ラスベガスで簡単に入籍して、4日後に離婚というのもある。

要するに、なんでもあり、こうでないといけないということがない。

離婚をバツイチ、バツニなどと言うけれども、

みんながテレビで知っている、ビッグダディーや、元奥様のその後のことを見てみれば、

何が常識ですか、どれがスタンダードですかと言いたい。

結婚していても、これだけ不倫スキャンダルが多くて、

芸能人だからバレるけれども、世間ではどれだけあるのですか?と聞いてみたい。

これは私個人の考えですが、

離婚を越えていくとき、

いつもいう常識や慣習ではなく、

物事の本質をみていかないとならない。

離婚になるのはいろいろな理由があるけれども、

冷戦の夫婦で生涯いることが幸せなのか、

世間的に仮面夫婦を示すことが必要なのか、

子供が成人するまで?

熟年離婚がベスト?

今まで生きてきた常識で考えたら、

離婚はありえない、あってはいけないと思うかもしれない。

そして、何よりも、あってはいけないという強い想いが、

そんなことは自分にはあってはならないという

潜在的な意識が自分を苦しめてしまう。

その、あってはならない状況に自分があるということは

受け入れることができない。

視野を広くし、視点を変え、自分の生きる軸を変えて

新しい自分を再構成しなければ、どうにもならないと

この私自身が何年もかかって気づいた。

理屈から入るか、体感から入るか人それぞれの特性があるが、

頭でわかっても、現実的に心がついていかない。

そうだと理解しても、悲しみはなくならない。

理屈がわかっても、身体がついていかない。

だから、ほんとうに気づくには時間がかかるし、難しい。

それ以外の方法をたくさん試して、また戻ってくる。

ではどうしたら・・・、

これは、もうほんとうに自分で時間をかけて

それが自分にとっては、ベストであると自分で気づくしかない。

とてつもなく苦しい時間を耐えて、思考錯誤し、

右往左往しながら、10年以上のときをかけて、気づいた。

正確には、いまだに更新中かもしれない。

もっとも40年以上かけて作ってきた価値観を再構築するのだから、

それくらいかかってもおかしくはないとも思うのだが。

もちろん、少なくとも、私はそうやって乗り越えたというだけのこと。

いつもお伝えしているように、

強制はしないし、絶対とも言えない。

これもまた、ひとつの視点としてみてもらえたらと思うのです。
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やり過ごす

2019-05-22 00:00:01 | 日記
苦しみや悲しみの時間から解放されたいと思うのは

誰しもがそうだろう。

だが実際には、どうしようもないくらいに動けず、

何をしても虚無感に襲われ、

もうどうでもいいと思うし、どうにでもなれとも思う。

だが、結局のところ、やり過ごすしかないのかもしれない。

それは1年かもしれないし、10年かもしれない。

よく見てみれば、1年前と2年前はどこか違うかもしれないし、

また1年後は違うかもしれない。

あまりの苦しみに、何も変化がないように感じるかもしれないし、

実際にどうにもならないのだからと思うかもしれない。

何かを変えなければいけない、変化しないと、

もっとがんばらないと、もっと何かできるのではないか

普通に戻らないと、周囲には普通を装うようにしないと、

もうきっとあらゆることがあなたを拘束するかもしれない。

だが、何もできなくても、変化していないようでも

もしそれがプロセスと言うのなら、やり過ごすのも大切な時間でないだろうか。

私たちは、何か問題や課題があると、それを乗り越えていくように

小さいころから育てられてきている。

だが、どうにもならないこともあるのが現実だし、

いつも簡単に乗り越えられるわけでもない。

だから、そんなときは、やり過ごす、見過ごすのも

ひとつの方法になるかもしれない。

苦しみや悲しみを抱きつつ、乗り越えるばかりではなくて、

抱えながらも、淡々とやり過ごす、

そんな時期があっても良いのかもしれない。
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定型という病

2019-05-16 00:00:01 | 日記
先日テレビ番組で

「岡部友」さんというトレーナーの特集をしていた。

私もトレーニングが好きなので、名前も中身も知ってはいたが、

番組はさらに深く、彼女を描写していた。

今女性に人気の「美尻トレーナー」でその火付け役だが、

実は、アメリカで専門的な大学で学んだ本格的なトレーナー。

その方が言っていた。

20歳のとき、一時帰国して、同世代と話していて、

日本人が、定型レールを走るのを見て、違和感を感じたと。

彼女自体はアメリカ留学していて、周囲は定型などない欧米人、

日本に帰ってきたら、みんな同じ服装して、

何歳で結婚して、何歳で子供ができて・・・、

それから外れると「痛い」と言われてしまう。

みんながするように同じことをすることを良しとする風潮。

面白いことを言っていたのだが、

女性の骨格上、
お尻の形はトレーニングで変えられるが、胸はそうはいかないのだとか。

だから、お尻をトレーニングすることを通して、

自分で何かをやり遂げたという、変えることができたという自信につながり、

人生全体に影響し、心が強くなるのを目指しているのだと。

トレーニングはあくまでその手段だと。

そして、いつも私が言うのと同じだが、

彼女にストレスはあるのか?とレポーターが聞くと、

コントロールできることは努力すればよいのだし、

コントロールできないことは、どのみちどうにもならないのだから、

いずれのこともストレスにはならないのだと言っていた。

昔、大失恋をしたなかで、彼女が少しずつ気づいたことで、現在のような

考えになっているという。

はじめはそんなに強くなかったと。

また、彼女はすでに33歳で、周囲が結婚などしていくことに対しても

何とも思わないという。

他人に幸せを求めたら結局はそこまでで、自分自身で幸せであることが先だと。

その先に誰かと居たら幸せというのが本当だと。

話がそれてしまったが、

ほんとうに日本は横並びが好きで、和の名のもとに、定型が好き。

人並みが一番よくて、そうでないとおかしいかのようにみられる。

以前にも書いたが、もう日本の離婚率も30%を超えていて、

未婚率だって相当に高い。

いづれは、

かつての幻想に囚われた人たちの方が時代遅れになるだろう。

自分で考えて、自分軸で物事を進めていかないと、後悔する。

もう10年もすれば、また世の中は変わっているのだから。

離婚の苦しみのなかで、失った関係性を追い求めることは多くの人がそうしてきたし、

私自身もそうであった。

ただ、岡部さんも言うように、自分単身で幸せになることが

先なのだと思う。もちろん、結婚している多くの人たちは、そのことには気づいていないかもしれない。

気づかなくても幸せかもしれない。

だが、離婚を経験してしまった以上、本来の在り方、在るべき姿を探すというのも

人生の在り方ではないかと、当時も、今も私は考えている。




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できることだけ

2019-05-10 00:00:01 | 日記
苦しいなかで、

日々の生活だけでも大変なこと。

仕事に行くだけでも、相当にしんどいこと。

子供の前では笑っていても、ひとり泣く時間もあるかもしれません。

そんな状況で、かつてと同じようにがんばるなんてことはできない。

いや、かつてよりも頑張っているけれども、

大きな苦しみの前に、どうにもならないでいるのかもしれません。

離婚で苦しんでいるあなたは、

きっと人一倍頑張ったり、真面目に、丁寧に生きてきたかもしれないし、

逆境に耐えてきたかもしれない。

でも、自分で自分を追い詰めないでほしい。

十分に耐えているだけでがんばっているのだから。

どうしても、かつてのような状況に戻れるように、

今現在をそれと比較してしまいがちだが、

それはもっと先でいい。

今は、目の前のことをひとつずつできれば、十分ではないのだろうか。

自分に多くの要求を課しては、そのギャップで苦しむ。

だから、今はただ、一歩、一歩、歩めるだけで十分、

それも立ち止まったり、後ずさりしたり、そしてまた一歩。

できることだけ、ゆっくりと、ゆっくりと、

他人と比べることも、かつての自分と比べることも必要ない。

今は、今の自分が原点。

そこから、少しずつまた積み上げていくしかない。

きっと気持ちは焦るし、どうにもならないイライラもあるかもしれないが、

今は、焦らない。ゆっくりと。
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先をみるとつらい

2019-05-06 00:00:01 | 日記
多くの人は、

将来をみて生きている。

会社でも、友人でも、将来の話。

でも、離婚を経験した人にとっては、

その将来こそが一番欲しいにも関わらず、

未来がみえない中で苦しんでいる。

離婚で失うものはたくさんある。

大切な相手、想い出、夢、もちろん、住むところや、お金、

仕事、友人、そして希望、期待も失う、、

人それぞれだろうが、ひとつだけということはないだろう。

これまで一生懸命に丁寧に生きて、積み重ねてきたものが

一瞬にして消えていく悲しみの深さ、虚しさは、

言葉では表現できない。

将来への不安を考えると、もうどうにもならないくらいに暗闇に閉じ込められてしまう。

具体的な不安でなくとも、得体のしれない不安で動悸がするし、

眠ることすら許されないような精神状態となるし、

虚無感という最大の難題も背負うかもしれない。

私は、目の前にのみ意識を寄せるようにした。

1カ月先、1年先のこと、何年も先のことを考えると

不安が止まらなくなるから。

今日、明日くらいのことに集中する。

今日不安なことは、なんとか対処を考えればよいし、

どうにもならないなら、やり過ごす。

だが、未来への不安は、その未来が来るまでずっと不安でいなければいけない。

それでは精神的に良いことはなく、しんどさが果てしなく続く。

だいぶ以前にも書いたが、

若いときに親の借金が数百万もあり、取り立てもきて、

しんどい経験をしてきた友人が、離婚で苦しみにある私に教えてくれたことがあった。

借金の毎月の期限はあるし、金策に走らないといけない。

だから、ずっとそのことが頭から離れないし、生活がすべてそれに縛らてしまっていた。

精神的にも追い詰められて、限界に達したとき、

彼は、気づいたそうだ。

ほんとうは、金策すべきとき、それ以外の日は、そのことに縛られなくても良いのだと。

贅沢はできないが、毎月、数日間だけ大変な金策に時間と精神を使えばよいのであって、

自分の人生の時間を全てそれに支配されなくても良いのだと。

その話を聞いて、私も、離婚という苦しみから離れる時間を作れるようになり、

悲しむ時間、悩む時間をすこしずつ減らしていった。

ただ、簡単なことではないのだと思う。

今でも思うのは、精神的に限界に達したからできたのかもしれないと。

自分から、苦しみの行為から離れるしかないと気づいた。

そして、わからない、不安になる将来や未来などのことを考えても、

得るものは何もないどころか、精神的に苦しむだけだと気づいた。

そして考えるのを止めた。

未来のことを考えて苦しんでも、何もできないなら、

苦しんでも何をしても意味のないことだと気づいた。

じゃあ、今を生きようと決めた。

そうはいっても、いつものように、行ったり来たりは当然あり、

ほんとうにゆっくりとである。

ただこの考えは今でも同じで、無駄に未来をみることはない。

あのときに、無意味に感じた将来を見据えた、世間の生き方は、

今でも私の中にはない。

今をしっかり生きることに尽きる。 









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こだわらない

2019-05-01 00:00:01 | 日記
以前から書いている

手放す

に近いが、もう少し楽かもしれない。

とにかく、こだわりを捨てるようにしていく。

私たちは、どうしても、

こうでありたい、こうしたいという欲がある。

人間だから欲があって当たり前。

欲をなくすのは、そもそも無理がある。

何かものごとに接したときに、

二者択一にしない。第3の案を探す。

案がなければ、選択しないというのも選択。

先延ばしにしてもいい。

どうしても選択しないといけなくなるまでしない。

棚上げする。

黒か白でなくて、灰色もいい、

黒に近い灰色から、白に近い灰色もある。

この連休、あなたのこだわりを見つけよう。

見つけて、捨ててみよう。

身軽になるのを感じられるかもしれない。
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